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真庭市の彼岸花

前回の台風14号では山陽九州新幹線が終日運休したり、西日本や九州の高速道路も広範囲で通行止になるなど交通機関に大きな影響を及ぼし、九州では多くの被害もあったようです。今回の三連休も台風15号の影響を心配していましたが、昨日東海沖で温帯低気圧に変わり西日本には影響はなかったもものの、東海や関東などでは記録的な大雨となり大きな被害もあったようで、被災地域の早期復旧を心中より祈念いたします。ある程度の雨は必要ですが、程々にとも思います。

今日は三連休の中日、私はこの日一日だけの休日ですが世間一般では三連休、大手企業では前回の土曜から九連休のところもあるようです。そんな貴重な一日ですが今が盛りと咲く真庭市彼岸花を見て、残り少なくなっていた湧水を汲み、今が旬のブドウを購入するため妻と義父母の四人でドライブがてら出かけることにしていました。しかし前日に義父が腰が痛むとので長時間車に乗るのは無理のようだと連絡があり、やむ無く三人で出掛けることになりました。

妻の実家を出発し高梁川沿いに北上、酒津交差点を経由し総社から国道180号線に乗換さらに北上します。総社市日羽の交差点を右折し市道を走り、県道57号線(総社賀陽線)、県道78号線(長屋賀陽線)と乗継ぎしばらく進むと岡山道の賀陽ICの西にある交差点に出てきました。このコースを走ると高梁市街地を短距離で迂回でき高梁市巨瀬《こせ》町で国道313号線に出ることが出来ます。

途中、国道313号線にある「道の駅 醍醐の里」(真庭市鹿田)で少し休憩します。

「道の駅 醍醐の里」から20分足らずで「川東公園」(真庭市古見)に到着しました。駐車場はほぼ満車状態でしたが何とか停める事ができ、私たちも彼岸花が咲き誇る堤防に向かいます。

今が盛りと咲く彼岸花です。

少し法面を下り彼岸花を撮影しました。花はほぼ満開で見事なまでの彼岸花の群生です。

ここの彼岸花は人の手によって植えられたものではなく自生したものだそうです。

自生している彼岸花で、これだけ密集しているのは珍しいようです。

彼岸花の別名は曼珠沙華ですが、昔山口百恵曼珠沙華を収録したレコード「二十才の記念碑 曼珠沙華《マンジューシャカ》」のジャケット写真が篠山紀信が撮影された山口百恵セミヌードだったのが印象的だったように思います。

余談はさておき、見事な彼岸花のレッドカーペットです。

その赤い彼岸花の中に白い部分が……

赤い絨毯を敷き詰めたような彼岸花中に白い彼岸花も咲いています。

木々の周りや、その奥一面に彼岸花が広がっています。

彼岸花田圃の畦や土手などでよく見かけますが、鱗茎に毒性を持つことから土に穴を掘るモグラやネズミなどの被害を避けるために畦や土手などに植えたとも言われています。

そんな鱗茎に毒性を持つ彼岸花ですが、その鱗茎は石蒜《せきそう》という生薬で近年毒性成分のひとつ、ガランタミンがアルツハイマー認知症などの薬として医療現場でも活用されているそうです。

そんな彼岸花をしばしご堪能ください。

しっかりと彼岸花を満喫したので、「夏日の極上水」に湧水を汲みに向かいます。

国道313号線に戻り真庭市勝山で国道181号線に乗継ぎ、真庭市月田で県道52号線(新見勝山線)に乗換、30分程走ると大佐山が見えてきました。

新見市大佐小阪部で県道58号線(北房川上線)に乗換え5分弱北上すると「夏日の極上水」の案内板があり左折し市道に入ります。

市道交差点から5分程で「夏日の極上水」(新見市大佐上刑部)に到着しました。持参した容器にしっかりと湧水を汲み、昼食に向かいます。

新見市街地を抜けやって来たのは新見市哲多町宮河内にある「食源の里 昇華」です。撮影したのは食後なので駐車場は空いていますが、到着した時にはほぼ満車状態でした。

入口には「本日 満席」との案内板が置かれていますが、予約済なので大丈夫です。

早々に店内に向かいます。

入口を入るとテーブルの上にアケビが置かれていました。

席に案内され、出された茶は野草健康茶の「新郷源茶」だそうです。スタッフの方に「新郷源茶」ってどんなお茶なのか伺うと、こんなお茶ですよと販売されていたお茶を持って来てくださいました。味はハブ茶ドクダミ茶のような感じでした。

オーダーした「薬膳御膳」が出て来ました。前菜は季節の前菜三種、造りはコンニャクと白キクラゲの造り、強肴は薬草の天婦羅、飯物は雑穀飯、香の物は季節の香の物、汁物は山菜蕎麦、最後の甘味はアロエデザートです。

しかし、まだ釜の雑穀米が炊き上っていないので、山菜蕎麦からいただきます。

季節の前菜三種は、胡麻豆腐、ハスの実、キクラゲとキンシサイです。

今日の天麩羅はタンポポツユクサ、キクイモ、ユキノシタ、ハツガニンニクが盛られています。

白キクラゲとコンニャクの造りは、酢味噌を付けていただきます。

グツグツといい音が聞こえ始め、いい香りの湯気が漂います。

少し蒸らして蓋を開けると美味しそうな雑穀米が炊きあがっていました。

今回は雑穀米にかけるゴマ塩をお願いしました。

デザートはアロエにナツメそれにクコの実に松の実が入っています。しっかりと美味しい薬膳料理をいただき、義母もとても美味しかったと喜んでくれました。この後今が旬のぶどうの購入に草間カルストにある村上農園に向かいます。

一度国道180号線まで戻り国道180号線を南下、川合橋西交差点を左折し県道78号線(長屋賀陽線)に乗換えて草間カルスト台地に上り、新見市土橋で県道50号線(北房井倉哲西線)に乗継ぎしばらく走ると、前回桃を購入した「大原観光果樹園直売所」の反対車線側の入口に「村上農園」の小さな案内板がありました。

案内板には300mとありましたが感覚的には200m程で村上農園(新見市草間)に到着しました。以前電話で自宅で食べるのでB級品もありますかと伺った際、B級品もありますよと言われ、近くに来たらお茶でも飲みに寄ってくださいと声掛けいただいていました。自宅脇にある直売所には所狭しと沢山のぶどうが並んでいます。「自宅で食べるのでB級品の安いものがありますか?」と伺うと、「ありますよ、試食もしてみてください」と進められ、ピオーネとシャインマスカットをいただきました。大粒でとても甘くて美味しいぶどうで、さらにコーヒーまで出していただきましました。

ピオーネを6房とシャインマスカット1房を購入しました。「色付きが悪いのですが、一つどうぞ」とピオーネを1房オマケしていただきました。ピオーネは1房約500~550g、平均630円程、シャインマスカットは約400gで800円でした。妻の実家と下の息子の家、近所にB級品ですが美味しいですよと少しだけお裾分けしました。

