赤蕎麦の花

そろそろ赤蕎麦の花が咲いているのではないかと思い、岡山県のほぼ中央部付近に位置する久米郡美咲町へツーリングがてら赤蕎麦の花の撮影に出掛けてみる事にしました。今日の昼食は紅そば亭で蕎麦をいただき、中島ブロイラーに立寄り今夜のおかずを購入する予定です。今日の最高気温は岡山で28℃位まで上昇するようなので夏用のパンツにジャケットを着て出発することにしました。

岡山市街地を抜け国道53号線を北上、北区建部町の川口交差点を左折し県道30号線(落合建部線)に乗換えます。

しばらく進むと旭川第二ダムがあります。一般的にはそう呼ばれていますが、実は堤高が河川法の15mというダムの基準以下なのでダムではなく堰堤《えんてい》だそうで、「旭川第二堰堤」というのが正式名称だそうです。ちなみに3km程上流に旭川ダム(完成当時は旭川第一ダム)があり、この第二堰堤は逆調整池として作られたようです。しかし、この堰堤にも発電所があるので下流に逆調整池の堰堤かダムが必要な気がしますが……

旭川第二堰堤を過ぎるとすぐに県道70号線(久米建部線)の交差点があるので右折します。

この県道は幅の狭い箇所が多々あるため、車での通行は気を使いますが、今日はバイクなのでス~イスイです。

美咲町境まで上ってきました。紅そば亭はこのカーブの先にあります。

紅そば亭《あかそば亭》(久米郡美咲町境)に到着しました。紅そば亭は地域の方々が地域の事業として運営されているので境地区の公民館に併設されています。

「棚田のそば屋 紅そば亭」です。店の名前は「紅そば亭」、食べるのは「赤そば」、栽培されているのは「赤蕎麦」です。暖簾をくぐり中を覗くと数人の方がおられましたが座ることは出来そうなので店中に入ります。

入店するとスタッフの方から「検温とアルコール消毒をして食券をお願いします」と案内されました。前回と店内の様子が少し変わっていて、券売機も新たに設置されていました。伺うと、今年から券売機を導入されたそうです。

壁に掛けられたポップを見ると、お目当ての「赤そば」は土日のみのようです。

券売機のメニューを見てみると「十割そば」があったので、今回はその「十割そば」(900円)をいただくことにしました。

席に座りパンフレットを眺めながら待つことに。

机の上には「赤米」が置かれていました。

さすが赤米、赤い米でした。

「十割そば」が出て来ました。

美味しそ~! いただきま~す!

さすが十割蕎麦、コシもあり風味もあり喉越しも最高! 

それに長く繋がっている…… 当たり前か…… 

でも、その当たり前が二八蕎麦でも私が打つと、水回しが悪いのか短く切れ切れになってしまいます。まして十割蕎麦だと、考えただけで無理です。

蕎麦湯もしっかりといただきました。

お茶も「蕎麦茶」でとても美味しくいただく事ができました。ごちそうさまでした! これから赤蕎麦の花の撮影に向かいます。

紅そば亭の脇にある赤蕎麦畑です。今年はまだ彼岸花が咲いていました。

赤蕎麦の花とツユクサ青い花。絞りをいっぱい絞り込みましたがツユクサにピントが届きませんでした。

蕎麦の花というと一般的には白い花をイメージしますが、文字どおり赤蕎麦の花は赤く、蕎麦の花の一つひとつは、とても小さい可憐な花です。

赤蕎麦の花の後ろにも彼岸花が咲いていました。

彼岸花の後方に回り込み撮影してみました。

県道373号線と町道の分岐を県道側へ下り赤蕎麦畑に到着しました。

赤蕎麦の花の奥には茅葺屋根にトタンを被せた民家が見えています。

段々畑には沢山の赤蕎麦の花が咲いていました。今度は町道に戻り上から撮影してみます。

町道側にやって来ました。右の見える道路が先程いた県道です。段々畑では赤蕎麦の花を撮影されている方が見えました。

一面に赤いカーペットを敷き詰めたように綺麗に咲いています。

更に高い場所から撮影しました。

更に上っていくと、白い蕎麦の花も咲いていました。しっかりと蕎麦の花を撮影できたので、広域農道で久米南町へ向かいます。途中県道376号線(上籾誕生寺停車場線)に乗継ぎ、誕生寺小学校の脇を抜け国道53号線に合流し津山方面に向かいます。

中島ブロイラー(久米郡久米南町里方)に到着しました。いつもの事ながら駐車場には沢山の車が停まっていて、店には行列が出来ていました。しかし土日に比べると比較にならないほど短い行列です。

待つこと5分足らず、やっと順番が回ってきました。コロナの感染対策で入店は三組までで、7月から一部値上げがあったようです。

今日はもも焼きに唐揚げ、それに串焼き20本を購入、会計は2,650円でした。

レジの脇には美味しそうな丸焼きも並べられていました。バイクのトランクルームに積込、国道53号線を走り一路自宅へと帰路に就きます。

夕食前に大皿に盛りレンジで温めていただきましたが、妻や息子は大喜びで美味し美味しいと言いながら食べてくれました。妻や息子が喜んでくれて何よりです。紅そば亭には新蕎麦が食べれるようになれば、また食べに出掛けてみたいと思います。

今日は気温が上昇し、日中は30℃近くまで上がったようで、夏の服装は大正解でした。しかし明後日からは一気に気温も下がるようなので夏服も今回が最後かもしれません。そろそろバイクも夏バージョンから冬バージョンへ衣替えしなくてはならないようです。

 

f:id:momotchi_blog:20191127094911p:plain 

このブログのトップに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る

花梨と彼岸花

自宅の花梨の実が大きく育っていて、彼岸花も咲いていたので撮影してみました。

花梨は今年しっかり切込んで余分な枝をかなり取り除いたこともあってか、沢山の実が付いていました。もう少しすれば黄色く綺麗に色づくはずです。花梨は毎年はちみつ漬けにしていますが自宅で使用する量は知れているので、近所や職場に配っています。今年も沢山の花梨を配ることができそうです。

花梨の手前にはサルスベリの花も咲いていましたが、時期は少し遅かったようです。

数輪ですが白い彼岸花も咲いています。母が白い彼岸花はなかなか増えてくれないとこぼしていました。

毎年毎年少しずつ株分けした甲斐があってか赤い彼岸花はかなり増えてきたようです。

私の知らない名前の花も沢山咲いていました。

赤い彼岸花と黄色い花のコントラも綺麗です。

八重咲きの扶養も咲いていました。先日行った真庭の彼岸花とは比較になりませんが、ちょっとだけ彼岸花を楽しむことが出来ました。

 

