長崎伊万里の散策と呼子のイカの活き造り

久しぶりに妻と一泊旅行の二日目、フルーツバス停と島原雲仙散策に続く後半です。

後半は長崎市内を散策し中華街での夕食、その後長崎の夜景を楽しみ、翌日は早朝の散策後軍艦島ミュージアム鍋島藩の焼物の郷伊万里を散策し呼子イカの活き造りをいただきます。

 

※※「フルーツバス停と島原雲仙散策」を見る ※※

 

今日宿泊する「HOTEL NEW TANDA」(長崎市常磐町)です。チェックイン後長崎市内の散策に出掛けます。

※ 撮影は翌朝したものです。

 

ホテルの近くにある電停から路面電車に乗車します。

 

メディカルセンター前電停から四駅目のめがね橋電停で下車し、眼鏡橋近くの常盤橋までやってきました。

見えている橋は眼鏡橋のひとつ下流に架かる袋橋という石橋です。眼鏡橋に比べると地味に見える橋ですが何か趣きを感じます。この橋の上から見る眼鏡橋は眼鏡のように見え、眼鏡橋のビューポイントの一つです。

 

その袋橋の橋上にやってきました。今回も川面に映る橋の影で双円になり綺麗に眼鏡に見えています。

国指定重要文化財眼鏡橋は日本最古の本格的石橋で、眼鏡橋架橋後に架けられた中島川の石橋は全て単アーチのようです。

 

今回は前回探しきることができなかったハートストーンを探します。眼鏡橋と一つ北側に架かる魚市橋との東側護岸にあることまでは下調べ済みです。

この写真の中にハートストーンがしっかり写り込んでいますが、分かりますか?

 

これが眼鏡橋のハートストンです。やはり日本の観光ポイント、すく傍に沢山の小銭が置かれていました。

 

修学旅行に来られていた学生たちもハートストーンを見つけ盛り上がっていました。

 

日が傾き眼鏡橋の後方に沈んでいきます。

 

中島川に架かる石橋群は元々17世紀頃、風頭山の麓に創建された寺社の参拝者用に架けられたようで、長崎最古の商店街が軒を連ね賑わっていたそうです。

 

長崎を代表するメイン通りのベルナード観光通りを散策します。沢山の店舗が立ち並び多くの方々で賑わっていました。

 

長崎新地中華街の北門に出てきました。

 

長崎新地中華街を散策しながら、今夜夕食をいただく江山楼に向かいます。

 

新地中華街の東門、青龍門脇にやって来ました。

 

その門のすぐ傍に「江山楼」(長崎市新地町)はあります。

 

入口にはメニューが並んでいます。

予約は受付けていないので土曜日ということもあり待つのを覚悟して来ましたが、開店直後だったためすぐに入店することができました。

 

ほぼ満席状態です。

 

メニューです。

オーダーしたのは前回いただいき、とても美味しかった特上ちゃんぽんと特上皿うどん細麺です。二人でシェアーしていただきます。

 

メニューの裏面です。

福建省福州の郷土料理であり熊本県ご当地グルメでもある太平燕《タイピンイェン》や黒炒飯なども気になるところです。

 

特製ちゃんぽんが出てきました。

 

フカヒレ、海老、イカ、豚肉、アサリ、蒲鉾などなど、豪華な具材が盛り沢山、スープは脂っこくなく濃厚で深みがあり魚介系の出汁が効いた鶏がらスープです。

なかでもフカヒレはしっかりと食材の旨味が浸み込んでいて、ファッと感とシャキシャキ感が楽しめとても贅沢な味わいでした。

妻は今までこんな美味しいちゃんぽん食べたことない! と、とても喜んでくれています。

 

特製皿うどんが特製ソー酢と共に出てきました。

 

餡は魚介系の出汁が効いた鶏がらスープです。特製ソー酢は濃厚で甘さ控えの細麺の皿うどんとの相性がよく、さっぱりとした感じが加わり一味違った美味しさが楽しめました。具材はちゃんぽんと同じようですが、皿うどんの細麺は最初パリパリで、途中から鳥ガラスープと具材の旨味が凝縮された餡がからんで柔らかくなった麺の二種類が楽しめます。

皿うどんも美味し~い! と妻はご満悦、遠路食べにきた甲斐がありました。

ごちそうさまでした!

 

再び中華街を散策します。

 

昔妻と訪れた際とても美味しかったゴマ団子を今回も購入することにしました。

 

一つ100円、5個で400円、迷わず5個購入しました。

 

中華街を抜け朱雀門の南側に向かい合うようにある中華門まで出てきました。

この門は中国の技術者を招き、中国産の御影石、太湖石等を使い中国の古典建築様式の本格的な中華門を建造されたようです。

 

ホテル近くにあるメディカルセンター電停まで歩き、路面電車で三駅目の終点石橋電停に到着しました。

 

石橋電停からすぐ近くにグラバー園に向かうグラバースカイロードがあります。

乗口は普通のエレベーターですが、このスカイロードは山の斜面を斜めに上る全国で初めての試みとなる斜行エレベーターで、坂道の多い長崎では日常使いでもとても重宝されているようです。

 

前回訪れた際撮影できなかった展望ポイントで撮影しました。

この後夜間開園されているグラバー園に向かいます。

 

高台にある第二ゲートからグラバー園長崎市南山手町)に入園しました。

ライトアップされた旧三菱第2ドックハウスです。

この建物は1896年(明治29年)、三菱造船所(現三菱重工長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人の乗組員用宿舎だそうで、1972年(昭和47年)まで同造船所で使用された後グラバー園に移築されたそうです。

 

二階テラスから見える三菱重工長崎造船所の夜景です。グラバー園におけるベストビューポイントだそうです。

テラスに取付けられている柱間の欄間はお洒落な感じで、柱間から見る夜景はアーチ状に縁どられ西洋建築ならではの趣を感じます。

園内を下っていきます。

 

旧ウォーカー住宅です。

ウォーカー商会を設立したロバート・N・ウォーカーの次男ロバート二世の旧邸で、1890年(明治中期)頃の建物だそうです。

 当初は大浦天主堂横の祈念坂沿いにあったようで、1974年(昭和49年)にグラバー園に移築されたそうです。

 

旧ウォーカー住宅の内部の様子です。

移築前は母屋の他、和室などもあったようですが、移築の際に洋風部分のみ再建されたそうです。

 

園内の木々は綺麗にライトアップされ、光のツリーも飾られています。

 

リーガー住宅の入口付近にはフリーメイソンのシンボルが刻まれた門柱がありました。

この門は長崎市松が枝町付近にあった住宅のものを移築したようで、柱頭の彫刻がコンパスと定規を組合わせたフリーメーソンのマークのようです。

当時イギリスから渡来したフリーメーソンの人々が最初に住み着いた移住区のロッジのシンボルとしてマークを掲げられていたというような説明がありました。

 

リンガー住宅です。

長崎の明治期の産業経済界に大きな功績を残したイギリス人で、グラバー商会に勤務し、ホーム・リンガー商会を設立されたフレデリック・リンガーの住宅です。

国指定重要文化財で、 1868年(明治元年)頃の建物のようです。木造に石造の外壁、ベランダの床には御影石が敷かれていていました。

 

多角形の室内にはドアが取り付けられていて、とてもお洒落な感じです。

余談になりますが、外食チェーンリンガーハットの社名は、フレデリック・リンガーに因んで付けられたそうです。

 

あちらこちらで長崎港の夜景が楽しめます。

 

さらに下り、クローバーのような華麗な屋根が特徴的な旧グラバー住宅にやって来ました。

1863年文久3年)に建てられた国指定重要文化財です。現存するわが国最古の木造洋風建築だそうで、スコットランド出身の商人トーマス・グラバーが親子二代に渡り暮らしていた住宅です。

 

採光と通風を意識した半円形が特徴的な建物で、日本瓦や漆喰の土壁が使われています。木造菱格子の天井があるベランダや石畳の床に立つ木製の円柱、柱間の吊束はアーチ型の欄間で開放的な雰囲気を作り出しています。

ここで探しものです。

 

み~つけた!

入園時いただいたパンフレットにハートストンの場所が記載されていて、しっかりとライトアップもされていたので、いとも簡単に見つけることができました。妻は大喜びでスマホで撮影していました。

 

1961年(昭和36年)に長崎市からの依頼で彫刻家の富永良雄が製作されたブロンズ像です。

トーマス・グラバーはグラバー商会を立上げ、坂本龍馬など幕末の志士たちに艦船や銃などを提供し、お茶や、絹などを海外へ輸出、貿易で多大な利益をあげたようです。

また、キリンビールの全身であるジャパン・ブルワリ・カンパニーの設立にも深く関わったようで、 キリンビールのシンボルマークの麒麟のデザインはグラバーの髭がモデルとも言われているようです。

 

展望デッキにやって来ました。とても素晴らしい思い出に残る長崎の夜景です。

 

第一ゲートまで降りて来ました。

この後ホテルに向かいます。

 

大浦天主堂の前を通ると、クリスマスバージョンにライトアップされていました。

 

ライトアップされた洋館群や長崎の夜景など、異国情緒あふれる雰囲気を感じながら素敵な夜の散策が楽しめました。

しっかりと長崎の夜景を楽しめたのでホテルに戻り、早々に休むことにします。

 

朝7時前に目覚め、朝食に向かいます。

バイキングなので私は和食コーナーへ……

 

妻は洋食コーナーへ……

 

私の朝食です。

 

妻の朝食です。

 

ホテルのチェックアウトは11時なので、それまで近くの散策に向かいます。

ホテル脇の路地を進むとそのままオランダ坂に繋がっています。

 

オランダ坂の石畳を進むと洋風住宅が立ち並び異国情緒を感じます。

このブルーの洋館は東山手甲十三番館といいい、明治中期に建てられたそうです。昭和初期から中期にかけてフランス代理領事アンドレ・ブクリが住まれていた外国人居留地の代表的な建物のようです。木造二階建て寄棟造りで2007年(平成19年)には国登録有形文化財に指定され、CMのロケ地などとしてもよく使用されているそうです。

 

オランダ坂と活水女学校についての説明板がありました。

 

オランダ坂と東山手甲十三番館、後方に活水女学校(現活水学院)の建物も見えています。

 

オランダ坂を下り8時半過ぎ軍艦島ミュージアム長崎市松が枝町)にやってきました。しかし開館が9時なので付近を散策しながら時間を潰します。

 

軍艦島ミュージアムのすぐ近く、国道499号線の交差点角にある旧香港上海銀行長崎支店記念館です。

この建物は香港上海銀行長崎支店の新社屋として1904年(明治37年)に建てられたようで、 1931年(昭和6年)に閉鎖された後は、警察署や長崎市歴史民俗資料館として利用されていたようです。

 