ぶどうは10月上旬頃まで収穫出来るそうなので、休みが合えば友人たちとツーリングでまた行ってみたいと思います。義母は長時間の乗車で少し疲れたのではないかと心配していましたが、とても喜んでくれたので久しぶりに親孝行が出来ました。今回は義父が体調が悪く一緒に出掛けることが出来ませんでしたが、また機会を作たいと思います。

 

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久しぶりの野鳥撮影

久しぶりにカワセミの撮影に出掛けてみることにしました。バイクに撮影機材を積込み、自宅を6時半過ぎに出発、目指すは倉敷市福田町にある種松山公園です。7時前に到着すると既に一人の方がおられ超望遠レンズをセッティングされていました。

私もカメラのセッティングを終え話を伺うと6時頃から来られていたそうですが、カワセミは全く姿を見せないそうです。この方は週に一度程この場所に来れれているようですが、ここしばらくはカワセミの姿を全く見られていないそうです。7時半頃、違う場所に行ってみられると引き上げられました。私は8時半頃まで粘りましたが結局カワセミは姿を見せてはくれませんでした。

待っている間、睡蓮が綺麗に咲いていたので撮影しました。

沢山の睡蓮が咲き誇っています。

ガマと睡蓮です。

時間も早いので、この後高梁川へミサゴの撮影に向かうことにしました。高梁川の潮止堰(倉敷市連島町西之浦)に9時前に到着、4人の方がカメラをセッティングされていました。話を伺うと、早い方は朝6時前には来られていたようで、6時過ぎに下流の方で数回ダイブしたそうですが遠過ぎて撮影は出来なかったそうです。しばらくすると、一人、また一人と片付けを始められました。今日はミサゴも駄目なのかと、少し諦らめムードが漂いますが、私は久しぶりなので頑張ってみることにします。

9時10分頃、ミサゴが姿を現しました。

上空を旋回しながら獲物を探しているようです。

しかし、全く飛び込む気配はなく西の山へ帰ってしまいました。隣の方も9時半頃に今日は引上げますと帰られ、残ったのは私と少し離れた場所にセッティングされている方の二人だけになりました。

何度かやってきては上空を旋回し、山に帰るを繰り返しますが全く飛び込んでくれません。この場所は日陰がなく暑い日差しを直接受けてしまいます。みなさん遮光の日傘を持参されていましたが、私は何もないので直接日差しを受け干からびそうです……

10時10分頃、気付くとミサゴがダイブしていました。カメラを向けると水面に上がって飛立ったところでしたが、足にはしっかりと獲物を掴んでいます。

後を追いかけます。

この後東の空に飛去って行きました。しばらくして、もう一人の方も引き上げられ私一人になってしまいました。バイクに積んできたクーラーボックを取りに行き冷たいコーヒーで喉を潤し、もう少し粘ってみることにします。

潮止堰の上流では水上スキーを楽しんでおられます。

気持ちよさそ~

ミサゴは何度かやっては来るものの、上空を旋回し山に帰るを繰り返し全く飛び込んでくれません。結局11時過ぎまで粘りましたが、私も引き上げることにしました。久しぶりの野鳥撮影でしたが残念ながらミサゴのダイブが一回だけで、カワセミの顔も見ることが出来ませんでした。妻に電話をすると「鳥も暑過ぎて出て来ないのじゃないの?」とあっさり言われてしまいました。また少し涼しくなってからリベンジに訪れてみたいと思います。

 

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古代吉備ロマンを感じるポタリング

今日は岡山県北の蒜山まて足を伸ばし久しぶりに蒜山高原自転車道をミニベロロードEIZER  M300で走ってみようと思っていましたが、あいにく県北は天候が不安定なようなので今回は身近なところで吉備路自転車道を走ってみることにしました。9時過ぎに自宅を出発しようとすると小雨がパラパラし始めたので、一度家に入りPCで雨雲レーダーで様子を見てみると丁度雨雲が差し掛ったようですがその雨雲も昼前には抜けるようです。

11時半頃雨も上がったようなので自宅を出発しました。今回は吉備路自転車道岡山市側の起点である総合運動公園からではなく、途中の吉備津彦神社へ向かい、日本遺産「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜」の一部を吉備路自転車道を走りながら古代吉備のロマンを楽しみたいと思います。

吉備津彦神社(岡山市北区一宮)に到着しました。今迄は吉備路自転車道を走る時にはいつも素通りしていましたが、今回は休憩がてら立ち寄ってみることにしました。岡山といえば桃太郎伝説が有名で、その桃太郎のモデルと言われている大吉備津彦命《おおきびつひこのみこと》こと、第七代孝霊天皇の皇子を祀る神社が実は岡山市に二つ 注記1 あります。その一つがここ吉備津彦神社で、後方にそびえる吉備中山には大吉備津彦命墓所があり、麓のこの場所に大吉備津彦命が永住していた屋敷があったようで、その屋敷跡に社殿を建てたのが始まりだそうです。この随神門から少し北に進んだ場所に桃太郎がいるので参拝を済ませ向かってみることにしました。

桃から生まれた桃太郎! しっかりとお供の犬、猿、雉を従えています。そのお供の犬、猿、雉は、言伝えによると大吉備津彦命の家来の犬飼部の犬飼健命《いぬかいたけるのみこと》、猿飼部の楽々森彦命《ささもりひこのみこと》、鳥飼部の留玉臣命《とめたまおみのみこと》だそうです。納得し先に進みます。

吉備津彦神社を出発し、しばらく吉備路自転車道を走ると国境にある細谷川に架かる両国橋を渡り備前国から備中国に入ります。細谷川は川幅が2m足らずの小さな川ですが、この川が当時の国境になります。

備中国に入るとすぐ左に宗教法人福田海本部《ふくでんかい本部》(岡山市北区吉備津)があるので立寄ってみました。境内には全国各地から送られてきた牛の鼻ぐり(牛の鼻に付けられている鼻輪)を供養する「鼻ぐり塚」があります。ちなみに古い話で恐縮ですが、この「鼻ぐり塚」は1972年(昭和47年)に放送されたウルトラマンAの撮影にも使われた数少ない岡山ロケ地の一つです。

建物の奥に「鼻ぐり塚」の上部に置かれた石塔が見えています。昔訪れた際に一度参拝しているので今回は参拝を見送り出発します。

吉備路自転車道から少し外れ、吉備の中山道と言われる道路を走り吉備津神社岡山市北区吉備津)に出てきました。前記の桃太郎のモデルと言われている大吉備津彦命を祀る神社のもう一つがここ吉備津神社です。今回は写真撮影だけして通過します。

吉備津神社参道の松並木です。この橋の袂で吉備路自転車道に合流しました。吉備路自転車道は参道を走らず橋の手前の交差点を横断しています。私は左折し吉備路自転車道に入ります。

