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ラーメン三昧とウシオチョコラトル

※2月23日自宅で尾道ラーメンを追記しました。

 

先日勤務が同じだった友人と話をしていて、友人が尾道に赴任中にとても美味しくて頻繁に通っていたという福山市にある味仙の台湾ラーメンの話題になり、食べに行こうという話になりました。しかし開店時間が18時からだそうで、当初日勤明けの夕食に食べに行こうという話になりましたが勤務シフトがなかなか合わず、休みが合った今日昼食に尾道ラーメンをいただき、夕食に味仙で台湾ラーメンをいただくことになりました。昼食後から夕食までは尾道ラーメンの製麺所で麺やスープ、向島のミカンを購入したり、今話題の向島にあるウシオチョコラトルのチョコレート工場に立寄る予定です。

11時に職場の駐車場で待ち合わせ、国道2号線から玉島笠岡道、寄島を経由し尾道市に向かいます。

 

福山市街地を抜け国道2号線から赤坂、松永バイパスを走り福山西ICを通過します。

 

松永ICで流出し旧国道の2号線をしばらく進むと尾道市に入ります。さらに少し進むと今日昼食をいただく尾道ラーメンいっぽん(尾道市高須)に到着しました。

が……

何と、臨時休業だったようです。

このラーメン店は別の職場の友人お勧めで、味噌仕立ての尾道ラーメンがいただけるそうなので楽しみにしていたのにとても残念でした。仕方がないのでまた改めていただくことにします。

友人が近くにもう一軒美味しい尾道ラーメンの店があるというのでそちらに向かうことにしました。

 

尾道ラーメンいっぽんから500mほど進むと、中華萬来軒(尾道市高須)に到着しました。

 

広い店内です。今は昼時間を過ぎているので少ないようですが、昼食の時間帯には平日でも行列ができているそうです。

 

以前友人が通っていたころは沢山のメニューがあったそうですが、メニューの品数が激減しているようです。ここのチャーハンもとても美味しいそうですが、夕食に備え今回は大盛も控えラーメン(尾道ラーメン)だけにします。

 

友人がオーダーしたラーメン(680円)です。食べる前に撮影させてもらいました。

大きなチャーシュー一枚、シナチク、ネギ、背脂もしっかりと入っています。

 

私がオーダーしたチャーシュー麺(930円)です。大きなチャーシューが三枚入っていました。

いただきま~す!

 

チャーシューは薄めのものですが、程よく脂身がありしっとりとしていて私好みです。

 

ゴワゴワの平打縮れ麺は濃い味の醤油スープに背脂が旨味を一層引き立て、尾道ラーメン特有の味わいを醸し出していていい感じです。

 

尾道ラーメンと言えば、やはりこの背脂! とても美味しい尾道ラーメンをしっかりといただくことができました。ごちそうさまでした。

この後、尾道製麺所はせべに向かいます。

 

中華萬来軒から30分ほどではせべ(尾道市古浜町)に到着しました。はせべの麺は尾道ラーメンの多くの店舗で使用されているそうで、ある意味尾道ラーメンの陰の立役者といっても過言ではないと思います。

 

そんな尾道ラーメンの麺やスープなどが購入できるそうで、友人は尾道に在任中はよく訪れて購入していたそうです。

 

店内に入ると、数種類の麺やスープ、豚ミンチ、メンマ、チャーシューなどが並べられていました。

 

麺はこの5種類があるようです。今回私は尾道ラーメン店でよく使用されている平打ち麺の白平とストレート麺の黄細麺(100円)、スープ醤油味(49円)と豚ミンチ(59円)8玉分、それに小袋の味付メンマ(378円)1袋を購入しました。

この後尾道大橋を渡り、尾道市街地の対岸にある向島に向かいます。

 

尾道市街地を抜け尾道大橋を渡ります。右に見えている橋梁はしまなみ海道新尾道大橋になります。

ちなみに、吊橋は通常中央部が高くなるよう設計されていて、この尾道大橋も例外ではありませんが、しまなみ海道新尾道大橋は中央部が低くなるように設計されています。この構造は非常に珍しいもので、すぐ近くに並行する二橋が並ぶため風の影響を最も低く抑えられるように一番影響の出る中央部の高さを合わすためのものです。

 

向東の交差点までやってきました。以前は三差路交差点でしたが、立花方面へのバイパスが開通したようで直進できるようになっていました。

 

県道376号線から別れ対向もままならないような細い山道を上り、はせべから40分ほどでウシオチョコラトル〔USHIO CHOCOLATL〕(尾道市向島町立花)に到着しました。

ウシオチョコラトルは尾道市街地の対岸にある向島の南側、山の中腹にある立花自然活用村の施設内2階にあるローカルチョコレートメーカーです。

 

建物の裏に駐車場があるそうなので、駐車場に車を置き裏口から施設内に入りました。ウシオチョコラトルは2階のようです。

 

2階に上がり、店内に入ります。

 

店内に入るとメニュー表が置かれていますが、何か様子がおかしい……

スタッフの方から、今日は定休日なので飲食はできませんが、チョコレートであれば販売できますよと声かけいただきました。

 

店内奥に置かれていたショーケースの照明を入れてくださいました。数種類のチョコレートが並べられていて、パッケージもアート作品のような感じです。チョコレートはカカオ豆と砂糖のみのシンプルなモノを中心に製造されているそうです。

しかし、値段を見るとチョコレートとしては少し値が張る感じがします。

 

チョコレート好きの妻の土産に今回奮発し購入しようとスタッフの方にお勧めを伺うと、このネクストミルク(1,404円)を勧められました。しかし、少し変わった六角形をしています。

ウシオチョコラトルのオリジナルミルクチョコレートの一つだそうです。牛乳を使わずカシューナッツをカカオと合わせたマイルドでフルーティなものだそうで、他では味わうことのできないチョコレートのようです。

 

気になったものがありスタッフの方に伺うと、クラックヒップカカオ〔Crack Hip Cacao〕(864円)というそうです。

カカオニブに砂糖をまぶしたもので、そのまま食べても、アイスクリームにかけたり、 サラダやラペにちょいがけするなどと利用できるようです。

 

店内には手作り雑貨なども販売されていました。

 

地元の若手作家のアート作品なども飾られています。

妻への土産も購入することができたので、スタッフの方にお礼を言って外に出てみます。

 

玄関前にやってきました。入口にはベンチが並べられています。

 

そのベンチの先には、素晴らしい展望が開けています。

 

大島石の石柱に平山郁夫が描かれた絵が陶板に焼き付けられ設置されていました。平山郁夫広島県尾道市瀬戸田町の出身だそうで、しまなみ海道の開通を記念してしまなみ海道五十三次と題して描かれたようで、この場所は平山郁夫が描かれた60点の水彩画作品のポイントの一つだそうです。

この後山を下り、向島のミカンの購入に向かいます。ナビはそのまま進み県道376号線へ案内しています。友人はこの先はさらに狭くなるので引き返した方がいいかもしれないとアドバイスをしてくれましたが、県道までの距離も500m足らずと短くナビが案内しているので大丈夫と言ってそのまま進むことにしました。

しかし、極端に狭い道で対向どころかカーブ毎にコーナーセンサーのアラームが鳴り続けていました。アドバイスを聞いておけばと反省しましたが仕方ありません……

 

何とか極細の道を下り県道376号線に出て向島環状道路の県道377号線を走っているとしまなみ海道因島大橋が見えてきました。

 

少し進み向島ICに向かう国道317号線交差点先にある山一楠青果(尾道市向島町)に到着しました。

シーズン中に尾道へ来た際は必ず立寄る青果卸店です。倉庫内では選別がおこなわれ箱詰めされていますが、規格外品をネット売りされています。当然ネット売りの他、箱詰めされた商品も販売されています。ミカンの極早生から季節を追って順次品種が変わり、新品種のものも手に入ることがあります。スタッフの方に今は何がお勧めか伺うと、今日のお勧め品を教えてくださいます。

昔訪れた際、新しく出た新品種だと紅マドンナを勧められ安く購入した記憶がありますが、その後人気が高まったこともあり、紅マドンナはかなり高価なものとなってしまいました。

 

今回のお勧めは、たまみという品種です。たまみは小粒ながら糖度が高くジューシーで濃厚、オレンジのような香りだそうですが、種子があるのが難点のようです。

 

もう一品は、はるかです。果皮が黄色くゴツゴツとしていて尻部のリング状のくぼみが特徴だそうです。一見見た見た目も悪く酸っぱそうに見えますが、香りがよく糖度も高く、さわやかな風味のようです。このはるみにも種子があるそうで、尻部のリング状のくぼみを目安に縦に切ると食べやすいとのアドバイスをいただきました。最後の一袋をGETします。

 

もう一品はオーソドックスにネーブルを購入しました。

しっかりとミカンを購入したので出発します。


向島港近くにある住田製パン所(尾道市向島)にやってきました。

目的は、後藤鉱泉所のサイダーをいただくためです。本来なら直接後藤鉱泉所でいただけばいいのですが、あいにく今日は定休日のためこちらでいただくことにしました。

 

店内に入ると後藤鉱泉所のサイダーとラムネが置かれていました。サイダーの瓶のラベルが少し汚れているのは見本用に展示されているからだそうです。

 

置かれていた見本の後藤鉱泉所のサイダーと現在のサイダーです。右が昔から使用されている瓶に入れられたもので、飲み終えた後瓶は返却しなくてはなりません。左側のものが新たに作られた瓶に入れられたものだそうで、瓶ごと持ち帰りができるようです。

昔の瓶をよく見ると三ツ矢サイダーの瓶に後藤鉱泉所のサイダーのラベルが貼られています。店主の方の説明によれば、1972年(昭和47年)頃から三ツ矢サイダーが瓶形状を変更したことに伴い廃棄処分予定だったものを入手し使用されているそうです。瓶の処分費用はかなり高額になりますが再利用されることで需要と供給がうまく嚙み合い、お互いウインウインの関係だったようです。

 

私はラムネの瓶が懐かしく思い、せっかくならとラムネをいただきました。あんパンとメロンパンはパン好きの妻と息子への土産用に購入しました。ラムネが300円、パンはそれぞれ250円でした。

ちなみに、ラムネとサイダーの違いは入れられている容器の違いだけで、中の飲料水は同じものが入っています。ただ厳密に言えば、発売当時はサイダーはりんご風味、ラムネはレモン風味だったようで、サイダーの方が高級品だと言われていたようです。

しかし懐かしいラムネ、子どもの頃瓶の中のビー玉が欲しくてよく割って取り出していましたが、普通のビー玉より少し小振りだったように記憶しています。

懐かしいラムネをいただき土産用のパンも購入できたので先に進みます。

 

住田製パン所の少し先、向島港脇にあるバス停の待合所です。この建物は1995年に公開された大林宣彦監督の映画「あした」の呼子浜待合所として作られたセットで、撮影後移築され現在では市営バスの待合所として利用されているようです。

 

呼子浜港と書かれた浮き輪や号鐘がそのまま残されていました。

少し早いですが、台湾ラーメンをいただきに福山の味仙に向かうことにしました。

 

途中福山西IC近くにある今津PAで時間調整しましたが、渋滞もなく17時過ぎには福山の味仙に到着しました。時間もまだかなり早いので、すぐ前にある福山バラ公園に行ってみようと友人を誘いましたが、雨も降っていることもあり車の中で待っているそうなので一人で散策します。

 

バラ公園は現在改装工事中で、今年の3月末に完成予定のようでした。この公園は1956年(昭和31年)、付近の住民の方々が約1,000本のバラの苗を植付けたのが始まりのようで、今では5,000本以上のバラが植えられているそうです。

 

17時50分頃、照明が点いたようなので店舗にやってきました。少し時間が早いですが、快く入店させてくださいました。

 

今日の一番のりです。友人とカウンターに座ります。

 

カウンターに貼られているメニュー表です。

友人のお勧めは、台湾ラーメン、こぶくろ、カエルです。

カエルも食べてみたかったのですが、台湾ラーメンをしっかりと味わうため、さすがにカエルまでは入りそうにありません……

結局、台湾ラーメンの大盛とコブクロをオーダーすることにしました。

 

こぶくろが出てきました。こぶくろとは豚などの子宮の部位でホルモンの一種だそうです。漢字では小袋と書き、子どもを育む子宮が名前の由来のようです。

 

醤油味で仄かなニンニクの風味と唐辛子の辛さを感じます。ボイルして切った小さめのコブクロと多めの白ネギがいい感じにハーモニーを奏でていて酒の肴にはうってつけのように思いました。

 

少し赤味の帯びたスープの台湾ラーメンが出てきました。挽肉の上に赤い唐辛子がド~ンと乗っていて、ニラ、モヤシ、ネギなどが脇を固めています。

まずはスープの味見から……

いい感じの辛さ!

