長崎伊万里の散策と呼子のイカの活き造り

久しぶりに妻と一泊旅行の二日目、フルーツバス停と島原雲仙散策に続く後半です。

後半は長崎市内を散策し中華街での夕食、その後長崎の夜景を楽しみ、翌日は早朝の散策後軍艦島ミュージアム鍋島藩の焼物の郷伊万里を散策し呼子イカの活き造りをいただきます。

 

※※「フルーツバス停と島原雲仙散策」を見る ※※

 

今日宿泊する「HOTEL NEW TANDA」(長崎市常磐町)です。チェックイン後長崎市内の散策に出掛けます。

※ 撮影は翌朝したものです。

 

ホテルの近くにある電停から路面電車に乗車します。

 

メディカルセンター前電停から四駅目のめがね橋電停で下車し、眼鏡橋近くの常盤橋までやってきました。

見えている橋は眼鏡橋のひとつ下流に架かる袋橋という石橋です。眼鏡橋に比べると地味に見える橋ですが何か趣きを感じます。この橋の上から見る眼鏡橋は眼鏡のように見え、眼鏡橋のビューポイントの一つです。

 

その袋橋の橋上にやってきました。今回も川面に映る橋の影で双円になり綺麗に眼鏡に見えています。

国指定重要文化財眼鏡橋は日本最古の本格的石橋で、眼鏡橋架橋後に架けられた中島川の石橋は全て単アーチのようです。

 

今回は前回探しきることができなかったハートストーンを探します。眼鏡橋と一つ北側に架かる魚市橋との東側護岸にあることまでは下調べ済みです。

この写真の中にハートストーンがしっかり写り込んでいますが、分かりますか?

 

これが眼鏡橋のハートストンです。やはり日本の観光ポイント、すく傍に沢山の小銭が置かれていました。

 

修学旅行に来られていた学生たちもハートストーンを見つけ盛り上がっていました。

 

日が傾き眼鏡橋の後方に沈んでいきます。

 

中島川に架かる石橋群は元々17世紀頃、風頭山の麓に創建された寺社の参拝者用に架けられたようで、長崎最古の商店街が軒を連ね賑わっていたそうです。

 

長崎を代表するメイン通りのベルナード観光通りを散策します。沢山の店舗が立ち並び多くの方々で賑わっていました。

 

長崎新地中華街の北門に出てきました。

 

長崎新地中華街を散策しながら、今夜夕食をいただく江山楼に向かいます。

 

新地中華街の東門、青龍門脇にやって来ました。

 

その門のすぐ傍に「江山楼」(長崎市新地町)はあります。

 

入口にはメニューが並んでいます。

予約は受付けていないので土曜日ということもあり待つのを覚悟して来ましたが、開店直後だったためすぐに入店することができました。

 

ほぼ満席状態です。

 

メニューです。

オーダーしたのは前回いただいき、とても美味しかった特上ちゃんぽんと特上皿うどん細麺です。二人でシェアーしていただきます。

 

メニューの裏面です。

福建省福州の郷土料理であり熊本県ご当地グルメでもある太平燕《タイピンイェン》や黒炒飯なども気になるところです。

 

特製ちゃんぽんが出てきました。

 

フカヒレ、海老、イカ、豚肉、アサリ、蒲鉾などなど、豪華な具材が盛り沢山、スープは脂っこくなく濃厚で深みがあり魚介系の出汁が効いた鶏がらスープです。

なかでもフカヒレはしっかりと食材の旨味が浸み込んでいて、ファッと感とシャキシャキ感が楽しめとても贅沢な味わいでした。

妻は今までこんな美味しいちゃんぽん食べたことない! と、とても喜んでくれています。

 

特製皿うどんが特製ソー酢と共に出てきました。

 

餡は魚介系の出汁が効いた鶏がらスープです。特製ソー酢は濃厚で甘さ控えの細麺の皿うどんとの相性がよく、さっぱりとした感じが加わり一味違った美味しさが楽しめました。具材はちゃんぽんと同じようですが、皿うどんの細麺は最初パリパリで、途中から鳥ガラスープと具材の旨味が凝縮された餡がからんで柔らかくなった麺の二種類が楽しめます。

皿うどんも美味し~い! と妻はご満悦、遠路食べにきた甲斐がありました。

ごちそうさまでした!