しばらく吉備路自転車道を走ってから再び離れ、吉備津神社と板倉宿を繋ぐ旧道に入ります。途中鯉山小学校の隣にある妹尾兼康の墓所岡山市北区吉備津)にお参りします。兼康は備中妹尾(現岡山市南区妹尾)の豪族でしたが、領内の新田開墾など農業事業にも尽力され、1182年(寿永元年)には十二箇郷用水の取入口の湛井堰(総社市湛井)を作り用水路を整備されたそうで、今でも用水流域の十二箇郷地域 注記2 はその恩恵を受けているようです。

兼康の遺骸が葬られた場所に道勝寺が創建されたそうですが、明治初めに廃寺となり、その跡地は鯉山小学校となっているようです。この後旧山陽道西国街道)の板倉宿に向かいます。

山陽道の板倉宿(岡山市北区吉備津)に到着しました。板倉宿は岡山城下から旧山陽道を西に向かって最初の宿場町になります。板倉大橋の袂に「旧山陽道板倉宿」の案内板とその奥の川沿いに大きな石灯籠も残っています。

江戸時代の板倉宿の絵図がありました。私は絵図の右下にある吉備津神社から旧道を川伝いにやってきました。当時は松が植えられていたようですが、今は住宅地化された中を抜けてきました。板倉宿は旧山陽道の宿場町であり、四国の金刀比羅宮へ向かう吉備津金毘羅往来、現在の高梁市に向かう松山往来への分岐点、そして吉備津神社門前町としても栄えていたようです。しかし残念ながら現在の街並みからは昔の面影をあまり感じることは出来ないようです。その昔、平安時代末期には絵図左下付近で源平板倉合戦があり、木曽義仲との戦いで平家側の妹尾兼康が敗れた場所でもあります。

ちなみに、金毘羅往来はこのルートの他に「庭瀬金毘羅往来」や「妹尾金毘羅往来」などのコースもあったようで、それぞれ庭瀬や早島で元来のこの吉備津金毘羅往来と合流していたようです。

この石灯籠は道標にもなっていうようで、吉備津宮と記されています。

こちらの面には、金毘羅大権現と記されています。

こちらの面は少し見えにくいですが、瑜伽大権現と書かれていました。板倉宿から南に下り庭瀬を経由して「由加山」こと瑜伽大権現倉敷市児島由加)に参拝し、田の口港から船で四国に渡り「こんぴらさん」こと金毘羅大権現香川県仲多度郡琴平町)との「両参り」に向かう観光ルートの一つだったようです。さらに吉備津神社も含めると「三社参り」、さらに吉備津彦神社を加えると「四社参り」になるのでしょうか? 私は旧山陽道を西に進みます。

板倉本陣跡だそうですが当時の面影は全くなく、今は鯉山コミュニティハウスが建っていました。

街並みの中に卯建の上がった旧家がありました。

国道180号線の板倉交差点に出てきました。交差点の南側には道標が見えています。交差点を横断します。

この交差点は真金十字路とも言われ、旧山陽道と松山往来などとの交差点でした。道標には、「右 松山八里 足守二里」「西 井山寶福寺二里半」、裏側には「南 庭瀬三十丁」と記されていました。以前は草が生い茂っていましたが、綺麗に整備されていました。私は旧山陽道を西方向に向かいます。

市街地を抜け田園地域に入ります。この道路は中国自然歩道のようで、その案内板がありました。中国自然歩道は、中国5県を一周する総延長約2,295kmの超広大な自然散策が楽しめる遊歩道で、瀬戸内海国立公園など三つの国立公園、四つの国定公園を巡ることが出来ます。全ルートは一繫がりにはなってはいますが、それぞれ10〜50km程のコースが設定されていて個々のコースごとに楽しむことも出来るようになっています。ただこの中国自然歩道は遊歩道なので途中階段区間などもあり、自転車での走破は出来ないのが少し残念ですか……

山陽道足守川で突き当たりました。今は橋は架かっていませんが旧山陽道足守川の対岸から西方向へ向かって伸びています。中国自然歩道はこの三叉路を南に少し下り矢部橋を渡ってこの先の旧山陽道に戻り鯉喰神社を経由し西に向かっています。

吉備路自転車道は三叉路を右折し、県道270号線(清音真金線)で新黒住橋で足守川を渡ります。

新黒住橋西詰に休憩施設があり、ここでタバコ休憩にします。

東屋の近くには吉備路自転車道のルート図が設置されていて、見てみるとこの付近が中間付近のようです。ちなみにこのルート図は下側が北なので少し違和感がありました。しっかりとタバコと水分補給を終え出発します。

足守川沿いにしばらく進むと山陽道岡山道が分岐する岡山JCTが見えてきました。

岡山JCTの高架下で吉備路自転車道吉備高原自転車道が別れます。1582年(天正10年)、織田信長の命により羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が行った水攻めで有名な備中高松城址やJR桃太郎線の備中高松駅は右方向の吉備高原自転車道で向かいます。今回私は吉備路自転車道を走るので左方向に進みます。

田園地帯の中を走っていると左前方に造山古墳《つくりやま古墳》が見えてきました。

この交差点を左折し吉備路自転車道から外れ造山古墳に向かいます。

造山古墳ビジターセンター(岡山市北区新庄下)に到着しました。駐車場脇には「吉備の大王」という像が設置されていました。後方に見えている小山が造山古墳です。

M300を置いて造山古墳ビジターセンターに入ります。

1887年(明治20年)、今から135年前の造山古墳周辺の地図がありました。周囲には小さな古墳が点在しているようです。

造山古墳は鍵形をした日本の代表的な古墳形式の前方後円墳で、全長が約350m、円墳直径が約190m、高さは約30m、墳丘の長さに対して円墳部の割合が大きいのが特徴のようです。岡山県では最大の古墳で全国でも第4位の規模を誇る巨大古墳、しかも上位3古墳は天皇陵で、それに次ぐ規模だそうです。その大きさから古代の吉備国はヤマト朝廷にも劣らない力を持っいたことが想像できます。築造は古墳時代中期の5世紀前半頃とされ、墳丘に立入ることが出来る古墳としては全国最大の規模だそうで、全国的に見ても貴重でとても身近な古墳のように思います。その造山古墳に上ってみます。

