古代吉備ロマンを感じるポタリング

今日は岡山県北の蒜山まて足を伸ばし久しぶりに蒜山高原自転車道をミニベロロードEIZER  M300で走ってみようと思っていましたが、あいにく県北は天候が不安定なようなので今回は身近なところで吉備路自転車道を走ってみることにしました。9時過ぎに自宅を出発しようとすると小雨がパラパラし始めたので、一度家に入りPCで雨雲レーダーで様子を見てみると丁度雨雲が差し掛ったようですがその雨雲も昼前には抜けるようです。

11時半頃雨も上がったようなので自宅を出発しました。今回は吉備路自転車道岡山市側の起点である総合運動公園からではなく、途中の吉備津彦神社へ向かい、日本遺産「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま〜古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語〜」の一部を吉備路自転車道を走りながら古代吉備のロマンを楽しみたいと思います。

 

吉備津彦神社(岡山市北区一宮)に到着しました。今迄は吉備路自転車道を走る時にはいつも素通りしていましたが、今回は休憩がてら立ち寄ってみることにしました。岡山といえば桃太郎伝説が有名で、その桃太郎のモデルと言われている大吉備津彦命《おおきびつひこのみこと》こと、第七代孝霊天皇の皇子を祀る神社が実は岡山市に二つ 注記1 あります。その一つがここ吉備津彦神社で、後方にそびえる吉備中山には大吉備津彦命墓所があり、麓のこの場所に大吉備津彦命が永住していた屋敷があったようで、その屋敷跡に社殿を建てたのが始まりだそうです。この随神門から少し北に進んだ場所に桃太郎がいるので参拝を済ませ向かってみることにしました。

 

桃から生まれた桃太郎! しっかりとお供の犬、猿、雉を従えています。そのお供の犬、猿、雉は、言伝えによると大吉備津彦命の家来の犬飼部の犬飼健命《いぬかいたけるのみこと》、猿飼部の楽々森彦命《ささもりひこのみこと》、鳥飼部の留玉臣命《とめたまおみのみこと》だそうです。納得し先に進みます。

 

吉備津彦神社を出発し、しばらく吉備路自転車道を走ると国境にある細谷川に架かる両国橋を渡り備前国から備中国に入ります。細谷川は川幅が2m足らずの小さな川ですが、この川が当時の国境になります。

 

備中国に入るとすぐ左に宗教法人福田海本部《ふくでんかい本部》(岡山市北区吉備津)があるので立寄ってみました。境内には全国各地から送られてきた牛の鼻ぐり(牛の鼻に付けられている鼻輪)を供養する「鼻ぐり塚」があります。ちなみに古い話で恐縮ですが、この「鼻ぐり塚」は1972年(昭和47年)に放送されたウルトラマンAの撮影にも使われた数少ない岡山ロケ地の一つです。

 

建物の奥に「鼻ぐり塚」の上部に置かれた石塔が見えています。昔訪れた際に一度参拝しているので今回は参拝を見送り出発します。

 

吉備路自転車道から少し外れ、吉備の中山道と言われる道路を走り吉備津神社岡山市北区吉備津)に出てきました。前記の桃太郎のモデルと言われている大吉備津彦命を祀る神社のもう一つがここ吉備津神社です。今回は写真撮影だけして通過します。

 

吉備津神社参道の松並木です。この橋の袂で吉備路自転車道に合流しました。吉備路自転車道は参道を走らず橋の手前の交差点を横断しています。私は左折し吉備路自転車道に入ります。

 

しばらく吉備路自転車道を走ってから再び離れ、吉備津神社と板倉宿を繋ぐ旧道に入ります。途中鯉山小学校の隣にある妹尾兼康の墓所岡山市北区吉備津)にお参りします。兼康は備中妹尾(現岡山市南区妹尾)の豪族でしたが、領内の新田開墾など農業事業にも尽力され、1182年(寿永元年)には十二箇郷用水の取入口の湛井堰(総社市湛井)を作り用水路を整備されたそうで、今でも用水流域の十二箇郷地域 注記2 はその恩恵を受けているようです。