 

再び中華街を散策します。

 

昔妻と訪れた際とても美味しかったゴマ団子を今回も購入することにしました。

 

一つ100円、5個で400円、迷わず5個購入しました。

 

中華街を抜け朱雀門の南側に向かい合うようにある中華門まで出てきました。

この門は中国の技術者を招き、中国産の御影石、太湖石等を使い中国の古典建築様式の本格的な中華門を建造されたようです。

 

ホテル近くにあるメディカルセンター電停まで歩き、路面電車で三駅目の終点石橋電停に到着しました。

 

石橋電停からすぐ近くにグラバー園に向かうグラバースカイロードがあります。

乗口は普通のエレベーターですが、このスカイロードは山の斜面を斜めに上る全国で初めての試みとなる斜行エレベーターで、坂道の多い長崎では日常使いでもとても重宝されているようです。

 

前回訪れた際撮影できなかった展望ポイントで撮影しました。

この後夜間開園されているグラバー園に向かいます。

 

高台にある第二ゲートからグラバー園長崎市南山手町)に入園しました。

ライトアップされた旧三菱第2ドックハウスです。

この建物は1896年(明治29年)、三菱造船所(現三菱重工長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人の乗組員用宿舎だそうで、1972年(昭和47年)まで同造船所で使用された後グラバー園に移築されたそうです。

 

二階テラスから見える三菱重工長崎造船所の夜景です。グラバー園におけるベストビューポイントだそうです。

テラスに取付けられている柱間の欄間はお洒落な感じで、柱間から見る夜景はアーチ状に縁どられ西洋建築ならではの趣を感じます。

園内を下っていきます。

 

旧ウォーカー住宅です。

ウォーカー商会を設立したロバート・N・ウォーカーの次男ロバート二世の旧邸で、1890年(明治中期)頃の建物だそうです。

 当初は大浦天主堂横の祈念坂沿いにあったようで、1974年(昭和49年)にグラバー園に移築されたそうです。

 

旧ウォーカー住宅の内部の様子です。

移築前は母屋の他、和室などもあったようですが、移築の際に洋風部分のみ再建されたそうです。

 

園内の木々は綺麗にライトアップされ、光のツリーも飾られています。

 

リーガー住宅の入口付近にはフリーメイソンのシンボルが刻まれた門柱がありました。

この門は長崎市松が枝町付近にあった住宅のものを移築したようで、柱頭の彫刻がコンパスと定規を組合わせたフリーメーソンのマークのようです。

当時イギリスから渡来したフリーメーソンの人々が最初に住み着いた移住区のロッジのシンボルとしてマークを掲げられていたというような説明がありました。

 

リンガー住宅です。

長崎の明治期の産業経済界に大きな功績を残したイギリス人で、グラバー商会に勤務し、ホーム・リンガー商会を設立されたフレデリック・リンガーの住宅です。

国指定重要文化財で、 1868年(明治元年)頃の建物のようです。木造に石造の外壁、ベランダの床には御影石が敷かれていていました。

 

多角形の室内にはドアが取り付けられていて、とてもお洒落な感じです。

余談になりますが、外食チェーンリンガーハットの社名は、フレデリック・リンガーに因んで付けられたそうです。

 

あちらこちらで長崎港の夜景が楽しめます。

 

さらに下り、クローバーのような華麗な屋根が特徴的な旧グラバー住宅にやって来ました。

1863年文久3年)に建てられた国指定重要文化財です。現存するわが国最古の木造洋風建築だそうで、スコットランド出身の商人トーマス・グラバーが親子二代に渡り暮らしていた住宅です。

 

採光と通風を意識した半円形が特徴的な建物で、日本瓦や漆喰の土壁が使われています。木造菱格子の天井があるベランダや石畳の床に立つ木製の円柱、柱間の吊束はアーチ型の欄間で開放的な雰囲気を作り出しています。

ここで探しものです。

 

み~つけた!