このブログのトップに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る

和風居酒屋あかりで食べ比べ

またまた職場の友人に誘われ「おかやま旅応援割」を利用し岡山ワシントンプラザホテルへ宿泊、夕食は「和風居酒屋 あかり」を予約していました。しかし職場の友人の一人が10月1日で転勤することになり、気心の知れた友人数人で急遽送別会をすることになりました。日程の摺合せをしたところ28日しか合う日がなく、二日連続で宿泊することとなってしまいます。ということで、今回は「和風居酒屋 あかり」でコースを変え食べ比べをしてみたいと思います。

夜勤明けの今日、帰宅後休んだ後、天候も悪いようなので15時半頃車で自宅を出発、ホテルの契約駐車場に車を置きホテルに向かいます。

ホテルに到着しました。エスカレーターで二階のフロントに向かいます。

16時過ぎにチェクインをして部屋に入りました。部屋からは桃太郎通りを走る路面電車を眺めることが出来ます。

18時に「和風居酒屋あかり」へ予約しているので友人と二人で歩いて向かいます。

「和風居酒屋 あかり」(岡山市北区野田屋町)に到着です。今回は友人が「旬の味覚を味わえるコース料理」に「120分飲み放題」を付けて、一人5,500円というお得なコースを予約してくれています。

今迄は個室でいただいていましたが、今回はカウンター席でいただいてみたかったのでカウンター席を予約しています。

席はカウンター席の一番奥、窓の外と後ろ側には小庭があります。

カウンター席から入口方向の様子です。

カウンター席には蘭の花が置いてありました。板さんの前でいただくのも、たまにはいいものです。

先付けの「黒豆豆腐」、飲みものは生ビールからいただきます。黒豆が使われているので豆腐の色が黒っぽく少し弾力を感じます。食べると、とろけるような食感で、とても濃厚な黒豆の甘さのようなものを感じました。

二品目は「ナンキン豆腐」です。なめらかな口当たりで、もちもちとした食感、仄かにナンキンの風味を感じます。

友人は一杯目の生ビールを空け瓶ビールに切り替えましたが、私は三杯目の生ビールをオーダーしました。

三品目は「カンパチのかま塩焼き」です。脂も乗っていて、とてもジューシー、ついついビールが進んでしまいます。

ビールもいいですが、かま焼きには焼酎も合いそうです。「大隅」という鹿児島の麦焼酎の水割りを濃いめでオーダーしました。

「鱧の香り揚げ」です。シシトウも添えられています。サクッとした衣と鱧のふんわりとした食感で美味しくいただけました。

蒸し鶏の酢の物」、上の乗っているピンクペッパーはかすかな香りと少し酸味、渋みを感じ、いいアクセントになっていました。

次は何を飲もうかメニューとにらめっこ……

サントリー角の「ジンジャーハイボール」をいただくことにしました。

タバコタイムです。屋内は禁煙なので、外へ出て駐車場脇の喫煙場所でタバコを吸います。タバコを吸っていると色々な路面電車が通過していきます。

店内の入る時、入口のメニューに目が留まりました。

秋のお勧め「鱧と松茸の土瓶蒸し」です。席に戻り友人に話をすると、前回一人で食事に来た際にオーダーした7,000円の「料理長おまかせコース」にはこの土瓶蒸しが付いていて、とても美味しかったそうです。

ということで、「鱧と松茸の土瓶蒸し」を追加オーダーしました。鱧と松茸は「出会いもの」とも言われ、絶妙の相性だとも言われているので、いただくのが楽しみです。

蓋を開けると松茸のいい香りが漂います。スダチを搾りいただきます。

中を覗いてみると大きく切り分けられた松茸、鱧、岡山特産の黄ニラも添えられ、とても美味しそうです。やはり鱧の旨味と松茸の香りを楽しむには土瓶蒸しが一番ではないかと思います。夏に産卵を終えた鱧は身の厚みを増し脂も乗ってきているので、松茸との相性も抜群! 至福の味わいを楽しませていただきました。

締めの食事は出汁汁に焼きおにぎりが入いった「焼きおにぎり茶漬け」です。

しばし考え……

おにぎりを砕き、土瓶蒸しの具材を乗せ少し贅沢なお茶漬けでいただきました。

今度は「桃太郎ハイボール」をオーダーしてみました。想像どおり仄かに桃の香りを感じるハイボールでした。

飲み放題のラストオーダーは生ビール、友人は相変わらず瓶ビールをオーダーしました。

デザートは和三盆プリンです。和三盆の濃厚でクリーミーな味わいが楽しめました。

今夜もしっかりといただき大満足です。時間はまだ20時半、天候も回復したようなので久しぶりに夜の街に出ていくことにしました。飲みに出るのはコロナの影響で3~4年振りではないかと思います。

行付けの店に久し振りに出掛けましたが、ママも女の子も頑張っていました。少しだけ飲んで歩いてホテルに帰ります。

岡山バプテスト教会です。夜の教会もなかなかお洒落な感じです。

今まで気付きませんでしたが花時計もあったようです。

夜の西川緑道公園を歩くのも久し振りです。

桃太郎通り近くまで戻ってきました。この後ホテルに戻りゆっくりと休みます。

翌日の朝食です。10時前にチェックアウトし一度自宅に戻りました。

16時前にホテルに戻りましたが、今夜は日勤者もいるため少し遅らせ19時に「和風居酒屋 あかり」を予約しているのでかなり時間があります。シャワーを浴び少し休んで駅前のカメラ店に出掛けてみることにしました。しかし残念ながらお目当てのカメラは置いて無く、レンズや他のカメラを見て時間を潰します。

18時半過ぎに一度ホテルに戻りました。

18時50分にロビーで友人たちと待ち合わせ「和風居酒屋 あかり」に向かいます。

今夜のコースは、地魚や黄ニラなどが楽しめる全9品、5,000円の「岡山尽くしコース」に「120分飲み放題」2,000円を付けています。このコースは前回妻といただいたものと同じで、岡山の郷土料理を楽しめるコースです。最初は全員生ビールで乾杯です。

先付は「下津井蛸の自家製たこわさび」です。下津井ダコは全国的にも有名な岡山を代表する海の幸の一つです。

もう一品は「ママカリの酢漬け」です。ママカリの旬は初夏から晩秋でサビキで簡単に沢山釣る事の出来る岡山を代表する魚の一つですが料理するのが大変です。私は焼いたママカリを二杯酢に漬けたものが好きですが、今回のような酢漬けやママカリ寿司などが有名なようです。