 

兼康の遺骸が葬られた場所に道勝寺が創建されたそうですが、明治初めに廃寺となり、その跡地は鯉山小学校となっているようです。この後旧山陽道西国街道)の板倉宿に向かいます。

 

山陽道の板倉宿(岡山市北区吉備津)に到着しました。板倉宿は岡山城下から旧山陽道を西に向かって最初の宿場町になります。板倉大橋の袂に「旧山陽道板倉宿」の案内板とその奥の川沿いに大きな石灯籠も残っています。

 

江戸時代の板倉宿の絵図がありました。私は絵図の右下にある吉備津神社から旧道を川伝いにやってきました。当時は松が植えられていたようですが、今は住宅地化された中を抜けてきました。板倉宿は旧山陽道の宿場町であり、四国の金刀比羅宮へ向かう吉備津金毘羅往来、現在の高梁市に向かう松山往来への分岐点、そして吉備津神社門前町としても栄えていたようです。しかし残念ながら現在の街並みからは昔の面影をあまり感じることは出来ないようです。その昔、平安時代末期には絵図左下付近で源平板倉合戦があり、木曽義仲との戦いで平家側の妹尾兼康が敗れた場所でもあります。

ちなみに、金毘羅往来はこのルートの他に「庭瀬金毘羅往来」や「妹尾金毘羅往来」などのコースもあったようで、それぞれ庭瀬や早島で元来のこの吉備津金毘羅往来と合流していたようです。

 

この石灯籠は道標にもなっていうようで、吉備津宮と記されています。

 

こちらの面には、金毘羅大権現と記されています。

 

こちらの面は少し見えにくいですが、瑜伽大権現と書かれていました。板倉宿から南に下り庭瀬を経由して「由加山」こと瑜伽大権現倉敷市児島由加)に参拝し、田の口港から船で四国に渡り「こんぴらさん」こと金毘羅大権現香川県仲多度郡琴平町)との「両参り」に向かう観光ルートの一つだったようです。さらに吉備津神社も含めると「三社参り」、さらに吉備津彦神社を加えると「四社参り」になるのでしょうか? 私は旧山陽道を西に進みます。

 

板倉本陣跡だそうですが当時の面影は全くなく、今は鯉山コミュニティハウスが建っていました。

 

街並みの中に卯建の上がった旧家がありました。

 

国道180号線の板倉交差点に出てきました。交差点の南側には道標が見えています。交差点を横断します。

 

この交差点は真金十字路とも言われ、旧山陽道と松山往来などとの交差点でした。道標には、「右 松山八里 足守二里」「西 井山寶福寺二里半」、裏側には「南 庭瀬三十丁」と記されていました。以前は草が生い茂っていましたが、綺麗に整備されていました。私は旧山陽道を西方向に向かいます。

 

市街地を抜け田園地域に入ります。この道路は中国自然歩道のようで、その案内板がありました。中国自然歩道は、中国5県を一周する総延長約2,295kmの超広大な自然散策が楽しめる遊歩道で、瀬戸内海国立公園など三つの国立公園、四つの国定公園を巡ることが出来ます。全ルートは一繫がりにはなってはいますが、それぞれ10〜50km程のコースが設定されていて個々のコースごとに楽しむことも出来るようになっています。ただこの中国自然歩道は遊歩道なので途中階段区間などもあり、自転車での走破は出来ないのが少し残念ですか……

 

山陽道足守川で突き当たりました。今は橋は架かっていませんが旧山陽道足守川の対岸から西方向へ向かって伸びています。中国自然歩道はこの三差路を南に少し下り矢部橋を渡ってこの先の旧山陽道に戻り鯉喰神社を経由し西に向かっています。

 

吉備路自転車道は三差路を右折し、県道270号線(清音真金線)の新黒住橋で足守川を渡ります。

 

新黒住橋西詰に休憩施設があり、ここでタバコ休憩にします。

 