入園時いただいたパンフレットにハートストンの場所が記載されていて、しっかりとライトアップもされていたので、いとも簡単に見つけることができました。妻は大喜びでスマホで撮影していました。

 

1961年(昭和36年)に長崎市からの依頼で彫刻家の富永良雄が製作されたブロンズ像です。

トーマス・グラバーはグラバー商会を立上げ、坂本龍馬など幕末の志士たちに艦船や銃などを提供し、お茶や、絹などを海外へ輸出、貿易で多大な利益をあげたようです。

また、キリンビールの全身であるジャパン・ブルワリ・カンパニーの設立にも深く関わったようで、 キリンビールのシンボルマークの麒麟のデザインはグラバーの髭がモデルとも言われているようです。

 

展望デッキにやって来ました。とても素晴らしい思い出に残る長崎の夜景です。

 

第一ゲートまで降りて来ました。

この後ホテルに向かいます。

 

大浦天主堂の前を通ると、クリスマスバージョンにライトアップされていました。

 

ライトアップされた洋館群や長崎の夜景など、異国情緒あふれる雰囲気を感じながら素敵な夜の散策が楽しめました。

しっかりと長崎の夜景を楽しめたのでホテルに戻り、早々に休むことにします。

 

朝7時前に目覚め、朝食に向かいます。

バイキングなので私は和食コーナーへ……

 

妻は洋食コーナーへ……

 

私の朝食です。

 

妻の朝食です。

 

ホテルのチェックアウトは11時なので、それまで近くの散策に向かいます。

ホテル脇の路地を進むとそのままオランダ坂に繋がっています。

 

オランダ坂の石畳を進むと洋風住宅が立ち並び異国情緒を感じます。

このブルーの洋館は東山手甲十三番館といいい、明治中期に建てられたそうです。昭和初期から中期にかけてフランス代理領事アンドレ・ブクリが住まれていた外国人居留地の代表的な建物のようです。木造二階建て寄棟造りで2007年(平成19年)には国登録有形文化財に指定され、CMのロケ地などとしてもよく使用されているそうです。

 

オランダ坂と活水女学校についての説明板がありました。

 

オランダ坂と東山手甲十三番館、後方に活水女学校(現活水学院)の建物も見えています。

 

オランダ坂を下り8時半過ぎ軍艦島ミュージアム長崎市松が枝町)にやってきました。しかし開館が9時なので付近を散策しながら時間を潰します。

 

軍艦島ミュージアムのすぐ近く、国道499号線の交差点角にある旧香港上海銀行長崎支店記念館です。

この建物は香港上海銀行長崎支店の新社屋として1904年(明治37年)に建てられたようで、 1931年(昭和6年)に閉鎖された後は、警察署や長崎市歴史民俗資料館として利用されていたようです。

 

銀行当時のカウンターなども見えていますが、こちらも9時開館なので入館することができませんでした。

 

軍艦島ミュージアム近くにある駐車場の喫煙場所でモクモクタイムをしていると開館したので列に並び入館します。

 

入館料は1,800円ですが、JAF会員割引で1,500円で購入することが出来ました。

チケットを購入し2階の展示室に上がります。

 

全長30mの巨大スクリーンに約3,000枚の写真を投影され、スタッフの方の説明と共に当時の軍艦島の様子が映し出されました。

※ 以下、軍艦島ミュージアムの写真については掲載許可の承諾をいただいています。

 

南北約480m、東西に約160m、周囲は約1,200mという小さな島に最盛期の1960年(昭和35年)には1,600世帯、5,151人という沢山の方々が生活されていたようです。

 

炭鉱の仕事は高収入だそうですが、労働条件はかなり過酷だったようです。

 

今は見ることができない炭鉱の坑道の様子が再現され、トロッコに乗って入坑していくようなリアルな体験ができました。

 

端島炭鉱で採掘された石炭です。

端島の直下や周辺の海底から良質な石炭が採掘することができ、主に八幡製鉄所に製鉄用原料炭として送り出していたようです。

 

戦後復興の終了を宣言した神武景気の始まった1953年(昭和28年)当時、三種の神器といわれる、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビのある生活の様子が再現されていて、裕福な生活が伺えます。当時のテレビは白黒なのに何故か画面はカラー映像でした。

 

1/150のジオラマプロジェクションマッピング、映像と共に島内のイベントや日常などを見ることができます。

 

軍艦島の説明ビデオです。

 

今は立入ることの出来ない島内の様子がよく分かりました。

 

最新技術を駆使し再現された軍艦島を上下左右360°リアルに見ることができるコーナーもありました。

 