案内板に従い細い路地裏を進みます。

方墳と円墳の繋ぎ部付近が少し崩落しているようです。

住宅地を抜けると石の階段があり、建物だと4、5階程の高さを上り切ると方墳側に地域の氏神様神の荒神社が鎮座していました。

円墳に向かう場所には沢山の桜が植えられていました。開花時期に訪れると花見も楽しめそうです。

円墳頂上の到着しました。頂上は平らで円形の広場になっていました。羽柴秀吉の中国攻めの際、対峙した毛利軍がこの場所にも陣を築いたためだそうです。

円墳から見た南西方向にある方墳です。

少し左に目をやると造山古墳ビジターセンターが見えています。

東方向には田園の先に岡山JCTが望めます。岡山JCTから田園の中を斜めに走っているのが吉備路自転車道です。

少し北方向に目を向けると、最上稲荷の大鳥居や備中高松市街地が望めました。素晴らしい展望も楽しめたので下ります。

造山古墳の方墳先端部を走り抜けます。右が方墳端になります。この造山古墳は丘陵を切断して築造された古墳で、左側には造山第一古墳の榊山古墳が見えています。

吉備路自転車道に合流しました。左折し先に進みます。

要所要所に案内板や路面表示が設置されているので、迷うこと無く進むことが出来ます。

沿道にサルスベリの花が綺麗に咲いていました。

この先の交差点を左折します。

備中国分尼寺跡の脇を通過します。備中国分尼寺の表玄関にあたる南門跡です。

沿道の畑では桃が沢山の実をつけていました。

こうもり塚古墳(総社市上林)に到着しました。こうもり塚? その名の由来は、発掘当時無数のコウモリがいたことから名付けられたそうです。この古墳は古墳時代後期の6世紀後半に築造された前方後円墳で、円墳内部には奈良県の明日香村にある石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があるようです。

自然の丘陵を使い築造されていて、全長が約100m、円墳径は55~60m程、高さが約8mのようです。

入口は大きな石が積重ねられています。石室内部に入ります。

この横穴式石室は全長が19.4m、巨大な石が組合わされて造られているようです。岡山県最大の規模で、岡山県の三大巨石墳の一つに数えられ、全国の横穴式石室の中でも第4位の規模だそうです。

石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。M300まで戻り先に進みます。

備中国分寺が見えてきました。この場所は菜花やコスモスのシーズンに五重塔を背景に撮影する場所です。

備中国分寺の前の田園には古代米の赤米が穂を付けていました。

赤米と備中国分寺です。吉備路自転車道に戻り先に進みます。

沿道にはコスモスが咲き始めていました。

竹林と備中国分寺五重塔

アオサギが羽を休めていました。

吉備路自転車道国道429号線の手前で右折し用水路を渡ってから国道をアンダーパスしています。

作山古墳《つくりやま古墳》が見えてきました。先程の造山古墳と同じ読み方なので、地元では造山《ぞうざん》と作山《つくりやま》と呼び分けしています。

作山古墳の方墳先端部を走り抜けます。この造山古墳は独立した丘陵の一部を切断して築造された古墳のようです。

作山古墳の西側にある駐車場に到着しました。作山古墳は備中国分寺の西約1kmに位置し、全長が約282m、高さが約24mと県内では第2位、全国でも第10位の大型前方後円墳で5世紀中頃に築造されたそうです。上り口が分かり難く少し探しましたが、案内地図の奥付近から上ることが出来ました。

方墳の西角斜面を上っているようです。

方墳上部に到着しました。木々の間から備中国分寺の五重の塔が見えたので撮影しましたが、ピントが手前の木々に合っていてしまい、ご覧いただけるものではありません……

方墳を下り円墳に向かいます。

円墳の上りに変わります。

円墳上部に到着しました。

円墳上部には造山古墳の説明板がありますが、周囲は木々に覆われ展望は望めませんでした。

円墳を北東方向に下る道があったのでその道を下ります。

が……

途中から笹が道を覆い尽くしていました。ジーパンなどであればそのまま進むのですが、今日はポタリング用の短パンのため分け入るのを諦め、もう一度下りてきた道を上り引返します。

円墳から方墳まで戻ってきました。ここからは下るだけです。

駐車場まで戻ってきました。日陰がないか探しましたが見当たらず、トイレ脇のベンチでタバコと水分補給をしました。時計を見ると15時過ぎ、今回は総社市役所近くにある「つけそば屋 やまいも」で昼食を考えていましたが、出発時間が遅れたこともあり昼の営業時間は終わっているようです。お腹も何とかもちそうなので、ここで折り返し帰路に就くことにしました。

作山古墳を後にします。

国道429号線を走り国分寺西交差点手前で吉備路自転車道に戻ります。

田園の中を進みます。

国分寺五重塔手前に柿畑が見えています。実が熟れる頃、柿を配した五重塔も面白いかも知れません。

造山古墳が見えてきました。

造山古墳の西側には道路柵に備中国分寺五重塔やサイクリストなどのイラストが描かれていました。

北方向から見た造山古墳です。

説明板の脇でM300の記念撮影です。帰宅後気付いたのですが、説明板には上部に自転車がデザインされていましたが、写真には全て入っていませんでした……

岡山JCTまで戻ってきました。左折すると吉備高原自転車道、私は右折し吉備路自転車道で岡山方面に向かいます。

足守川沿いを下り新黒住橋西詰にある休憩施設に到着しました。ここでタバコ休憩にします。しっかりと水分補給とタバコ補給を終え出発します。

板倉宿を抜けJR桃太郎線の吉備津駅東にある吉備津神社の参道に出てきました。この付近は昔C56型蒸気機関車が「SL吉備路号」として吉備線を走った際に撮影した場所です。

吉備津神社の参道から300m程進むと真金一里塚があります。この一里塚は岡山藩を出た後、万成一里塚の次の一里塚で西の浅尾藩(現総社市)方面に至る旧山陽道、松山往来、吉備津金毘羅往来の一里塚として、当時の備中国庭瀬藩板倉郷に設定されたそうです。先に進みます。

山陽道と国道180号線が合流する付近にある「備前備中国境標石」 注記3 (岡山市北区西辛川)に到着しました。

国道180号線を渡り標石脇にやってきました。

M300を置いている橋が備前備中の国境の橋になります。前輪は備前国、後輪は備中国になります。

標石から備前国岡山方面の様子です。国道180号線を岡山市街地方面に向かいます。

すると……

国境近くの国道180号線に「境目」というバス停がありました。国堺だから境目?

この地域の住所は岡山市北区西辛川ですが、もしかしたら字が「境目」なのかも知れません。当時の国境の名残なのでしょうか?