期待通りの辛みと酸味がとても心地よく感じられます。

 

ストレートの麺は少し硬めに茹で上げられています。ちなみに、この麺は今日伺ったはせべの麺だそうです。

 

レンゲで挽肉をすくうと、唐辛子が潜んでいました。沢山の唐辛子が入っているようです。口に運ぶと脂の旨みと甘み、そして唐辛子との美味しいハーモニーが楽しめました。

私は頭に汗をかきながらスープまですべて完食、お腹も大満足ですが……

何と友人は、久しぶりの台湾ラーメンは旨いといいながら、一杯目を完食後さらに大盛の二杯目を追加していました。さすがの私でも大盛二杯はとても食べきれません。

 

帰宅後ビールの肴にこぶくろの持ち帰りを一人前オーダーすると、友人は二人前をオーダーしていました。私は只々友人の胃袋に感心するばかりです。

 

中華料理味仙の台湾ラーメンは挽肉とニラがたっぷり入った辛いスープに麺が見事にマッチしていて嵌まってしまう美味しさでした。ただ妻も息子も辛い物が超苦手なので一緒に食べに来ることはできないのが残念です。

台湾料理味仙は創業が1987年(昭和62年)の老舗で、18時から深夜1時までの夜のみ営業されている大衆的な店のようですが、2013年(平成25年)の広島ミシュランガイド特別編のミシュランプレート(調査員のオススメ)を獲得されているようです。

さすがに旨いはずです。ごちそうさまでした!

この後友人を職場の駐車場まで送り、20時半頃帰宅しました。

 

帰宅後早々に土産物を広げました。ウシオチョコラトルで購入したチョコレートです。

 

妻と息子への土産の住田製パン所のパンです。

 

はぜべの麺とスープ、油ミンチ、メンマです。

さすがに今日のことにはなりませんが、後日また尾道ラーメンを家族で楽しみたいと思います。

 

山一楠青果で購入したミカンです。

 

ネットから取り出し、少し籠に盛って置いておきます。

 

妻が一番に取ったのはウシオチョコラトルで購入したネクストミルクです。ベトナム産のカカオ豆の他に砂糖、カシューナッツカカオバターが使用されているようです。

 

妻がネクストミルクの包装を開きました。私も少し味見をさせてもらいましたが、カカオの風味が感じられるマイルドでフルーティな感じがしました。ウシオチョコラトルのチョコレートは添加物がないそうで、カカオ豆と砂糖だけというシンプルさゆえの味わいなのでしょうか。

 

クラックヒップカカオも少し味見をさせてもらいました。元々カカオニブ自体は甘みは一切ないそうですが、砂糖をまぶし甘さを調整されているものの、チョコレート自体の風味や苦み、酸味などが感じられナッツのような香ばしさとカリッとした食感を感じ、とても美味しくいただきました。妻もこちらのチョコレートの方が美味しいと言っていました。

 

今夜のビールの肴は、こぶくろです。ニンニクの仄かな風味と唐辛子の辛さ、こぶくろの癖のない美味しさで、ついついビールがすすんでしまいました。

今日はしっかりとラーメンをいただき大満足の一日でした。また機会を作ってラーメンツアーをしてみたいと思います。

 

 

※2月23日自宅で尾道ラーメンを追記しました。

 

先日、はせべで購入した麺を使い尾道ラーメンを作り、家族でいただくことにしました。
作り方を記されたものを同封していただいているので、その手順で作ります。

スープ1袋あたり300ccなので、鍋に4玉分の1,200ccの湯を沸かし、醤油スープと脂ミンチを加えてスープを作りました。しかし脂ミンチは私が思っていた背脂とは別物のようで、背脂は全くなく少し残念な思いがしました。
麺の茹で時間は30~60秒となっています。30秒では足りないと思い60秒、しっかりと湯切りし器に移し事前に用意していたものをトッピングします。

 

まずは尾道ラーメンで多く使用されている平打ち麺の白平です。
トッピングは麺と一緒に購入したシナチクや妻が即席で作った味玉、チャーシュー、モヤシ、ネギです。

 

尾道ラーメンで代表的な朱華園でも使用されていたものと同じ平打ち麺です。モチモチ感はありますが少し柔らかい感じがしました。茹ですぎだったのでしょうか……
スープは見た目の濃さとは裏腹にあっさりとした感じで、まさに尾道ラーメンの味ですが、背脂が全くないのは少し寂しい気がします。

 

もう一品はストレート麺の黄細で作りました。今回は茹で時間を30秒にしてみました。

 

黄細はラーメン店でよく見かけるオーソドックスな黄色いストレート麺です。しっかりとコシを感じ、いい感じでとても美味しくいただくことができました。

息子や母は平打ち麺の白平の方が美味しいと言い、私と妻はストレート麺の黄細の方が美味しく感じました。

自宅でも美味しい尾道ラーメンをいただくことができ大満足でした。

 

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親子で津山へツーリング

最近バイクに乗っていない私ですが、息子は通勤や普段からチョコチョコのっているようです。今週から2月とは思えないほど気温が上がるようで、今日日中は10℃を超えそうです。息子も休みだったので津山でホルモンうどんをいただいて、今夜の酒の肴に干し肉を購入しがてらプチツーリングに出掛けることにしました。

 

国道2号線を走り備前大橋から県道252号線を経由し、岡山美作道の瀬戸ICに出てきました。

 

途中、旧片上鉄道の吉ケ原駅跡などのある柵原ふれあい鉱山公園(久米郡美咲町吉ケ原)に立寄り休憩です。トンガリ屋根のこの駅舎跡は登録有形文化財に指定されている貴重な建物です。

 

駅構内の様子です。客車のホハフ2003や気動車のキハ702、左奥には貨車も見えています。

 

ホームにやってきました。駅名標とキハ702気動車(旧国鉄のキハ42000形)、手前の客車はホハフ2003です。

 

公園内には1955年(昭和30年)頃の鉱山の様子や人々の暮らしの様子を見ることができる柵原鉱山資料館もあります。

 

鉱石採掘の材料の揚げ降ろしや人員の昇降をしていた竪坑櫓が再現されています。高さは12mと実際のものの約半分のレプリカです。

 

吉ケ原駅跡の少し北にある黄福柵原駅にやってきました。ホームにはDD13-15号機ディーゼル機関車、キハ303やキハ312気動車が並んでいます。

 

キハ312は劣化が激しいようで、塗装もかなり色褪せています。所々にパテ補修の跡が見られるので、これから修復作業が行われるのかも知れません。

バイクに戻り先に進みます。

 

柵原ふれあい鉱山公園から30分程で、今日昼食をいただく橋野食堂(津山市川崎)に到着しました。

 

メニュー表には「当店一押し!! コラーゲンたっぷりホルモンうどん」と謳われています。

 

裏面には沢山のメニューが並んでいますが、ホルモンうどんなどはよく分かるように赤い印字がされていました。

息子はホルモンうどん1玉(870円)、私はホルモンうどん激辛2玉(970円)をオーダーしました。

 

美味しそうに焼き上がっています。

 

オーダーから7分程で出来上がりました。唐辛子いっぱいのホルモンうどん激辛です。

いただきま~す!

 

このコラーゲンいっぱいのプリプリホルモンがたまりません!

 

しっかりと唐辛子の効いた麺で頭から汗が吹き出しそうです。

久しぶりの橋野食堂のホルモンうどん、とても美味しくいただきました。ごちそうさまでした。

 

この後、干し肉の購入に石本商店に向かいます。

 

橋野食堂から5分程で石本商店(津山市横山)に到着しました。

 

今回は630gのものを購入しました。

酒の肴も購入できたので、帰路に就きます。帰りはバイクを交換し、私がフォルッアZに乗ることにします。

石本商店からノンストップで1時間半ほどで帰宅しました。今回は息子と二人でのツーリングでしたが気温も10℃以上あったようで、とても気持ちいいいツーリングを久しぶりに楽しむことができました。

 

夕食に購入した干し肉を炒めいただきます。

久しぶりに美味しい干し肉をいただき、ついついビールがすすんでしまいました。たまには息子と二人ツーリングを楽しむのもいいものです。



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竹久夢二も愛した室津散策

妻と休みが合った振り替え休日の今日、以前から気になっていた兵庫県たつの市御津町室津にある室津港の町並みを散策してみようと思い出掛けることにしました。室津竹久夢二も愛した港町で、日本遺産にも認定されている港町です。昼食は室津にある道の駅みつで美味しい海鮮料理をいただく予定です。

 

10時過ぎに自宅を出発、2号線からブルーラインを経由し、備前で再び2号線に乗換えJR竜野駅近くから南に下り、国道250号線沿いにある道の駅みつにやってきました。散策前に腹ごしらえをしておきます。

が……

 

何と駐車場が満車です。少し先にある臨時駐車場もほぼ満車状態だったので、先に室津の町並みを散策し昼食のピーク時間を避けることにしました。

 

室津港に到着しました。駐車場には海駅のまち室津という観光案内板が設置されていたので、一読し散策を始めます。

 

番所跡公園には、大阪城の石や入港した北前船が係留する際に船を繋いだ、もやい石などが展示されていました。

 

今では牡蠣養殖を主体にした漁師町として栄えているようです。

 

町中を散策していると、本陣肥前屋跡の石碑がありました。

 

脇道の徳乗寺参道の先に山門が見えていました。

 

たつの市の出張所などがある室津センターです。館内にはみなと茶屋という喫茶もあり、軽食などもいただけるようです。

 

この場所は姫路藩御茶屋跡のようです。この御茶屋朝鮮通信使が来日された際、宿として使用され姫路藩によりもてなしがおこなわれていたようです。

 

少し進むと、また本陣跡がありました。本陣越前屋跡のようです。

 

さらに進むと、虫篭窓を備えた風格ある建物が見えてきました。たつの市室津民俗館のようで、室津が海の宿駅として繁栄していた時代の数少ない建物の一つだそうです。入館料は200円ですが、海駅館との共通券が300円だそうなので、共通券を購入し入館しました。

 

この建物は屋号を魚屋といい、江戸時代に名字帯刀を許された豊野家住宅です。豊野家は姫路藩の御用達を務めた豪商で脇本陣も兼ねていたそうです。

 

押し入れの中に布団ダンスが収められていました。このタンスの扉は欅の木目が左右一対の一枚板が使用されているそうです。

 

藩札が並べられています。

 

隠し階段の箱階段を上ります。

 

二階に上がってきました。

 

登城に使用された籠が展示されていました。

 

八朔雛人形という雛人形が展示されています。八朔とは八月朔日の略で旧暦の8月1日のことを指すようです。

戦国時代の1566年(永禄9年)1月、室山城主浦上政宗二男清宗黒田官兵衛の妹が嫁ぎ婚姻をあげた日の夜、対立関係にあった龍野城赤松政秀に急襲され、花嫁も奮戦したようですが討ち死にされたそうです。このことから室津地域では花嫁の鎮魂のために、雛祭りを延期し8月におこなうようになったようです。

 

今でいうオママゴトセットのようなものでしょうか、雛遊び道具が展示されていました。

 

革細工の作業場がありました。室津は日本最大といわれた、なめし革産地の姫路藩の飛び地であったことで革細工が始まり、参勤交代で立寄った西国大名などの土産として人気が高まったようです。また、1826年(文政9年)にこの地に立寄ったシーボルトは革文庫と煙草入れを作ったそうです。

 

革細工に使用する道具も展示されていました。

 

スタッフの方から庭の梅が咲いていますよと伺ったので台所を抜け庭に向かいます。

 

庭側から見た魚屋こと豊野家住宅です。

 

紅梅が綺麗に咲いています。

 

白梅と豊野家住宅です。白梅はまだ少し早いようでした。

外に出て先に進みます。

 

またまた本陣跡がありました。本陣紀伊国屋跡のようです。通常本陣は一つの宿場に一つ、多くても二つと言われていますが、室津には沢山の本陣があったようです。

 

狭い昔ながらの道をさらに進みます。

室津漁港の町並みを散策していると、何故か懐かしさというか郷愁のようなものを感じました。

 

たつの市室津海駅館に到着しました。屋号が嶋屋という廻船問屋で脇本陣を兼ねていた豪商の住宅のようです。室津が海の宿駅として繁栄していた時代の数少ない建物の一つだそうです。共通券で入館します。