銀行当時のカウンターなども見えていますが、こちらも9時開館なので入館することができませんでした。

 

軍艦島ミュージアム近くにある駐車場の喫煙場所でモクモクタイムをしていると開館したので列に並び入館します。

 

入館料は1,800円ですが、JAF会員割引で1,500円で購入することが出来ました。

チケットを購入し2階の展示室に上がります。

 

全長30mの巨大スクリーンに約3,000枚の写真を投影され、スタッフの方の説明と共に当時の軍艦島の様子が映し出されました。

※ 以下、軍艦島ミュージアムの写真については掲載許可の承諾をいただいています。

 

南北約480m、東西に約160m、周囲は約1,200mという小さな島に最盛期の1960年(昭和35年)には1,600世帯、5,151人という沢山の方々が生活されていたようです。

 

炭鉱の仕事は高収入だそうですが、労働条件はかなり過酷だったようです。

 

今は見ることができない炭鉱の坑道の様子が再現され、トロッコに乗って入坑していくようなリアルな体験ができました。

 

端島炭鉱で採掘された石炭です。

端島の直下や周辺の海底から良質な石炭が採掘することができ、主に八幡製鉄所に製鉄用原料炭として送り出していたようです。

 

戦後復興の終了を宣言した神武景気の始まった1953年(昭和28年)当時、三種の神器といわれる、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビのある生活の様子が再現されていて、裕福な生活が伺えます。当時のテレビは白黒なのに何故か画面はカラー映像でした。

 

1/150のジオラマプロジェクションマッピング、映像と共に島内のイベントや日常などを見ることができます。

 

軍艦島の説明ビデオです。

 

今は立入ることの出来ない島内の様子がよく分かりました。

 

最新技術を駆使し再現された軍艦島を上下左右360°リアルに見ることができるコーナーもありました。

 

65号棟といわれる9階建ての建物の最上階には、1953年(昭和28年)に高島町端島保育園が開園し、建物の上にある日本一高い場所の保育施設だったそうです。

ただ、当時はエレベーターが無かったことから園児の送迎は大変だったようです。

 

立派な病院もあり日々のささいな疾病から、炭鉱事故の対応をはじめ伝染病などにも対応できる隔離病棟まで備わっていたようです。

 

30号棟の模型が展示されています。この建物は1916年(大正5年)に建設された日本初の鉄筋コンクリート造りのアパートだそうです。

 

内部の様子もリアルに再現されていました。

浴室やトイレは供用で、トイレは海水を使用した簡易水洗だったそうです。処理方法が気になりスタッフの方に伺うと、当時は処理施設などは無くそのまま海に放出していました。時代ですね…… と苦笑いしながら話してくださいました。

 

1916年(大正5年)の様子と2021年(令和3年)の様子の比較ができる模型が並べて展示されています。

 

四階まで上がってきました。

軍艦島の立入禁止区域を仮想上陸体験ができる軍艦島VRコーナーではゴーグルを付け飛行体験することができ、軍艦島の立入ることのできない地区や建物の内部の様子などを細かく見ることができました。VRは初めての経験でしたが、とてもリアルで上下左右360°見渡すことができ、とても感動しました。このミュージアムに行くことがあれば是非体験していただきたいと思います。

エアロバイクはありませんでしたが、VR体験をされている方を見ると左側の写真のようにしきりに上下左右に顔を振っておられました。

※ 写真は軍艦島ミュージアムHPより引用

 

端島銀座近くにあった急勾配の階段「地獄段」が再現されています。2017年(平成29年)東京で上演された~端島軍艦島編〜で使用されたセットをそのまま移築されたそうです。

 

その階段を上ると、端島神社の参拝所がありました。

 

御神体は石炭なのでしょうか……

ここの賽銭は端島整備基金に寄付され、端島の保存に使用されるようなので少しだけ協力させていただきました。

1時間半ほどかけしっかりと軍艦島ミュージアムを楽しむことができました。しかし最近のデジタル技術の進歩には只々驚くばかりでした。

軍艦島への上陸ツアーもありますが、天候に大きく左右され上陸できる確率は非常に少ないうえ、上陸できたとしても崩壊が進んでいるため限られたごく一部しか見学することができないこともあり、このミュージアム軍艦島をより深く知るのにとても役立つ施設だと思います。

この後国道499号線沿いを歩きホテルに戻ります。

 

帰り道国道沿いに旧長崎税関下り松派出所(現長崎市べっ甲工芸館)がありました。

この建物は長崎税関として1898年(明治31年)に建てられたレンガ造、平屋建の擬洋風建築で重要文化財に指定されています。

 

長崎港の対岸に稲佐山山頂展望台が見えています。標高333メートルの山頂からは市街地の全景が望め360度のパノラマが楽しめるようです。天候の良い日は雲仙、天草、五島列島までも望め、夜には1,000万ドルの夜景ともいわれる長崎の夜景も楽しむことができる展望スポットだそうです。

 

ホテルまで戻ってきました。

この後車に乗換えホテルのすく近くにある新地交差点から、ながさき出島道路に乗り、焼物で有名な伊万里を目指します。

 

ながさき出島道路から長崎道に乗継ぎます。

 

西九州道から回るコースもありますが今回は武雄JCTを直進します。

 

武雄JCTから少し走ると川登SAがあったので長崎の土産物購入に立寄りました。

 

長崎の土産と言えば、やはりカステラが定番のようです。

 

スタッフの方に平戸のかすどーすは置いていませんかと伺うと、同じような商品で平戸シュガーラなら置いていますよと勧められ購入しました。

長崎市内で数軒土産物店を回って平戸のかすどーすを探してみましたが、置かれていないようでした。

平戸シュガーラやカステラなど長崎土産も沢山購入することができたので先に進みます。

 

長崎道を快走します。

 

武雄北方ICで長崎道を流出します。

 

武雄北方ICから国道498号線で伊万里を目指します。

 

ホテルから1時間半ほどで伊万里市街地の中心となる伊万里駅に到着しました。

この伊万里駅にはJR九州筑肥線松浦鉄道の西九州線が乗り入れていて、両駅舎は歩道橋で結ばれています。松浦鉄道は旧JR松浦線で1898年(明治31年)に陶磁器輸送のため伊万里鉄道により有田伊万里間が開業したのが始まりで、1988年(昭和63年)にJRから第三セクターに変わり、2002年(平成14年)には 伊万里駅新駅舎完成に伴いJR線と松浦鉄道線が分断され新たにJRと松浦鉄道の駅舎が誕生したようです。

 

松浦鉄道側から見たJR伊万里駅です。

 

松浦鉄道の駅舎内です。

 

まもなく佐世保行き列車の発車時刻のようなので、発車まで待つことにしました。

松浦鉄道伊万里駅有田駅佐世保駅を結んでいますが、列車はスイッチバックでしか行き来することができない構造になっています。現在は有田駅方面と佐世保駅方面への直通列車はなく、全て伊万里駅発着となっていました。

 

12時40分、列車は佐世保駅に向け発車して行きました。

列車を見送り、伊万里市街地を散策します。

 

伊万里市街地の道路沿いには沢山の陶器が飾られています。

 

伊万里駅前交差点には「伊万里色絵夫人立像《いまりいろえふじんりゅうぞう》」が飾られていました。

本来の伊万里色絵夫人立像は高さ40cm程だそうですが、少し大きく作られているようです。

優雅に歩き出そうとする女性の立ち姿は寛文期(17世紀後半)の風俗画を特徴付ける美人画様式だそうで、陶磁器は国内外の王侯貴族や富豪などが観賞用として珍重されていたようです。

 

国道204号線に架かる相生橋南の西側蘭柱に飾られた「伊万里色絵酒樽乗人物型注器像《いまりいろえさかだるのりじんぶつがたちゅうきぞう》」です。実物は高さ37cm程だそうですが、こちらも大きく作られているようです。

 

この像は酒樽に跨るオランダ人が右手に足付きグラスを持ち左手に酒瓶を持っている姿を模ってす。

実物は頭部が栓になっていて、中に酒を入れる容器だそうで下の酒樽には蛇口が取り付けられています。18世紀中頃にオランダからの注文を受け、有田で焼き上げられ輸出されていたそうです。

 

江戸時代は伊万里川河口のこの付近が伊万里津と呼ばれる船着場があったようで、港があった頃の様子が描かれた陶板が説明文と共に飾られていました。

伊万里焼は有田焼、波佐見焼、鍋島焼などの肥前国生産された磁器の総称で、主な積み出し港が伊万里であったことから「伊万里焼」と呼ばれたそうです。

 

相生橋南の東側蘭柱には沈香壺《じんこうつぼ》が飾られています。

 

相生橋の中間の左右蘭柱には「伊万里色絵菊梅文壺《いまりいろえきくうめもんつぼ》(燭台仕立て)」が飾られています。実物は高さ66cm程だそうですが、こちらも大きく作られているようです。

 

古伊万里はヨーロッパでは器としてだけでなく、金工技術を加えて王侯貴族の宮殿などを飾っていたようです。また背景には18世紀にヨーロッパで流行した燭台金具の装飾にあるような曲線と渦巻を多用したロココ様式の風潮に、金彩や赤絵を駆使した色絵陶器の絢爛豪華さが好まれたからのようです。

 

相生橋北の西側蘭柱にも沈香壺が飾られていました。

実物は高さ90cm程だそうですが、こちらも大きく作られているようです。

 

伊万里色絵楼閣山水文大壺《いまりいろえろうかくさんすいもんおおつぼ》」です。

綺麗な丸みを持った形は陶磁器の本場中国で誕生したそうで、このような形状の壺を沈香壺といい壺の中に香木を入れ来客時に蓋を開けて香りを漂わせ、もてなしたようです。

本場中国の壺を席巻し伊万里焼の壺がヨーロッパの王侯貴族に好まれ広まったようです。

 

相生橋北の東側蘭柱には木の株に留まるオウムを模った「伊万里色絵鸚鵡像《いまりいろえおうむぞう》」が飾られていました。

実物は高さ43cm程だそうですが、かなり大きく作られているようです。

 

鋭いくちばしや脚などの表現力と全体の造形力が素晴らしく、高く評価されているそうで、一度焼いた素地に赤、青、緑、黄、黒などの色絵具で装飾されているようです。

17世紀後半には、像や虎、鷹や獅子、ニワトリなどの動物をはじめ日本女性や若集を生き生きと表した大型の置物も作られ、ヨーロッパの王侯貴族の宮殿などに飾られたそうです。

 

川沿いの浸水防止塀には有田焼の陶器がはめ込まれています。

 

川沿いを歩いているとカリヨンの音色が聞こえてきました。音の場所を探すと相生橋の袂にある佐賀銀行のからくり時計からで船や人形が動いていました。

 