造りはカンパチとサワラです。

煮物は「鯛と茄子の銀餡掛け」です。

焼物は「岡山県産鶏の黒七味焼き」です。黒七味のピリ辛と揚げゴボウとの相性も良く美味しくいただきました。

油物は「瀬戸内産穴子の天婦羅」です。穴子、シシトウ、茗荷が乗っていて、天汁が付いていますが、私は添えられていた岩塩でいただきました。

酢の物は「サワラのたたきポン酢ジュレ」です。酢があまり主張しない上品な味付けです。

締めの食事は「黄ニラ雑炊」です。黄ニラは全国の7割が岡山で生産されている岡山の特産野菜の一つです。食べると黄ニラの風味が口いっぱいに広がります。玉子は岡山県産の濃厚卵が使用されているようで味に深みを感じました。

デザートは「備前鷹取醤油さんの醤油アイス」です。芳ばしい香りとコクを感じ、味はさながら塩キャラメル、とても美味しくいただきました。

複数人で飲酒するのは3~4年振り位ではないでしょうか、友人と色々と話をしながら飲んでいると、あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。転勤する友人もとても喜んでくれて、いい送別会となりました。

ここ「和風居酒屋 あかり」は手軽に岡山の郷土料理を味わえ、居酒屋なのに味付けも高級店にも負けない程の上品な味わいです。しっかりと友人たちと酒も楽しむ事が出来たので大満足! ホテルに向かいます。明日は日勤なので少し早くホテルを出発するので早々に休むようにします。

 

f:id:momotchi_blog:20191127112138p:plain
このブログのトップに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る

真庭市の彼岸花

前回の台風14号では山陽九州新幹線が終日運休したり、西日本や九州の高速道路も広範囲で通行止になるなど交通機関に大きな影響を及ぼし、九州では多くの被害もあったようです。今回の三連休も台風15号の影響を心配していましたが、昨日東海沖で温帯低気圧に変わり西日本には影響はなかったもものの、東海や関東などでは記録的な大雨となり大きな被害もあったようで、被災地域の早期復旧を心中より祈念いたします。ある程度の雨は必要ですが、程々にとも思います。

今日は三連休の中日、私はこの日一日だけの休日ですが世間一般では三連休、大手企業では前回の土曜から九連休のところもあるようです。そんな貴重な一日ですが今が盛りと咲く真庭市彼岸花を見て、残り少なくなっていた湧水を汲み、今が旬のブドウを購入するため妻と義父母の四人でドライブがてら出かけることにしていました。しかし前日に義父が腰が痛むとので長時間車に乗るのは無理のようだと連絡があり、やむ無く三人で出掛けることになりました。

妻の実家を出発し高梁川沿いに北上、酒津交差点を経由し総社から国道180号線に乗換さらに北上します。総社市日羽の交差点を右折し市道を走り、県道57号線(総社賀陽線)、県道78号線(長屋賀陽線)と乗継ぎしばらく進むと岡山道の賀陽ICの西にある交差点に出てきました。このコースを走ると高梁市街地を短距離で迂回でき高梁市巨瀬《こせ》町で国道313号線に出ることが出来ます。

途中、国道313号線にある「道の駅 醍醐の里」(真庭市鹿田)で少し休憩します。

「道の駅 醍醐の里」から20分足らずで「川東公園」(真庭市古見)に到着しました。駐車場はほぼ満車状態でしたが何とか停める事ができ、私たちも彼岸花が咲き誇る堤防に向かいます。

今が盛りと咲く彼岸花です。

少し法面を下り彼岸花を撮影しました。花はほぼ満開で見事なまでの彼岸花の群生です。

ここの彼岸花は人の手によって植えられたものではなく自生したものだそうです。

自生している彼岸花で、これだけ密集しているのは珍しいようです。

彼岸花の別名は曼珠沙華ですが、昔山口百恵曼珠沙華を収録したレコード「二十才の記念碑 曼珠沙華《マンジューシャカ》」のジャケット写真が篠山紀信が撮影された山口百恵セミヌードだったのが印象的だったように思います。

余談はさておき、見事な彼岸花のレッドカーペットです。

その赤い彼岸花の中に白い部分が……

赤い絨毯を敷き詰めたような彼岸花中に白い彼岸花も咲いています。

木々の周りや、その奥一面に彼岸花が広がっています。

彼岸花田圃の畦や土手などでよく見かけますが、鱗茎に毒性を持つことから土に穴を掘るモグラやネズミなどの被害を避けるために畦や土手などに植えたとも言われています。

そんな鱗茎に毒性を持つ彼岸花ですが、その鱗茎は石蒜《せきそう》という生薬で近年毒性成分のひとつ、ガランタミンがアルツハイマー認知症などの薬として医療現場でも活用されているそうです。

そんな彼岸花をしばしご堪能ください。

しっかりと彼岸花を満喫したので、「夏日の極上水」に湧水を汲みに向かいます。

国道313号線に戻り真庭市勝山で国道181号線に乗継ぎ、真庭市月田で県道52号線(新見勝山線)に乗換、30分程走ると大佐山が見えてきました。

新見市大佐小阪部で県道58号線(北房川上線)に乗換え5分弱北上すると「夏日の極上水」の案内板があり左折し市道に入ります。

市道交差点から5分程で「夏日の極上水」(新見市大佐上刑部)に到着しました。持参した容器にしっかりと湧水を汲み、昼食に向かいます。

新見市街地を抜けやって来たのは新見市哲多町宮河内にある「食源の里 昇華」です。撮影したのは食後なので駐車場は空いていますが、到着した時にはほぼ満車状態でした。

入口には「本日 満席」との案内板が置かれていますが、予約済なので大丈夫です。

早々に店内に向かいます。

入口を入るとテーブルの上にアケビが置かれていました。

席に案内され、出された茶は野草健康茶の「新郷源茶」だそうです。スタッフの方に「新郷源茶」ってどんなお茶なのか伺うと、こんなお茶ですよと販売されていたお茶を持って来てくださいました。味はハブ茶ドクダミ茶のような感じでした。

オーダーした「薬膳御膳」が出て来ました。前菜は季節の前菜三種、造りはコンニャクと白キクラゲの造り、強肴は薬草の天婦羅、飯物は雑穀飯、香の物は季節の香の物、汁物は山菜蕎麦、最後の甘味はアロエデザートです。