 

入口脇には弁財船の1/10模型が展示されていました。

 

一階の平面図です。しかし広い屋敷で、まさにニシン御殿です。

 

東海道五十三次で有名な安藤広重が1858年(安政5年)に山海見立相撲という作品集のなかで室津を描いた作品です。広重はこの作品のほか日本湊尽 諸国名所百景でも室津を描かれていて、当時の海上交通の要地であったことが伺えます。

 

廻船問屋であった嶋屋は、このニシンで巨大な富を築いたそうです。一番奥がニシン干しの様子で、ニシンからエラと内臓を取り出して2~3日干し、身を裂いてさらに2週間ほど干して身の部分を切り離すそうです。左が羽鰊で、身を切り離した後、魚肥として各地に送り出されていたようです。右のニシンは身欠鰊というそうで、この部分は食用として送り出していたようです。

 

本陣肥後屋に飾られていた欄間で、中央部が欠落しているものの藤をデザインされたと考えられています。

 

宿札です。関札ともいいい、本陣肥後屋で江戸期に使用されていたものだそうです。

 

18世紀中ごろの本陣と利用された大名が記されています。この室津には一津屋、肥前屋、薩摩屋、筑前屋、肥後屋、紀国屋と6軒もの本陣があったようで、全国でもとても珍しいことのようです。

 

本陣薩摩屋の大名の献立です。

 

朝鮮通信使行列の様子です。

 

1882年(天和2年)に総勢475人の朝鮮通信使が五代将軍徳川綱吉の将軍襲職を祝賀するため、7回目の来日をされた際に御茶屋で提供された料理で、藩主本田忠国が、正史、副使に出された料理七五三引替膳を再現されたものだそうです。

この料理が本膳……

 

続いて二の膳……

 

そして三の膳と超豪華な料理が続きます。

 

御菓子九種です。

まずは三品……

 

続く三品……

 

最後の三品です。

 

二階のこの部屋は天井に特徴があり、船底のような曲線を描いていることから、屋形船之間と呼ばれていたようです。

 

本陣肥後屋の模型です。

 

1764年(宝暦14年)に朝鮮通信使が来航された時の様子を描いた図屏風です。

 

この部屋は建物の中で一番格式が高く、地板や違い棚の板は入手困難と言われていた玉杢入りケヤキが使用され、床の間周りの壁仕上げは鳥の子紙貼り、天袋や地袋の襖絵は赤穂藩の御抱え絵師長安義信によるものだそうで、当時の嶋屋の繁盛ぶりが伺えます。

 

鶴をデザインした釘隠しです。

 

その部屋からの眺めです。

 

一階に降りて海側に出ます。

 

海側の出入り口です。

 

目の前には港が広がります。

 

竹久夢二が長期に渡り宿泊していた旅館を伺うと、現在の国道250号線沿いにある、きむらだったそうです。当時はまだ町中にあったそうですが、この場所に移転されたようです。


室津は港町として約1300年の歴史を持ち、奈良時代行基により港が整備され、江戸時代には海の宿場町として栄華を極めたようです。室津はロマン香る地として竹久夢二も愛した街であり、井原西鶴谷崎潤一郎司馬遼太郎平岩弓枝などの作品にも取り上げられ、描かれた室津は艶やかで時には切なく、そしてどこか懐かしさが感じられます。

車に戻り遅くなりましたが昼食に向かいます。

 

道の駅みつに到着しました。何とか駐車することはできましたが、すごい人であふれかえっていました。

食堂に行ってみると、予約ノート3ベージに名前がぎっしりと書き込まれています。おそらく1時間待っても食べることはできそうにありません。

 

仕方がないので、外にある海風でテイクアウトすることにしました。

 

私はカキコロバーガー、妻はカキフライドックにしました。

 

妻がオーダーしたカキフライドックです。

 

私がオーダーしたカキコロバーガーです。

 

海の見える階段にあるベンチでいただきました。

 

沖合には家島が望め、その手前には沢山の牡蠣筏が浮かんでいます。

 

食後のモクモクタイムです。

海岸では沢山の方々がくつろがれていました。 しかしお腹はこれだけでは少し物足らないので、自宅近くにあるジョリーパスタで牡蠣フェアをしていたのを思い出し、パスタをいただくことにしました。

出発します。

 

道の駅みつから2時間足らず、自宅近くのジョリーパスタに到着、オーダーしたのは……

妻がオーダーした黒トリフュフ香るクリームソース、ベーコンときのこ(979円)です。

 

待つこと15分足らず、私がオーダーした窯焼きチーズパスタ(1,529円)が出来上がってきました。播磨灘産牡蠣とグリルベーコンです。岡山まで帰って来て播磨灘産の牡蠣をいただくとは思いませんでしたが、もしかして室津産?

 

取り皿に取りいただきます。

それなりに美味しくいただきましたが、多少焼きが甘いように感じ少し残念でした。しかしお腹は落ち着いたので自宅に帰ります。

今回は天候にも恵まれ、以前から歩いてみたいと思っていた室津の町並みを散策することができましたが、楽しみにしていた道の駅みつでの昼食が食べれなかったのがとても残念でした。まさかこんなに人が多いとは思ってもみませんでした。しかし考えてみれば、今回は3連休の最終日だったので仕方がなかったのかも知れません。

 

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名古屋飯食べ歩き(リニア鉄道館編)

名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)に続く最終編の第四弾です。 四編全てをUPするのにかなり時間が掛かってしまいましたが、やっと全てをUPすることができました。   

前回はトヨタ博物館で自動車の歴史を辿ったり、珍しいクラシックカーや懐かしい車をしっかりと堪能し、昼食は最後の名古屋飯となる美味しいひつまぶしをいただきました。

今回は私が楽しみにしていたリニア鉄道博物館を見学し、帰路の途中、伊勢名物の伊勢うどんや来るとき食べ損ねた踊りだこもいただく予定です。

 

名古屋飯食べ歩き(犬山編)から見る

名古屋飯食べ歩き(名古屋編)から見る

名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)から見る

 

うな幸で美味しいひつまぶしをいただきお腹もご満悦です。これから名古屋瀬戸道の長久手ICから東名、名古屋ICを経由し名二環、名古屋南JCT伊勢湾岸道へと乗継ぎリニア鉄道博物館を目指します。

 

名港東大橋と名港中央大橋が見えてきました。

 

名港中央ICで流出します。


リニア鉄道館には駐車場がないようなので、近くにあった有料駐車場に車を置き、リニア鉄道館にやってきました。

 

この博物館はJR東海の施設ですがJRの駅はなく、第三セクターあおなみ線金城ふ頭駅が最寄り駅となります。

入館料1,000円を支払い館内に入ります。

 

エントランスからシンボル展示部に入ると高速鉄道技術の立役者ともいえる蒸気機関車、新幹線、超電導リニアの3車両が並んでいました。

 

つばめのヘッドマークが取り付けられたC62型17号機です。この17号機は1954年(昭和29年)東海道線木曽川橋梁で、狭軌蒸気機関車では世界最高速度の129km/hを記録した機関車です。

 

C62型蒸気機関車は、我が国最大最速の旅客用蒸気機関車で、1949年(昭和24年)に東京駅~大阪駅間を結ぶ特急へいわが登場し、その翌年に公称公募で選ばれたつばめに改称されました。その特急つばめをけん引した機関車で、電化されるまで東海道線の花型機関車として活躍していたようです。中でも京都鉄道博物館に動態保存されているC62型2号機は特急つばめをけん引した機関車として、スワローエンジェルとも呼ばれデフレクター(除煙板)につばめのマークがデザインされています。

 

蒸気溜めドームに斜めに取り付けられている汽笛。

 

運転室内です。圧力計や蒸気分配器、加減弁ハンドルやブレーキレバーなどが並んでいます。

 

新幹線955形、愛称は300Xです。1995年(平成7年)に登場したJR東海の高速試験用車両で、当初から営業運転に使用することは想定されてなかったそうです。1996年(平成8年)に米原駅 ~京都駅間で超電導リニアを除く日本国内最高速度記録の443.0km/hを記録した車両です。

 

超電導リニアの車両、MLX01-1です。この車両は山梨実験線用の車両で、2003年(平成15年)に581km/hという当時の鉄道世界最高速度記録を樹立した車両です。

先頭車両の形状は高速走行時の空力特性を考慮し、このダブルカスプ型とエアロウェッジ型、さらに空力的特性の改善を目指した超ロングノーズのMLX01-901の3種類の形状があるそうです。

 

乗降ドアは上下に開閉します。

この車両は2005年(平成17年)に開催された愛知万博愛・地球博JR東海パビリオンに展示されていたのを見た記憶があります。

 

室内の様子です。客室と超電導磁石との距離を取るため連接台車方式が採用され、台車と車体は空気バネで支持することで乗り心地の向上を図っているそうです。

 

車両展示室にやってきました。0系新幹線の前には記念撮影用の日付パネルが置かれています。

この0系21形式86号機は1971年(昭和46年)に製造された車両です。1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業に合わせて開発された初代の新幹線車両で、世界で初めて200 km/h を超える営業運転を成し遂げた車両でもあります。超高速鉄道の歴史はこの車両から始まったと言っても過言ではないと思います。ちなみに、イギリスのヨークにある国立鉄道博物館にも、世界を代表する高速列車として、日本製車両で唯一展示されているそうです。

 

0系新幹線の普通座席です。シルバーを基調にブルーを配した座席で、在来線よりも広い車幅を活かし、二人掛けと三人掛けの座席配置になっています。開業当時はリクライニング機構がなく、二人掛けの座席は転換クロスシート方式で方向転換できたものの三人掛け座席は固定されていて車両の半分は常に後ろ向きでした。山陽新幹線が岡山まで開通したころから乗車時間も長くなり乗り心地にクレームも出てきたこともあり、リクライニング機構を備えた座席に変わってきたようです。

 

この0系新幹線には食堂車(0系36形式84号機)が繋がれていました。車両後方16号車側には厨房が設けられています。

 

窓側に二人掛け、山側に四人掛けのテーブルが配されています。当初は通路とレストランルームが壁で仕切られていて、通路からは中が見えないような設計になっていましたが、食事を楽しみながら富士山が見られないというクレームが多くあったことから、1979年(昭和54年)からはこの車両のように通路側の壁面に新たに窓が取り付けられたそうです。

 

1986年(昭和61年)に製造された100系123形式1号機です。1985年(昭和60)年に国鉄で初めての二階建車両を中間に連結してデビューした車両です。先代の0系との違いは直線を強調したシャープなデザインで、二階建車両の導入とシャークノーズと呼ばれた流線型のフロント形状がスマートで特徴的な車両です。

 

100系新幹線の普通座席です。広い大きな窓で開放感を感じます。シートピッチを広げ、リクライニング角度も拡大され乗り心地がさらに向上しました。室内色がブルー系の車両もあったように記憶していますが私の勘違いでしょうか。0系の無機質な印象とは異なり、お洒落な感じがしたものです。

 

100系新幹線の二階建て車両はグリーン車と食堂車です。連結されていた100系168形式9001号機は食堂車でした。その食堂車の一階部は厨房になっています。

 

二階部分の食堂車です。通路が一階部にあるため室内は車幅一杯に広げられ、左右共四人掛け座席になり、それぞれの座席から左右の景色を眺めながら食事を楽しむことができるようになりました。

 

1990年(平成2年)に 製造された300系322形式9001号機です。1990年(平成2年)にのぞみとしてデビューした300系新幹線ですが、デビュー前の試運転時、私はたまたま岡山駅に停車していたのを始めて見て驚いた記憶があります。

のぞみという愛称は会議において、エース、きぼう、コスモ、すばる、にっぽん、ペガサス、みらいなど数多く上がった候補の中から、きぼう(希望)の大和言葉であるのぞみと決定されたそうです。

東海道山陽新幹線の車両で初めてアルミニウム合金を使用、空気抵抗低減のため低重心化され運転台周りはスカートと一体構造に設計されています。100系で培われた二階建て車の”ゆとり”がなくなり、食堂車も個室もカフェテリアもなくなってしまい、高速走行に舵を切った車両だったようです。

 

ブラウン基調のインテリアは落ち着きが感じられます。車内照明は間接照明が採用され、三人掛け座席は中央席(B席)が両サイドの座席より30mm広い460mm幅になっているそうです。

少し残念だったのが、走行中の騒音と突き上げ感などが多少気になり、あまりいい乗り心地ではなかったように記憶しています。

 