延命橋の北側にやって来ました。東側の蘭柱には「伊万里色絵碁盤乗唐子座像《いまりいろえごばんのりからこざぞう》」が飾られています。

実物は高さ26cm程だそうですが、これもかなり大きく作られているようです。

 

宝珠を握り碁盤に胡坐をかいて座る愛らしいい唐子がモデルです。

江戸時代、碁盤の上で小さな操り人形を踊らせる碁盤人形という座敷芸が流行していたようで、それがモチーフに取入れられたのではないかと考えられているそうです。

ヨーロッパの王侯貴族の間では神秘的な東洋への憧れが強くこのようなエキゾチックな像が喜ばれていたようです。

 

幸橋までやってきました。

幸橋北の東側には、伊万里市が8月4日を橋の日に制定された記念に伊万里焼の夫婦鶏像を設置されたそうです。この焼物には特に銘はないようでした。

幸橋を渡り伊万里神社にお参りすると夫婦円満になると言われているようです。

 

幸橋を渡った南側の東蘭柱には銘はありませんでしたが伊万里焼の鶴亀文沈香壺が飾られていました。

 

北側の夫婦鶏像と共に伊万里市が8月4日を橋の日に制定された記念に設置されたそうです。

 

伊万里川の南側を歩き、延命橋南側まで戻ってきました。

東側蘭柱には「伊万里色絵瓢箪鯰唐子像《いまりいろえひょうたんなまずからこぞう》」が飾られています。実物は高さ26cm程だそうですが、かなり大きく作られているようです。

 

「瓢箪《ひょうたん》で鯰《なまず》を押さえる」とは捉えどころどころのないさまの諺で、ユーモラスなしぐさが大津絵の画材になったり、歌舞伎にも取り入れられるほど庶民に親しまれたようです。

とても遊び心のある作品ではないでしょうか。

伊万里川沿いを相生橋に向かいます。

 

途中脇道に入り、観光協会で伺った伊万里焼の店舗に立寄ることにしました。

伊萬里横丁という通りを進みます。

 

伺ったのは古川陶器店です。

 

創業が1910年(明治43年)だそうで、100年以上の老舗です。

 

立派なものなのでしょう…… 綺麗とは思いますが私にはさっぱり良さが分かりません。

 

見るからに高そうな品々が所狭しと並んでいます。

 

鍋島焼の佐賀藩直営の窯では藩主のをはじめ将軍家や諸大名への贈答品など、高級な焼物が焼かれていたそうです。

 

焼物好きな方が見られれば、どれもこれも超お宝なのでしょうね。

 

妻は色々と品定めをしているようです。こちらの棚の商品は数千円台と私たちにも手が届きそうです。

 

精算時、歴史を感じるレジスターがあるのに気が付きましたが、何と現役で活躍中なのには驚きました。

 

伊万里駅まで戻ってきました。

これから少し遅い昼食をいただきに唐津市呼子に向かいます。

 

国道202号線を走っていると伊万里焼のキロポスト支柱(距離標)もありました。

 

国道202号線を走り伊万里東府招ICから無料区間西九州道に乗継ぎます。

 

区間だけ乗って北波多ICで流出、佐賀県道50号線、33号線、340号線と乗り継ぎます。

 

伊万里から40分ほどで前回友人と訪れた際に立寄った「玄海」(唐津市呼子町殿ノ浦)に到着です。妻にも美味しいイカの活き造りを食べてもらいたいと思い立寄りました。

 

今回のイカアオリイカのようです。

 

オーダーが入ったのか、スタッフの方が入口にある生簀からイカをすくい上げられていました。

 

生簀の中を覗くと、元気いっぱいに泳ぎ回っています。

 

テーブル席に案内されました。

さすが日曜日、15時前だというのに沢山のお客が食事をされていました。

 

オーダーしたのは「いかの活き造り膳」(2,860円)です。

 

しばらくすると「いかの活き造り膳」が出てきました。つい先ほどまで生簀で泳いでいたので鮮度が抜群で身も透き通っていて、妻はこんな透き通ったイカの刺身は見たことがないと大喜びです。  

 

足を元気に動かしていて、さすが活き造り!

 

透きとおった身は、とても美味しそうです。

今回いただいたアオリイカもとても美味しかったのですが、前回いただいたケンサキイカのほうが少し甘味が強かったように思います。

 

活き造りを食べ終えた頃スタッフの方が来られ、イカの耳とゲソの部分は塩焼きか天ぷらのどちらにされますかと聞かれたので塩焼きにしていただくことにしました。

 

塩焼きができる間、イカシュウマイをいただきます。

口に広がるフンワリ感と、ほんのり自然な甘味、プリプリで噛み応えもありる絶品です。

 

耳とゲソの塩焼きができあがりました。

 

程よい塩加減で、イカが新鮮なこともあってかとても美味しくいただくことができ、妻も大満足のようです。

妻はイカシュウマイが美味しかったので実家にも土産に買って帰ると色々と見て回っています。

 

妻が土産物を選んでいる間、私は名越大橋を眺めながら食後のモクモクタイムです。

 

お腹も大満足です。今度はコウイカのシーズンに一度食べに伺ってみたいと思います。

ごちそうさまでした。

ここから唐津に出て福岡ICから九州道に乗継ぎ帰路に就きます。今の時間は15時30分、ゆっくり走っても23時までには十分自宅に帰ることが出来そうです。

 

唐津市街地を抜け唐津ICから無料区間西九州道流入します。

 

途中交通集中による自然渋滞はあったものの、割とスムーズに走ることができています。この先前原ICからは有料区間になり、一気に福岡市街地を抜けていきます。

が……

 

今宿ICを過ぎた付近からしっかりと渋滞していました。

 

渋滞に捉まり5km程の移動に20分余り、福重JCTの分岐部付近で発生した事故のため車線規制されていたのが原因だったようです。

 

福岡高速はとてもスムーズに流れています。前方に福岡タワーが見えてきました。

 

博多ポートタワーが見えてきました。福岡の中心部を走行しているようです。

 

福岡ICで九州道に乗換え、古賀SAに休憩に立寄りました。呼子から2時間15分かかってしまいました。

 

福岡と言えば明太子……

 

そして博多ラーメンです。

土産物を購入し、モクモクタイムを終え18時10分古賀SAを出発します。

 

関門橋を渡ります。

 

1時間15分ほどで美東SAに到着しました。休憩には少し早いようですが、ここで瓦そばをいただくのが定番です。

 

フードコートに向かいます。

 

いつもの瓦そばが出てきました。

 

美味しそ~!

山口県の定番グルメの一つ瓦そばは、熱く熱した瓦の上に茶そばを置きその上に錦糸玉子、牛肉、ネギ、刻み海苔などの具材が盛られた郷土料理です。

いただきま~す!

 

しっかりと焦げ目も付いていて、パリパリ感が最高です。

 

アツアツでジュージューと音を立てている瓦そばを出汁に付けていただきます。

今回の旅行の締めにふさわしい一品でした。ごちそうさまでした!

20時10分美東SAを出発し、途中小谷SAで休憩を挟み23時30分無事帰宅しました。

片付けなどは明日妻にお願いし、帰宅後早々に入浴を済ませ床に就きました。

 

翌日仕事から帰宅後土産物を広げてみました。

伊万里で妻が購入した茶碗と湯飲み……

 

SAで購入した平戸シュガーラ……

カスドースという名前ではないのですが、同じようなお菓子で熊屋で製造されています。

 

早速いただいてみます。

見た目はかすどーすとあまり違わないような感じで、フワフワのカステラ生地にバニラの仄かな風味を感じ、まろやかで甘く贅沢な味わいでとても美味しくいただくことができました。

食べた感じもかすどーすとあまり違わないように思いました。

今回は少しハードスケジュールでしたが、妻がとても喜んでくれたので疲れも感じないようです。また機会をつくって旅行を計画したいと思います。

 

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フルーツバス停と島原雲仙散策

今回は久し振りに妻と休みの合う土日なので、二人でドライブがてら旅行に出掛けることにしました。行先は今年6月友人と訪れた雲仙と長崎、佐賀県呼子でいただいたちゃんぽんやイカの活き造りが美味しかったので是非妻にも食べさせてあげたいと思い決めました。また、前回立寄ることのできなかった雲仙岳の災害資料館なども立寄ってみたいと思います。

長くなるので前半で「フルーツバス停と島原雲仙散策」、後半で「長崎伊万里の散策と呼子イカの活き造り」の二つに分けることにしました。

 

金曜日が夜勤明けだったので、帰宅後夕方までしっかりと休み22時に自宅を出発、国道2号線で玉島ICまで走り山陽道に乗り、途中福山SAに立寄りました。

 

妻からのリクエストもあり、休憩がてら尾道ラーメン(800円)をいただきます。

 

久しぶりの尾道ラーメンですが、値段が少し高くなっていたようです。

 

大きなチャーシューや背油もしっかりと乗っていて、とても美味しくいただくことが出来ました。ごちそうさまでした!

車に戻り先に進みます。

 

途中、玖珂PAに立寄り休憩とモクモクタイム、2時15分壇之浦PAに到着しました。

 

店内に入ると大きなクジラが出迎えてくれます。

 

ここで「ふくぶっかけ丼」(1,500円)をいただきます。昨年の10月に立寄っていただいた際には1,380円だったものが少し値上がりしていました。

以前は九州方面に出掛ける際には、美東SAで「美東ちゃんぽん」をいただいていましたが、24時間営業だったものがいつからか1時までに変わったため新たに見つけたグルメスポットです。

 

フードコートの天井にはクジラが泳いでいます。

 

待つこと5分余り、「ふくぶっかけ丼」が出来上がりました。

山口では、ふぐには濁点が付かずに、福にかけて“ふく”と呼ぶそうです。

 

美味しそ~!

出汁をかけていただきま~す!

 

大きく切り分けられたふぐは食べ応え十分です。

 

ふぐも量があり、皮も旨い!

とても美味しくいただきました。ごちそうさまでした!