しかし、まだ釜の雑穀米が炊き上っていないので、山菜蕎麦からいただきます。

季節の前菜三種は、胡麻豆腐、ハスの実、キクラゲとキンシサイです。

今日の天麩羅はタンポポツユクサ、キクイモ、ユキノシタ、ハツガニンニクが盛られています。

白キクラゲとコンニャクの造りは、酢味噌を付けていただきます。

グツグツといい音が聞こえ始め、いい香りの湯気が漂います。

少し蒸らして蓋を開けると美味しそうな雑穀米が炊きあがっていました。

今回は雑穀米にかけるゴマ塩をお願いしました。

デザートはアロエにナツメそれにクコの実に松の実が入っています。しっかりと美味しい薬膳料理をいただき、義母もとても美味しかったと喜んでくれました。この後今が旬のぶどうの購入に草間カルストにある村上農園に向かいます。

一度国道180号線まで戻り国道180号線を南下、川合橋西交差点を左折し県道78号線(長屋賀陽線)に乗換えて草間カルスト台地に上り、新見市土橋で県道50号線(北房井倉哲西線)に乗継ぎしばらく走ると、前回桃を購入した「大原観光果樹園直売所」の反対車線側の入口に「村上農園」の小さな案内板がありました。

案内板には300mとありましたが感覚的には200m程で村上農園(新見市草間)に到着しました。以前電話で自宅で食べるのでB級品もありますかと伺った際、B級品もありますよと言われ、近くに来たらお茶でも飲みに寄ってくださいと声掛けいただいていました。自宅脇にある直売所には所狭しと沢山のぶどうが並んでいます。「自宅で食べるのでB級品の安いものがありますか?」と伺うと、「ありますよ、試食もしてみてください」と進められ、ピオーネとシャインマスカットをいただきました。大粒でとても甘くて美味しいぶどうで、さらにコーヒーまで出していただきましました。

ピオーネを6房とシャインマスカット1房を購入しました。「色付きが悪いのですが、一つどうぞ」とピオーネを1房オマケしていただきました。ピオーネは1房約500~550g、平均630円程、シャインマスカットは約400gで800円でした。妻の実家と下の息子の家、近所にB級品ですが美味しいですよと少しだけお裾分けしました。

ぶどうは10月上旬頃まで収穫出来るそうなので、休みが合えば友人たちとツーリングでまた行ってみたいと思います。義母は長時間の乗車で少し疲れたのではないかと心配していましたが、とても喜んでくれたので久しぶりに親孝行が出来ました。今回は義父が体調が悪く一緒に出掛けることが出来ませんでしたが、また機会を作たいと思います。

 

このブログのトップに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る

久しぶりの野鳥撮影

久しぶりにカワセミの撮影に出掛けてみることにしました。バイクに撮影機材を積込み、自宅を6時半過ぎに出発、目指すは倉敷市福田町にある種松山公園です。7時前に到着すると既に一人の方がおられ超望遠レンズをセッティングされていました。

私もカメラのセッティングを終え話を伺うと6時頃から来られていたそうですが、カワセミは全く姿を見せないそうです。この方は週に一度程この場所に来れれているようですが、ここしばらくはカワセミの姿を全く見られていないそうです。7時半頃、違う場所に行ってみられると引き上げられました。私は8時半頃まで粘りましたが結局カワセミは姿を見せてはくれませんでした。

待っている間、睡蓮が綺麗に咲いていたので撮影しました。

沢山の睡蓮が咲き誇っています。

ガマと睡蓮です。

時間も早いので、この後高梁川へミサゴの撮影に向かうことにしました。高梁川の潮止堰(倉敷市連島町西之浦)に9時前に到着、4人の方がカメラをセッティングされていました。話を伺うと、早い方は朝6時前には来られていたようで、6時過ぎに下流の方で数回ダイブしたそうですが遠過ぎて撮影は出来なかったそうです。しばらくすると、一人、また一人と片付けを始められました。今日はミサゴも駄目なのかと、少し諦らめムードが漂いますが、私は久しぶりなので頑張ってみることにします。

9時10分頃、ミサゴが姿を現しました。

上空を旋回しながら獲物を探しているようです。

しかし、全く飛び込む気配はなく西の山へ帰ってしまいました。隣の方も9時半頃に今日は引上げますと帰られ、残ったのは私と少し離れた場所にセッティングされている方の二人だけになりました。

何度かやってきては上空を旋回し、山に帰るを繰り返しますが全く飛び込んでくれません。この場所は日陰がなく暑い日差しを直接受けてしまいます。みなさん遮光の日傘を持参されていましたが、私は何もないので直接日差しを受け干からびそうです……

10時10分頃、気付くとミサゴがダイブしていました。カメラを向けると水面に上がって飛立ったところでしたが、足にはしっかりと獲物を掴んでいます。

後を追いかけます。

この後東の空に飛去って行きました。しばらくして、もう一人の方も引き上げられ私一人になってしまいました。バイクに積んできたクーラーボックを取りに行き冷たいコーヒーで喉を潤し、もう少し粘ってみることにします。

潮止堰の上流では水上スキーを楽しんでおられます。

気持ちよさそ~

ミサゴは何度かやっては来るものの、上空を旋回し山に帰るを繰り返し全く飛び込んでくれません。結局11時過ぎまで粘りましたが、私も引き上げることにしました。久しぶりの野鳥撮影でしたが残念ながらミサゴのダイブが一回だけで、カワセミの顔も見ることが出来ませんでした。妻に電話をすると「鳥も暑過ぎて出て来ないのじゃないの?」とあっさり言われてしまいました。また少し涼しくなってからリベンジに訪れてみたいと思います。

 

f:id:momotchi_blog:20200116124915p:plain

このブログのトップに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る

古代吉備ロマンを感じるポタリング

今日は岡山県北の蒜山まて足を伸ばし久しぶりに蒜山高原自転車道をミニベロロードEIZER  M300で走ってみようと思っていましたが、あいにく県北は天候が不安定なようなので今回は身近なところで吉備路自転車道を走ってみることにしました。9時過ぎに自宅を出発しようとすると小雨がパラパラし始めたので、一度家に入りPCで雨雲レーダーで様子を見てみると丁度雨雲が差し掛ったようですがその雨雲も昼前には抜けるようです。

