今回は久し振りに妻と休みの合う土日なので、二人でドライブがてら旅行に出掛けることにしました。行先は今年6月友人と訪れた雲仙と長崎、佐賀県呼子でいただいたちゃんぽんやイカの活き造りが美味しかったので是非妻にも食べさせてあげたいと思い決めました。また、前回立寄ることのできなかった雲仙岳の災害資料館なども立寄ってみたいと思います。
長くなるので前半で「フルーツバス停と島原雲仙散策」、後半で「長崎伊万里の散策と呼子のイカの活き造り」の二つに分けることにしました。
金曜日が夜勤明けだったので、帰宅後夕方までしっかりと休み22時に自宅を出発、国道2号線で玉島ICまで走り山陽道に乗り、途中福山SAに立寄りました。
妻からのリクエストもあり、休憩がてら尾道ラーメン(800円)をいただきます。
久しぶりの尾道ラーメンですが、値段が少し高くなっていたようです。
大きなチャーシューや背油もしっかりと乗っていて、とても美味しくいただくことが出来ました。ごちそうさまでした!
車に戻り先に進みます。
途中、玖珂PAに立寄り休憩とモクモクタイム、2時15分壇之浦PAに到着しました。
店内に入ると大きなクジラが出迎えてくれます。
ここで「ふくぶっかけ丼」(1,500円)をいただきます。昨年の10月に立寄っていただいた際には1,380円だったものが少し値上がりしていました。
以前は九州方面に出掛ける際には、美東SAで「美東ちゃんぽん」をいただいていましたが、24時間営業だったものがいつからか1時までに変わったため新たに見つけたグルメスポットです。
フードコートの天井にはクジラが泳いでいます。
待つこと5分余り、「ふくぶっかけ丼」が出来上がりました。
山口では、ふぐには濁点が付かずに、福にかけて“ふく”と呼ぶそうです。
美味しそ~!
出汁をかけていただきま~す!
大きく切り分けられたふぐは食べ応え十分です。
ふぐも量があり、皮も旨い!
とても美味しくいただきました。ごちそうさまでした!
車に戻り先に進みます。
山陽道から九州道、鳥栖JCTから長崎道に入り武雄北方ICで流出、国道492号線で肥前鹿島まで走ります。肥前鹿島から国道207号線に乗換え、湯の峰交差点から多良岳広域農道の多良岳オレンジ街道を走ります。
この広域農道は信号機もほとんどなく国道207号線のバイパス的役割も担っているようで、早朝だというのにそこそこの通行量がありました。
佐賀県から長崎県に入ると多良岳南部広域農道の多良岳レインボーロードに名称が変わります。
多良岳レインボーロードから国道207号線に出てくると前方に雲仙岳が見えました。
交差点から少し走るとミカンのバス停がありました。ここは長崎県営バス上り線の阿弥陀崎バス停です。
有明海の空が朝焼けに赤く染まり始めました。
車に戻り先に進みます。妻は次はどんなバス停かな~ と、とても楽しんでくれています。
途中メロン、スイカ、トマトバス停と現れ、妻はとても喜んでくれています。
阿弥陀崎バス停から3kmほど進むとメロンバス停の井崎バス停です。ロケーションがいいので停車し撮影しました。このバス停の下り線側はイチゴバス停になっています。
これらのバス停は諫早市小長井町が設置されたフルーツを模したフルーツバス停で、道路の愛称は「ときめきフルーツバス停通り」というそうです。ミカン、スイカ、メロン、トマト、イチゴの5種類のフルーツバス停が16ヶ所設置されているようです。
諫早市高来町の交差点で国道207号線から別れ堤防道路を走ります。
この堤防道路の愛称は「雲仙多良シーサイドライン」というそうです。
正面に雲仙岳が見えて来ました。
雲仙多良シーサイドラインの中間付近に展望ポイントがあるので立寄ってみました。 有明海や諫早新地、雲仙岳や多良岳が望める展望歩道橋やトイレなどが設置されています。
締切堤防内側の調整池と諫早新地方面です。
展望歩道橋に上がってきました。
今日の雲仙岳は少し雲が掛かっているようです。
有明海の展望です。
駐車場まで戻ってきました。