クハ381形式電車の381-1号機で、前面貫通型車両です。 曲線区間を高速で運転できる振り子式を初めて採用した特急車両で、名古屋駅長野駅を結ぶ特急しなのとして1973年(昭和48年)にデビューしたそうです。通常は車両の屋根上に設置するエアコン機器などを床下に配置することで低重心を図るなど様々な工夫がなされているようです。ヘッドマークはグリーンをベースに木曽のカラマツ林をイメージしたデザインになっています。

 

1968年(昭和43年)に製造されたキハ181形式気動車の181-1号機の特急しなのです。名古屋駅長野駅間で特急しなのとしてデビューし、最高出力500ps、最高速度120km/hを誇り、勾配区間の高速運転が可能となり、それまでの山岳路線を走る気動車特急列車のイメージを一新した車両でした。

 

181-1号機の車内です。回転クロスシートで特急形電車同様に座席と同素材のモケット張りが採用されていました。

 

52形式電車のモハ52004型です。1936年(昭和11年)から京阪神地区の急行電車に使用することを目的に製造された車両で、正面2枚目の上部窓には急行の文字が入っています。特徴ある流線形は傾斜した4枚の窓が緩やかに側面に流れ、窓柱も内側に倒されているという当時世界的に流行していた流線型が採用されたようで、台車などもスカートで綺麗に覆い隠されています。そのデザインから流電とも呼ばれていたそうで、戦前の国鉄を代表する貴重な車両のようです。

 

運転室です。乗務員用の乗降ドアは取り付けられていないようです。

 

モハ52004型の車内です。白熱灯の灯る車内にボックスシートが並んでいます。

 

1961年(昭和36年)から運行が開始された特急南紀です。この車両はキハ82形式のキハ82‐73号機で、1965年(昭和40年)に製造され国鉄色のクリーム色と赤色のラインが印象的で、腰部の羽根はスピード感を強調していて特急シンボルマークとしての風格を感じます。ヘッドマーク那智の滝と三角形の水しぶきがデザインされていて印象的でした。


1913年(大正2年)に製造された工藤式蒸気動車、ホジ6005形式蒸気動車のホジ6014号機です。動力源が蒸気機で、客室内に小さな蒸気機関車を組み込んだ構造となっている現存する唯一の蒸気動車です。

小形の蒸気機関車を作り、それを客車の一端に取り付けて走らせていたので、車体前方上部には煙突が突き出ています。この車両は現存車両が一両しかないため、以前明治村を訪れた際に見た記憶がありまが、こちらに移動され展示されていると思います。

 

蒸気機関車のボイラーの下にB型の駆動輪があります。カーブを通過する際に車体に対して機関車部分がボギー式台車のように首を振る構造だったようです。

 

運転席にあるボイラーです。さほど性能は高くなかったようですが扱い易い車両だったようです。

 

客室から見た運転室内の様子で、中央にボイラーが置かれているのが分かります。ちなみに水タンクはボイラー後方の車両下部にありますが、燃料の石炭は運転室内にスペースがないため客室内に置かれていたようです。


車両展示室を一回りしたので、次の展示室に向かいます。

 

ジオラマ展示室です。16.5mmのHOゲージで幅が約33m、奥行きが最大8mとい巨大鉄道ジオラマで、新幹線や在来線の車両が走る日本最大級の面積を誇る鉄道ジオラマだそうです。名古屋をはじめ東海道新幹線の主だった沿線風景などがリアルに再現されていて、各車両が所狭しと走行していました。

 

山間部の駅、その手前を700系新幹線が走り抜けていきます。

 

ジオラマ奥の山岳区間キハ85系ワイドビューひだが走り抜けます。

 

ジオラマ展示室を楽しんだ後は、新幹線シミュレータ室です。N700系新幹線の実物大のシミュレータで、シミュレータ体験をしない方も巨大スクリーンに映し出される走行風景を楽しむことができるようになっていました。

 

シミュレータ内部、運転室内の様子です。本物さながらのリアルな室内で、やはり電車でGO! とは違います。この新幹線や在来線のシミュレータも体験したかったのですが今回は我慢しました。

 

超伝導リニア展示室です。超伝導リニアの技術説明コーナーでは、浮上や走行の原理などを模型を使って紹介されています。

 

両側の磁石板が回転し始めると超電導リニアが浮上していく様子がよく分かりました。

 

超電導リニアが浮いたり走ったりする原理が模型を使って分かりやすく説明されています。

 

超伝導リニア展示室の一角には、時速500km/hを模擬体験できる超電導リニアの車両がありました。外観や車内は今後走行が予定される営業用の車両を模した作りになっているそうです。

乗車し走行を開始すると、ゴトゴトというタイヤの走行振動、その後150km/hほどになるとふ~っと浮上しさらに加速をはじめ、前方のスクリーンや横の窓にも景色が映し出され時速500km/hの超電導リニアの世界を模擬体験することができました。

 

二階に上がってきました。まずは喫煙スペースへモクモクタイムに向かいます。

 

モクモクタイムを終え二階のセンターデッキにやってきました。ここには新幹線の座席が並べられていて、ゆっくりと座って休憩することができます。

 

センターデッキから見た車両展示室です。

 

二階の奥の部屋には1930年(昭和5年)製造の国鉄バスの第1号車が展示されていました。
国鉄が初めてバス輸送を始めた時に使用された車両で、国内の自動車産業育成のため国産車が採用されたそうです。岡崎~多治見、高蔵寺~瀬戸記念橋間で運転されていたようで、現存する最古のバスだそうです。

外に出てきました。

1918年(大正7年)製造のケ90型蒸気機関車が展示されています。大正時代に東濃鉄道(現在のJR太多線)で活躍していた蒸気機関車で、762mmの軽便鉄道で使用されたようです。

 

このヶ90のボイラー部はカットされていて、ボイラー内部を見ることができました。

 

2005年(平成17年)に製造されたN700系新幹線も展示されています。Nはnew、nextなどの意味を持つそうです。
N700系新幹線は700系をベースに高速性、快適性、環境性、省エネルギー性をさらに高め、新幹線初の車体傾斜システムを採用した車両だそうです。展示車両は130万kmに及ぶ走行試験を行い新幹線技術の進展に大きく貢献した車両だったようです。

 

館内を一通り見て回ったので、駐車場に戻り帰路に就くことにします。

 

伊勢湾岸道の乗りました。トゥインクルの湾岸木曽川橋の左前方にはナガシマスパーランドの観覧車やジェットコースターが見えています。

 

四日市JCTです。以前走った際には新名神四日市JCT~亀山西JCTが未開通で、東名阪経由で走りましたが今回は新たに開通した新名神を走ります。

 

新名神鈴鹿PAに立寄りました。

 

フードコート内にある伊のいちでお目当ての伊勢うどん(650円)をいただきます。

 

券売機で購入し、待つこと5分足らずで出来上がりました。楽しみにしていた伊勢うどんです。

天かす、鰹節、ネギ、生玉子が乗せられています。食べ方はかま玉風にかき混ぜていただくようです。

 

濃いめの出汁醤油、それを天地返しのようにかき混ぜながら生玉子を絡ませます。いつもはコシのある讃岐うどんを食べているので、その比較が楽しみです。

いただきま~す!

 

濃い目の出汁は見た目に反し甘めの感じがしました。伊勢うどんは麺が柔らかくプヨプヨしていましたが、天かす、ネギ、鰹節、そして生玉子のコラボレーションがいい感じで、味わい深く美味しくいただくことができました。

伊勢うどんはもう少し太いものかと思っていましたが、普通の讃岐うどんとさして変わらず、正直少し茹で過ぎたかま玉とあまり変わらないような感じを受けました。

楽しみにしていた伊勢うどんも美味しくいただいたので、食後のモクモクタイム後車に戻り出発します。

 

鈴鹿PAから2時間足らず、新名神の宝塚北SAに到着しました。

 

行きがけ食べ損ねた踊りだこをいただきます。

母と息子の土産にもと8個入り1,100円のもの二つ購入し、一つは妻とフードコートでいただくことにしました。

 

大きなタコ焼きが8つ並んでいます。

 

イイダコが丸ごと一匹入っています。

 

いただきま~す!

以前舞鶴若狭道の西紀SAでいただいた際は、周りがもっとカリカリしていたように思いますが、今回のものはイマイチでした。しかし中はフワフワで、イイダコが丸ごと一匹入っていることもありイイダコの旨味を全て味わうことができました。

この後、一路自宅を目指します。

帰宅したのは20時45分、宝塚北SAでの休憩をはさみ、鈴鹿PAから4時間弱、出発から帰宅までの総走行距離は774kmでした。

明日は日勤なので、早々に入浴を終え休むことにします。

 

先日、土産に購入したみそきしめんをいただきました。

茹で時間は10~12分となっていたので10分茹でて味見、しっかりとコシがあり美味しく茹がけたようなので、説明文のとおり味噌出汁に入れ再度沸かして出来上がりました。

 

美味しそうな出来上がりです。

 

やはりきしめん、平べったい!

味噌出汁で煮込んだ分だけ柔らかくなり過ぎたようで、コシがなくなってしまいました。茹で時間をもう少し短くして、味噌出汁の煮込み時間を含めて10分ぐらいが良かったのかも知れません。

母や息子は味噌味の麵自体が苦手なようで、このきしめんの感想はイマイチのようだったので少し残念です。

 

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名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)

名古屋飯べ食べ歩き(名古屋編)に続く第三弾です。

 

前回は名古屋城を散策したり昼食には美味しいきしめん矢場とんで味噌とんかつ、夕食では山本屋総本店で味噌煮込みうどん、風来坊で手羽先唐揚げなどをいただきました。

今日は友人お勧めのトヨタ博物館を見学し、昼食は名古屋飯のひつまぶしをいただき、その後リニア鉄道館を見学する予定です。今回は名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)として纏めました。

 

名古屋飯食べ歩き(犬山編)からみる

名古屋飯食べ歩き(名古屋編)からみる

 

ホテルの朝食です。バイキングスタイルなので好みのものを選ぶことができます。

 

私の朝食はごはん……

 

妻の朝食はパンです。

 

朝食を済ませチェックアウトします。

 

駐車場まで移動し出発、名古屋駅前を抜け県道60号線でトヨタ博物館を目指します。

 

ホテルから40分程走るとトヨタ博物館の看板が見えてきました。右前方にはリニモ愛知高速交通東部丘陵線)の芸大通駅も見えています。

 

駐車場からは長久手古戦場の先に伊吹山が見えていました。

 

駐車場に車を置き、トヨタ博物館長久手市横道)の玄関までやってきました。

友人お勧めの博物館です。このトヨタ博物館は、世界の自動車とクルマ文化の歴史などを知ることのできる博物館だそうです。トヨタ自動車の創立50周年記念事業の一つとして1989年4月にオープンしたそうで、自動車の誕生から現代までの歴史が実際の車を見ることで、より理解が深められるよう、日、米、欧の代表的な車両約140台を展示されてされているそうです。

 

 玄関脇には1963年式のボンネットバスFB80型が展示されていました。

チケットを購入し入館します。一人1,200円ですがJAF会員なので一人1,000円で購入できました。

 

トヨタ博物館に入館し最初に目に入ったのが1968年(昭和43年)式アルファ ロメオ1600スパイダーです。今年の1月23日から3月24日までエントランスに展示されるそうです。

 

シンボルゾーンには1936年(昭和11年)式トヨダ AA型乗用車が置かれていました。この車はレプリカだそうですが、同社初の量産乗用車のようです。

全長4,785mm、全幅1,730mm、全高1,736mm、水冷直列6気筒OHV、3,389ccのエンジンを搭載しているそうです。

 

マークには「豊田」の文字がデザインされています。

 

シンプルな運転席回りです。ハンドルの下にある丸いゴムがパフパフと鳴るクラクションだそうです。

 

流れるような流線形ボディは当時アメリカで流行していた最先端のデザインだったようです。

 

エレベーターを昇り二階の展示室に向かいます。

 

1897年(明治30年)式、ド ディオン ブートン 1 3/4HP トライサイクル(フランス、ド ディオン ブートン)、空冷単気筒SV、240cc、1.3kw/1.75PS、全長1,716mm、全幅1,048mm、全高1,218mm。

自動車の草分け的存在の三輪乗用車で、自転車を改良して小型エンジンを搭載されたようです。

 