車に戻り先に進みます。

 

山陽道から九州道鳥栖JCTから長崎道に入り武雄北方ICで流出、国道492号線で肥前鹿島まで走ります。肥前鹿島から国道207号線に乗換え、湯の峰交差点から多良岳広域農道の多良岳オレンジ街道を走ります。

この広域農道は信号機もほとんどなく国道207号線のバイパス的役割も担っているようで、早朝だというのにそこそこの通行量がありました。

 

佐賀県から長崎県に入ると多良岳南部広域農道の多良岳レインボーロードに名称が変わります。

 

多良岳レインボーロードから国道207号線に出てくると前方に雲仙岳が見えました。

 

交差点から少し走るとミカンのバス停がありました。ここは長崎県営バス上り線の阿弥陀崎バス停です。

 

有明海の空が朝焼けに赤く染まり始めました。

 

下り線の阿弥陀崎バス停はスイカのバス停です。

車に戻り先に進みます。妻は次はどんなバス停かな~ と、とても楽しんでくれています。

 

途中メロン、スイカ、トマトバス停と現れ、妻はとても喜んでくれています。

阿弥陀崎バス停から3kmほど進むとメロンバス停の井崎バス停です。ロケーションがいいので停車し撮影しました。このバス停の下り線側はイチゴバス停になっています。

これらのバス停は諫早市小長井町が設置されたフルーツを模したフルーツバス停で、道路の愛称は「ときめきフルーツバス停通り」というそうです。ミカン、スイカ、メロン、トマト、イチゴの5種類のフルーツバス停が16ヶ所設置されているようです。

 

諫早市高来町の交差点で国道207号線から別れ堤防道路を走ります。

この堤防道路の愛称は「雲仙多良シーサイドライン」というそうです。

 

正面に雲仙岳が見えて来ました。

 

雲仙多良シーサイドラインの中間付近に展望ポイントがあるので立寄ってみました。  有明海諫早新地、雲仙岳多良岳が望める展望歩道橋やトイレなどが設置されています。

 

締切堤防内側の調整池と諫早新地方面です。

 

展望歩道橋に上がってきました。

今日の雲仙岳は少し雲が掛かっているようです。

 

有明海の展望です。

 

駐車場まで戻ってきました。

駐車場脇には調整池排水ポンプ場が設置されていて、上流河川から流入する水を排出しているようです。

車に戻り先に進みます。

 

島原鉄道愛野駅雲仙市愛野町)にやって来ました。

 

この駅は「愛の駅」という愛称を持ち、愛野駅から吾妻駅行きの切符は「愛しのわが妻」となり、愛の記念切符として販売もされています。

 

愛野町から雲仙グリーンロードを走ります。北側のグロッコリー畑の先に諫早湾の締切堤防や調整池、その先には多良岳が見えています。

 

雲仙グリーンロードは島原半島をほぼ一周する島原半島広域農道の愛称で、雲仙市島原市を結ぶ海岸沿いの国道251号線のバイパスにもなっていて通行量も多いようです。

 

雲仙グリーンロードからは雲仙岳がいろんな角度から見ることができます。

 

雲仙グリーンロードから、がまだすロードの愛称を持つ雲仙道路に乗り継ぎ島原外港ICで流出し、国道251号線に乗換えます。

名称の「がまだす」とは島原地方の方言で「頑張る」という意味だそうです。

後で気付いたのですが、がまだすロードをそのまま進み島原南ICで国道251号線に乗換えすることが出来たようです。

 

国道251号線沿いにある「道の駅 ひまわり」(南島原市深江町)に立寄ります。

 

この道の駅は雲仙普賢岳の噴火災害を今に伝える展示施設を備えた島原半島唯一の道の駅です。

丁度駅舎が開店したので中に入ってみます。

 

島原の土産物が沢山並んでいました。

 

道の駅に隣接している「土石流被災家屋保存公園」に向います。この公園は1992年(平成4年)雲仙普賢岳の土石流により被災した建物群が保存されています。

 

この施設は雲仙普賢岳噴火による土石流被災家屋を保存し公園化することにより、災害のすさまじさとその教訓を後世に残すとともに、防災の重要性を県内外に伝え防災意識の高揚を促すことを目的として1999年(平成11年)に開園されたそうです。

 

土石流に埋没した建屋がそのまま保存されています。

 

展示テント内には三棟の埋没建屋が保存されていました。

 

一階部は全て土石流で埋め尽くされています。

 

これらの住宅にお住まいだった方々は1991年(平成3年)5月15日の避難勧告を受け避難されていたため幸いにも人的被害はなかったそうです。

 

住宅の中まで土石流が流れ込んでいるようです。

 

火砕流や土石流についての説明パネルが貼られていました。

 

この住宅だけはこの場所から45mほど離れた道の駅付近にあったものをテント内で保存するため移築されたそうですが、他のテント内外8棟はそのままの位置にあるそうです。

 

玄関付近は内部が見られるように掘り下げ一部補修して展示されているようです。

 

説明パネルにあったように、土石流は壁を突き破り家の中を流れている様子がよく分かります。

 

災害のすさまじさを直接感じることが出来る貴重な施設ですが、避難勧告を受け避難されていたため人的被害がなかったことが何よりでした。

車に戻り、ここから1km程離れた場所にある「がまだすドーム」に向かいます。

 

がまだすドーム(雲仙岳災害記念館、島原市平成町)にやってきました。

この施設では雲仙普賢岳有明海を一望でき、館内では雲仙普賢岳の噴火に関する資料が展示されているそうです。

 

溶岩を加工したモニュメント……

 

玄関には溶岩を人形にしたモニュメント……

 

玄関を入ると1991年(平成3年)6月3日に被災し、2005年(平成17年)6月に上木場地区の高台で発見された日本テレビのカメラが展示されていました。

カメラは火砕流の熱で焼け焦げていますが、テープは復元され迫る大火砕流の映像が直前まで残されていたそうです。

 

展示スペースです。

入館料は1,050円ですがJAF会員割引で840円で入館することができました。

 

南高来郡深江町(現南島原市深江町)大野木場地区で被災し焼け焦げた農機具……

 

深江町大野木場地区で被災し焼け焦げたバイク……

 

監視を行っていた車両も展示されていました。

 

島原市北千本木地区で被災し熱風で焼け落ちたガードレールのプラスチック製注意喚起の案内板。

 

被災した望遠レンズ……

 

島原市北木場町地区で被災した電話、被災後警戒区域内であったため4年間回収できなかったこともあり風雨にさらされていたようです。

 

島原市内の各地で発見された被災したものも展示されていました。

 

日本テレビのカメラマンが使用されていたテレビカメラの三脚で、カーボン製の三脚だったのでしょうか、火砕流の熱で足の部分が細いひも状になっていて、雲台部には溶岩の破片が固着していました。

2005年(平成17年)6月に被災後13年目にして発見された撮影機材で、報道関係者が取材のため多く集まっていた島原市北上木場地区の「定点」と呼ばれていた場所で発見されたようです。

 

火砕流により被災したNHKのテレビカメラ……

 

火砕流により被災したテレビ朝日のテレビカメラ……

 

北千本木地区で火砕流により焼けた電柱……

 

深江町の大野木場小学校近くで発見された雨どいや水道パイプです。火砕流の熱風により焼けただれキリン斑点状になっています。

 

火砕流で焼けた島原13分団の団員の方の合羽です。島原13分団は被災した上木場地区の分団だったようです。

 

南上木場地区で発見された被災した三輪車……

 

北千本木地区で発見されたバイク……

 

溶岩ドームについての説明や……

 

火砕流の仕組み……

 

火口から吹き上げられた溶岩が空中でちぎれて特殊な形に固まった火山弾……

 

最初に噴出した溶岩……

 

発泡した溶岩……

 

噴火で放出された火山礫……

 

1991年(平成3年)5月24日、島原市街地に迫る初めての火砕流……

 

1991年(平成3年)5月29日、迫りくる火砕流……

 

1991年(平成3年)6月3日、火砕流で炎上する上木場地区の住宅、田畑には火山灰が降り積もっています。

 

火砕流や土石流の被害がどれくらいの範囲に広がったかをプロジェクションマッピングで表現されていました。

 

平成新山の溶岩ドームや火砕流で被災した旧大野木場小学校などの様子を上空から空中散歩感覚で見ることができます。

 

エレベーターで展望デッキに上がってきました。正面には普賢岳、後方には有明海の展望が開けています。

 

海側には東日本大震災時女川漁港を襲った津波18.3mが分かる表記がありました。

 

北方向には島原復興アリーナの先に1792年(寛政4年)の火山災害「島原大変」で出来た九十九島《つくもじま》が望めます。

 

エレベーターで二階に降りてきました。

マグマが上昇する時の振動や火砕流が流れる時の振動など、貴重な噴火の記録を残した地震計も展示されています。

 

雲仙普賢岳の噴火前の様子と……

 

噴火後のモデルが展示されていて変化の様子がよくわかりました。

 

火砕流で焼けた木材です。

 

表面は炭状態です。

 

島原復興アリーナの傍に自衛隊災害派遣で活躍したヘリコブターと装甲車、その奥に雲仙普賢岳噴火災害消防殉職者の碑がありました。

駐車場に戻り大野木場砂防みらい館に向かいます。


大野木場砂防みらい館(南島原市深江町)に隣接する旧大野木場小学校被災校舎です。

 

1991年(平成3年)9月15日に発生した大火砕流により付近の民家などと共に小学校は全焼したようですが、深江町では避難が徹底していたため人的被害がなかったのが幸いです。

この災害の驚異と自然災害のすざましさを継承する火砕流遺構として当時のまま残されています。

 

玄関付近の様子です。

柵がありこれ以上校舎には近付けませんが、一瞬にして全てを奪ってしまった自然の脅威を感じます。

 

火砕流の熱風で窓ガラスは熔け、曲りくねった窓枠しか残っていません。

 

教室内は丸焦げ状態で、火砕流の凄まじさが伺え自然災害の恐ろしさがリアルに体感できます。

 

鉄棒や砂場が残されていますが、鉄棒も熱風で変形していました。

 

旧大野木場小学校被災校舎と大野木場砂防みらい館(国交省大野木場監視所)、その先に雲仙普賢岳が望めます。

 

普賢岳からの火砕流の強烈な熱風により被災した校舎が当時のままの状態で残された貴重な被災遺構施設でした。

大野木場砂防みらい館に向かいます。

 

館内は監視施設の他に資料館にもなっていて、復興作業での無人装置の機器や災害の状況などの説明パネルや写真などが展示されています。

 

民家に迫る火砕流……

 

被災した旧大野木場小学校の教室……

 

被災後の旧大野木場小学校付近の航空写真……

 

読売新聞社の記者が撮影された写真……

 

初期の溶岩ドーム……

 

三階の展望所からは雲仙普賢岳が望め、火砕流の堆積状況などを間近に見ることができます。

 

溶岩ドームから採取された溶岩……

 

地獄跡火口付近で採取された溶岩……

 

第11溶岩ドームが出現した場所で採取された溶岩……

 

雲仙普賢岳、平成ドーム(平成新山)周囲の航空写真……

 

降雨により侵食され谷間を大きな溶岩の塊が転げ落ちてきたようです。

 

復旧作業中の現在でも土石流が発生しているようです。

 

溶岩ドームが崩落した大きな火砕流の塊です。

 

現在でも土石流が発生するなか、最大限に安全を確保しつつ復旧作業は続けられているようです。

 

多くのマスコミ関係者などの方々が被害に遭われた定点という場所です。

 

地元消防団が警戒のため詰所として使用されていた農業研修所跡地です。この場所でも多くの消防団員の方々や警察官が殉職されたようです。

 