駐車場脇には調整池排水ポンプ場が設置されていて、上流河川から流入する水を排出しているようです。
車に戻り先に進みます。
この駅は「愛の駅」という愛称を持ち、愛野駅から吾妻駅行きの切符は「愛しのわが妻」となり、愛の記念切符として販売もされています。
愛野町から雲仙グリーンロードを走ります。北側のグロッコリー畑の先に諫早湾の締切堤防や調整池、その先には多良岳が見えています。
雲仙グリーンロードは島原半島をほぼ一周する島原半島広域農道の愛称で、雲仙市と島原市を結ぶ海岸沿いの国道251号線のバイパスにもなっていて通行量も多いようです。
雲仙グリーンロードからは雲仙岳がいろんな角度から見ることができます。
雲仙グリーンロードから、がまだすロードの愛称を持つ雲仙道路に乗り継ぎ島原外港ICで流出し、国道251号線に乗換えます。
名称の「がまだす」とは島原地方の方言で「頑張る」という意味だそうです。
後で気付いたのですが、がまだすロードをそのまま進み島原南ICで国道251号線に乗換えすることが出来たようです。
国道251号線沿いにある「道の駅 ひまわり」(南島原市深江町)に立寄ります。
この道の駅は雲仙普賢岳の噴火災害を今に伝える展示施設を備えた島原半島唯一の道の駅です。
丁度駅舎が開店したので中に入ってみます。
島原の土産物が沢山並んでいました。
道の駅に隣接している「土石流被災家屋保存公園」に向います。この公園は1992年(平成4年)雲仙普賢岳の土石流により被災した建物群が保存されています。
この施設は雲仙普賢岳噴火による土石流被災家屋を保存し公園化することにより、災害のすさまじさとその教訓を後世に残すとともに、防災の重要性を県内外に伝え防災意識の高揚を促すことを目的として1999年(平成11年)に開園されたそうです。
土石流に埋没した建屋がそのまま保存されています。
展示テント内には三棟の埋没建屋が保存されていました。
一階部は全て土石流で埋め尽くされています。
これらの住宅にお住まいだった方々は1991年(平成3年)5月15日の避難勧告を受け避難されていたため幸いにも人的被害はなかったそうです。
住宅の中まで土石流が流れ込んでいるようです。
火砕流や土石流についての説明パネルが貼られていました。
この住宅だけはこの場所から45mほど離れた道の駅付近にあったものをテント内で保存するため移築されたそうですが、他のテント内外8棟はそのままの位置にあるそうです。
玄関付近は内部が見られるように掘り下げ一部補修して展示されているようです。
説明パネルにあったように、土石流は壁を突き破り家の中を流れている様子がよく分かります。
災害のすさまじさを直接感じることが出来る貴重な施設ですが、避難勧告を受け避難されていたため人的被害がなかったことが何よりでした。
車に戻り、ここから1km程離れた場所にある「がまだすドーム」に向かいます。
がまだすドーム(雲仙岳災害記念館、島原市平成町)にやってきました。
この施設では雲仙普賢岳と有明海を一望でき、館内では雲仙普賢岳の噴火に関する資料が展示されているそうです。
溶岩を加工したモニュメント……
玄関には溶岩を人形にしたモニュメント……
玄関を入ると1991年(平成3年)6月3日に被災し、2005年(平成17年)6月に上木場地区の高台で発見された日本テレビのカメラが展示されていました。
カメラは火砕流の熱で焼け焦げていますが、テープは復元され迫る大火砕流の映像が直前まで残されていたそうです。
展示スペースです。
入館料は1,050円ですがJAF会員割引で840円で入館することができました。
旧南高来郡深江町(現南島原市深江町)大野木場地区で被災し焼け焦げた農機具……
旧深江町大野木場地区で被災し焼け焦げたバイク……
監視を行っていた車両も展示されていました。
島原市北千本木地区で被災し熱風で焼け落ちたガードレールのプラスチック製注意喚起の案内板。
被災した望遠レンズ……