バス停近くの路地から吉備路自転車道に戻ります。

吉備路自転車道を走り吉備津彦神社まで戻ってきました。木陰で水分補給とタバコ休憩をした後自宅を目指します。

帰宅したのは17時前、幸い天候も持ちこたえ、さほど暑さも感じず気持ちよく古代吉備のロマンを楽しむことが出来ました。走行距離は60km弱でしたが、造山古墳や作山古墳に上ったためか、はたまた久しぶりのポタリングのためか袋萩に多少違和感を感じるので今夜はしっかりとマッサージして休むことにします。また機会を作って出掛けてみたいと思います。

 

注記1

大吉備津彦命を祀る神社は、岡山市の西部、備前国備中国の境に立つ標高175mの吉備の中山、その北西麓の北側に「備中国一宮、吉備神社」、北東麓の東側に「備前国一宮、吉備津彦神社」の二社が鎮座し、備後国には福山市に「備後国一宮、吉備津神社」が鎮座しています。三社とも吉備国を治めたと言われている大吉備津彦命が祀られていますが、吉備津神社吉備津彦神社は距離にして1.5kmほどしか離れていません。

その分社化された経緯は、大化の改新後、吉備国備前、備中、備後に分割されたことに伴い、吉備国の総鎮守であった「吉備国一宮、吉備津彦神社」(現備中国一宮、吉備神社)が「備中国の一宮」、「備前国の一宮」、「備後国の一宮」と分霊されたようです。ちなみに、古くは三社とも「吉備津彦神社」と称していたそうですが、現在は備前一宮以外の二社は「吉備津神社」を正式名としているそうです。

 

注記2

十二ヶ郷とは、総社市岡山市倉敷市に属する、刑部郷、真壁郷、八田部郷、三輪郷、三須郷、服部郷、庄内郷、加茂郷、庭瀬郷、撫川郷、庄郷、妹尾郷の十二郷で、約5,000haの地域です。ちなみに東京ディズニーシーの広さが約50haなのでその100倍の広さです。


注記3 

備前備中国境標石」は児島湾干拓の歴史とも言えます。1589年(天正17年)頃、宇喜多秀家の命により岡豊前守と千原勝利によって児島湾を干拓して新田開発するために築かれた宇喜多堤の築堤に始まり、1956年(昭和31年)年の児島湖締切り堤防の完成までの約400年にも及ぶ長い干拓事業の歴に中で、国境論争や開墾反対運動などの数多くのドラマが生まれたようです。そしてこの標石は児島湾干潟で江戸時代から続いた紛争の最終結論ともいえる歴史的遺産です。

新田開発により国力増強を図ろうとする江戸幕府と、岡山藩や旗本領の思惑、さらに漁業権など備前、備中の村々の利害が複雑に絡み合い国境論争に発展、1816年(文化13年)に江戸幕府により最終決断が下され、それを基に1821年(文政4年)に国境の境界にこれらの標石が設置されました。以前この「備前備中国境標石」を探歩いたこともあり、また機会を見てブログに纏めてみたいともいます。

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急行 鷲羽リバイバル運行

先日妻から、昔宇野線(現宇野みなと線)を走っていた鷲羽という急行列車と連絡船が運行されるみたいと聞き調べてみると、JR西日本岡山県などが展開している観光企画「岡山デスティネーションキャンペーン」の一環として企画されたようで、1960年(昭和35)から1980年(昭和55年)注記1 まで153系電車で玉野市宇野と大阪、新大阪、京都間を走っていた旧国鉄の「急行 鷲羽」を再現した特別列車がJR姫路駅と宇野駅間を115系湘南色の電車で運行され、1988年に廃止された旧国鉄宇高連絡船に見立てたフェリーも34年振りに宇野高松間を運行されるようです。

どこで撮影しようか色々と悩んだ末、一番宇野線らしいと思われる風景の玉野市槌ケ原にある鴨川橋梁で児島富士とも呼ばれる常山を背景に撮影してみることにしました。この場所は昔中学生当時、寝台特急瀬戸などの撮影に訪れていたところです。今日は夜勤明けでしたがバイクで撮影に出掛けてみることにしました。

帰宅後朝食を済ませ、バイクで自宅を出発し10時20分頃鴨川橋梁に到着しました。しばらくすると213系宇野行き普通列車がやってきました。この車両は瀬戸大橋線開業時、パノラマグリーン車クロ212を連結して岡山と高松を結ぶ快速マリンライナーとして運行されていた車両です。瀬戸大橋で海上を走るためステンレス車体が採用され、前面部はFRP製カバーで覆われている車両です。

茶屋町行き115系普通列車がやってきました。この車両は115系1000番台を3両編成にするのに伴い、コストを抑えるため中間車の車両をそのまま活用して先頭車に改造した115系1600番台の車両です。

到着時は私一人でしたが徐々に人が増えてきました。

10時57分頃、急行鷲羽がやってきました。

編成が6両と当時の12両編成に比べると少し寂しい気もします。

当時の急行鷲羽で使用されていた153系は国鉄からJRに移行前に廃系になったようで、その勇姿を見れないのはとても残念ですが……

しかし、しっかりと「鷲羽」のトレインマーク(ヘッドマーク)を付けていて、懐かしく感じます。

児島富士をバックに鴨川橋梁を通過している「急行鷲羽」です。

私たちの脇を走り抜けていきました。

急行鷲羽はこの後、八浜駅備前田井駅間にある宇野線で唯一の児島トンネルを抜け終点宇野駅を目指します。帰り便で上り線を走る際にはこのトンネルで撮影する予定です。私も宇野駅に向かうことにします。

宇野駅近くに到着すると「急行鷲羽」は宇野駅に到着する直前でした。駅前で駐輪場を探しましたが見当たらず少し離れた空き地にバイクを置き、まずは跨線橋の上から撮影することにしました。

跨線橋上から見た宇野駅です。急行鷲羽は2番ホームに停車し、多くの方が下車されているようです。今の宇野駅は6両編成までしかホームが対応していないようです。昔の宇野駅は長い編成の列車にでも十分対応出来るだけのホームを持っていたように思いますが、今は幹線から外れた盲腸線の終着駅となっています。

向かいの1番ホームには213系の普通列車が停車していました。

懐かしい「鷲羽」のトレインマーク(テールマーク)です。最近はLEDパネルや液晶画面のデジタル表示に変わってしまい少し残念な気がします。やはりトレインマークの方が優等列車の貫禄を感じます。

2番ホームに停車する「急行鷲羽」です。

3号車と4号車の連結部付近です。「宇野 ⇔ 姫路」の行先標や「鷲羽 WASYU」とうサイド表示がありました。

あれっ…… 「鷲羽 WASYU」「鷲羽 WASHŪ」? サイド表示とトレインマークの表記が異なっていました。

2番ホームのすぐ横の歩道では沢山の方が撮影されていました。跨線橋からバイクに戻ります。

宇野駅のすぐ先には香川県の直島が望めます。

11時38分、茶屋町行き普通列車が発車しました。私は一度自宅に戻り少し休むことにし、16時14分に発車する上り便の撮影に出掛け直すことにしました。

帰宅後寝入ってしまい、気付くと16時を回っていました。この時間だと撮影しようと思っていた児島トンネルには到底間に合いそうにありません。仕方なく急遽自宅近くの南区箕島で丸島を背景に撮影することにし、眠気覚ましのコーヒーを飲んで自宅を出発しました。

県道21号線(岡山児島線)の跨線橋付近に到着しました。箕島地区は旧三島村、箕島村、妹尾町、岡山市へと変わた地域で、三島の由来は「丸島」「小山」「亀島(上の山)」という三つの島があることから名付けられたそうです。この島々はかつては瀬戸内海に浮かぶ島でしたが、児島湾干拓により現在は陸続きとなっています。ちなみに、宇野みなと線(旧宇野線)が開業した1910年(明治43年)当時は干拓に伴い作られた堤防を使用していたそうで、開業当時列車は海岸線を走っていたと祖父から聞いたことがあります。