水無川北側に位置する安中地区の被災状況の航空写真です。

山頂から海の間近までの7.5kmを流れ下った土石流の様子がよく分かります。

 

上記写真の位置関係を示す地図です。

 

屋外の展望テラスに出てきました。

 

地元消防団や警察官の方々などが被災された農業研修所跡地です。

 

多くのマスコミ関係者などが被災された定点です。

 

展望テラスから見た大野木場小学校です。

この施設では噴火災害の脅威や復興対策、火山活動のしくみなどを知ることができ、大変勉強になりました。

駐車場に戻り雲仙に向かいます。

 

国道57号線でクネクネの山道を上ってくると、仁田峠の案内板があったので立寄ってみることにしました。

仁田峠に向かう仁田峠循環道路は一方通行で、環境保全協力金100円が必要です。この道路は1956年(昭和31年)に全線が開通、日本道路公団(現NEXCO)が管理運営した最初の有料道路で、2009年(平成21年)4月1日に雲仙市に移管され無料開放されたようです。

 

仁田峠の第2駐車場に到着しましたが、雲仙岳山頂付近は雲が掛かっています。

この展望台からは北側間近に普賢岳が迫り東から南方向には島原市街地や島原湾有明海、天草半島などが望めました。天候がよければ九重連山まで望むことができるようです。


平成新山(溶岩ドーム)からの斜面はかなりの急斜面です。

 

平成新山についての説明板が設置されていました。

 

この道路を上ってきました。


展望台から見た水無川の様子です。

右手前に先ほど立寄った大野木場砂防みらい館も見えています。

 

有明海の先には天草半島が望めます。

 

雲が少し切れ山頂付近が顔を覗かせてくれました。

車に戻り先に進みます。

 

峠付近からはロープーウェイと雲仙岳が望めました。

 

雲仙温泉に到着し、有料駐車場に車を置き温泉街を散策します。

指湯がありました。指先だけ入浴、ちょっとだけ温泉気分!

 

お腹が空いたと妻が言うので前回食べ損ねた「地獄そうめん」をいただいてみることにします。

 

豚汁や団子、肉そうめんや焼そうめんなどもあるようですが、シンプルに地獄そうめん(650円)にしました。

 

カウンターでオーダーします。

 

待つこと10分足らず、「地獄そうめん」が出来上がりました。

カウンターで受け取り二階のテーブル席でいただきます。

 

アツアツのそうめんにシイタケや竹輪が乗っています。

蒲鉾ではなく竹輪が乗っているのも地域性でしょうか? いただいてみると、ものすごい熱いという訳でもなく特に辛いという訳でもなく、出汁の効いた優しく美味しい地獄でした。

グツグツの火鍋で煮立っているそうめんが提供されれば、なお一層の地獄感が出てインスタ映えするのではないかと思いました。

 

雲仙地獄を散策します。

雲仙地獄は雲仙の古湯と新湯の間にあり、温泉余土という白い土に覆われています。

 

温泉がボコボコボコと湧出ています。

 

あちらこちらで轟々と温泉の噴煙が湧き上がっています。

 

白濁色の温泉が湧き出ています。

 

雲仙地獄の温泉たまごです。

1個100円、5個で400円なので5個購入しました。

この後長崎に向かいます。

 

後編「長崎伊万里の散策と呼子のイカの活き造り」に続く……

 

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延命水と出雲そば

今年は何十年振りかにインフルエンザに罹ってしまい自宅療養、39℃以上の熱で一日中ベットで寝て過ごしました。休み明けの勤務は多忙だったこともありなかなか更新することが出来ず、遅くなりましたがやっと更新することが出来ました。

 

今日は医師から療養を求められていた5日間も過ぎたこともあり、久しぶりに妻と少なくなった湧水を汲みにドライブがてら出掛けることにしました。

行先は島根県の奥出雲町で美味しい出雲そばをいただき、その後「延命水」を汲み、今年最後となるかも知れないリンゴを購入する予定です。

 

9時過ぎに自宅を出発、国道180号線を北上し高梁市の落合交差点から国道313号線に乗換え「備中神楽発祥の地」といわれる高梁市成羽町を通過します。

 

高梁市川上町の手川橋交差点を新見方面に左折し県道33号線に入ります。

 

高梁市備中町新見市哲西町を抜け広島県庄原市東城町に入ります。

 

庄原市東城町から国道314号線を北上していると、山頂に微かに雪を抱いた猫山が見えてきました。

 

芸備線小奴可駅付近を通過します。

 

庄原市西城町の183号線交差点に出てきました。外気温は5℃です。

この交差点を左折し奥出雲方面に向かいます。

 

備後落合駅前を通過後再び国道183号線と別れ国道314号線の単独区間を走り、さらに北上すると広島県から島根県奥出雲町に入ります。

 

奥出雲町の南端地域は、道後山烏帽子山比婆山、吾妻山など標高1,200m級の山々が東西に並んでいて、その稜線の南側は江の川水系、北側の斐伊川水系に別れる分水嶺です。

広島県側に流れるの江の川水系はこの付近を源に西城川で南西に下った後、広島県三次市山県郡北広島町を源に発する江の川本流に合流し、再び北西に進路を変え島根県江津市日本海に注いでいます。

ちなみに、江の川は中国地方最大河川で総延長距離は約190kmと長いのですが、北広島町の源流から江津市の河口までの直線距離では約50km程度しかないそうです。

 

おろちループ橋を渡ったところにある「道の駅 奥出雲おろちループ」(仁多郡奥出雲町八川)に立ち寄ってみます。

 

道の駅に入ります。

 

入口正面には木次線のコーナーが設けられていて「トロッコ列車 奥出雲おろち号」の冊子や木次線関連のグッツなどが販売されていました。

 

奥の部屋にも手作りパネルなどが貼られていました。

 

外に出てみると国道を挟んで北側にある「鉄の彫刻美術館」に渡る歩道橋の上には雪が残っていました。「鉄の彫刻美術館」は一度訪れてみたいと思っていましたが、また次回暖かい時期に行って見たいと思います。

 

お土産コーナーには焼き蟹味の堅あげポテトがありました。堅あげポテトの好きな息子に一つ購入しました。

 

出雲和牛カレーを始め海自の護衛艦いずものいずもカレーや鳥取牛カレーなども販売されています。

 

宍道湖しじみパイが美味しそうだったので、このパイも購入しました。

 

ここでも食事ができるようで、奥出雲和牛を使用した牛丼や蕎麦、うどん、延命水で育てられた舞茸を使用したえび舞そば、うどん、のどぐろラーメンなどが気になりましたが、今日は出雲そばをいただく予定なので我慢我慢。

 

車に戻り先に進みます。

奥出雲おろちループは高低差が105mもある二重ループです。正面の赤い橋梁は一重目の最上部になります。

 

二重目のループ橋を通過中です。

 

二重目のループ橋を下り一重目のループ橋下にあるトンネルに入ります。

 

おろちループ橋のすく近くにあるJR木次線出雲坂根駅を通過します。

この駅はスイッチバックのある駅として鉄道ファンでは有名な駅です。木次線は中国山脈の分水嶺「三井野峠」(最高地点731.4m)をスイッチバックで越えて広島県島根県を結びます。路線は最高勾配30/1000、標高差162mと日本でも有数の急勾配となっています。

 

13時前、自宅から4時間ほどで今日出雲そばをいただく「八川そば」(仁多郡奥出雲町八川)に到着しました。

 

入店します。

 

入口左脇にある順番待ちのスペースです。雪深いこの地方では冬は屋外で待つのも大変で、屋内で待てるのは助かります。今回は待ち時間なしで中に入ります。

 

入口右脇には蕎麦を打つスペースがあります。

 

中に入ります。

 

私は八川伍段そば(五段割子)、妻は温かいざいごそばをオーダーしました。

スタッフの方に「ざいご」はどういう意味ですかと伺ったところ、出雲地方の方言で「田舎」という意味だそうです。ざいごそばは醤油仕立てか蕎麦湯仕立てかを聞かれ、お勧めという蕎麦湯仕立てにしてみました。

 

他にも色々な蕎麦やセットものもあるようです。

 

お客が入れ代わり立ち代わり満席状態が続きます。

 

妻がオーダーしたざいごそばが出てきました。

 

山芋、ワサビ、舞茸、ワラビ、キンピラ、それにネギと刻み海苔がトッピングされています。田舎の恵をたっぷり乗せているという感じです。

私も少し味見をさせてもらいました。蕎麦に蕎麦だしを絡めていただきましたが蕎麦湯仕立てということもあってかトロミがあります。蕎麦出汁としては味が薄めだったので少し出汁を足していただきましたが、濃い味より薄味の方が蕎麦自体の香りを邪魔せず、トッピングの具材の味もしっかりと楽しめていいのではないかと思いました。

 

私がオーダーした八川伍段そばも出てきました。

 

広げてみます。

ワサビ、ワラビ、舞茸、キンピラ、山芋、薬味、それに出汁と蕎麦湯が二つ付いています。

 

先ずは山芋に出汁をかけていただきます。

 

蕎麦は少し太めで腰があり素朴な田舎蕎麦という感じです。

 

舞茸……

それぞれに薬味を乗せ出汁をかけていただきます。

 

ワサビ……

 

ワラビ……

 

キンピラ……

八川伍段は量もそこそこあり、色々な味が楽しめて、とても美味しくいただくことができました。

ごちそうさまでした!

 

店を出る時、入口では蕎麦を打たれていました。

車に戻る前に……

 

立寄ったのが八川そばから徒歩数十秒、八川蕎麦のすぐ後ろにあるJR木次線八川駅です。

 

改札からホームに入りました。

 

構内にあった駅名標です。

 

ホームにやってきました。出雲横田、木次方面の様子です。

八川駅は1934年(昭和9年)、木次線出雲三成駅より延伸された際の終着駅として開業、相対式二面二線だったようでホームがそのまま残されていました。現在は単式一面一線として使用されています。

車に戻り延命水を汲みに向います。

 

舞茸奥出雲直売所(仁多郡奥出雲町八川)の隣にある延命水の水汲み場にやってきました。この水汲み場は少し南にあるJR出雲坂根構内の湧水と同じ成分で、ここで作られている舞茸などのキノコもこの延命水で栽培されているそうです。

 

延命水を汲んだ後、舞茸奥出雲直売所に立寄ります。テント内の販売スペースには色々な出雲蕎麦が並んでいました。

 

延命水で育てられた舞茸も沢山並んでいます。

 

美味しそうなものをチョイス!