1898年(明治31年)式、パナールエ ルヴァッソール6HP ワゴネット(フランス、パナールエ ルヴァッソール)、水冷直列2気筒SV、1,699cc、4.5kw/6HP、全長    2,950mm、全幅1,700mm、全高1,795mm。

当時は車のほとんどが馬車や自転車の影響を受けていて、駆動機構やレイアウトは馬なしの馬車そのものでした。FR方式の最初の自動車だそうです。

 

1909年(明治42年)式、スタンレー スチーマー モデルE2(アメリカ、スタンレー)、蒸気直列2気筒単式複動式、7.4kw/10HP、全長3,591mm、全幅1,605mm、全高1,606mm。

蒸気自動車で、特徴的なボンネットスタイルはフロントにボイラーを配しウォータータンクで囲ったことから生まれ、動力源は中央の床下配置されているそうです。

 

簡単なスライドバルブがついた2気筒でギアボックスはなく平歯車で直接車軸を駆動するシステムだそうです。動力源のガソリンエンジンが普及するにつれ蒸気自動車は衰退していったようです。

 

1909年(明治42年)式、フォード モデルT ツーリング(アメリカ、フォード )、水冷直列4気筒L-頭型、2896cc、15kw/20HP/1600rpm、全長3,318mm、全幅1,687mm、全高2,188mm。

大量生産によるコストダウンや運転を簡素化する数々のメカニズムで大衆化を果たし、1908年から1927年の間に15,007,033台も生産されたベストセラーカーだったようで、アメリカを始め全世界に普及しモデルTなしに自動車史は語れないというほどの大きな影響を与えた車だそうです。

 

このフロアーは自動車の夜明けと題し、黎明期の馬なし馬車から自動車へと基礎技術が確立していく流れの中で成長していく車が展示されています。

 

1910年(明治43年)式、ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(イギリス、ロールスロイス )、水冷直列6気筒L-頭型、7,428cc、全長4,883mm、全幅1,753mm、全高2,250mm。

ヘンリー・ロイスとC・S・ロールスが1904年、RR社を創立、完璧な自動車を造るため徹底した製品管理のもと高品質な高級車を造り始め、1906年には最大の傑作といわれる7,428cc、6気筒を搭載したこの車を発表されたそうです。

 

1911年(明治44年)式、ドゥローニー ベルビユ タイプ HB6L(フランス、ドゥローニー)、水冷直列6気筒L-頭型、4,426cc、30kw/40HP、全長4,597mm、全幅1,747mm、全高2,073mm。

1904年のパリサロンで発表、特徴的な丸型のラジエターグリルが注目を集め、ベンツ型やルノー型と共に多くのメーカーに影響を与えたようです。また1909年から採用された6気筒エンジンは静かでコンパクトなこともあり信頼性が高く、豪華なボディを架装してロシアのニコライⅡ世始め世界の名士からも支持されていたそうです。

 

1912年(明治45年)式、ベンツ 14/30HP(ドイツ、ベンツ)、水冷直列4気筒L-頭型、3,560cc、26kw/35HP/1500rpm、全長4,549mm、全幅1,730mm、全高1,993mm。

ベンツは1905年から順次新しい4気筒車を発表、多くのトライアルに参加して成功を収めたようです。この車はカウルを曲面で構成したモダンなスタイルを特徴としているほか電気式ヘッドランプなどの装備も充実しているそうです。

 

1934年(昭和9年)式、フォード モデル 40(アメリカ)、水冷V型8気筒L-頭型、3,621cc、68kw/91HP/3,800rpm、全長4,450mm、全幅1,735mm、全高1,745mm。

フォードは1932年にV8エンジンを採用、コンパクトにしたためスタイリングにも好影響を与え、短いノーズは違和感なく流線型を採り入れることができたようです。このモデルは丸みをおびたボディと傾斜したハート型グリルを持ち、流線型デザインの兆しが伺えるようです。

1931年(昭和6年)式、キャデラック シリーズ 452A(アメリカ、GM)、水冷V型16気筒OHV、7,407cc、123kw/165HP/3,400rpm、全長5,732mm、全幅1,876mm、全高1,897mm。

1930年、キャデラックはV16エンジンを世界に先がけて搭載しました。452型と呼ばれるこのエンジンは7.4Lの排気量を誇り、その出力も165馬力。豪華で重いボディを乗せながらも強力なパワーを発揮していたようです。

 

1935年(昭和10年)式、イスパノスイザ K6(フランス、イスパノスイザ)、水冷直列6気筒OHV、5,184cc、92kw/125HP/3,200rpm、全長5,760mm、全幅1,760mm、全高1,660mm。

フランスの高級車メーカーイスパノスイザ社の最終モデルで、タイプ68のV12エンジンを半分にした直列6気筒エンジンを搭載しているそうです。

当時上流階級で愛用されていたイスパノスイザはヨーロッパの一流コーチビルダーがボディをデザインし架装するのが一般的だったそうですが、佐賀の鍋島家13代当主鍋島直泰がシャシーで購入し、自らデザインしたボディを約半年かけて日本の職人が製作架装した極めて珍しい車のようです。

 

このフロアーは日本における自動車量産の幕開けと題し、日本の自動車主体に展示されているようです。

 

1932年(昭和7年)式、ダットサン 11型 フェートン(日本、ダットサン)、水冷直列4気筒L-頭型、 722cc、9kw/12HP/3,000rpm、全長2,743mm、全幅1,197mm、全高1,556mm。

ダットサンといえば、かつて日産自動車の小型車ブランドとして有名ですが、この車は日産製ではないようです。日産がダットサンの生産を始めたのは1933年からで、それは同社の前身である戸畑鋳物ダット自動車製造からダットサンの製造権を獲得していたからです。この車は1932年にダット自動車で生産された約150台の中の貴重な1台で、ヘッドランプレンズには会社名の刻印がある現存する最古のダットサンだそうです。

 

1973年(昭和48年)式、オート三輪 SA-6型ノート(日本、発動機製造〔現、ダイハツ〕)、空冷単気筒SV、667cc、4.9kw/6.7PS、全長2,795mm、全幅1,200mm、全高1,200mm。

欧米に比べ四輪車の普及が遅かった日本では、戦前から昭和30年代にかけて、小回りが利き狭い場所への出し入れの容易さや、四輪車の3分の1程度の低価格というメリットなどからオート三輪車が全盛期を迎えたようです。1930年からオート三輪車のトップメーカーであった発動機製造が生産を始め、1937年に製造された車で当時の人気モデルだそうです。

 

1936年(昭和11年)式、トヨダ AA型乗用車(日本、トヨタ)、水冷直列6気筒OHV、3,389cc 、48kw/65HP/3,000rpm、全長4,785mm、全幅1,730mm、全高1,736mm。

トヨタ初の量産型乗用車として誕生、当時流行のストリームラインを採用し、高い乗り心地を実現した先進的な車で、海外の車と比較しても一歩先を行くものだったようです。

 

1938年(昭和13年)式、ニッサン 70型フェートン(日本、日産)、水冷直列6気筒SV 、3,670cc、63kw/85HP/3,400rpm、全長4,750mm、全幅1,720mm、全高1,750mm。

アメリカグラハム・ページ社から大型乗用車の設計と生産設備一式を導入し、ニッサン70型として1937年から製造、販売されていたもので、当初はセダンのみだったようですが、後からはこの幌型も作られたようです。

 

1948年(昭和23年)式、タトラ 87(チェコスロバキア、タトラ)、空冷V8OHC 、2,969cc、63kw/85PS/3,500rpm、全長4,740mm、全幅1,670mm、全高1,500mm。

涙滴形流線型ボディを採用したタトラ77(1934年)に続く後継モデルで、バックボーンとフロアパネルで形成された独創的なシャシーや空冷V型8気筒エンジン、RR駆動の採用などリヤエンジンプロジェクトの集大成ともいえるモデルのようです。

 

1938年(昭和13年)式、プジョー 402(フランス、プジョー)、水冷直列4気筒OHV、1,991cc、40kw/55PS/4,000rpm、全長4,850mm、全幅1,640mm、全高1,580mm。

戦前のフランスを代表する高級実用車で、大胆な流線型を採用して成功した初のヨーロッパ車だそうです。湾曲した大きなフロントグリルの中にヘッドランプが仕込まれた特徴的なデザインで、プジョーのシンボルであるライオンが、ラジエーターグリルの上部やリヤタイヤカバーにもデザインされています。サイドステップが無いためボディー幅を広げ室内を広くしたことが特徴のようです。

 

1938年(昭和13年)式、キャデラック シリーズ 60 スペシャル(アメリカ、GM)、水冷V8気筒L頭型、5,670cc、101kw/135HP/3,400rpm、全長5,264mm、全幅1,978mm、全高1,679mm。

実用性を考慮して流線型を応用した最初のモデルだったようで、低く幅広のスタイルは力強く感じられます。当時このスタイルはトヨタの大型B型やBC型にも採り入れられ、現代の3ボックスセダンの基本形がこの時できあがったようです。60スペシャルはトランクやコラムシフトを採用したことでも有名だったようです。

 

1942年(昭和17年)式KdFワーゲン(ドイツ、フォルクスワーゲン)、空冷水平対向4気筒OHV、985cc、18kw/25PS/3,330rpm、全長4,050mm、全幅1,540mm、全高1,550mm。

ヒトラーの国民車プロジェクトに従いポルシェ博士により開発され、フォルクスワーゲン社で生産されたようですが、第二次世界大戦下、軍用車両の生産が優先されたため、わずか630台しか生産されなかった車で、数少ない現存KdFの中でも最も古いものの一つだそうです。

 

1937年式(昭和12年)、シトロエン11B(フランス、シトロエン)、水冷直列4気筒OHV、1,911cc、34kw/46HP/3,800rpm、全長4,568mm、全幅1,793mm、全高1,512mm。

前輪駆動方式を導入することで低重心のボディ設計を可能にし、ワイドトレッドモノコックボディ、前輪独立懸架など斬新なメカニズムも採用したことでロードホールデイィングが当時のスポーツカーをも凌ぐ性能を発揮したようです。

 

1955年(昭和30年)式、トヨペット クラウン RS型 1955(日本、トヨタ)、水冷直列4気筒OHV 、1,453cc、36kw/48HP/4,000rpm、全長4,285mm、全幅1,680mm、全高1,525mm。

海外と技術提携により生産されていた当時の日本の車のなかで、純国産方式の自家用車として設計されたRS型は、すべての意味で国産車モータリゼーションの出発点であったそうで、その後の日本の自動車業界へ大きな自信を与えた存在だったようです。デザインは当時の日本の実情に適応したもので、乗り心地や耐久性などバランスのとれた純国産車として話題を集めたそうです。

 

1959年(昭和34年)式、キャデラック エルドラド ビアリッツアメリカ、GM)、水冷V型8気筒OHV、6,396cc、257kw/345HP/4,800rpm、全長5,703mm、全幅2,038mm、全高1,435mm。

世界を代表する高級車ブランドとして知られるキャデラックの中でもこの車は1950年代のアメリカを象徴する車として特に有名です。クロームメッキを多用したバンパー一体型のグリルや巨大なテールフィン、ジェット機の噴射口をモチーフとしたテールライトなど大胆なデザインをはじめ、エアサスペンション、パワーステアリングなど当時の最新技術を数多く取り入れていた車です。

 

1951年(昭和21年)式、フォルクスワーゲン タイプ1〔輸出仕様〕(ドイツ、フォルクスワーゲン)、空冷水平対向4気筒OHV、1,131cc、18kw/25PS/3,300rpm、全長4,032mm、全幅1,532mm、全高1,499mm。

終戦後生産が再開されるとドイツ復興の原動力となった車です。1949年にアメリカへ初めて輸出されると、優れた商品性と安価な価格、整ったサービスなどが評価され、ビートル(かぶと虫)の愛称で人気を博し、アメリ輸入車のベストセラーカーとなったそうです。

 

1955年(昭和30年)式、フジキャビン 5A型(日本、富士自動車)、空冷単気筒2サイクル 、121cc、3.7kw/5HP/5,000rpm,、全長2,950mm、全幅1,270mm、全高1,250mm。

FRPのフルモノコック構造の三輪キャビンスクーターです。空冷単気筒2サイクルエンジンを備えたボディは、わずか130Kg、最高速度は時速60キロ。空力特性を考えたようなボディデザインなど革命的な試みではあったようですが、FRPの製作技術が伴わず、わずか85台製作されただけだったようです。

 

1959年(昭和34年)式、ダイハツ ミゼット DKA型(日本、ダイハツ)、空冷単気筒2サイクル、249cc 最高出力、7.4kw/10PS/4,500rpm、全長2,540mm、全幅1,200mm、全高1,500mm。