島原市北木場町地区で被災した電話、被災後警戒区域内であったため4年間回収できなかったこともあり風雨にさらされていたようです。
島原市内の各地で発見された被災したものも展示されていました。
日本テレビのカメラマンが使用されていたテレビカメラの三脚で、カーボン製の三脚だったのでしょうか、火砕流の熱で足の部分が細いひも状になっていて、雲台部には溶岩の破片が固着していました。
2005年(平成17年)6月に被災後13年目にして発見された撮影機材で、報道関係者が取材のため多く集まっていた島原市北上木場地区の「定点」と呼ばれていた場所で発見されたようです。
北千本木地区で火砕流により焼けた電柱……
旧深江町の大野木場小学校近くで発見された雨どいや水道パイプです。火砕流の熱風により焼けただれキリン斑点状になっています。
火砕流で焼けた島原13分団の団員の方の合羽です。島原13分団は被災した上木場地区の分団だったようです。
南上木場地区で発見された被災した三輪車……
北千本木地区で発見されたバイク……
溶岩ドームについての説明や……
火砕流の仕組み……
火口から吹き上げられた溶岩が空中でちぎれて特殊な形に固まった火山弾……
最初に噴出した溶岩……
発泡した溶岩……
噴火で放出された火山礫……
1991年(平成3年)5月24日、島原市街地に迫る初めての火砕流……
1991年(平成3年)5月29日、迫りくる火砕流……
1991年(平成3年)6月3日、火砕流で炎上する上木場地区の住宅、田畑には火山灰が降り積もっています。
火砕流や土石流の被害がどれくらいの範囲に広がったかをプロジェクションマッピングで表現されていました。
平成新山の溶岩ドームや火砕流で被災した旧大野木場小学校などの様子を上空から空中散歩感覚で見ることができます。
エレベーターで展望デッキに上がってきました。正面には普賢岳、後方には有明海の展望が開けています。
海側には東日本大震災時女川漁港を襲った津波18.3mが分かる表記がありました。
北方向には島原復興アリーナの先に1792年(寛政4年)の火山災害「島原大変」で出来た九十九島《つくもじま》が望めます。
エレベーターで二階に降りてきました。
マグマが上昇する時の振動や火砕流が流れる時の振動など、貴重な噴火の記録を残した地震計も展示されています。
雲仙普賢岳の噴火前の様子と……
噴火後のモデルが展示されていて変化の様子がよくわかりました。
火砕流で焼けた木材です。
表面は炭状態です。
島原復興アリーナの傍に自衛隊災害派遣で活躍したヘリコブターと装甲車、その奥に雲仙普賢岳噴火災害消防殉職者の碑がありました。
駐車場に戻り大野木場砂防みらい館に向かいます。
大野木場砂防みらい館(南島原市深江町)に隣接する旧大野木場小学校被災校舎です。
1991年(平成3年)9月15日に発生した大火砕流により付近の民家などと共に小学校は全焼したようですが、深江町では避難が徹底していたため人的被害がなかったのが幸いです。
この災害の驚異と自然災害のすざましさを継承する火砕流遺構として当時のまま残されています。
玄関付近の様子です。
柵がありこれ以上校舎には近付けませんが、一瞬にして全てを奪ってしまった自然の脅威を感じます。
火砕流の熱風で窓ガラスは熔け、曲りくねった窓枠しか残っていません。
教室内は丸焦げ状態で、火砕流の凄まじさが伺え自然災害の恐ろしさがリアルに体感できます。
鉄棒や砂場が残されていますが、鉄棒も熱風で変形していました。
旧大野木場小学校被災校舎と大野木場砂防みらい館(国交省大野木場監視所)、その先に雲仙普賢岳が望めます。
普賢岳からの火砕流の強烈な熱風により被災した校舎が当時のままの状態で残された貴重な被災遺構施設でした。
大野木場砂防みらい館に向かいます。
館内は監視施設の他に資料館にもなっていて、復興作業での無人装置の機器や災害の状況などの説明パネルや写真などが展示されています。
民家に迫る火砕流……
被災した旧大野木場小学校の教室……