 

スタッフの方お勧めの乾燥舞茸も購入しました。

延命水もしっかりと汲ませていただき、土産も沢山購入することが出来たので帰路に就きます。

 

おろちループを上ります。

道路脇のガードパイプにはおろちのイラストが描かれていました。

 

最上部のループ橋梁下にあるトンネルに入ります。

 

おろちループ、三井野原スキー場の脇を抜け、島根県から広島県に入ります。

 

「比婆いざなみ街道」を走ります。

この先の小奴可交差点を左折し県道448号線で千鳥方面に向かいます。

 

小奴可の交差点から5km程、リンゴを購入する「岩本観光りんご園」の看板が見えてきました。

 

「岩本観光りんご園」(庄原市東城町内堀)に到着しました。

 

駐車場から見えるカキは完全に熟しています。

「おいしそ~」と完熟カキの好きな妻が言っていました。

 

選果場にやってきました。

 

姫リンゴも販売されています。

自宅でいただくので二級品のリンゴを分けていただきます。今回は既に袋に詰めてあるのもがあるそうなので二袋分けていただきました。

妻がこの小さなリンゴって夜店でリンゴ飴にして売っているものですよね、などと話しているとお母さんが、持って帰ってと二袋くださいました。さらに奥から、傷んでいるので傷付いたところを取ってジャムにでもしてくださいと大きな袋に入ったリンゴを出して来られ、良ければこれも持って帰ってと今回も大サービスでした。

また来年来ますと、お礼を言って帰路に就きます。

 

東城広域農道を走っていると、リンゴのモニュメントが欄干に乗った橋があります。

さすがリンゴの町小奴可

 

妻が橋の南側まで車を移動してきました。

家路を急ぎます。

 

庄原市東城町市街地まで戻ってきました。

市街地西側の国道314号線のバイパスが新たに開通しています。このバイパスの完成で福山方面には市街地に入らなくてもそのまま短絡路で通過することが出来るようになりました。

 

私たちは国道182号線で新見方面に向かい、東城市街地を抜け岡山県に入ります。

 

国道182号線から県道50号線、県道313号線へと乗換えます。

 

新見市哲西町、高梁市備中町を結ぶふるさと農道を走ります。

 

ふるさと農道の中間付近に農道記念碑があり、紅葉が綺麗だったので立ち寄ってみました。

 

この付近からの展望は素晴らしく空気も爽やかです。

 

ススキ越しに沈む夕日を撮影し帰路に就きました。

 

購入したリンゴといただいた姫リンゴです。

リンゴの数を数えてみると22個もありましたが帰宅後いくつかリンゴを食べてしまったので写真を撮影した時は少し数が減っています。姫リンゴも母がリンゴをいただいた後この小さなリンゴ一袋貰うよと言ってそのまま部屋に持って行ってしまったので一つしか撮影できず、ジャム用にいただいたリンゴの撮影は忘れてしまいました。

今年のリンゴは今回が最後になりますが、来年リンゴを買いに行く時は比婆牛の焼き肉もいただいてみたいと思います。

今回延命水をしっかりと汲んで帰ったので年明けまでは美味しい湧水をいただくことが出来そうです。

 

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今年のカリンは……

自宅の庭にカリンの木があり毎年実を付けてくれていますが今年は実付きが悪く数が少なめです。しかし今年は木で完熟させてから収穫しようと思い綺麗な黄色に熟すのを楽しみにしていました。

私は今回何十年振りかにインフルエンザに罹ってしまい自宅療養、パソコンを開く元気もなく、39℃以上の熱で一日中ベットで寝て過ごしました。出勤自粛期間後は休日だったこともあり、平熱に戻り既に三日目、体調も落ち着いたとはいえ、まだ外出することは控え、カリンを収穫してカリン蜂蜜漬けを作ることにしました。

カリンは芳醇な香りがして、とても美味しそうに見え一見そのまま丸かじりできそうですが、見た目とは裏腹に固く渋いためそのままではとても食べることはできません。のど飴などでよく耳にしますが、ビタミンCや食物繊維など豊富な成分を含み、咳、痰などに効くアミグダバリンという薬用成分やインフルエンザ対策に効くポリフェノールなどが含まれていて、風邪予防を始め疲労回復、整腸、美肌効果なども期待できるようです。

 

完熟する前に多くのカリンが落ちてしまい、今年はこの二つだけしか収穫することができませんでした。

見た目は悪いですが有機栽培のオーガニック果実です。と言いたいのですがカリンはほとんど手を掛けることなく、剪定をしっかりして日がよく当たるようにすれば勝手に実を付ける、とても育てやすい植物なのです。

今年は数も少なかったので職場の友人たちに配ることができませんが、この二つで一昨年作ったカリン蜂蜜漬けを作ることにします。今の私には必須なものです。

 

カリンの表面は油が付着したようにベトベトしているので、お湯で汚れを落としながらしっかり洗った後水分を完全に取り除きます。また、カリンの種には薬用成分が多く含まれているので、捨てずにティパックに詰めて一緒に漬け込みます。

 

使用する容器を煮沸消毒します。

今回蓋も一緒に煮沸消毒しましたが、蓋は耐熱でなかったため変形してしまい使うことができなくなったので破棄しました。

 

蜂蜜1kgを用意しました。

 

皮をむかずに3~5mm幅のイチョウ切りにします。

 

切り終えたカリンですが、かなりの量になりました。

 

種などはティパックに詰めておきます。

 

煮沸消毒した容器に入れていきます。

 

途中ティパックを挟み込みます。

 

準備した容器に入りきらなかったため、もう一つ容器を追加しました。

 

蜂蜜を注ぎ込みます。

 

大きな容器に蜂蜜1kgが全て入ってしまいました。

 

蓋が無いのでラップをして輪ゴムで止めます。

もう一つ追加で準備した容器のものには蜂蜜を追加購入しようかと思いましたが、今回はすぐに使えるカリンシロップにすることにしました。

 

もう一つの容器からカリンとティパックを取り出し、ティパックは先程蜂蜜を入れた容器に入れ足しました。

 

容器から取り出したカリンを鍋に入れ、カリンがしっかりと浸る量の水約500ccを加え火にかけます。

 

灰汁を取りながら煮詰めていきます。

 

約70分、良い色合いになってきたので火を止めます。

 

目の細かい茶漉しで二度濾過します。

濾過した後計量してみると250g程になってしまいました。

 

濾過したカリン汁に砂糖を100g程加え再び煮詰めていきます。

 

灰汁を取りながら時間を掛け煮詰めていきます。

長く煮込めば渋みが無くなり、徐々に赤い色に変わってきます。

 

完成です。

約20分煮込んで取り出し、計量すると190gにまで減っていました。

 

Beaujolais Nouveauボジョレー ヌーヴォー)ならぬOkayama Nouveau(岡山ヌーヴォー)です。

ちなみに、ボジョレーはフランスブルゴーニュ地方の南にある地域のことで、「ヌーヴォー」はフランス語で「新しいもの」という意味だそうです。一般的にボジョレー ヌーヴォーは、ボジョレー地域で、その年に収穫されたブドウを醸造した新酒ワインを指し、解禁日がフランスの法律によって毎年11月の第3木曜日と決まっているため、日付変更線の関係で日本が世界で一番早く解禁日を向かえフランス本国より早く楽しむことができるようです。

早速お湯で割っていただいてみると、甘さ控えめで少し酸味が感じられるさっぱりとした味わいで、今回は大成功です!

 

翌朝、蜂蜜漬けのカリンのラップを外し、漬かっているカリンの上下が入れ替わるようにかき混ぜます。

常温で保存し、この作業を毎日一回、一週間程繰返すそうです。

 

私は今迄冷蔵庫で保存していましたが色々調べてみると、冷蔵庫では温度が低すぎるためカリンのエキスが抽出し難いようです。

今迄はサラサラになるまでに一週間ほどかかっていましたが今回は一晩でドロドロだった蜂蜜がサラサラとなっていて、かなりの量のカリンエキスが出たようなので常温保存効果が大きかったようです。

 

かき混ぜついでに朝食後、カリンシロップにカリンの蜂蜜漬けを少し加え、カリンティをいただきました。

とてもまろやかで、カリンの香りと程よい酸味、蜂蜜の甘さが感じられました。

今年のカリンは大成功でしたが、収穫量が少なかったのが少し残念です。来年は沢山のカリンが実ることを期待したいと思います。

 

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米子水鳥公園と能義平野の白鳥

先日のニュースで今年も鳥取県にある米子水鳥公園に白鳥がやってきたという話題が取りあげられていたことを思い出し、休みの今日ドライブがてら一人で撮影に出掛けてみることにしました。

白鳥が飛び立つのが夜明け直後なので、自宅を3時半過ぎに出発します。

 

国道180号線で新見市を経由し岡山鳥取県道8号線で県境の谷田峠を越え日野郡日南町に出てきました。いつもはここで「道の駅 にちなん日野川の郷」で休憩しますが、今日は少し時間が遅いのでそのまま立寄らず通過します。

 

西伯郡南部町付近でシルエットの大山が望めました。夜明けも近いようです。

 

米子市街地を抜け県道47号線をしばらく北上すると「米子水鳥公園」の入口です。

 

「米子水鳥公園」(鳥取県米子市彦名新田)第一駐車場付近の駐車スペースに車を止め、撮影場所に移動します。ちょうど大山の麓から朝日が昇り始めたようです。

 

水鳥公園のつばさ池にやって来ました。今日は沢山の白鳥がいるのでシャッターチャンスも多いと思います。早々にカメラをセッティングしました。

 

ネイチャーセンターの前にも沢山の白鳥がいます。ネイチャーセンターは平日午前9時に開館(土日祝日は7時開館)するので入館できませんが、第一駐車場近くのつばさ池観察場所から撮影することが出来ます。

 

あちらこちらから「グァ グァ グァ」という白鳥の鳴き声が聞こえ始め、しばらくすると第一陣が飛び立ち始めました。

 

後を追いかけます。

 

長い助走の後離水しました。

 

「グァ グァ グァ」と鳴きながら他の白鳥たちが集まり始めました。

 

しばらくすると、水面からふわっと体を浮かせ……

 

助走を始めました。

 

水面の上をピョンピョンを飛ぶように走ります。

 

先頭の白鳥が離水しました。

 

次々に離水し飛び立っていきました。

 

南方向にいた白鳥たちが助走を始めました。

 

逆光のため水面がキラキラ光ってとても綺麗です。

 

白鳥は体の大きさの割に翼が小さいので長い距離の助走が必要となります。

 

離水が始まりました。

 

一羽が水面からふわっと体を浮かせました。

 

足を蹴り出し助走を始めるようです。

 

後方にいたもう一羽も体を浮かせました。

 

後方にいた白鳥が先の白鳥に追着きました。

 

後方からきた白鳥が先に離水しました。

 

しばらくすると、また違う場所でバサバサバサという音が聞こえたのでカメラを向けると、沢山の白鳥が助走し始めています。

 

沢山の白鳥の助走は迫力を感じます。

 

今回は沢山の白鳥いるので、何度も離水シーンを楽しむことができています。

以下はコメントは控えます。素敵な白鳥の姿をお楽しみください。

 