11時半頃雨も上がったようなので自宅を出発しました。今回は吉備路自転車道岡山市側の起点である総合運動公園からではなく、途中の吉備津彦神社へ向かい、日本遺産「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜」の一部を吉備路自転車道を走りながら古代吉備のロマンを楽しみたいと思います。

 

吉備津彦神社(岡山市北区一宮)に到着しました。今迄は吉備路自転車道を走る時にはいつも素通りしていましたが、今回は休憩がてら立ち寄ってみることにしました。岡山といえば桃太郎伝説が有名で、その桃太郎のモデルと言われている大吉備津彦命《おおきびつひこのみこと》こと、第七代孝霊天皇の皇子を祀る神社が実は岡山市に二つ 注記1 あります。その一つがここ吉備津彦神社で、後方にそびえる吉備中山には大吉備津彦命墓所があり、麓のこの場所に大吉備津彦命が永住していた屋敷があったようで、その屋敷跡に社殿を建てたのが始まりだそうです。この随神門から少し北に進んだ場所に桃太郎がいるので参拝を済ませ向かってみることにしました。

 

桃から生まれた桃太郎! しっかりとお供の犬、猿、雉を従えています。そのお供の犬、猿、雉は、言伝えによると大吉備津彦命の家来の犬飼部の犬飼健命《いぬかいたけるのみこと》、猿飼部の楽々森彦命《ささもりひこのみこと》、鳥飼部の留玉臣命《とめたまおみのみこと》だそうです。納得し先に進みます。

 

吉備津彦神社を出発し、しばらく吉備路自転車道を走ると国境にある細谷川に架かる両国橋を渡り備前国から備中国に入ります。細谷川は川幅が2m足らずの小さな川ですが、この川が当時の国境になります。

 

備中国に入るとすぐ左に宗教法人福田海本部《ふくでんかい本部》(岡山市北区吉備津)があるので立寄ってみました。境内には全国各地から送られてきた牛の鼻ぐり(牛の鼻に付けられている鼻輪)を供養する「鼻ぐり塚」があります。ちなみに古い話で恐縮ですが、この「鼻ぐり塚」は1972年(昭和47年)に放送されたウルトラマンAの撮影にも使われた数少ない岡山ロケ地の一つです。

 

建物の奥に「鼻ぐり塚」の上部に置かれた石塔が見えています。昔訪れた際に一度参拝しているので今回は参拝を見送り出発します。

 

吉備路自転車道から少し外れ、吉備の中山道と言われる道路を走り吉備津神社岡山市北区吉備津)に出てきました。前記の桃太郎のモデルと言われている大吉備津彦命を祀る神社のもう一つがここ吉備津神社です。今回は写真撮影だけして通過します。

 

吉備津神社参道の松並木です。この橋の袂で吉備路自転車道に合流しました。吉備路自転車道は参道を走らず橋の手前の交差点を横断しています。私は左折し吉備路自転車道に入ります。

 

しばらく吉備路自転車道を走ってから再び離れ、吉備津神社と板倉宿を繋ぐ旧道に入ります。途中鯉山小学校の隣にある妹尾兼康の墓所岡山市北区吉備津)にお参りします。兼康は備中妹尾(現岡山市南区妹尾)の豪族でしたが、領内の新田開墾など農業事業にも尽力され、1182年(寿永元年)には十二箇郷用水の取入口の湛井堰(総社市湛井)を作り用水路を整備されたそうで、今でも用水流域の十二箇郷地域 注記2 はその恩恵を受けているようです。

 

兼康の遺骸が葬られた場所に道勝寺が創建されたそうですが、明治初めに廃寺となり、その跡地は鯉山小学校となっているようです。この後旧山陽道西国街道)の板倉宿に向かいます。

 

山陽道の板倉宿(岡山市北区吉備津)に到着しました。板倉宿は岡山城下から旧山陽道を西に向かって最初の宿場町になります。板倉大橋の袂に「旧山陽道板倉宿」の案内板とその奥の川沿いに大きな石灯籠も残っています。

 

江戸時代の板倉宿の絵図がありました。私は絵図の右下にある吉備津神社から旧道を川伝いにやってきました。当時は松が植えられていたようですが、今は住宅地化された中を抜けてきました。板倉宿は旧山陽道の宿場町であり、四国の金刀比羅宮へ向かう吉備津金毘羅往来、現在の高梁市に向かう松山往来への分岐点、そして吉備津神社門前町としても栄えていたようです。しかし残念ながら現在の街並みからは昔の面影をあまり感じることは出来ないようです。その昔、平安時代末期には絵図左下付近で源平板倉合戦があり、木曽義仲との戦いで平家側の妹尾兼康が敗れた場所でもあります。

ちなみに、金毘羅往来はこのルートの他に「庭瀬金毘羅往来」や「妹尾金毘羅往来」などのコースもあったようで、それぞれ庭瀬や早島で元来のこの吉備津金毘羅往来と合流していたようです。

 

この石灯籠は道標にもなっていうようで、吉備津宮と記されています。

 

こちらの面には、金毘羅大権現と記されています。

 

こちらの面は少し見えにくいですが、瑜伽大権現と書かれていました。板倉宿から南に下り庭瀬を経由して「由加山」こと瑜伽大権現倉敷市児島由加)に参拝し、田の口港から船で四国に渡り「こんぴらさん」こと金毘羅大権現香川県仲多度郡琴平町)との「両参り」に向かう観光ルートの一つだったようです。さらに吉備津神社も含めると「三社参り」、さらに吉備津彦神社を加えると「四社参り」になるのでしょうか? 私は旧山陽道を西に進みます。

 

板倉本陣跡だそうですが当時の面影は全くなく、今は鯉山コミュニティハウスが建っていました。

 

街並みの中に卯建の上がった旧家がありました。

 

国道180号線の板倉交差点に出てきました。交差点の南側には道標が見えています。交差点を横断します。

 

この交差点は真金十字路とも言われ、旧山陽道と松山往来などとの交差点でした。道標には、「右 松山八里 足守二里」「西 井山寶福寺二里半」、裏側には「南 庭瀬三十丁」と記されていました。以前は草が生い茂っていましたが、綺麗に整備されていました。私は旧山陽道を西方向に向かいます。

 

市街地を抜け田園地域に入ります。この道路は中国自然歩道のようで、その案内板がありました。中国自然歩道は、中国5県を一周する総延長約2,295kmの超広大な自然散策が楽しめる遊歩道で、瀬戸内海国立公園など三つの国立公園、四つの国定公園を巡ることが出来ます。全ルートは一繫がりにはなってはいますが、それぞれ10〜50km程のコースが設定されていて個々のコースごとに楽しむことも出来るようになっています。ただこの中国自然歩道は遊歩道なので途中階段区間などもあり、自転車での走破は出来ないのが少し残念ですか……