65号棟といわれる9階建ての建物の最上階には、1953年(昭和28年)に高島町端島保育園が開園し、建物の上にある日本一高い場所の保育施設だったそうです。

ただ、当時はエレベーターが無かったことから園児の送迎は大変だったようです。

 

立派な病院もあり日々のささいな疾病から、炭鉱事故の対応をはじめ伝染病などにも対応できる隔離病棟まで備わっていたようです。

 

30号棟の模型が展示されています。この建物は1916年(大正5年)に建設された日本初の鉄筋コンクリート造りのアパートだそうです。

 

内部の様子もリアルに再現されていました。

浴室やトイレは供用で、トイレは海水を使用した簡易水洗だったそうです。処理方法が気になりスタッフの方に伺うと、当時は処理施設などは無くそのまま海に放出していました。時代ですね…… と苦笑いしながら話してくださいました。

 

1916年(大正5年)の様子と2021年(令和3年)の様子の比較ができる模型が並べて展示されています。

 

四階まで上がってきました。

軍艦島の立入禁止区域を仮想上陸体験ができる軍艦島VRコーナーではゴーグルを付け飛行体験することができ、軍艦島の立入ることのできない地区や建物の内部の様子などを細かく見ることができました。VRは初めての経験でしたが、とてもリアルで上下左右360°見渡すことができ、とても感動しました。このミュージアムに行くことがあれば是非体験していただきたいと思います。

エアロバイクはありませんでしたが、VR体験をされている方を見ると左側の写真のようにしきりに上下左右に顔を振っておられました。

※ 写真は軍艦島ミュージアムHPより引用

 

端島銀座近くにあった急勾配の階段「地獄段」が再現されています。2017年(平成29年)東京で上演された~端島軍艦島編〜で使用されたセットをそのまま移築されたそうです。

 

その階段を上ると、端島神社の参拝所がありました。

 

御神体は石炭なのでしょうか……

ここの賽銭は端島整備基金に寄付され、端島の保存に使用されるようなので少しだけ協力させていただきました。

1時間半ほどかけしっかりと軍艦島ミュージアムを楽しむことができました。しかし最近のデジタル技術の進歩には只々驚くばかりでした。

軍艦島への上陸ツアーもありますが、天候に大きく左右され上陸できる確率は非常に少ないうえ、上陸できたとしても崩壊が進んでいるため限られたごく一部しか見学することができないこともあり、このミュージアム軍艦島をより深く知るのにとても役立つ施設だと思います。

この後国道499号線沿いを歩きホテルに戻ります。

 

帰り道国道沿いに旧長崎税関下り松派出所(現長崎市べっ甲工芸館)がありました。

この建物は長崎税関として1898年(明治31年)に建てられたレンガ造、平屋建の擬洋風建築で重要文化財に指定されています。

 

長崎港の対岸に稲佐山山頂展望台が見えています。標高333メートルの山頂からは市街地の全景が望め360度のパノラマが楽しめるようです。天候の良い日は雲仙、天草、五島列島までも望め、夜には1,000万ドルの夜景ともいわれる長崎の夜景も楽しむことができる展望スポットだそうです。

 

ホテルまで戻ってきました。

この後車に乗換えホテルのすく近くにある新地交差点から、ながさき出島道路に乗り、焼物で有名な伊万里を目指します。

 

ながさき出島道路から長崎道に乗継ぎます。

 

西九州道から回るコースもありますが今回は武雄JCTを直進します。

 

武雄JCTから少し走ると川登SAがあったので長崎の土産物購入に立寄りました。

 

長崎の土産と言えば、やはりカステラが定番のようです。

 

スタッフの方に平戸のかすどーすは置いていませんかと伺うと、同じような商品で平戸シュガーラなら置いていますよと勧められ購入しました。

長崎市内で数軒土産物店を回って平戸のかすどーすを探してみましたが、置かれていないようでした。

平戸シュガーラやカステラなど長崎土産も沢山購入することができたので先に進みます。

 

長崎道を快走します。

 

武雄北方ICで長崎道を流出します。

 

武雄北方ICから国道498号線で伊万里を目指します。

 