宇野発岡山行き115系普通列車がやってきました。

丸島の前を通過していきます。

現在瀬戸大橋線で岡山高松間で運用されている5000系快速マリンライナーがやってきました。この車両は高松向き1号車が二階建て車両で、一階が普通車指定席、二階がグリーン車になります。

下り線を岡山発児島行き115系普通列車が通過していきました。

松山から瀬戸大橋を渡りやってきた8000系しおかぜ22号岡山行きが通過していきます。この車両はJR四国の直流特急形電車でオールステンレス製、四国側先頭車は流線型、岡山側先頭車が貫通型の編成でした。

17時9分頃、急行鷲羽がやってきました。

丸島の前を通過しています。

撮影する私たちの前を走り抜けていきました。急行鷲羽はこの後岡山駅に停車し、19時24分に今回の終着駅姫路に到着します。山陽線沿線にも沢山の撮影ポイントがありますが、今回は旧宇野線の撮影だけで十分満足することが出来ました。153系ではありませんでしたが、在りし日の急行鷲羽の勇姿を思い起こし少し感動さえ覚えました。

 

注記1 1960年(昭和35)のデビュー当時「鷲羽」は準急でしたが1966年(昭和41年)に急行に昇格、1972年(昭和47年)に山陽新幹線が岡山まで延伸したのに伴い、岡山~宇野間に快速列車の運行が開始され、それまでの一日11往復から夜行便1往復だけになってしまい、1980年(昭和55年)にはその一便も廃止されてしまいました。

 

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津山へソロツーリング

先日の夜勤の時友人と話をしていると、前回の休日に津山市街地の少し北にある横尾滝にツーリングに行ったそうです。県北でかなり標高も高く、とても涼しいところで流し素麺もいただけるそうです。私は今回の夜勤明けの翌日は年に一度有るか無いかという休日出勤の日勤なので連休でなく一日だけの休日ですが出掛けてみようと思い友人を誘いましたが、さすがに数日前に行ったばかりなので今回はパスとのこと、もう一人の友人にメールしましたがあまりに急過ぎて休暇を取ることが出来なかったと返信があり、今回はソロツーリングで出掛けることにしました。

自宅を8時前に出発、今回は国道2号線から東区瀬戸町を抜け自専道の美作岡山道を走り、途中「柵原ふれあい鉱山公園」にある片上鉄道跡の吉ケ原駅に立ち寄り休憩した後、津山市内で津山名物の一つ「干し肉」を購入、その後久しぶりに「津山まなびの鉄道館」に立ち寄り、横尾滝に向かうコースにしました。

瀬戸市街地を抜け、宗堂桜の近くにある瀬戸ICまで来ました。ここから自専道の美作岡山道に入ります。

瀬戸ICから15km程、終点の吉井ICで流出します。吉井ICから湯郷温泉IC間は未開通のため国道484号線、国道374号線、県道26号線(津山柵原線)と乗り継いで柵原を目指します。この未開通区間には柵原ICと英田ICが設置されるそうなので、開通すると津山へのアクセスが格段に向上されると思います。欲を言えば瀬戸JCTから岡山バイパスまで延伸して貰えれば、なお一層アクセスは向上すると思いますが、残念ながらその区間は計画にもないようです。

赤磐市福田の交差点で備前市から来た国道374号線に合流し津山美作方面へ左折します。

備前国赤磐市周匝《すさい》市街地を抜け、吉井川に架かる周匝橋を渡ると美作国久米郡美咲町に入ります。少し進み高下交差点を左折し県道26号線で津山美咲方面に向かいます。

高下交差点から5km程走ると「柵原ふれあい鉱山公園」(久米郡美咲町吉ケ原)に到着しました。後方に見えているのは廃線となった片上鉄道の旧吉ケ原駅です。駅舎へ向かいます。

片上鉄道の多くの駅舎はとんがり屋根のユニークな創りの何とも可愛らしい駅舎でしたが、片上鉄道は時代の波に押し流され惜しまれながらも1991年(平成3年)に全線が廃止されてしまいました。今も当時のままの残るこの建物は2006年(平成18年)に登録有形文化財に指定されているとても貴重な駅舎です。ホームに向かいます。

駅舎やホームは当時のまま、今にも列車が入線してきてもおかしくない雰囲気です。

向かいのホームには駅名標の後方に気動車のキハ702と客車が置かれていました。

このキハ702は流線形の原型を保った旧国鉄のキハ42000形だそうで、一部改造はあるものの全国でも原型で動態保存されているのはこの車両だけだそうです。

駅舎に戻り、ベンチでタバコとコーヒー休憩です。しっかりと水分補給とタバコ補給をして出発します。

県道26号線を走ること30分弱、今日干し肉を購入する食肉石本商店(津山市横山)に到着しました。

店内の保冷庫には沢山の干し肉が並んでいます。干し肉は牛だけでなく鶏の干し肉も並んでいます。ここの干し肉は以前津山に赴任していた職場の知人に超お勧めと紹介された店で、すべて自家加工されていて、とても美味しく津山に来れば立寄る店舗です。今回私は400g(2,500円)のパックを購入しました。要冷蔵のため持参したクーラーボックスに入れ出発します。

食肉石本商店から数分で津山駅の西側に隣接する「津山まなびの鉄道館」(津山市大谷)に到着しました。駐輪場にバイクを置いていると津山駅を発車した津山線の岡山行き列車が通過して行きました。

「津山まなびの鉄道館」に来るのはオープン間のない頃に訪れて以来です。

この扇形機関車庫は、京都市にある梅小路扇形機関車庫(京都鉄道博物館)に次いで現存するものとしては日本で2番目の規模だそうで、扇形機関車庫には13両の貴重な車両が展示されています。

機関車庫とこのターンテーブル(転車台)は経産省の「近代化産業遺産」、(社)土木学会の「日本の近代土木遺産 −現存する重要な土木構造物2800選」などに指定されているそうです。

伯備線を走っていたキハ181系気動車の「特急やくも」です。

かつては津山線因美線経由で岡山と鳥取間を「急行砂丘」として走っていたキハ58系気動車です。この車両には乗車できるようなので乗り込んでみます。

運転室の様子です。

客車内の様子です。天井には吊り下げ式の扇風機と冷房装置が取付られています。急行砂丘は昔友人たちと鳥取へ旅行に行った時に乗車し、県境の急な峠を轟音を響かせながらゆっくりと上っていた記憶が思い起こされました。

D51-2号機も展示されています。

D51の初期車両はボイラー上の煙突と後方の砂箱の間に給水加熱器が置かれ、それらを覆う長い覆いが外観上の特徴的で、ナメクジなどと呼ばれていたユニークな形の機関車です。