時計を見ると9時半過ぎ、到着して既に3時間程が経っていました。しっかりと水鳥公園の白鳥を楽しむことができたので、この後能義平野に向い大山や清水寺を背景に飛ぶ白鳥の姿を撮影します。

 

国道9号線に戻り西進すると正面に米子城址の石垣が見えてきました。

 

鳥取県米子市から島根県安来市に入ります。

 

国道9号線の清水口交差点を左折し、県道257号線を走り安来市宇賀荘町にある白鳥ロードにやってきました。

この交差点を右折し、まずは「出雲織 のき白鳥の里」に向かってみます。

 

白鳥ロードをしばらく進むと「出雲織 のき白鳥の里」が見えてきました。

 

米子水鳥公園から40分程で「出雲織 のき白鳥の里」(安来市沢町)に到着しました。

 

「出雲織 のき白鳥の里」には白鳥観察用の観察棟や観察テラスが設置されています。

今回は観察テラスで撮影することにし、カメラをセッティングしました。

観察テラスにはベンチがあるので座って少し休憩です。考えてみれば車の移動時間以外、3時間半以上も立ったままでした。

 

観察テラスの北側には大豆畑がありコンバインで収穫作業をされていて、その先に白鳥の群れが見えています。

 

600mm(フルサイズ換算960mm)の望遠レンズで撮影すると大山もいい感じに収められます。

近くで白鳥が飛んでくれれば…… などと考えながらベンチで座って眺めていると大山の手前を白鳥が飛んで来ました。

 

しかし、少し遠い……

北側の白鳥が飛んでくれればと思いますが、なかなか思うようにはいきません。

 

清水寺付近にも白鳥が飛んできましたが、せっかくのシャッターチャンスなのにピントがイマイチでした……

この後一時間弱粘りましたが北側の白鳥は全く飛んでくれないので、場所を移動することにしました。

 

白鳥ロードを戻ります。

 

いつもの撮影ポイントにやってきました。

この場所から見る大山は手前の山が少し邪魔になりますが、大山を背景に飛ぶ白鳥を大きく撮影できる可能性があります。

 

この場所からも清水寺の三重塔をしっかり望むことができます。

 

待つこと30分程……

やっと飛び立った白鳥が大きく旋回しながら大山の手前を飛んでくれました。

いい感じですが少しピントが甘いようです。

 

再びチャンス到来!

今度はピントもしっかりと合いました。

 

しばらくすると清水寺の三重塔手前も沢山の白鳥が飛んでくれました。

 

今回は清水寺の三重塔を背景に飛ぶ白鳥たちもバッチリ撮影出来ました。

頻繁に白鳥が餌場移動のため飛び立つのですが、なかなか三重塔や大山が入る高度にまでは上昇してくれず、我慢の時間が過ぎていきます……

 

さらに待つこと一時間弱、やっと大山手前を白鳥がいいアングルで飛んでくれました。

 

今日は沢山の白鳥を撮影することができ、そろそろ引き上げようかと思っていると……

 

清水寺の三重塔手前を三羽の白鳥が飛んでくれました。

今日は納得のいく写真をしっかりと撮影することができたので引き上げることにします。

 

島根鳥取県道1号線で島根県から鳥取県に戻り、国道180号線に出て日野郡日南町で岡山鳥取県道8号線に乗換え鳥取県から岡山県に戻って来ました。

 

JR伯備線沿いに走り国道182号線の交差点手前に出て来ました。この交差点手前にある新郷跨線橋はJR伯備線を跨いでいて、その高欄親柱にはD51型蒸気機関車が装飾されています。

 

このすぐ近くにある伯備線布原信号所(現布原駅)付近はD51型蒸気機関車三重連の撮影ポイントとして全国的な知名度を誇っていた場所でした。

 

いつもの「新見ラーメン いぶき」で千屋牛ラーメンを食べようと思っていましたが、生憎の定休日、コンビニでサンドイッチでもと思い立寄ると隣にラーメン店があったので様子を見に来てみました。

ラーメン餃子の「笑楽」(新見市正田)です。

※ 撮影したのが食事後だったので、暖簾は取外されています。

 

入口にある看板には豚骨、味噌、醤油ラーメンに千屋牛ラーメンのポップが張られています。その千屋牛ラーメンの文字に惹かれ入店します。

 

券売機で食券を買ってスタッフの方に渡し、半券を受取り席に着きました。

おしぼりと水はセルフなので取りに行くとこんなチラシが置いてあったのでいただきました。5個スタンプを集めると素敵な商品が当たるかも知れません。集めて応募してみます!

 

待つこと5分程、出てきました「千屋牛ラーメン」です。

 

麺の上には千屋牛がしっかりと盛られています。

麺は中太のストレート麺でスープは豚骨で少し甘い感じがしました。

 

千屋牛は柔らかくて旨い!

せっかくの新見ですから、千屋牛の牛骨スープで千屋牛をてんこ盛りにしたラーメンがあってもいいのではと、ふと思いました。

 

燻製卵も美味しくできていました。

ごちそうさまでした!

ごく普通のラーメン店ですが、来られていた地元の方の話が耳に入り、ここのラーメンは美味しいからよく食べに来ているなどという会話が聞こえてきました。地元の方々に愛されているラーメン店という印象です。

お腹も落ち着いたので帰路に就きます。

今日は水鳥公園には時期が良かったのか思いの外沢山の白鳥がいて、飛び立つシーンを沢山撮影することができたり、能義平野では綺麗な大山や清水寺の三重塔を背景に飛ぶ白鳥を撮影できたりと、とても満足のいく一日を過ごすことができました。また機会を作ってドライブがてら妻と訪れてみたいと思います。

 

 

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カキオコと閑谷学校

昨日友人と二人でリンゴ購入のツーリングに出掛けていた際、昼前に「明日は夕方から雨のようですが?」と今日勤務の友人からラインが入りました。天気予報を見ると確かに明日の日中は天候が持つようなので、「明日都合が良ければ日生のカキオコに行ってみませんか」と返信すると即決定、今日三人で日生でカキオコをいただいた後、少し足を伸ばして閑谷学校の紅葉を楽しむツーリーングに出掛けることになりました。

朝9時にいつもの岡山市中区の倉田交差点に集合出発です。

 

9時45分頃到着すると一人の友人は既に到着済みで、しばらくするともう一人の友人も到着しました。

インカムをセッティングして定刻9時に出発です。

 

国道2号線からブルーラインを走り、片上大橋を渡ります。

 

昼食には少し早いので、友人お勧めの「みなとの見える丘公園」(備前市日生町日生)に立寄ることにしました。

日生市街地から細い山道を上ります。登山道は狭く車だと行き違いに多少苦労しそうな感じですが、バイクなので対向車が来ても十分行き違いも可能です。山頂付近には3~4台程のの駐車スペースがあり、ここからは歩いて進みます。

 

山頂展望台には実際に船で使っていた号鐘が取付けられている「幸福の鐘」がありました。

 

正面には牡蠣筏も浮かんでいます。さすが牡蠣の町日生です。

 

西方向には、日生市街地と島へ渡る定期船が発着する港が望めます。

 

南東方向には備前日生大橋と鹿久居島が望めます。

友人の一人が朝食を食べてなく、お腹が空いたと言うのでカキオコを食べに向かいます。その友人が頭島に行ったことがないというので、カキオコをいただいた後備前日生大橋を渡って行ってみることにしました。

 

今日の昼食は私のお気に入りのカキオコ店「浜屋みっちゃん」でいただきます。駐車場は少し離れていますが、三台分の駐車スペースがあります。私たちはバイクなので一台分のスペースに三台駐車しました。

 

駐車場から店に向かいます。

正面に先ほど行った「みなとの見える丘公園」のある楯越山が見えています。

 

浜屋みっちゃん」(備前市日生町日生)に到着しました。

 

待つのを覚悟で来ましたが、私たちが最初の客だったそうです。

三人共カキオコをオーダーしました。

 

さすがに手際がいい!

おばちゃん、少しスマートになった?

伺うと、体調を崩され一時期入院されたそうで、日曜、祝祭日のみ店を開けることもあったそうです。おじさんの姿が見えないので伺うと、今年初め体調を崩されて施設に入所されたそうで、今はお孫さんが手伝いに来てくれていて、二人で頑張られているそうです。

 

カキがド~ンと盛られました。

 

裏返します。

 

程よく焼き上がた頃、再び裏返しソースにネギ、紅ショウガを乗せて出来上がり!

 

マヨネーズと一味をトッピングしていただきます。

 

久しぶりの「浜屋みっちゃん」のお好み焼き、相変わらずとても旨い!

 

プリプリのカキがこれでもかと入っていて、食べ応え十分です。

今年の剥きカキは明日11月17日から提供されるそうですが、出始めのカキは身が小振りなため、一番美味しい時期に瞬間冷凍したこのカキの方が美味しいそうです。初物のカキを食べたければ明日以降また来てくださいとしっかりセールストークするおばちゃんでした。

美味しいカキオコ、ごちそうさまでした!

これからも体調に気を配りながら、末永く美味しいカキオコ食べさせてくださいね!

駐車場に戻り頭島に向かいます。

 

JR日生駅前を通過し、市立病院脇の交差点を右折し鹿久居島方面に向かいます。

 

備前日生大橋を渡ります。

 

日生本土と日生諸島の各島を結ぶ定期便が発着する頭島港に到着しました。

頭島は備前日生大橋の架橋で本土と陸続きになったため、定期船は日に数便寄港するだけです。

 

港の脇には日生漁協の産直市場があり、ここで殻つきの牡蠣を購入したり、バーベキューコーナーでカキ焼などが楽しめていましたが、扉は締まったままで内部も閑散としていて、それらしき様子も伺えないので閉鎖されたようです。

「たぬき山展望台」に向かいます。

 

頭島の最高地点、標高55mにある「たぬき山展望台」(備前市日生町日生)に到着しました。

 

道路脇には美味しそうなミカンが沢山実っています。

 

展望台に上ります。この展望台は頭島で一番高い場所にあり、360°の展望を楽しむことが出来ます。

 

東方向には、鶴島、その先に少し霞んでいますが家島諸島が望めます。

 

南方向には大多府島《おおたぶじま》、その先に少し霞んでいますが小豆島が望めます。

「たぬき山展望台」からの展望を楽しめたので閑谷学校へ行きましょうと言うと、友人の一人が「五味の市」に寄って今夜のおかずを購入したいというので立寄ることになりました。

 

鹿久居島を走り抜けます。

 

「五味の市」(備前市日生町日生)に到着しました。

 

市場では魚やカキなどが販売されています。

殻付きカキを販売されていたので販売されていた方に「解禁は明日からでは?」と伺うと、「剥きカキは明日からですが、殻つきは今月初めからなんですよ」と言われていました。