東屋の近くには吉備路自転車道のルート図が設置されていて、見てみるとこの付近が中間付近のようです。ちなみにこのルート図は下側が北なので少し違和感がありました。しっかりとタバコと水分補給を終え出発します。

 

足守川沿いにしばらく進むと山陽道岡山道が分岐する岡山JCTが見えてきました。

 

岡山JCTの高架下で吉備路自転車道吉備高原自転車道が別れます。1582年(天正10年)、織田信長の命により羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が行った水攻めで有名な備中高松城址やJR桃太郎線の備中高松駅は右方向の吉備高原自転車道で向かいます。今回私は吉備路自転車道を走るので左方向に進みます。

 

田園地帯の中を走っていると左前方に造山古墳《つくりやま古墳》が見えてきました。

 

この交差点を左折し吉備路自転車道から外れ造山古墳に向かいます。

 

造山古墳ビジターセンター(岡山市北区新庄下)に到着しました。駐車場脇には「吉備の大王」という像が設置されていました。後方に見えている小山が造山古墳です。

 

M300を置いて造山古墳ビジターセンターに入ります。

 

1887年(明治20年)、今から135年前の造山古墳周辺の地図がありました。周囲には小さな古墳が点在しているようです。

 

造山古墳は鍵形をした日本の代表的な古墳形式の前方後円墳で、全長が約350m、円墳直径が約190m、高さは約30m、墳丘の長さに対して円墳部の割合が大きいのが特徴のようです。岡山県では最大の古墳で全国でも第4位の規模を誇る巨大古墳、しかも上位3古墳は天皇陵で、それに次ぐ規模だそうです。その大きさから古代の吉備国はヤマト朝廷にも劣らない力を持っいたことが想像できます。築造は古墳時代中期の5世紀前半頃とされ、墳丘に立入ることが出来る古墳としては全国最大の規模だそうで、全国的に見ても貴重でとても身近な古墳のように思います。その造山古墳に上ってみます。

 

案内板に従い細い路地裏を進みます。

 

方墳と円墳の繋ぎ部付近が少し崩落しているようです。

 

住宅地を抜けると石の階段があり、建物だと4、5階程の高さを上り切ると方墳側に地域の氏神様神の荒神社が鎮座していました。

 

円墳に向かう場所には沢山の桜が植えられていました。開花時期に訪れると花見も楽しめそうです。

 

円墳頂上の到着しました。頂上は平らで円形の広場になっていました。羽柴秀吉の中国攻めの際、対峙した毛利軍がこの場所にも陣を築いたためだそうです。

 

円墳から見た南西方向にある方墳です。

 

少し左に目をやると造山古墳ビジターセンターが見えています。

 

東方向には田園の先に岡山JCTが望めます。岡山JCTから田園の中を斜めに走っているのが吉備路自転車道です。

 

少し北方向に目を向けると、最上稲荷の大鳥居や備中高松市街地が望めました。素晴らしい展望も楽しめたので下ります。

 

造山古墳の方墳先端部を走り抜けます。右が方墳端になります。この造山古墳は丘陵を切断して築造された古墳で、左側には造山第一古墳の榊山古墳が見えています。

 

吉備路自転車道に合流しました。左折し先に進みます。

 

要所要所に案内板や路面表示が設置されているので、迷うこと無く進むことが出来ます。

 

沿道にサルスベリの花が綺麗に咲いていました。

 

この先の交差点を左折します。

 

備中国分尼寺跡の脇を通過します。備中国分尼寺の表玄関にあたる南門跡です。

 

沿道の畑では桃が沢山の実をつけていました。

 

こうもり塚古墳(総社市上林)に到着しました。こうもり塚? その名の由来は、発掘当時沢山のコウモリがいたことから名付けられたそうです。この古墳は古墳時代後期の6世紀後半に築造された前方後円墳で、円墳内部には奈良県の明日香村にある石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があるようです。

 

自然の丘陵を使い築造されていて、全長が約100m、円墳径は55~60m程、高さが約8mのようです。

 