扇形機関車庫の中には入れず手前の鎖部からの撮影で、フェンスや柱が邪魔になり上手く撮影出来ませんでした。

DE50-1号機です。DD51などとともに伯備線で活躍した車両だそうです。この機関車はDD51より一回り小振りでありながら2,000psの出力を持つ最新機関車でしたが、急速な電化計画の進展という当時の時代背景の影響で、生産されたのはこのDE50-1号機1両のみという、とても珍しい貴重な機関車です。

車両の左奥に見えているのが津山駅です。隣接して現役車両の基地があり、車両たちがスタンバイしています。

施設内は扇形機関車庫や転車台をはじめ、まなびルームやあゆみルーム、しくみルーム、津山の街並みをジオラマで再現したまちなみルーム、いこいの広場などがあります。この後11時からまちなみルームでデモストレーションが行われるそうなので、行ってみることにしました。

走行するNゲージ模型の車両の先頭に超小型のカメラが取り付けられていて、無線通信でモニターに実際に列車の運転席に乗車しているような画像が映し出されていました。

左奥に扇形機関車庫、中央付近に満開の桜が咲き誇る津山城が見えています。11時、デモストレーションが始まりました。ナレーションと共に照明が駆使され、朝から夜までの津山の町並みの中を走る列車が再現されました。久しぶりに訪れた津山まなびの鉄道館をしっかりと楽しめたので、横尾滝に向かいます。

津山線の踏切を渡り国道53号線の交差点を直進し県道68号線(津山加茂線)を北に進みます。

広域農道の作州街道の交差点を横断しさらに北に進みます。

津山まなびの鉄道館から30分足らず、今日昼食を食べるもみじ亭(津山市上横野)に到着しました。

この場所は海抜486mのようです。

入り口にある紅葉は樹齢400年だそうです。

11時30分から営業開始と思っていましたが、コロナの影響で今の営業開始時間は12時からに変更されているそうです。

メニューが並んでいますが、デカイおにぎりが印象的でした。

さすが樹齢400年、幹径もしっかりあります。

時間を待つ間付近を散策してみます。

渓流の対岸にヤギがいました。

まだ時間があるので喫煙所でタバコを吸って待つことにします。暖簾の右は焼肉が食べれる部屋になっていました。

焼肉が食べれる部屋の中の様子です。

12時過ぎ、スタッフの方が出てこられオーダーを聞かれました。呉汁? スタッフの方に「呉汁《ごじる》って何なんですか?」を伺うと、水に浸して柔らかくした大豆をすり潰しペースト状にしたものを呉というそうで、その呉を味噌汁に入れたものだそうです。私は流し素麺(500円)と呉汁と気になっていた大きなおにぎりの付いた呉汁セット(350円)をオーダー、精算を済ませ流し素麺の場所へ向かいました。私は受付が一番だったので1番に案内されました。

天井の照明もいい感じです。

次の方は一つ空けて3番です。今日は私とこのお二人だけのようです。

麺汁、お茶、薬味はセルフサービスなので窓際に置いてある竹の器に入った麺汁取に行きます。

脇にゴマやワサビ、一味などの薬味が置かれています。

席に座ります。しばらくするとスタッフの方がザルを持ってこられセットされました。

そして今回オーダーした、流し素麺のネギ、ミョウガ、生姜の薬味と呉汁セットが出てきました。

麺汁にネギ、ミョウガを入れます。私はワサビ派なので生姜は使用しません。

しかし、おにぎりは大きいです。呉汁は大豆と味噌が合わさりより深い香りを感じ、ふわっとした口当たりの後、少し粒々感がコクとともに舌に残る感じで、とても美味しくおにぎりとともに一気にいただいてしまいました。

おにぎりを食べ終わると竹に水が流れ始めました。取り損ねた素麺はこのザルに溜まるようです。

チョロチョロと素麺が流れてきました。

しっかりと箸で受け止めます。

いただきま~す!

そこそこの量の素麺が流れてきます。

プチトマトが流れてきて、しばらくすると水が止まりました。プチトマトは終わりを知らせるものだったようです。

半分近く取り損ねた素麺がザルに溜まっていました。その素麺もすべていただき、お腹も大満足です。

ごちそうさまでした! とても美味しくいただくことが出来ました。喫煙所で食後のタバコタイムです。見ていると私たちが出た後に客が次々に来れ始めました。

タバコを吸い終え、150m程先にある横野二の滝に歩いて行ってみます。渓流沿いの遊歩道を進みます。

途中「吉井川源流の碑」をいう木製の碑がありました。この碑は地元の小学生たちが実行委員会の方々と一緒に作られたそうです。

コンクリート舗装されている遊歩道は歩きやすく、気持ちいい木漏れ日の中を進みます。

横尾二の滝に到着しました。この滝は落差が15m程で、脇に竜神社があり古くから雨乞い行事が行われたり、眼病にも霊験あらたかな滝だそうです。

もみじ亭まで戻ってきました。これから700m程先にある横尾三の滝に向かいます。

舗装された県道を上って行きます。500m程進むと小さな案内板がありました。横尾三の滝はここを左折するようです。

軽四がやっと通れるような細い未舗装の道を150m程進むと木の陰に滝が見えてきました。

この場所は海抜580m、もみじ亭から100m程高い場所になります。ここからはバイク置いて歩いて進みます。

尾三の滝です。この滝は落差が36m程、滝は三段に別れ、それぞれに滝壺があるようです。心地よい滝のしぶきが顔に当たり超きもちいぃ~ 森林浴で心も体もリフレッシュ! ここまで来るとさらに涼しく感じ、帰るのが嫌になりそうです。しかしそうは言ってられず帰路に就くことにします。

帰り道、もみじ亭の500m程下流にある横野一の滝に立寄りました。この滝は落差が8mと少し小振りで、滝壺へ下りる道もわからす、県道から眺めましたが木々の影になりよく見えませんでした。

広域農道の作州街道の交差点まで戻ってきました。ここまで下っただけで暑さ襲ってきます。帰路では作州街道を西に走り旧久米郡久米町(現津山市)から国道429号線を走る予定でしたが、来る際に自宅から津山まで休憩時間を除くと1時間半程で着いていたようで時間的にはかなり早いコースのようなので同じコースで帰ってみることにしました。

国道53号線の城代橋交差点まで戻ってきました。直進し県道26号線を走ります。

津山市横山と小桁の堺付近にある広域農道やまなみ街道の交差点です。当初はやまなみ街道を走ることも考えましたが、友人が前回訪れた際に一部区間が工事のため通行止になっていたとの話を聞いていたので今回は見送りました。県道26号線を直進します。

高下交差点に出てきました。国道374号線を岡山備前方面へ右折し吉井川に架かる周匝橋を渡ると美作国久米郡美咲町から、備前国赤磐市に入ります。

周匝市街地を抜け、赤磐市福田の交差点で国道374号線と別れ国道484号線へ右折、少し進み吉井ICから美作岡山道に入ります。

山陽道との接続工事が行われている瀬戸JCTの横を抜け瀬戸ICから一般道に流出しました。

瀬戸ICの少し南にある交差点を左折し県道96号線(岡山赤穂線)へ入ります。いつもはこの交差点を右折し瀬戸市街地を抜けますが、今回は違うコースを走ってみることにしました。

県道96号線を数百メートル進むと県道252号線(万富吉井線)の交差点があり、この交差点を右折し国道2号線に向かいます。右折し山陽線の高架橋を渡りキリンビール岡山工場の脇を通過します。ビールが飲みたい!