ホテルから1時間半ほどで伊万里市街地の中心となる伊万里駅に到着しました。

この伊万里駅にはJR九州筑肥線松浦鉄道の西九州線が乗り入れていて、両駅舎は歩道橋で結ばれています。松浦鉄道は旧JR松浦線で1898年(明治31年)に陶磁器輸送のため伊万里鉄道により有田伊万里間が開業したのが始まりで、1988年(昭和63年)にJRから第三セクターに変わり、2002年(平成14年)には 伊万里駅新駅舎完成に伴いJR線と松浦鉄道線が分断され新たにJRと松浦鉄道の駅舎が誕生したようです。

 

松浦鉄道側から見たJR伊万里駅です。

 

松浦鉄道の駅舎内です。

 

まもなく佐世保行き列車の発車時刻のようなので、発車まで待つことにしました。

松浦鉄道伊万里駅有田駅佐世保駅を結んでいますが、列車はスイッチバックでしか行き来することができない構造になっています。現在は有田駅方面と佐世保駅方面への直通列車はなく、全て伊万里駅発着となっていました。

 

12時40分、列車は佐世保駅に向け発車して行きました。

列車を見送り、伊万里市街地を散策します。

 

伊万里市街地の道路沿いには沢山の陶器が飾られています。

 

伊万里駅前交差点には「伊万里色絵夫人立像《いまりいろえふじんりゅうぞう》」が飾られていました。

本来の伊万里色絵夫人立像は高さ40cm程だそうですが、少し大きく作られているようです。

優雅に歩き出そうとする女性の立ち姿は寛文期(17世紀後半)の風俗画を特徴付ける美人画様式だそうで、陶磁器は国内外の王侯貴族や富豪などが観賞用として珍重されていたようです。

 

国道204号線に架かる相生橋南の西側蘭柱に飾られた「伊万里色絵酒樽乗人物型注器像《いまりいろえさかだるのりじんぶつがたちゅうきぞう》」です。実物は高さ37cm程だそうですが、こちらも大きく作られているようです。

 

この像は酒樽に跨るオランダ人が右手に足付きグラスを持ち左手に酒瓶を持っている姿を模ってす。

実物は頭部が栓になっていて、中に酒を入れる容器だそうで下の酒樽には蛇口が取り付けられています。18世紀中頃にオランダからの注文を受け、有田で焼き上げられ輸出されていたそうです。

 

江戸時代は伊万里川河口のこの付近が伊万里津と呼ばれる船着場があったようで、港があった頃の様子が描かれた陶板が説明文と共に飾られていました。

伊万里焼は有田焼、波佐見焼、鍋島焼などの肥前国生産された磁器の総称で、主な積み出し港が伊万里であったことから「伊万里焼」と呼ばれたそうです。

 

相生橋南の東側蘭柱には沈香壺《じんこうつぼ》が飾られています。

 

相生橋の中間の左右蘭柱には「伊万里色絵菊梅文壺《いまりいろえきくうめもんつぼ》(燭台仕立て)」が飾られています。実物は高さ66cm程だそうですが、こちらも大きく作られているようです。

 

古伊万里はヨーロッパでは器としてだけでなく、金工技術を加えて王侯貴族の宮殿などを飾っていたようです。また背景には18世紀にヨーロッパで流行した燭台金具の装飾にあるような曲線と渦巻を多用したロココ様式の風潮に、金彩や赤絵を駆使した色絵陶器の絢爛豪華さが好まれたからのようです。

 

相生橋北の西側蘭柱にも沈香壺が飾られていました。

実物は高さ90cm程だそうですが、こちらも大きく作られているようです。

 

伊万里色絵楼閣山水文大壺《いまりいろえろうかくさんすいもんおおつぼ》」です。

綺麗な丸みを持った形は陶磁器の本場中国で誕生したそうで、このような形状の壺を沈香壺といい壺の中に香木を入れ来客時に蓋を開けて香りを漂わせ、もてなしたようです。

本場中国の壺を席巻し伊万里焼の壺がヨーロッパの王侯貴族に好まれ広まったようです。

 

相生橋北の東側蘭柱には木の株に留まるオウムを模った「伊万里色絵鸚鵡像《いまりいろえおうむぞう》」が飾られていました。

実物は高さ43cm程だそうですが、かなり大きく作られているようです。

 