 

山陽道足守川で突き当たりました。今は橋は架かっていませんが旧山陽道足守川の対岸から西方向へ向かって伸びています。中国自然歩道はこの三差路を南に少し下り矢部橋を渡ってこの先の旧山陽道に戻り鯉喰神社を経由し西に向かっています。

 

吉備路自転車道は三差路を右折し、県道270号線(清音真金線)の新黒住橋で足守川を渡ります。

 

新黒住橋西詰に休憩施設があり、ここでタバコ休憩にします。

 

東屋の近くには吉備路自転車道のルート図が設置されていて、見てみるとこの付近が中間付近のようです。ちなみにこのルート図は下側が北なので少し違和感がありました。しっかりとタバコと水分補給を終え出発します。

 

足守川沿いにしばらく進むと山陽道岡山道が分岐する岡山JCTが見えてきました。

 

岡山JCTの高架下で吉備路自転車道吉備高原自転車道が別れます。1582年(天正10年)、織田信長の命により羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が行った水攻めで有名な備中高松城址やJR桃太郎線の備中高松駅は右方向の吉備高原自転車道で向かいます。今回私は吉備路自転車道を走るので左方向に進みます。

 

田園地帯の中を走っていると左前方に造山古墳《つくりやま古墳》が見えてきました。

 

この交差点を左折し吉備路自転車道から外れ造山古墳に向かいます。

 

造山古墳ビジターセンター(岡山市北区新庄下)に到着しました。駐車場脇には「吉備の大王」という像が設置されていました。後方に見えている小山が造山古墳です。

 

M300を置いて造山古墳ビジターセンターに入ります。

 

1887年(明治20年)、今から135年前の造山古墳周辺の地図がありました。周囲には小さな古墳が点在しているようです。

 

造山古墳は鍵形をした日本の代表的な古墳形式の前方後円墳で、全長が約350m、円墳直径が約190m、高さは約30m、墳丘の長さに対して円墳部の割合が大きいのが特徴のようです。岡山県では最大の古墳で全国でも第4位の規模を誇る巨大古墳、しかも上位3古墳は天皇陵で、それに次ぐ規模だそうです。その大きさから古代の吉備国はヤマト朝廷にも劣らない力を持っいたことが想像できます。築造は古墳時代中期の5世紀前半頃とされ、墳丘に立入ることが出来る古墳としては全国最大の規模だそうで、全国的に見ても貴重でとても身近な古墳のように思います。その造山古墳に上ってみます。

 

案内板に従い細い路地裏を進みます。

 

方墳と円墳の繋ぎ部付近が少し崩落しているようです。

 

住宅地を抜けると石の階段があり、建物だと4、5階程の高さを上り切ると方墳側に地域の氏神様神の荒神社が鎮座していました。

 

円墳に向かう場所には沢山の桜が植えられていました。開花時期に訪れると花見も楽しめそうです。

 

円墳頂上の到着しました。頂上は平らで円形の広場になっていました。羽柴秀吉の中国攻めの際、対峙した毛利軍がこの場所にも陣を築いたためだそうです。

 

円墳から見た南西方向にある方墳です。

 

少し左に目をやると造山古墳ビジターセンターが見えています。

 

東方向には田園の先に岡山JCTが望めます。岡山JCTから田園の中を斜めに走っているのが吉備路自転車道です。

 

少し北方向に目を向けると、最上稲荷の大鳥居や備中高松市街地が望めました。素晴らしい展望も楽しめたので下ります。

 

造山古墳の方墳先端部を走り抜けます。右が方墳端になります。この造山古墳は丘陵を切断して築造された古墳で、左側には造山第一古墳の榊山古墳が見えています。

 

吉備路自転車道に合流しました。左折し先に進みます。

 

要所要所に案内板や路面表示が設置されているので、迷うこと無く進むことが出来ます。

 

沿道にサルスベリの花が綺麗に咲いていました。

 

この先の交差点を左折します。

 

備中国分尼寺跡の脇を通過します。備中国分尼寺の表玄関にあたる南門跡です。

 

沿道の畑では桃が沢山の実をつけていました。

 

こうもり塚古墳(総社市上林)に到着しました。こうもり塚? その名の由来は、発掘当時沢山のコウモリがいたことから名付けられたそうです。この古墳は古墳時代後期の6世紀後半に築造された前方後円墳で、円墳内部には奈良県の明日香村にある石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があるようです。

 

自然の丘陵を使い築造されていて、全長が約100m、円墳径は55~60m程、高さが約8mのようです。

 

入口は大きな石が積重ねられています。石室内部に入ります。

 

この横穴式石室は全長が19.4m、巨大な石が組合わされて造られているようです。岡山県最大の規模で、岡山県の三大巨石墳の一つに数えられ、全国の横穴式石室の中でも第4位の規模だそうです。

 

石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。M300まで戻り先に進みます。

 

備中国分寺が見えてきました。この場所は菜花やコスモスのシーズンに五重塔を背景に撮影する場所です。

 

備中国分寺の前の田園には古代米の赤米が穂を付けていました。

 

赤米と備中国分寺です。吉備路自転車道に戻り先に進みます。

 

沿道にはコスモスが咲き始めていました。

 

竹林と備中国分寺五重塔

 

アオサギが羽を休めていました。

 

吉備路自転車道国道429号線の手前で右折し用水路を渡ってから国道をアンダーパスしています。

 

作山古墳《つくりやま古墳》が見えてきました。先程の造山古墳と同じ読み方なので、地元では造山《ぞうざん》と作山《つくりやま》と呼び分けしています。

 

作山古墳の方墳先端部を走り抜けます。この造山古墳は独立した丘陵の一部を切断して築造された古墳のようです。

 

作山古墳の西側にある駐車場に到着しました。作山古墳は備中国分寺の西約1kmに位置し、全長が約282m、高さが約24mと県内では第2位、全国でも第10位の大型前方後円墳で5世紀中頃に築造されたそうです。上り口が分かり難く少し探しましたが、案内地図の奥付近から上ることが出来ました。

 

方墳の西角斜面を上っているようです。

 

方墳上部に到着しました。木々の間から備中国分寺の五重の塔が見えたので撮影しましたが、ピントが手前の木々に合っていてしまい、ご覧いただけるものではありません……

 

方墳を下り円墳に向かいます。

 