入口は大きな石が積重ねられています。石室内部に入ります。

 

この横穴式石室は全長が19.4m、巨大な石が組合わされて造られているようです。岡山県最大の規模で、岡山県の三大巨石墳の一つに数えられ、全国の横穴式石室の中でも第4位の規模だそうです。

 

石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。M300まで戻り先に進みます。

 

備中国分寺が見えてきました。この場所は菜花やコスモスのシーズンに五重塔を背景に撮影する場所です。

 

備中国分寺の前の田園には古代米の赤米が穂を付けていました。

 

赤米と備中国分寺です。吉備路自転車道に戻り先に進みます。

 

沿道にはコスモスが咲き始めていました。

 

竹林と備中国分寺五重塔

 

アオサギが羽を休めていました。

 

吉備路自転車道国道429号線の手前で右折し用水路を渡ってから国道をアンダーパスしています。

 

作山古墳《つくりやま古墳》が見えてきました。先程の造山古墳と同じ読み方なので、地元では造山《ぞうざん》と作山《つくりやま》と呼び分けしています。

 

作山古墳の方墳先端部を走り抜けます。この造山古墳は独立した丘陵の一部を切断して築造された古墳のようです。

 

作山古墳の西側にある駐車場に到着しました。作山古墳は備中国分寺の西約1kmに位置し、全長が約282m、高さが約24mと県内では第2位、全国でも第10位の大型前方後円墳で5世紀中頃に築造されたそうです。上り口が分かり難く少し探しましたが、案内地図の奥付近から上ることが出来ました。

 

方墳の西角斜面を上っているようです。

 

方墳上部に到着しました。木々の間から備中国分寺の五重の塔が見えたので撮影しましたが、ピントが手前の木々に合っていてしまい、ご覧いただけるものではありません……

 

方墳を下り円墳に向かいます。

 

円墳の上りに変わります。

 

円墳上部に到着しました。

 

円墳上部には作山古墳の説明板がありますが、周囲は木々に覆われ展望は望めませんでした。

 

円墳を北東方向に下る道があったのでその道を下ります。

が……

 

途中から笹が道を覆い尽くしていました。ジーパンなどであればそのまま進むのですが、今日はポタリング用の短パンのため分け入るのを諦め、もう一度下りてきた道を上り引返します。

 

円墳から方墳まで戻ってきました。ここからは下るだけです。

 

駐車場まで戻ってきました。日陰がないか探しましたが見当たらず、トイレ脇のベンチでタバコと水分補給をしました。時計を見ると15時過ぎ、今回は総社市役所近くにある「つけそば屋 やまいも」で昼食を考えていましたが、出発時間が遅れたこともあり昼の営業時間は終わっているようです。お腹も何とかもちそうなので、ここで折り返し帰路に就くことにしました。

 

作山古墳を後にします。

 

国道429号線を走り国分寺西交差点手前で吉備路自転車道に戻ります。

 

田園の中を進みます。

 

国分寺五重塔手前に柿畑が見えています。実が熟れる頃、柿を配した五重塔も面白いかも知れません。

 

造山古墳が見えてきました。

 

造山古墳の西側には道路柵に備中国分寺五重塔やサイクリストなどのイラストが描かれていました。

 

北方向から見た造山古墳です。

 

説明板の脇でM300の記念撮影です。帰宅後気付いたのですが、説明板には上部に自転車がデザインされていましたが、写真には全て入っていませんでした……

 

岡山JCTまで戻ってきました。左折すると吉備高原自転車道、私は右折し吉備路自転車道で岡山方面に向かいます。

 

足守川沿いを下り新黒住橋西詰にある休憩施設に到着しました。ここでタバコ休憩にします。しっかりと水分補給とタバコ補給を終え出発します。

 

板倉宿を抜けJR桃太郎線の吉備津駅東にある吉備津神社の参道に出てきました。この付近は昔C56型蒸気機関車が「SL吉備路号」として吉備線(現JR桃太郎線)を走った際に撮影した場所です。

 