鋭いくちばしや脚などの表現力と全体の造形力が素晴らしく、高く評価されているそうで、一度焼いた素地に赤、青、緑、黄、黒などの色絵具で装飾されているようです。

17世紀後半には、像や虎、鷹や獅子、ニワトリなどの動物をはじめ日本女性や若集を生き生きと表した大型の置物も作られ、ヨーロッパの王侯貴族の宮殿などに飾られたそうです。

 

川沿いの浸水防止塀には有田焼の陶器がはめ込まれています。

 

川沿いを歩いているとカリヨンの音色が聞こえてきました。音の場所を探すと相生橋の袂にある佐賀銀行のからくり時計からで船や人形が動いていました。

 

延命橋の北側にやって来ました。東側の蘭柱には「伊万里色絵碁盤乗唐子座像《いまりいろえごばんのりからこざぞう》」が飾られています。

実物は高さ26cm程だそうですが、これもかなり大きく作られているようです。

 

宝珠を握り碁盤に胡坐をかいて座る愛らしいい唐子がモデルです。

江戸時代、碁盤の上で小さな操り人形を踊らせる碁盤人形という座敷芸が流行していたようで、それがモチーフに取入れられたのではないかと考えられているそうです。

ヨーロッパの王侯貴族の間では神秘的な東洋への憧れが強くこのようなエキゾチックな像が喜ばれていたようです。

 

幸橋までやってきました。

幸橋北の東側には、伊万里市が8月4日を橋の日に制定された記念に伊万里焼の夫婦鶏像を設置されたそうです。この焼物には特に銘はないようでした。

幸橋を渡り伊万里神社にお参りすると夫婦円満になると言われているようです。

 

幸橋を渡った南側の東蘭柱には銘はありませんでしたが伊万里焼の鶴亀文沈香壺が飾られていました。

 

北側の夫婦鶏像と共に伊万里市が8月4日を橋の日に制定された記念に設置されたそうです。

 

伊万里川の南側を歩き、延命橋南側まで戻ってきました。

東側蘭柱には「伊万里色絵瓢箪鯰唐子像《いまりいろえひょうたんなまずからこぞう》」が飾られています。実物は高さ26cm程だそうですが、かなり大きく作られているようです。

 

「瓢箪《ひょうたん》で鯰《なまず》を押さえる」とは捉えどころどころのないさまの諺で、ユーモラスなしぐさが大津絵の画材になったり、歌舞伎にも取り入れられるほど庶民に親しまれたようです。

とても遊び心のある作品ではないでしょうか。

伊万里川沿いを相生橋に向かいます。

 

途中脇道に入り、観光協会で伺った伊万里焼の店舗に立寄ることにしました。

伊萬里横丁という通りを進みます。

 

伺ったのは古川陶器店です。

 

創業が1910年(明治43年)だそうで、100年以上の老舗です。

 

立派なものなのでしょう…… 綺麗とは思いますが私にはさっぱり良さが分かりません。

 

見るからに高そうな品々が所狭しと並んでいます。

 

鍋島焼の佐賀藩直営の窯では藩主のをはじめ将軍家や諸大名への贈答品など、高級な焼物が焼かれていたそうです。

 

焼物好きな方が見られれば、どれもこれも超お宝なのでしょうね。

 

妻は色々と品定めをしているようです。こちらの棚の商品は数千円台と私たちにも手が届きそうです。

 

精算時、歴史を感じるレジスターがあるのに気が付きましたが、何と現役で活躍中なのには驚きました。

 

伊万里駅まで戻ってきました。

これから少し遅い昼食をいただきに唐津市呼子に向かいます。

 

国道202号線を走っていると伊万里焼のキロポスト支柱(距離標)もありました。

 

国道202号線を走り伊万里東府招ICから無料区間西九州道に乗継ぎます。

 

区間だけ乗って北波多ICで流出、佐賀県道50号線、33号線、340号線と乗り継ぎます。

 

伊万里から40分ほどで前回友人と訪れた際に立寄った「玄海」(唐津市呼子町殿ノ浦)に到着です。妻にも美味しいイカの活き造りを食べてもらいたいと思い立寄りました。

 

今回のイカアオリイカのようです。

 

オーダーが入ったのか、スタッフの方が入口にある生簀からイカをすくい上げられていました。

 

生簀の中を覗くと、元気いっぱいに泳ぎ回っています。

 

テーブル席に案内されました。

さすが日曜日、15時前だというのに沢山のお客が食事をされていました。

 

オーダーしたのは「いかの活き造り膳」(2,860円)です。

 

しばらくすると「いかの活き造り膳」が出てきました。つい先ほどまで生簀で泳いでいたので鮮度が抜群で身も透き通っていて、妻はこんな透き通ったイカの刺身は見たことがないと大喜びです。  

 

足を元気に動かしていて、さすが活き造り!