被災後の旧大野木場小学校付近の航空写真……
読売新聞社の記者が撮影された写真……
初期の溶岩ドーム……
三階の展望所からは雲仙普賢岳が望め、火砕流の堆積状況などを間近に見ることができます。
溶岩ドームから採取された溶岩……
地獄跡火口付近で採取された溶岩……
第11溶岩ドームが出現した場所で採取された溶岩……
降雨により侵食され谷間を大きな溶岩の塊が転げ落ちてきたようです。
復旧作業中の現在でも土石流が発生しているようです。
溶岩ドームが崩落した大きな火砕流の塊です。
現在でも土石流が発生するなか、最大限に安全を確保しつつ復旧作業は続けられているようです。
多くのマスコミ関係者などの方々が被害に遭われた定点という場所です。
地元消防団が警戒のため詰所として使用されていた農業研修所跡地です。この場所でも多くの消防団員の方々や警察官が殉職されたようです。
水無川北側に位置する安中地区の被災状況の航空写真です。
山頂から海の間近までの7.5kmを流れ下った土石流の様子がよく分かります。
上記写真の位置関係を示す地図です。
屋外の展望テラスに出てきました。
地元消防団や警察官の方々などが被災された農業研修所跡地です。
多くのマスコミ関係者などが被災された定点です。
展望テラスから見た大野木場小学校です。
この施設では噴火災害の脅威や復興対策、火山活動のしくみなどを知ることができ、大変勉強になりました。
駐車場に戻り雲仙に向かいます。
国道57号線でクネクネの山道を上ってくると、仁田峠の案内板があったので立寄ってみることにしました。
仁田峠に向かう仁田峠循環道路は一方通行で、環境保全協力金100円が必要です。この道路は1956年(昭和31年)に全線が開通、日本道路公団(現NEXCO)が管理運営した最初の有料道路で、2009年(平成21年)4月1日に雲仙市に移管され無料開放されたようです。
仁田峠の第2駐車場に到着しましたが、雲仙岳山頂付近は雲が掛かっています。
この展望台からは北側間近に普賢岳が迫り東から南方向には島原市街地や島原湾、有明海、天草半島などが望めました。天候がよければ九重連山まで望むことができるようです。
平成新山(溶岩ドーム)からの斜面はかなりの急斜面です。
平成新山についての説明板が設置されていました。
この道路を上ってきました。
展望台から見た水無川の様子です。
右手前に先ほど立寄った大野木場砂防みらい館も見えています。
有明海の先には天草半島が望めます。
雲が少し切れ山頂付近が顔を覗かせてくれました。
車に戻り先に進みます。
峠付近からはロープーウェイと雲仙岳が望めました。
雲仙温泉に到着し、有料駐車場に車を置き温泉街を散策します。
指湯がありました。指先だけ入浴、ちょっとだけ温泉気分!
お腹が空いたと妻が言うので前回食べ損ねた「地獄そうめん」をいただいてみることにします。
豚汁や団子、肉そうめんや焼そうめんなどもあるようですが、シンプルに地獄そうめん(650円)にしました。
カウンターでオーダーします。
待つこと10分足らず、「地獄そうめん」が出来上がりました。
カウンターで受け取り二階のテーブル席でいただきます。
アツアツのそうめんにシイタケや竹輪が乗っています。
蒲鉾ではなく竹輪が乗っているのも地域性でしょうか? いただいてみると、ものすごい熱いという訳でもなく特に辛いという訳でもなく、出汁の効いた優しく美味しい地獄でした。
グツグツの火鍋で煮立っているそうめんが提供されれば、なお一層の地獄感が出てインスタ映えするのではないかと思いました。
雲仙地獄を散策します。
雲仙地獄は雲仙の古湯と新湯の間にあり、温泉余土という白い土に覆われています。
温泉がボコボコボコと湧出ています。
あちらこちらで轟々と温泉の噴煙が湧き上がっています。
白濁色の温泉が湧き出ています。
雲仙地獄の温泉たまごです。
1個100円、5個で400円なので5個購入しました。
この後長崎に向かいます。
後編「長崎伊万里の散策と呼子のイカの活き造り」に続く……