県道252号線を7~8分走ると吉井川に架かる国道2号線備前大橋が見えて来ました。吉井交差点を右折し国道2号線に入ります。

1.5km程進むと国道2号線は岡山バイパスの高架に入り広島、福山、倉敷方面に向かいます。側道に入ると国道250号線(旧国道2号線)に変わり岡山市街地中心部に向かいます。岡山バイパスは自専道で信号機もなく車の流れも早いのでとても便利です。

15時頃無事帰宅しました。津山市の城代橋交差点から自宅まで1時間35分と今までの自宅から津山までの最短記録です。このコースだと国道30号線から国道53号で岡山市街地の中心部を抜けたり、国道429号線などで市街地を迂回するよりも時間的にははるかに早いようです。

今夜のビールの肴は今日購入した食肉石本商店の干し肉です。斜めに1~2cmに切り分けプライパンで焼き、最後に醤油をかけて出来上がりです。

美味い! 半分焼きましたが妻や息子も美味し美味しいと食べて一気に無くなってしまいました。全部焼けばよかったようです……

今日は天候にも恵まれ最高のツーリングでした。今回久しぶりに訪れた「柵原ふれあい鉱山公園」や「津山まなびの鉄道館」では懐かしい列車を楽しんだり、もみじ亭でいただいた流し素麺や呉汁はとても美味しく、横尾滝は市街地に比べとても涼しく絶好の避暑地感を味わうことが出来ました。今の季節もさることながら、春の新緑や秋の紅葉、冬には雪景色と四季それぞれに楽しむことが出来そうな場所でした。また機会を作って出掛けてみたいと思います。今度は焼肉もいいかな!

 

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龍泉寺のサギソウ 2022

 暑い日が続いていますが、そろそろサギソウが見頃ではないかと思い、北区下足守にある龍泉寺にバイクでツーリングがてら出掛けてみることにしました。

途中、山陽線庭瀬駅近くの踏切で止まっていると最近目にしなくなった国鉄色の特急やくもが通過していきました。

国道429号線を北上し下足守の交差点を右折、山道を岡山空港方面へ3km程上ると右手に「最上本山 御滝 龍泉寺入口」の案内板があり右折するとすぐに鳥居があります。

鳥居を潜り社務所の前を通過し駐車場にバイクを置き、歩いてサギソウ湿地に向かいます。

サギソウ湿地の案内板に沿って進みます。龍泉寺の境内は県立自然公園にもなっているようです。

散策路沿いには紅葉が植えられていて、紅葉シーズンには綺麗な紅葉が楽しめそうです。

色付き始めた紅葉もあるようです。

サギソウ湿地が見えてきました。

散策路から見えるサギソウ湿地です。湿地内には木道が整備されていていますが、木道以外の湿地には「立入禁止 マムシ注意」の注意喚起看板が設置されています。

入口には木製ベンチが設置されていました。

木道のすぐ脇にも沢山のサギソウが咲いています。サギソウは夏の季語にあげられるほど昔から身近な植物で、日本固有種のランの一種です。

木道でサギソウに見入る方がおられました。

少しアップで撮影してみます。

スラリと伸びた茎の先端に小さいながらインパクトのある花を付けています。

その姿は名の如く、白鷺が羽を広げて飛んでいるようにも見えます。

茎丈は30cm程で、細い茎の先端に2~3cm程の数輪の白い花を付けています。

サギソウは球根性のラン科の植物で、サギランとも呼ばれているそうです。

広く本州や四国、九州などの低地の湿地に自生していたようですが……

近年では湿地などの開発により数が減少し、環境省レッドリストでは準絶滅危惧種に、岡山県では絶滅危惧Ⅱ類に指定されているそうです。

縦アングルで撮影してみました。

兵庫県姫路市には昔サギソウの自生する湿原があったと聞いたことがありますが、姫路城が白鷺城の別名をもつことから市花にも選定されているそうです。サギソウをしっかりと楽しめたので竜王池に向かいます。

竜王池の湖畔に降りてタバコを吸いながら少し休憩です。

休憩を終え竜王池の堤防を歩き本堂へ参拝に向かいます。堤防からは竜王池の先に八大龍王の鳥居などが見えています。

本堂横に出てきました。拝殿脇にも紅葉があり、秋には綺麗な紅葉が楽しめそうです。

拝殿で参拝しました。参拝の仕方は「神仏習合」の寺社なので「二拝二拍手一拝」でも「合掌一礼」どちらでも構わないそうです。薬瓦の鬼瓦や棟飾り瓦は珍しいそうです。

かなり細やかな細工が施されています。

見事な棟飾りです。

少し下がった場所に滝修行が行われる「最上の滝」があります。この場所は独特な雰囲気で、荘厳的な空気さえ感じます。

社務所付近まで戻ってきました。「ユルギ岩」です。3000貫(約11t)もある大岩が指一本で動くそうですが……

鏡餅のような「ユルギ岩」です。聞いた話によると最上段の岩が動く岩だそうですが、私が押しても全く動きませんでした。

「太閤腰掛岩」です。この岩は1582年(天正10年)の備中高松城攻めの際、龍王山に本陣を置いた羽柴秀吉が付近の山域を見分の際に腰掛けたと伝わっているそうです。

座り心地は良いようには思いませんが、どうな気持ちで座ったのでしょうか。

駐車場まで戻ると年配の女性から「睡蓮を見られましたか」と声かけいただきました。私は睡蓮のことは知らなかったので詳しく伺うと、駐車場の奥の池に沢山咲いているそうなので行ってみることにします。

池は沢山の睡蓮で覆われていました。

咲いている睡蓮は少ないようですが、近くの睡蓮を撮影しました。

赤い睡蓮……

白い睡蓮……

睡蓮もしっかりと楽しむことができたので、以前から気になっていた総社市役所の近くにある「つけそば屋 やまいも」に昼食に向かおうと思いましたが、朝食を食べすぎたためか運動量が少なすぎたためなのか、まだお腹が空いていません。今回は諦めまた機会を作って食べに出掛けることにして帰路に就くことにしました。今日もかなり暑かったので帰宅後エアコンの効いた部屋でコーヒーを飲みながら写真の整理をしながらゆっくりしたいと思います。


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