 

透きとおった身は、とても美味しそうです。

今回いただいたアオリイカもとても美味しかったのですが、前回いただいたケンサキイカのほうが少し甘味が強かったように思います。

 

活き造りを食べ終えた頃スタッフの方が来られ、イカの耳とゲソの部分は塩焼きか天ぷらのどちらにされますかと聞かれたので塩焼きにしていただくことにしました。

 

塩焼きができる間、イカシュウマイをいただきます。

口に広がるフンワリ感と、ほんのり自然な甘味、プリプリで噛み応えもありる絶品です。

 

耳とゲソの塩焼きができあがりました。

 

程よい塩加減で、イカが新鮮なこともあってかとても美味しくいただくことができ、妻も大満足のようです。

妻はイカシュウマイが美味しかったので実家にも土産に買って帰ると色々と見て回っています。

 

妻が土産物を選んでいる間、私は名越大橋を眺めながら食後のモクモクタイムです。

 

お腹も大満足です。今度はコウイカのシーズンに一度食べに伺ってみたいと思います。

ごちそうさまでした。

ここから唐津に出て福岡ICから九州道に乗継ぎ帰路に就きます。今の時間は15時30分、ゆっくり走っても23時までには十分自宅に帰ることが出来そうです。

 

唐津市街地を抜け唐津ICから無料区間西九州道流入します。

 

途中交通集中による自然渋滞はあったものの、割とスムーズに走ることができています。この先前原ICからは有料区間になり、一気に福岡市街地を抜けていきます。

が……

 

今宿ICを過ぎた付近からしっかりと渋滞していました。

 

渋滞に捉まり5km程の移動に20分余り、福重JCTの分岐部付近で発生した事故のため車線規制されていたのが原因だったようです。

 

福岡高速はとてもスムーズに流れています。前方に福岡タワーが見えてきました。

 

博多ポートタワーが見えてきました。福岡の中心部を走行しているようです。

 

福岡ICで九州道に乗換え、古賀SAに休憩に立寄りました。呼子から2時間15分かかってしまいました。

 

福岡と言えば明太子……

 

そして博多ラーメンです。

土産物を購入し、モクモクタイムを終え18時10分古賀SAを出発します。

 

関門橋を渡ります。

 

1時間15分ほどで美東SAに到着しました。休憩には少し早いようですが、ここで瓦そばをいただくのが定番です。

 

フードコートに向かいます。

 

いつもの瓦そばが出てきました。

 

美味しそ~!

山口県の定番グルメの一つ瓦そばは、熱く熱した瓦の上に茶そばを置きその上に錦糸玉子、牛肉、ネギ、刻み海苔などの具材が盛られた郷土料理です。

いただきま~す!

 

しっかりと焦げ目も付いていて、パリパリ感が最高です。

 

アツアツでジュージューと音を立てている瓦そばを出汁に付けていただきます。

今回の旅行の締めにふさわしい一品でした。ごちそうさまでした!

20時10分美東SAを出発し、途中小谷SAで休憩を挟み23時30分無事帰宅しました。

片付けなどは明日妻にお願いし、帰宅後早々に入浴を済ませ床に就きました。

 

翌日仕事から帰宅後土産物を広げてみました。

伊万里で妻が購入した茶碗と湯飲み……

 

SAで購入した平戸シュガーラ……

カスドースという名前ではないのですが、同じようなお菓子で熊屋で製造されています。

 

早速いただいてみます。

見た目はかすどーすとあまり違わないような感じで、フワフワのカステラ生地にバニラの仄かな風味を感じ、まろやかで甘く贅沢な味わいでとても美味しくいただくことができました。

食べた感じもかすどーすとあまり違わないように思いました。

今回は少しハードスケジュールでしたが、妻がとても喜んでくれたので疲れも感じないようです。また機会をつくって旅行を計画したいと思います。

 

 f:id:momotchi_blog:20210320102142p:plain

カテゴリーに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る