戦後しばらくの間は公共的な乗り物だった自動車ですが、一般化したのは商業車からだったようです。それを決定付けたのが1957年に発売された3輪車ミゼットのようです。安価で扱いやすく、しかも軽免許で乗れることから爆発的なブームを巻き起こした、三輪車の代名詞にまでなった車です。初代のものにはキック式スターターやバーハンドルなどとバイクに近いものだったようです。

 

1962年(昭和37年)式、日野 ルノー PA62型(日本、日野)、水冷直列4気筒OHV、748cc、15kw/21PS/4,000rpm、全長3,685mm、全幅1,435mm、全高1,440mm。

トラックやバスなどで知られる日野自動車がフランスのルノー公団と技術提携を行い、1953年からルノー4CVの生産を始めた車です。愛嬌の有るスタイルやRR駆動の優れた操縦性、コンパクトなサイズからタクシーとしても多く採用され大活躍していたようです。

 

1959年(昭和34年)式、スバル 360 K111型(日本、富士重工)、空冷直列2気筒2サイクル、356cc、12kw/16HP/4,500rpm、全長2,990mm、全幅1,300mm、全高1,380mm。

外見がVWに似ているスバル360です。航空機メーカーだった中島飛行機の技術が生かされた日本初期の軽自動車として最もヒットしたと言われる車です。モノコックボディとトーションバーのサスペンションは軽自動車とは思えない広い室内スペースを確保し、快適な乗り心地を実現していたようです。発売当初の価格が425,000円だったそうですが、絶大な人気を誇っていた車だったようです。

 

1961年(昭和36年)式、パブリカ UP10型(日本、トヨタ)、空冷水平対向2気筒OHV、697cc、21kw/28PS/4,300rpm、全長3,520mm、全幅1,415mm、全高1,380mm。

大衆向けの実用車、合理的な車としてデビュー、純粋な走行性能や実用性こそ当時の日本ではかなりの高水準車だったようですが、その装備類は極めて質素なものだったそうです。軽乗用車よりゆとりがあり、さらに独立したトランクスペースを設けていた点など、技術面やスタイリングでも注目を集めた車だったようです。車名は一般から公募されたもので、PublicとCarの合成語だそうです。

 

1964年(昭和39年)式、プリンス グロリア スーパー6、41型(日本、プリンス〔富士精密工業〕)、水冷直列6気筒OHC、1,988cc、77kw/105PS/5,200rpm、全長4,650mm、全幅1,695mm、全高1,480mm。

スカイラインの派生モデルとして開発された車で、ALSI型スカイラインシャシーやボディーを流用しシートや内外装を高級化された仕様だったようです。この車は二代目で、国産の市販車として初のOHCを採用した6気筒エンジンを搭載し、1963年に追加発売されたそうです。155km/hの最高速やスムーズさ、静粛性もよく高級、高性能イメージを与えた車であり、6気筒OHCモデルの先駆者となったようです。

 

1964年(昭和39年)式、トヨペット コロナ RT40型(見本、トヨタ)、水冷直列4気筒OHV、1,490cc、52kw/70PS/5,000rpm、全長4,110mm、全幅1,550mm、全高1,420mm。

4灯式ヘッドライトの新しいスタイルで、最高速度も140km/hを誇り、同時期に開通した名神高速での10万km連続の公開テスト走行などでハイウェイ時代の訪れを告げる車だったようです。国内、輸出共に大成功を収めたトヨタの主力商品になり、一気に技術レベルを国際水準まで引き上げた車のようです。

 

1965年(昭和40年)式、ダットサン ブルーバード P411型(日本、日産)、水冷直列4気筒OHV、1,299cc、46kw/62PS/5,000rpm、全長3,995mm、全幅1,490mm、全高1,440mm。

走るベストセラーに優美なデザインがキャッチフレーズの2代目のブルーバードは、モノコックボディで、美しいヨーロピアンデザインが特徴だったようです。後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSS(スーパースポーツセダン)が設定された初めてのモデルでもあったようです。

 

1966年(昭和41年)式、トヨタ カローラ KE10型(日本、トヨタ)、水冷直列4気筒OHV、1,077cc、44kw/60PS/6,000rpm、全長3,845mm、全幅1,485mm、全高1,380mm。

カローラトヨタの最も成功したモデルというだけでなく、日本で本当の意味でのモータリゼーションをもたらした大衆車だったようです。性能、経済性、快適性など市場のニーズにこたえ、新開発のK型エンジンでは「1000ccプラス100ccの余裕」として流されていた当時のCMが思い起こされます。またこの車は父が購入し我が家にやってきた最初の車だったので、とても懐かしく思いました。

 

1964年(昭和39年)式、ホンダ S500 AS280型(日本、ホンダ)、水冷直列4気筒DOHC、531cc、32kw/44PS/8,000rpm、全長3,300mm、全幅1,430mm、全高1,200mm。

先に発表されたプロトタイプのS360の量産モデルで、531ccの超小型4気筒のDOHCに4基のCVキャブを装着、44HP/8000rpmの出力から最高速度130km/hを誇っていたようです。小型車としては驚異的なパフォーマンスと軽快な2シーターのオープンボディで、その後このモデルはS600、S800へとステップアップしていき、ホンダの自動車部門の礎を築いた車ではないかと思います。私も子ども心に憧れを抱いたものでした。

 

1969年(昭和44年)式、マツダ キャロル KPDA型(見本、東洋工業〔現、マツダ〕)、水冷直列4気筒OHV、358cc、15kw/20PS/7,000rpm、全長2,990mm、全幅1,295mm、全高1,320mm。

1962年に発売された軽自動車初の4ドアセダンタイプで、1970年まで生産されていた車です。世界最小の水冷4気筒エンジンを搭載して発売された軽自動車で、後の小型乗用車規格のキャロル600や主力大衆車ファミリアへと発展しいく礎を築いた車だったようです。

 

1963年(昭和38年)式、ダットサン フェアレディ SP310型(日本、日産)、水冷直列4気筒OHV、1,488cc、59kw/80PS/5,600rpm、全長3,910mm、全幅1,495mm、全高1,275mm。

1962年わが国で初めて本格的なスポーツカーとして開発されスマートなボディに直列4気筒OHVエンジンを搭載していました。1963年に開催された第1回日本グランプリに出場しポルシェやトライアンフTR4など外国のスポーツカーを相手に見事にクラス優勝を果たしたそうです。その後1600(SP311型)、2000(SR311型)へとステップアップしてくと共に、モータースポーツでも大活躍、フェアレディZの源流になった車でもあるようです。

 

ブルーバード312型と同じシャシーを使用しリアには横向きの変則的なシートを持つオープン3シーターで、フォルムは当時のMGやトライアンフ等の欧州のスポーツカーに近いデザインになっています。

 

1965年(昭和40年)式、トヨタ スポーツ800 UP15型(日本、トヨタ)、空冷水平対向2気筒OHV、790cc、33kw/45PS/5,400rpm、全長3,580mm、全幅1,465mm、全高1,175mm。

ヨタハチの愛称で親しまれていた車で、1962年のモーターショーで発表されたパブリカスポーツのコンポーネントを流用しコストダウンを図りつつ、空気力学を重視した機能的スタイルをそのままに作り上げられたスポーツカーだそうで価格は595,000円、790ccの空冷水平対向2気筒ながら155km/hの最高速度を誇り、オープンカーの開放感でドライブの楽しさを一般的なものにした車でもあったようです。

 

1967年(昭和42年)式、トヨタ 2000GT MF10型(日本、トヨタ)、水冷直列6気筒DOHC、1,988cc、110kw/150PS/6,600rpm、全長4,175mm、全幅1,600mm、全高1,160mm。

60年代には魅力的なスポーツカーが数多く誕生し、日本でも1965年には高性能なグランツーリスモトヨタ2000GTが登場しました。

 

ロングノーズの均整がとれた美しいスタイリングをはじめ、バックボーンフレーム構造や6気筒DOHCエンジンなどデザイナーやエンジニアの方々が思う存分に腕を振るい造り上げた結果、3つの世界記録と13の国際新記録を樹立するなど、世界水準の高性能な車が出来上がりました。子ども心にカッコいい車だと憧れたものでした。

 

1966年(昭和41年)式、ニッサン シルビア CSP311型(日本、日産)、水冷直列4気筒OHV、1,595cc、66kw/90PS/6,000rpm、全長3,985mm、全幅1,510mm、全高1,275mm。

ダットサン フェアレディのシャシーをベースに新開発の1600ccのエンジンを搭載、定員を2人の斬新なスタイルで1965年に登場しました。OHVながら90馬力を出力する新エンジンや、日本初のポルシェタイプ・サーボシンクロ式トランスミッションなどを採用しフォーマルにも使えるスポーツカーとして注目を集めた車だったようです。 

 

1969年(昭和44年)式、マツダ コスモスポーツ L10B型ロータリーエンジン(日本、マツダ)、水冷ロータリー ツインローター、491×2cc、94kw/128PS/7,000rpm、全長4,130mm、全幅1,590mm、全高1,165mm。

ドイツのNSU社との技術提携により東洋工業ロータリーエンジンを手に入れました。実用化のためのテストと改良を繰り返した結果、1967年に日本初のロータリーエンジンマツダコスモスポーツに搭載しました。強烈なインパクトを与える未来的なスタイルはもちろん、491cc×2の小排気量ながら、レシプロエンジンの2Lクラスをも凌ぐ128PSの出力を発揮、圧倒的な高性能から注目を浴びることになりました。このL10B型は1968年のマイナーチェンジで、さらに強化され200km/hの最高速度を誇っていたそうです。

 

1970年(昭和45年)式、日産 フェアレディ Z 432 PS30型(日本、日産)、水冷直列6気筒DOHC、1,989cc、118kw/160PS/7,000rpm、全長4,110mm、全幅1,630mm、全高1,290mm。

1969年11月に登場したフェアレディZは外形デザインのよさをはじめ装備の充実、割安な価格などで人気を博しました。中でもZ432は最高級バージョンとしてスカイラインGT-Rと同じ6気筒DOHCエンジンを搭載。 空力性能のよさから最高時速は210km/hをマークしました。 車名の432とは4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味するそうです。

 

1970年(昭和45年)式、トヨタ セリカ TA22型(日本、トヨタ)、水冷直列4気筒DOHC、1,588cc、85kw/115PS/6,400rpm、全長4,165mm、全幅1,600mm、全高1,310mm。

日本初のスペシャリティカーといえる存在で、斬新なデザインが採用され、北米や欧州にも輸出されていたようです。それまでのセダンとはまったく異なるスタイリッシュな2ドアクーペとして誕生した車で、私が初めて中古車で購入した思い出のある車でもあります。DOHCエンジンに高速安定性やコーナリング性能に優れた車で、優れたトータルバランスを兼ね備えた車でした。

 

この展示フロアーには国産の名だたる名車が並んでいます。

 

1971年(昭和46年)式、三菱 コルト ギャラン GTO-MR A53C型(日本、三菱)、水冷直列4気筒DOHC、1,597cc、92kw/125PS/6,800rpm、全長4,125mm、全幅1,580mm、全高1,310mm。

1969年にデビューしたコルトギャランに、翌年スポーツカーのギャランGTOシリーズが追加されました。基本設計を流用しつつ新たにスポーティなハードトップクーペとして登場したシリーズ3車種中、三菱初のDOHCエンジンを搭載したモデルがMRで、1.6Lで125ps、最高時速200km/hを誇り、内外装や足回りなども含め、本格的高性能スポーツカーとしてデビューしました。子ども心に憧れた一台でもありました。

 

1970年(昭和45年)式、いすゞ 117クーペ PA90型(日本、いすゞ)、水冷直列4気筒DOHC、1,584cc、88kw/120PS/6,400rpm、全長4,250mm、全幅1,600mm、全高1,320mm。

1968年に高速ツーリングカーとして登場したこの車は、いすゞフローリアンをベースに開発され、イタリアのカロッツェリア・ギアのジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたファストバックスタイルが"走る芸術品"として賞賛された車です。日本初の電子制御燃料噴射式DOHCエンジンを搭載、後部専用ヒーター、4人分のシートベルト、ヘッドレスト、木目仕上げの7連メーターが並ぶインストルメントパネルなど、スタイリング、性能、居住性といった総合的な良さや上品さが車好きやマニアから支持されていました。免許取りたての頃、友人がこの車の中古車を買ったといので少しだけビビりながら運転させてもらいましたが、とてもいい車だと思った記憶があります。