吉備津神社の参道から300m程進むと真金一里塚があります。この一里塚は岡山藩を出た後、万成一里塚の次の一里塚で西の浅尾藩(現総社市)方面に至る旧山陽道、松山往来、吉備津金毘羅往来の一里塚として、当時の備中国庭瀬藩板倉郷に設定されたそうです。先に進みます。

 

山陽道と国道180号線が合流する付近にある「備前備中国境標石」 注記3 (岡山市北区西辛川)に到着しました。

 

国道180号線を渡り標石脇にやってきました。

 

M300を置いている橋が備前備中の国境の橋になります。前輪は備前国、後輪は備中国になります。

 

標石から備前国岡山方面の様子です。国道180号線を岡山市街地方面に向かいます。

すると……

 

国境近くの国道180号線に「境目」というバス停がありました。国境だから境目?

 

この地域の住所は岡山市北区西辛川ですが、もしかしたら字が「境目」なのかも知れません。当時の国境の名残なのでしょうか?

バス停近くの路地から吉備路自転車道に戻ります。

 

吉備路自転車道を走り吉備津彦神社まで戻ってきました。木陰で水分補給とタバコ休憩をした後自宅を目指します。

帰宅したのは17時前、幸い天候も持ちこたえ、さほど暑さも感じず気持ちよく古代吉備のロマンを楽しむことが出来ました。走行距離は60km弱でしたが、造山古墳や作山古墳に上ったためか、はたまた久しぶりのポタリングのためか袋萩に多少違和感を感じるので今夜はしっかりとマッサージして休むことにします。また機会を作って出掛けてみたいと思います。

 

注記1

大吉備津彦命を祀る神社は、岡山市の西部、備前国備中国の境に立つ標高175mの吉備の中山、その北西麓の北側に「備中国一宮、吉備神社」、北東麓の東側に「備前国一宮、吉備津彦神社」の二社が鎮座し、備後国には福山市に「備後国一宮、吉備津神社」が鎮座しています。三社とも吉備国を治めたと言われている大吉備津彦命が祀られていますが、吉備津神社吉備津彦神社は距離にして1.5kmほどしか離れていません。

その分社化された経緯は、大化の改新後、吉備国備前、備中、備後に分割されたことに伴い、吉備国の総鎮守であった「吉備国一宮、吉備津彦神社」(現備中国一宮、吉備神社)が「備中国の一宮」、「備前国の一宮」、「備後国の一宮」と分霊されたようです。ちなみに、古くは三社とも「吉備津彦神社」と称していたそうですが、現在は備前一宮以外の二社は「吉備津神社」を正式名としているそうです。

 

注記2

十二ヶ郷とは、総社市岡山市倉敷市に属する、刑部郷、真壁郷、八田部郷、三輪郷、三須郷、服部郷、庄内郷、加茂郷、庭瀬郷、撫川郷、庄郷、妹尾郷の十二郷で、約5,000haの地域です。ちなみに東京ディズニーシーの広さが約50haなのでその100倍の広さです。


注記3 

備前備中国境標石」は児島湾干拓の歴史とも言えます。1589年(天正17年)頃、宇喜多秀家の命により岡豊前守と千原勝利によって児島湾を干拓して新田開発するために築かれた宇喜多堤の築堤に始まり、1956年(昭和31年)年の児島湾締切り堤防の完成までの約400年にも及ぶ長い干拓事業の歴に中で、国境論争や開墾反対運動などの数多くのドラマが生まれたようです。そしてこの標石は児島湾干潟で江戸時代から続いた紛争の最終結論ともいえる歴史的遺産です。

新田開発により国力増強を図ろうとする江戸幕府と、岡山藩や旗本領の思惑、さらに漁業権など備前、備中の村々の利害が複雑に絡み合い国境論争に発展、1816年(文化13年)に江戸幕府により最終決断が下され、それを基に1821年(文政4年)に国境の境界にこれらの標石が設置されました。以前この「備前備中国境標石」を探し歩いたこともあり、また機会を見てブログに纏めてみたいともいます。

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