円墳の上りに変わります。

 

円墳上部に到着しました。

 

円墳上部には作山古墳の説明板がありますが、周囲は木々に覆われ展望は望めませんでした。

 

円墳を北東方向に下る道があったのでその道を下ります。

が……

 

途中から笹が道を覆い尽くしていました。ジーパンなどであればそのまま進むのですが、今日はポタリング用の短パンのため分け入るのを諦め、もう一度下りてきた道を上り引返します。

 

円墳から方墳まで戻ってきました。ここからは下るだけです。

 

駐車場まで戻ってきました。日陰がないか探しましたが見当たらず、トイレ脇のベンチでタバコと水分補給をしました。時計を見ると15時過ぎ、今回は総社市役所近くにある「つけそば屋 やまいも」で昼食を考えていましたが、出発時間が遅れたこともあり昼の営業時間は終わっているようです。お腹も何とかもちそうなので、ここで折り返し帰路に就くことにしました。

 

作山古墳を後にします。

 

国道429号線を走り国分寺西交差点手前で吉備路自転車道に戻ります。

 

田園の中を進みます。

 

国分寺五重塔手前に柿畑が見えています。実が熟れる頃、柿を配した五重塔も面白いかも知れません。

 

造山古墳が見えてきました。

 

造山古墳の西側には道路柵に備中国分寺五重塔やサイクリストなどのイラストが描かれていました。

 

北方向から見た造山古墳です。

 

説明板の脇でM300の記念撮影です。帰宅後気付いたのですが、説明板には上部に自転車がデザインされていましたが、写真には全て入っていませんでした……

 

岡山JCTまで戻ってきました。左折すると吉備高原自転車道、私は右折し吉備路自転車道で岡山方面に向かいます。

 

足守川沿いを下り新黒住橋西詰にある休憩施設に到着しました。ここでタバコ休憩にします。しっかりと水分補給とタバコ補給を終え出発します。

 

板倉宿を抜けJR桃太郎線の吉備津駅東にある吉備津神社の参道に出てきました。この付近は昔C56型蒸気機関車が「SL吉備路号」として吉備線(現JR桃太郎線)を走った際に撮影した場所です。

 

吉備津神社の参道から300m程進むと真金一里塚があります。この一里塚は岡山藩を出た後、万成一里塚の次の一里塚で西の浅尾藩(現総社市)方面に至る旧山陽道、松山往来、吉備津金毘羅往来の一里塚として、当時の備中国庭瀬藩板倉郷に設定されたそうです。先に進みます。

 

山陽道と国道180号線が合流する付近にある「備前備中国境標石」 注記3 (岡山市北区西辛川)に到着しました。

 

国道180号線を渡り標石脇にやってきました。

 

M300を置いている橋が備前備中の国境の橋になります。前輪は備前国、後輪は備中国になります。

 

標石から備前国岡山方面の様子です。国道180号線を岡山市街地方面に向かいます。

すると……

 

国境近くの国道180号線に「境目」というバス停がありました。国境だから境目?

 

この地域の住所は岡山市北区西辛川ですが、もしかしたら字が「境目」なのかも知れません。当時の国境の名残なのでしょうか?

バス停近くの路地から吉備路自転車道に戻ります。

 

吉備路自転車道を走り吉備津彦神社まで戻ってきました。木陰で水分補給とタバコ休憩をした後自宅を目指します。

帰宅したのは17時前、幸い天候も持ちこたえ、さほど暑さも感じず気持ちよく古代吉備のロマンを楽しむことが出来ました。走行距離は60km弱でしたが、造山古墳や作山古墳に上ったためか、はたまた久しぶりのポタリングのためか袋萩に多少違和感を感じるので今夜はしっかりとマッサージして休むことにします。また機会を作って出掛けてみたいと思います。

 

注記1

大吉備津彦命を祀る神社は、岡山市の西部、備前国備中国の境に立つ標高175mの吉備の中山、その北西麓の北側に「備中国一宮、吉備神社」、北東麓の東側に「備前国一宮、吉備津彦神社」の二社が鎮座し、備後国には福山市に「備後国一宮、吉備津神社」が鎮座しています。三社とも吉備国を治めたと言われている大吉備津彦命が祀られていますが、吉備津神社吉備津彦神社は距離にして1.5kmほどしか離れていません。

その分社化された経緯は、大化の改新後、吉備国備前、備中、備後に分割されたことに伴い、吉備国の総鎮守であった「吉備国一宮、吉備津彦神社」(現備中国一宮、吉備神社)が「備中国の一宮」、「備前国の一宮」、「備後国の一宮」と分霊されたようです。ちなみに、古くは三社とも「吉備津彦神社」と称していたそうですが、現在は備前一宮以外の二社は「吉備津神社」を正式名としているそうです。

 

注記2

十二ヶ郷とは、総社市岡山市倉敷市に属する、刑部郷、真壁郷、八田部郷、三輪郷、三須郷、服部郷、庄内郷、加茂郷、庭瀬郷、撫川郷、庄郷、妹尾郷の十二郷で、約5,000haの地域です。ちなみに東京ディズニーシーの広さが約50haなのでその100倍の広さです。


注記3 

備前備中国境標石」は児島湾干拓の歴史とも言えます。1589年(天正17年)頃、宇喜多秀家の命により岡豊前守と千原勝利によって児島湾を干拓して新田開発するために築かれた宇喜多堤の築堤に始まり、1956年(昭和31年)年の児島湾締切り堤防の完成までの約400年にも及ぶ長い干拓事業の歴に中で、国境論争や開墾反対運動などの数多くのドラマが生まれたようです。そしてこの標石は児島湾干潟で江戸時代から続いた紛争の最終結論ともいえる歴史的遺産です。

新田開発により国力増強を図ろうとする江戸幕府と、岡山藩や旗本領の思惑、さらに漁業権など備前、備中の村々の利害が複雑に絡み合い国境論争に発展、1816年(文化13年)に江戸幕府により最終決断が下され、それを基に1821年(文政4年)に国境の境界にこれらの標石が設置されました。以前この「備前備中国境標石」を探し歩いたこともあり、また機会を見てブログに纏めてみたいともいます。

f:id:momotchi_blog:20210313144222p:plainf:id:momotchi_blog:20210320102142p:plain

 このブログのトップに戻る

 ももっちブログのトップに戻る

 ブログ一覧に戻る

急行 鷲羽リバイバル運行

先日妻から、昔宇野線(現宇野みなと線)を走っていた鷲羽という急行列車と連絡船が運行されるみたいと聞き調べてみると、JR西日本岡山県などが展開している観光企画「岡山デスティネーションキャンペーン」の一環として企画されたようで、1960年(昭和35)から1980年(昭和55年)注記1 まで153系電車で玉野市宇野と大阪、新大阪、京都間を走っていた旧国鉄の「急行 鷲羽」を再現した特別列車がJR姫路駅と宇野駅間を115系湘南色の電車で運行され、1988年に廃止された旧国鉄宇高連絡船に見立てたフェリーも34年振りに宇野高松間を運行されるようです。