 

1975年(昭和50年)式、ホンダ シビック CVCC 1200GL 3ドア(日本、ホンダ)、水冷直列4気筒OHC、1,238cc、46kw/63PS/5,500rpm、全長3,545mm、全幅1,505mm、全高1,325mm。

ホンダの世界戦略を担う基幹車であり、ホンダ製乗用車の中でも最も長く同一の車名で販売されている車だそうです。同社の軽自動車ライフを一回り大きくしたようなデザインで、前後のオーバーハングを切り詰め、ホイールベースを長くして居住性を高められているようです。1971年にアメリカでマスキー法が成立し、それに伴い日本でも同様の排出ガス規制が実施されました。この規制は大変厳しいもので達成は不可能と言われていましたが1973年、このシビックがCVCCエンジン(複合渦流調速燃焼方式)で世界で最初にクリアしたそうです。

 

1981年(昭和56年)式、トヨタ ソアラ 2800 GT-EXTRA(日本、トヨタ)、水冷直列6気筒 DOHC、2,759cc、125kw/170PS/5,600rpm、全長4,655mm、全幅1,695mm、全高1,360mm。

トヨタ初の高級スペシャルティカーとして、1981年に発売。 知的で裕福な青年層をターゲットに開発された高級、高性能なパーソナルカーだそうです。エンジンはトヨタ2000GT以来の6気筒DOHC(5M-GEU)を搭載し2,759cc、170ps/24kgmと当時の国産車の最高性能を誇っていたようです。デジタル表示のスピードメーターにLEDのタコメーター、サンルーフに革張りシートなどと豪華さと最新の先進技術を積極的に取り入れ、自動車技術のエレクトロニクス化到来を告げる一台だったそうです。母のゴルフ友達が乗っていた車で、内装の豪華さにあこがれを抱いたものでした。

 

2009年(平成21年)式、Lexus LFA(プロトタイプ)(日本、トヨタ)、水冷V型10気筒DOHC、4,805cc、412kw/560PS/8,700rpm、全長4,505mm、全幅1,895mm、全高1,220mm。

トヨタの高級ブランドレクサスのプレミアムスポーツカー、2人乗りのスーパーカーとして世界限定500台が販売された車の一台で、世界超一級レベルの運動性能と超一流の感性と官能を持ち合わせるスーパースポーツカーとして送り出すべく開発されたレクサス初のスーパーカーです。販売価格は日本円で37,500,000円と過去最高額だったそうです。

 

4.8L-V10エンジンが搭載されレーシングカーと同様のカーボンモノコックシャシーも採用されているそうです。0-100km/h加速は3.7秒、最高速度は325km/h以上だそうで、LFAの開発によって培われた現代FRスポーツカーのノウハウや素材技術、思想はその後のレクサス車に大きな影響を与えているそうで、生産終了後の現在も公式ウェブサイトではレクサスFシリーズの頂点に君臨すると紹介されています。

 

1955年(昭和30年)式、メルセデス ベンツ 300SL クーペ(ドイツ、メルセデス・ベンツ)、水冷直列6気筒OHC、2,996cc、160kw/215HP/5,800rpm、全長4,520mm、全幅1,790mm、全高1,300mm。

世界初のガソリン直噴エンジンを搭載した車として知られ、ドアはレーシングカーをベースとした鋼管スペースフレーム構造だっため、通常の車のドア下半分にフレームが来てしまい開口部の敷居が高くなってしまったことと、車高が低かったことから乗降性確保のためにやむなくガルウィングドアが採用されたそうです。

 

1955年(昭和30年)式、フォード サンダーバードアメリカ、フォード)、水冷V型8気筒OHV、4,785cc、148kw/198HP/4,200rpm、全長4,453mm、全幅1,783mm、全高1,326mm。

第二次世界大戦後、アメリカでブームとなったヨーロッパ製スポーツカーに対抗してGMはシボレー・コルベットを、フォードはサンダーバードをそれぞれ開発したそうです。いずれも二人乗りスポーツカーですが、サンダーバードはサイドガラスを備え、屋根は着脱式としてオープンカーとしてもクーペとしても楽しめる車に仕上げたようです。

 

クルマづくり日本史と題されたコーナーには、日本の自動車産業の誕生から成立、産業基盤確立の歴史などが紹介されていました。

この後クルマ館から文化館に移動します。

 

連絡通路を歩いていると外に飲み物の自販機と喫煙場所が見えたので、一度外に出て休憩することにしました。

喉を潤し、モクモクタイムも終え文化館に戻ります。

 

文化館に戻ると入口脇に、1965年(昭和40年)7月に開催された第1回日本自動車クラブ選手権レースGT-Iクラスで優勝したトヨタスポーツ800 浮谷東次郎仕様のレプリカが展示されていました。

二階へ戻り展示室に向かいます。

 

館内には、1/43模型でつくる時間軸と題し、18世紀中頃から現代に至るまでの自動車の歴史を模型で展示されていたり、歴代のカーバッチやカーマスコットなどが展示されていました。

 

自動車玩具ゲームコーナーには懐かしいおもちゃも沢山展示されています。

 

自動車と出版物コーナーには、世界初の自動車雑誌La Locomotion Automobileを始め、1894年から2000年頃までにヨーロッパ、アメリカ、日本などで創刊された自動車雑誌約60冊の表紙でその変遷が紹介されています。

 

カタログは年代ごとに約150冊が展示されているようですが、懐かしいカタログも沢山ありました。

 

世界各国のライセンスプレートが展示されています。自動車が世界各国に普及していくと、車を識別するライセンスプレートが採用されるようになりました。1893年にフランスが最初に採用したそうで、日本では1907年に東京で登録制度が始まったようです。

館内を見て回ったので駐車場に戻ります。

 

一階出口付近に、1985年(昭和60年)公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシンとして登場して有名になったデロリアンが展示されていました。

この車は、1981年(昭和56年)式、デロリアン DMC12(イギリス、デロリアン)、水冷V型6気筒OHC、2,849cc、97kw/130HP/5,500rpm、全長4,267mm、全幅1,989mm、全高1,140mm。

GMのポンティアック部門やシボレー部門のトップを務め、副社長でもあったジョン・ザッカリー・デロリアンが自らデロリアン・モーター・カンパニーを設立し、自身の理想とする車を目指して開発生産されたスポーツカーです。イギリスのロータスが設計し、イタリアのジウジアーロがデザインしたもので、リアにエンジンを配し、ステンレス製ボディとガルウイング式ドアが特徴的な車です。

 

トヨタ博物館から10分程で、今日昼食をいただく、うな幸(長久手市前熊溝下)に到着しました。

が……

約40分待ちだそうです。

空くと連絡をくださるそうなので、連絡先を告げ駐車場で待つことにしました。

私が色々と調べて決めたうな幸は、地元の方々が通う人気店のようですが市街地から少し離れていて駅からも少し距離のある地域にポツンとあります。車が便利なようで店舗の横に大きな駐車場があります。

30分程すると大将から空いたので来てくださいと連絡があったので店内に向かいます。

 

妻はまだ余りお腹が空いていないと鰻3/4尾のひつまぶしの並を、私は鰻1尾のひつまぶしの上をオーダーしました。

 

ひつまぶしの他にも、うな丼やきもうな丼、うな重や長焼定食などもあるようです。

 

オーダーから30分足らず、名古屋名物ひつまぶしが出てきました。カットされた鰻がお櫃の中に並べられています。

美味しそ~う!

 

私はひつまぶしを初めていただくのでスタッフの方に食べ方を伺うと、三等分に分けて都度茶碗によそい、一善目はそ鰻そのものの味を楽しみ、二膳目は薬味を乗せていただき、三膳目は出汁をかけて茶漬けでいただくそうです。

 

一善目はそのままいただきます。

しっかりと厚みがある鰻で甘目のタレは少し控えめな感じです。ガスや電気で焼いた鰻と違い備長炭で焼いているためでしょうか仄かに炭火の香りが感じられ、表面はサクサクと香ばしく中はふんわりして、素材の鰻もさることながら焼がとても上手いようです。

 

二膳目は薬味のネギ、ワサビを乗せていただきます。

ワサビの爽やかな辛さやネギの食感で味変が楽しめました。とても美味しく、鰻にこれほどワサビが合うとは思いませんでした。

 

最後は出汁をかけて茶漬けスタイルでいただきます。鰻の旨味が出汁に溶け出してきて旨い! 新しいい体験でした。

しっかりと名古屋のひつまぶしを堪能させていただきました。また機会を作って是非食べに訪れてみたいと思います。ごちそうさまでした。

この後、当初の目的地である鉄道リニア館に向かいます。

 

名古屋飯食べ歩き(リニア鉄道館編)に続く……

 

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名古屋飯食べ歩き(名古屋編)

名古屋飯食べ歩き(犬山編)に続く第二弾です。

前回は犬山城犬山城下をしっかりと楽しめたので、今回は名古屋を楽しみたいと思います。犬山市から名古屋市内に入り名古屋城を散策し昼食、その後ホテルにチェックインし少し休んだ後夕食に出掛け名古屋飯を満喫します。

 

名古屋飯食べ歩き(犬山編)から見る

 

 

国道41号線を南下し、小牧北ICから名古屋高速に乗換え黒川ICで流出、犬山城から45分程で名古屋城に到着しました。駐車場に車を置き城内に向かいます。

 

名古屋城の正門までやってきました。この門が大手門ではなく正門と呼ばれているのは、名古屋城明治維新後から1930年(昭和5年)まで宮内省管轄の名古屋離宮となっていたためだそうです。正門は藩主や年寄職などの一部の家臣しか利用することができない格式高い門だったようですが、戦災のため焼失し1959年(昭和34年)に天守と共に再建されたそうです。

 

名古屋城と言えば金鯱こと金の鯱、表面を覆うウロコには18金が使用されているようです。

名古屋城は1610年(慶長15年)に尾張徳川家の居城として築城された近世城郭で、平地に築かれた平城です。四方を空堀で囲んだ本丸の南東に二之丸、南西に西之丸、北西と北側に御深井丸を配した梯郭式だそうです。

 

美しく光輝く金鯱はさすがです。この鯱は北側が雄、南側が雌で、高さは雄が約262cm、雌が約258cmあるそうです。

 

正門を入った北側にある西の丸御蔵城宝館に入ってみます。

 

西の丸御蔵城宝館は、西之丸にあった蔵を再現した展示収蔵施設です。名古屋城所蔵品などの展示や名古屋城の歴史などを見ることができるようです。

 

金の鯱の鱗の実物大のレプリカです。しかし鱗一枚でもとても大きい!

名古屋城の金の鯱は過去何度も盗難にあっているようで、天守創建当時の初代金鯱は金純度80%、17,975両の小判に相当するようです。現在の鯱は1959年(昭和34年)に復元された二代目のものだそうです。

 

正門にあった銅鯱です。明治時代に名古屋城天皇離宮になると、江戸城の銅鯱が名古屋離宮に移設され、門や櫓を飾ったそうです。この鯱は江戸城蓮池御門の銅鯱だったようで、明暦大火後の江戸城再建時に鋳造されたそうですが、1910年(明治43年)名古屋離宮となっていた名古屋城の正門が行幸をお迎えするには相応しくないと考えられ蓮池御門と共に移築されたようです。

 

名古屋城表一之門南方銅鯱です。1910年(明治43年)正門と共に移築されたようです。

 

名古屋城表一之門北方銅鯱です。1945年(昭和20年)の空襲により表一之門が炎上した際落下、高熱に耐え焼失を免れた鯱のようです。口の中には炭化した木材や薄い鋼板などがあり、このような部材が残る銅鯱は他にはないそうです。

 

江戸時代の緑釉瓦で、尾張藩江戸屋敷名古屋城の三之丸御屋敷などに使用されていたようです。丸瓦の内側には陶器のようにロクロで形成した痕跡も残っているそうです。

 

新春特別出品の破魔矢と箙《えびら》です。13代将軍の徳川家斉の子が無事生まれることを願い奉納され、宮津熱田社に伝わっていたものを昨年2023年(令和5年)に名古屋城へ寄贈されたようです。

 

新春特別出品の羽子板です。破魔矢と箙同様に昨年宮津熱田社より寄贈されたのもで、家斉の女子誕生を祝い奉納されたもののようです。

 

重要文化財の西南隅櫓と天守です。

西南隅櫓は1612年(慶長17年)頃に建造されたとされ、屋根が二層なのに対し内部は三階という珍しい構造となっているようです。西側と南側には石落しがあり、それぞれに屋根が取り付けられています。

 

堀沿いに進むと表二之門、その先に東南隅櫓が見えてきました。ここでちょっと寄り道です。

 

名古屋城内にあるきしめん屋で、本場のきしめんをいただきます。

 

色々メニューがありますが、きしめんときしころをいただいてみることにします。

 

きしころ(800円)がでてきました。名古屋では冷やした麺類のことを「ころ」といい、きしめんのころを「きしころ」というそうです。きしころの「ころ」は漢字では香露と書き、中部地方でうどんやきしめんに汁をかけた料理のことで、関西でいう「ぶっかけ」のようなもののようです。

 

さすがきしめん、薄くて平べったい!