友人が「いいおかずが仕入れられた」と買い物袋一杯購入して帰ってきたので出発します。

 

県道を走り国道2号線の伊里中交差点を通過し、閑谷学校の少し手前にある「旧閑谷学校石門」(備前市閑谷)に立寄ってみました。

 

石門についての説明看板です。

 

石門にしては背が低すぎるようですが……

現在では1m弱しか見えませんが、当時は高さが3m以上あったようです。

 

「旧閑谷学校石門」から1km程北上すると「閑谷学校」(備前市閑谷)に到着しました。

 

駐車場近くのモミジは色付いてはいますが、今年は少し色が悪いように思います。

 

閑谷学校の校門の「鶴鳴門」です。

 

校門の正面、聖廟前には櫂の木かあり、毎年一対の楷の木が赤と黄色に見事に紅葉します。今年は訪れるのが少し遅かったようで既に葉は落ちていました。スタッフの方に伺うと11月3日頃が見頃だったそうです。

日本には江戸時代まで楷の木はなかったそうで、1915年(大正4年)に初めて日本に持ち込まれたようです。初めて日本で植えられたのは日本で孔子儒学にゆかりのある学校などで、湯島聖堂に3本、足利学校に1本、多久聖廟に1本、ここ閑谷学校に2本が寄贈されたそうです。

風土に合っているためか閑谷学校の楷の木が一番大きく育ち、幹の太さが約2m、高さ約は約13mにも成長したようです。閑谷学校では孔子にちなんで、「楷の木」を「学問の木」と呼ぶようになり、日本で最初に「学問の木」と呼んだのは閑谷学校が最初だったそうです。

 

右から「鶴鳴門」、「御成門」、その後方に国宝の「講堂」が望めます。

閑谷学校は1666年(寛文六年)に岡山藩主の池田光政が領内の庶民子弟教育のため津田永忠に命じて手習所を造ったのが始まりだそうです。

 

飲室門付近にやってきました。この付近の紅葉も今年は色付きがもう一つです。

飲室門は通常生徒や朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門だったようです。

 

閑谷学校を囲んでいる総延長765mの石築塀は幅が約1.9m、高さは約2.1mで石垣上部が蒲鉾のような半円形に造られているのが特徴的です。花崗岩を巧妙に組み合わせ300年余り経った今でも崩れることなく美しい姿を残しています。

 

見事な紅葉と言いたいところですが、今年は色付きが今一つです。

 

校厨門と紅葉です。

 

校厨門付近で折り返し駐車場に戻ります。

 

校厨門付近から飲室門を望みます。

駐車場に戻り帰路に就きます。

 

県道を南下し、国道2号線に出てきました。

 

国道2号線備前大橋を渡ります。

 

国道2号線の青江交差点手前で友人たちと別れます。

 

14時20分頃帰宅、今日の走行距離は130km程でした。

距離的には少し物足らないような気もしますが、美味しいカキオコをいただいたり、閑谷学校の紅葉を楽しめたりと昨日に続いてのツーリングで、十分楽しむことができました。

また機会を作ってツーリング計画を考えて見たいと思います。

 


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紅葉狩りとリンゴツーリング

いつもの三人組で11月16日にツーリングを計画していましたが当日の天候が思わしくなく、昨日の夕方天気予報では降水確率80%、やむなく延期すりことにしました。

一昨日の夜同じ夜勤だった友人の一人と話をしていて15日はお互い予定がなかったため、延期した場合15日が勤務の友人には申し訳ないですが二人でツーリングに出掛けようかなどと話をしていました。

 

ということで、9時に総社市にあるコンビニで待ち合わせのため自宅を8時に出発、8時45分待ち合わせのコンビニに到着しましたが……

友人から途中ラインが入ってきていたので確認すると連絡してほしいとの内容、連絡すると今朝の冷え込みでバッテリーが上がりエンジンがかからずJAFに対応を依頼したようで、到着が1時間程遅れるという内容でした。

ただ待つのもつまらないので私は時間つぶしのため、近くにある宝福寺に向かうことにしました。

 

待合せのコンビニから10分程で宝福寺の駐車場(総社市井尻野)に到着しました。

駐車場脇には精進料理がいただける金亀《きんき》があります。金亀の初代店主は宝福寺の83代目住職の長男として生まれ、修行僧の食事や仏、祖師への供膳を司る禅宗寺院の役職である典座《てんぞ》という寺の台所を任され、参拝の方々にも精進料理を提供していたようですが、寺が僧堂になり修行を目的としない方の出入りが出来なくなったのを機に、境内の金亀嶺へ独立されたそうです。

ここでは気軽に精進料理がいただくことができますが、紅葉シーズンには事前に予約しておかないと、なかなかいただくことはできません。


駐車場から宝福寺に向かいます。途中、宝福寺の三重塔の南側に般若院があるので立寄ってみることにしました。

門の瓦屋根には岡山名産の桃が乗っています。役割は留蓋ですが、装飾としての役割も持っているようです。

桃は邪気を払い不老長寿を与えるという縁起物との言い伝えがあり、特に岡山は桃太郎伝説の地で、桃太郎の家来の犬は 病は居ぬ、 雉は災は来じ、猿は悪は去るなどご利益があると言われているそうです。

 

ここの紅葉もとても綺麗です。

 

般若院の庭園です。

ここでも湯豆腐や精進料理をいただくことができます。

 

宝福寺の山門までやってきました。

 

山門をくぐり境内に入ります。

 

境内から振り返って見た山門……

先に進みます。

 

仏殿と紅葉……

 

仏殿脇にある池と紅葉……

友人からジャンパーしてエンジンが始動できたので、10時過ぎには到着できそうと連絡があり、宝福寺に来ていることを伝え近くにあるコンビニに待合せ場所を変更しました。

 

苔の上にはモミジの葉が落ちていました。

 

違う種類の苔の上にも……

 

仏殿の白壁と丸窓が紅葉に映えます。

 

真っ赤に色付いた紅葉と赤い三重塔……

駐車場に戻ります。

 

途中、小さな柿が実っていました。

 

10時前に宝福寺近くにあるコンビニに到着しました。

 

コーヒーを飲みながらモクモクタイムをしていると友人が到着、インカムをセッティングして出発します。

 

国道180号線を北上し、絹掛の滝(新見市草間)で休憩です。

今日は滝にはほとんど水が流れていませんでした。

 

滝の脇にある洞窟には不動明王が祭られています。その付近のモミジは先端が少し紅葉し始めてはいますがまだ色付いていないようです。

モクモクタイムを終え出発します。

 

11時35分、JA晴れの国岡山あしん広場にある「焼肉千屋牛」(新見市正田)に到着しました。今日の昼食はここで千屋牛をいただきます。

この店はJA晴れの国岡山の直営店で、地元産の千屋牛が美味しくいただけるところです。

さすがに平日、一組の方が待たれているだけで予約帳に名前を記入し待っているとすぐにスタッフの方から呼ばれました。

 

店内入口には今日使用されている千屋牛の個体識別番号が表記されています。

さすがJA!

 

座敷席に案内されました。

今回私がいただくのは「あしん定食」です。妻と訪れた際に各定食を色々と食べてみましたが、最近は毎回あしん定食と千屋牛定食が定番になっています。

 

友人は先日焼き肉をいただいたばかりなのでと、「スタミナ定食」をオーダーしました。

 

友人がオーダーした「スタミナ定食」が先に出てきたので、撮影させてもらいました。

 

私がオーダーした「あしん定食」も出てきました。

 

あしん定食は、千屋牛の赤身とカルビの盛合わせです。

 

美味しそうに焼きあがりました。

 

先ずは赤身からいただきます。

 

カルビもいただきます。

さすが千屋牛、旨い!

ごちそうさまでした!

お腹も大満足、食後のモクモクタイムを終え先に進みます。

 

JA晴れの国岡山あしん広場からナビの案内に従い県道を乗継ぎ、新見市哲西町の国道182号線の交差点に出てきました。

 

国道182号線で県境を越え広島県に入ります。


今回リンゴを購入する「岩本観光リンゴ園」が見えてきました。

 

新見から50分程で「岩本観光リンゴ園」(庄原市東城町内堀)に到着です。

 

駐車場脇にある姫リンゴはほとんど無くなっています。

 

近付いてみると数個だけ残っていました。

 

選果場に向い、自宅でいただく二級品のリンゴを分けていただきます。見た目はあまりよくありませんが味は一級品と変わりません。 色んな品種を袋一杯いれていただきました。

 

リアバックに購入したリンゴを積込みます。今回バックは空にしてきましたが、この ヘンリービギンズのDH-731は、13Lから26Lに容量を増やすことができ、沢山購入したリンゴもしっかりと収納できとても重宝しています。 この後リンゴ園の中を撮影させていただきます。

 

前回訪れた際にはまだ青かった入ってすぐの場所のリンゴも色付いていました。

 

美味しそうな真っ赤なリンゴ……

 

リンゴらしいリンゴ……

 

リンゴは12月末頃まで収穫できるそうなので、今度は妻とドライブがてら来てみたいと思います。

 

園内では大人600円、小学生400円でリンゴ狩りもでき園内では食べ放題、持ち帰りは自分で収穫したリンゴを1kg550円で購入することもできます。

 

三品種の詰め合わせリンゴも販売されていました。

 

手作りりんごジャムや……

 

りんごジュースも販売されています。

リンゴは自家製ですが、搾り機がないため高野の業者に加工をお願いしているそうです。

 

しっかりリンゴを撮影できたので帰路に就くことにします。

 

帰りは庄原市東城から国道182号線を南下するコースにしました。

途中、神石高原町にある「道の駅さんわ182ステーション」で休憩です。

 

産直に立寄ってみました。

沢山の果物や野菜が販売されています。私は神石高原町のコンニャクを購入しようと思いましたが、要冷蔵のため今回は見送りました。

 

モクモクタイムも終え帰路に就きます。

福山市加茂町から県道、福山市神辺で国道486号線に乗継ぎ井原市を通過、倉敷市真備町で友人と別れ私は玉島経由で自宅を目指します。

 

17時過ぎに帰宅、今日の走行距離は258.3kmでした。

帰宅後心地よい疲労感に浸りながらコーヒータイム、その後購入したリンゴを袋から出してみました。

 

総数24個、総重量7,462g、これで2,000円です。通常リンゴ狩りでの量り売りは1kgあたり550円なのでかなり安価に購入することができました。  

今朝は少し肌寒く朝自宅を出る際は10℃、日中も15℃前後ということもあり冬用ジャケットの下にライトダウン、冬用パンツの下に薄手のタイツ、待ち合わせ場所までは先日購入した電熱グローブを使用しましたが、とても暖かく大正解でした。その後電熱を止め通常の冬用グローブとして使用しましたがとても使い勝手がいいグローブでした。これから寒くなってくるのでますます重宝しそうです。

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