どこで撮影しようか色々と悩んだ末、一番宇野線らしいと思われる風景の玉野市槌ケ原にある鴨川橋梁で児島富士とも呼ばれる常山を背景に撮影してみることにしました。この場所は昔中学生当時、寝台特急瀬戸などの撮影に訪れていたところです。今日は夜勤明けでしたがバイクで撮影に出掛けてみることにしました。

帰宅後朝食を済ませ、バイクで自宅を出発し10時20分頃鴨川橋梁に到着しました。しばらくすると213系宇野行き普通列車がやってきました。この車両は瀬戸大橋線開業時、パノラマグリーン車クロ212を連結して岡山と高松を結ぶ快速マリンライナーとして運行されていた車両です。瀬戸大橋で海上を走るためステンレス車体が採用され、前面部はFRP製カバーで覆われている車両です。

茶屋町行き115系普通列車がやってきました。この車両は115系1000番台を3両編成にするのに伴い、コストを抑えるため中間車の車両をそのまま活用して先頭車に改造した115系1600番台の車両です。

到着時は私一人でしたが徐々に人が増えてきました。

10時57分頃、急行鷲羽がやってきました。

編成が6両と当時の12両編成に比べると少し寂しい気もします。

当時の急行鷲羽で使用されていた153系は国鉄からJRに移行前に廃系になったようで、その勇姿を見れないのはとても残念ですが……

しかし、しっかりと「鷲羽」のトレインマーク(ヘッドマーク)を付けていて、懐かしく感じます。

児島富士をバックに鴨川橋梁を通過している「急行鷲羽」です。

私たちの脇を走り抜けていきました。

急行鷲羽はこの後、八浜駅備前田井駅間にある宇野線で唯一の児島トンネルを抜け終点宇野駅を目指します。帰り便で上り線を走る際にはこのトンネルで撮影する予定です。私も宇野駅に向かうことにします。

宇野駅近くに到着すると「急行鷲羽」は宇野駅に到着する直前でした。駅前で駐輪場を探しましたが見当たらず少し離れた空き地にバイクを置き、まずは跨線橋の上から撮影することにしました。

跨線橋上から見た宇野駅です。急行鷲羽は2番ホームに停車し、多くの方が下車されているようです。今の宇野駅は6両編成までしかホームが対応していないようです。昔の宇野駅は長い編成の列車にでも十分対応出来るだけのホームを持っていたように思いますが、今は幹線から外れた盲腸線の終着駅となっています。

向かいの1番ホームには213系の普通列車が停車していました。

懐かしい「鷲羽」のトレインマーク(テールマーク)です。最近はLEDパネルや液晶画面のデジタル表示に変わってしまい少し残念な気がします。やはりトレインマークの方が優等列車の貫禄を感じます。

2番ホームに停車する「急行鷲羽」です。

3号車と4号車の連結部付近です。「宇野 ⇔ 姫路」の行先標や「鷲羽 WASYU」とうサイド表示がありました。

あれっ…… 「鷲羽 WASYU」「鷲羽 WASHŪ」? サイド表示とトレインマークの表記が異なっていました。

2番ホームのすぐ横の歩道では沢山の方が撮影されていました。跨線橋からバイクに戻ります。

宇野駅のすぐ先には香川県の直島が望めます。

11時38分、茶屋町行き普通列車が発車しました。私は一度自宅に戻り少し休むことにし、16時14分に発車する上り便の撮影に出掛け直すことにしました。

帰宅後寝入ってしまい、気付くと16時を回っていました。この時間だと撮影しようと思っていた児島トンネルには到底間に合いそうにありません。仕方なく急遽自宅近くの南区箕島で丸島を背景に撮影することにし、眠気覚ましのコーヒーを飲んで自宅を出発しました。

県道21号線(岡山児島線)の跨線橋付近に到着しました。箕島地区は旧三島村、箕島村、妹尾町、岡山市へと変わた地域で、三島の由来は「丸島」「小山」「亀島(上の山)」という三つの島があることから名付けられたそうです。この島々はかつては瀬戸内海に浮かぶ島でしたが、児島湾干拓により現在は陸続きとなっています。ちなみに、宇野みなと線(旧宇野線)が開業した1910年(明治43年)当時は干拓に伴い作られた堤防を使用していたそうで、開業当時列車は海岸線を走っていたと祖父から聞いたことがあります。

宇野発岡山行き115系普通列車がやってきました。

丸島の前を通過していきます。

現在瀬戸大橋線で岡山高松間で運用されている5000系快速マリンライナーがやってきました。この車両は高松向き1号車が二階建て車両で、一階が普通車指定席、二階がグリーン車になります。

下り線を岡山発児島行き115系普通列車が通過していきました。

松山から瀬戸大橋を渡りやってきた8000系しおかぜ22号岡山行きが通過していきます。この車両はJR四国の直流特急形電車でオールステンレス製、四国側先頭車は流線型、岡山側先頭車が貫通型の編成でした。

17時9分頃、急行鷲羽がやってきました。

丸島の前を通過しています。

撮影する私たちの前を走り抜けていきました。急行鷲羽はこの後岡山駅に停車し、19時24分に今回の終着駅姫路に到着します。山陽線沿線にも沢山の撮影ポイントがありますが、今回は旧宇野線の撮影だけで十分満足することが出来ました。153系ではありませんでしたが、在りし日の急行鷲羽の勇姿を思い起こし少し感動さえ覚えました。

 

注記1 1960年(昭和35)のデビュー当時「鷲羽」は準急でしたが1966年(昭和41年)に急行に昇格、1972年(昭和47年)に山陽新幹線が岡山まで延伸したのに伴い、岡山~宇野間に快速列車の運行が開始され、それまでの一日11往復から夜行便1往復だけになってしまい、1980年(昭和55年)にはその一便も廃止されてしまいました。

 

このブログのトップに戻る

ももっちブログのトップに戻る

 ブログ一覧に戻る