さてお味のほどは……

 

うどんに比べ生地が平たく伸ばされているので腰が弱いと思っていましたが意に反し、しっかり腰があり表面は滑らかでつるりとしていて喉越しもとてもいい!

来る途中養老SAでいただいたきしめん以上に腰の強さを感じました。やはり麺を冷水でしめているためなのかも知れません。機会があればざるきしめんもいただいて比較してみたいと思います。

 

こちらはあたたかいきしめん(800円)です。

 

む……

出汁が……

黒い……

醬油色……

是非とも出汁を味わってみたい!

醤油ベースに鰹出汁?

見た目とは裏腹に然程辛くはありませんが、いつものように出汁まで飲み干そうとは思えませんでした。

 

腰の強さを比べると、やはり冷水でしめていない分きしころには少し劣る感じがしましたが思っていた以上に腰があることに驚きました。

温かいきしめんもとても美味しくいただくことができました。ごちそうさまでした。

お腹も満足したので名古屋城本丸に向かいます。しっかりと歩いておかないと夜の名古屋飯が入りそうにありません……

 

本丸表二之門から入ります。

 

本丸表二之門の橋の上から見た堀と東南隅櫓です。

 

この門は数少ない名古屋城建造時の建物で、重要文化財に指定されているようです。本瓦葺の高麗門で、軒回りは漆喰塗り、柱や扉に金具が打ち付けられています。

 

本丸御殿までやってきました。この御殿は1615年(慶長20年)尾張藩の政庁と藩主の住居として建造された日本を代表する書院造の建物で近世城郭御殿の最高傑作ともいわれ、城郭では天守閣と共に国宝第一号に指定されたそうですが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失してしまいました。その後、2009年(平成21年)から江戸時代の図面などの史料を基に復元工事が始められ、2018年(平成30年)には絢爛豪華な往時の姿が蘇っています。

 

往時の天守と本丸御殿の貴重な写真です。左手前には今は無き表一之門も写っています。

 

本丸御殿に入場する列に並びます。後方には天守と小天守が見えています。

 

並んで待つこと5分足らず、次のグループで入場できそうです。

 

本丸御殿に入場しました。訪問された方が最初に案内される部屋で、襖や壁には勇猛な虎が描かれた竹林豹虎図があり、ここから御殿の奥には大廊下が続きます。

 

本丸御殿は元々初代藩主徳川義直の住居として1615年(慶長20年)に建造された御殿で、同年の大坂の陣直後この本丸御殿で義直と紀州藩浅野幸長の娘春姫との婚儀に使用され、その後5年ほど暮らしただけで二丸御殿に引っ越したため以後は将軍上洛時の御成御殿、今でいう迎賓館として使用されていたようです。

 

表書院です。建築当初は最大で最も高格式の部屋だったようで、藩主が訪問された方との公的な謁見の際に使用していた場所だそうです。上段之間は藩主の徳川義直が座る場所で、正式の座敷飾りが揃えられています。

 

本丸御殿の内部はまさに絢爛豪華という言葉につきます。

 

対面所です。藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋で、上段之間及び次之間の障壁画には風俗図といわれる京都や和歌山の四季の風物や名所、風俗がおだやかな筆致で描かれています。

 

上洛殿の間です。創建当初はなかったようで、1634年(寛永11年)三代将軍徳川家光が上洛する際、それに先立ち宿泊場所として増築されたそうです。御成書院ともいわれ、本丸御殿の中で最も格式の高いとされていたようです。

 

上洛殿の一番奥の間です。天井の作りなども半端ではありません。

 

寝所に一番近い一之間の欄間には太鼓に乗った鶏が彫られています。この鶏が乗っている太鼓は諫鼓《かんこ》という古代中国の古事に出てくる太鼓だそうです。諫鼓は昔の中国で王様が良くない政治をした際に自分たちの君主に諫言するため民衆が太鼓を打ったという言い伝えによるものだそうです。

 

梅之間です。将軍をもてなす上級家臣たちの控え間として使用されていたようです。

 

廊下側の襖は三重仕様となっていて、中央部に明り取り用の障子が組み込まれています。

 

下御膳所です。台所で調理された料理の配膳などに使用されていたようで、部屋の中央に囲炉裏、天井には煙出しが設置されていました。囲炉裏は冷めた料理を温め直すために使用されていたそうです。

一通り御殿の中を見学できたので、一度外に出て新たに公開されている湯殿書院に行ってみることにします。

 

御殿の南側を抜け湯殿書院に向かいます。

 

湯殿書院に到着しました。スタッフの方に案内され中に入ります。

 

湯殿書院には唐破風付きの湯殿があり将軍専用の湯殿(浴室)だそうです。上部の小さな扉は明かり取りのために使用されていたようです。

 

湯殿の内部です。浴室といっても現代のような湯船はなく、外部の釜で湯を沸かし湯気を内部に引き込む蒸風呂だったようです。今流行りの家庭用サウナの一種なのでしょうか。床面の隙間から湯気が出てくる仕組みで、奥の小さな扉は温度調整用に使用されていたそうです。

 

湯殿書院の奥にある黒木書院です。本丸御殿内で最も小さな書院であり、こじんまりとした落ち着きのある造りで風情を感じます。この黒木書院は清州城にあった父家康の宿を移築されたそうで、本丸御殿の総ヒノキ造りとは異なり松材が使用されていて、その色から黒木書院と呼ばれるようになったようです。

 

天守は施設の老朽化や耐震性不足のため閉館されていました。楽しみにしていたのに残念です。

 

仕方がないので本丸北側にある不明門から外に出ます。

 

美しく見事な曲線を描く扇勾配の石垣です。

 

天守と小天守を繋ぐ櫓台は高い土壁に囲われ。塀の軒には槍の穂先が並べられていました。

 

天守入口付近をズームアップしてみました。軒から突き出た槍の穂先の様子がよく分かります。

 

名古屋城天守の木造復元事業計画もあるようなので、叶うなら復元後また訪れてみたいと思います。

 

梅と名古屋城天守

城外へ出て金シャチ横丁へ遅い昼食に向かいます。

 

金シャチ横丁にやってきました。

 

昼時間のピークは過ぎているので人もまばらです。

 

味噌煮込みうどんの山本屋か……

 

味噌かつ矢場とんか……

友人お勧めの二店ですが、どちらも待たずに入店できそうです。

 

昼前にきしめんをいただいたので今回は矢田とんでいただくことにしました。

 

暖簾をくぐり店内に入ると矢場とんのマスコットキャラクターである横綱を締めた豚、横綱ぶたが出迎えてくれました。

 

私はわらじとんかつをいただきたかったのですが、さすがに入りそうにないのでロースとんかつ御膳、妻はご飯までは入らないとひれとんかつ小の単品をオーダーしました。

 

私がオーダーしたロースとんかつ御膳(1,520円)が出てきましたが、味噌だれがかかっていません。

 

味噌だれはスタッフの方が目の前でかけてくださいました。

 

出来上がりました。

いただきま~す!

 

味噌が濃そうな感じですが、味噌辛さもなくサッパリとしていて甘すぎず飽きない美味しさでした。

 

妻がオーダーしたひれとんかつ小(1,050円)も出てきました。

一つ味見させてもいましたが、ひれ肉はとても柔らかく食べやすく、こちらもとても美味しいようで、妻も美味しいと言いながら全て食べてしまったようです。

本場の味噌かつもいただき大満足です。あまり味噌が得意でない私でも十分満足できるもので、わらじとんかつでも食べれそうな感じです。また機会を作って食べてみたいと思える一品でした。

車に戻りホテルに向かいます。

 

15時30分頃、今夜宿泊するサイプレスホテル名古屋駅前に到着しました。車がホテルの駐車場に入らないようで、近くにある契約駐車場を案内され私は車を置きに向かいます。

 

車を置いてホテルまで戻ってきました。

 

私が車を置きに行っている間に妻がチェックインを済ませていてくれました。

 

部屋は9階のツインルームです。

 

タバコを吸うため窓を少し開けようと思いましたが安全対策のため窓が全く開きません。正面には名古屋駅に入る新幹線が見えていました。

 

出窓から横を見ると名駅通りが見えていました。

昼食が遅かったことや、早朝からの運転で少し疲れたようなので少し休んでから夕食に出掛けることにします。

 

2時間弱休んだ後、19時前夕食に出掛けることにしました。

ホテルから名駅通りを進みます。

 

ホテルから5分程歩くと夕食をいただく名鉄百貨店が見えてきました。

 

名鉄百貨店の9階にあるグルメステーションです。名古屋飯の有名店が沢山入っているようです。

 

夕食は山本屋総本家で味噌煮込みうどんをいただきます。

沢山の方が待たれているようで、予約ノートに名前を記入し待つことにしました。

待つこと30分足らず、やっと順番がきたようでスタッフの方から声掛けいただきました。

 

オーダーし待つこと8分余り、私がオーダーした玉子煮込みうどん(1,430円)が、熱々の土鍋で出てきました。

 

取り皿がないようなので伺うと、蓋を使っていただくそうです。確かに蓋に穴が開いていないので器として使用できそうです。蓋が器になるとは考えたものです。 

 

年季の入った土鍋で、見るからに美味しそう!

 

土鍋から麺をすくい上げて……

 

蓋の器に取りいただきます。

しかし、聞いていたこととはいえ麺が硬い……

鍋焼きとは異なり、麺を茹がかず味噌出汁に生麺を入れ煮込んでいるからなのでしょうか? 

それでも硬めです……

 

断面を見ると心は残ってなく、しっかりと茹で上がっているようです。

 

味噌煮込みうどんって感じで、この硬さに嵌まりそうです。具材の玉子もネギも旨い! 味噌も思っていたほど味噌辛くなく良い感じでしたが、さすがに出汁を全部飲み干そうとは思いませんでした。

 

妻はまだお腹が空かないというので、ざるきしめん(1,089円)をオーダーしました。

味噌煮込みうどんを妻に渡し、私が先にざるきしめんを味見させてもらいます。

 

平べったい麺で、改めてきしめんなんだなと思います。

 

つけダレに浸けていただきます。

やはりざるになるとしっかりと腰があり、歯ごたえや喉越しも一段と良く感じました。

私は讃岐うどんの中でも男うどんが好きで、やはり腰の強さには拘りを感じますが、これなら薄いきしめんでも十分合格ラインだと思います。

妻は味噌煮込みうどんの固さには馴染めないようなので、きしめんを少し? 味見して妻に戻しました。

ざるきしめんもとても美味しく、味噌煮込みうどんはその硬さに完全に嵌まりそうです。

ごちそうさまでした!

 

精算時、レジ脇に土産用の味噌きしめんが販売されていたので思わす購入してしまいました。帰宅後いただくのがとても楽しみです。

お腹も大満足ですが、もう一軒寄り道します。

 

名古屋駅前を通過します。

 

ホテルの少し先にある、元祖手羽先唐揚風来坊までやってきました。

 

こちらは待つことなく入店することができました。

 

入店しテイクアウトで手羽先と手羽元をオーダー、スタッフの方がカウンターに座ってお待ちくださいと案内してくださいました。

カウンターにはタブレットが置いてあり、これでオーダーするシステムのようです。

 

タブレットのメニュー表です。

 

カウンターには手羽先の美味しい食べ方という案内シートが置かれていました。

待つこと15分足らず、オーダーしたテイクアウトが出来上がったので受取ってホテルに戻ります。途中ホテルの隣にあるコンビニでビールを購入し部屋に戻りました。

 

シャワーを浴び名古屋名物手羽先唐揚げを肴にビールをいただきます。

 

手羽先2人前、手羽元2人前です。さすがに全て食べつくすことはできず、残りは息子への土産になりました。

さすがに少し疲れたので明日に備え早々に休むことにします。

 

名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)に続く……

 

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