急行 鷲羽リバイバル運行

先日妻から、昔宇野線(現宇野みなと線)を走っていた鷲羽という急行列車と連絡船が運行されるみたいと聞き調べてみると、JR西日本岡山県などが展開している観光企画「岡山デスティネーションキャンペーン」の一環として企画されたようで、1960年(昭和35)から1980年(昭和55年)注記1 まで153系電車で玉野市宇野と大阪、新大阪、京都間を走っていた旧国鉄の「急行 鷲羽」を再現した特別列車がJR姫路駅と宇野駅間を115系湘南色の電車で運行され、1988年に廃止された旧国鉄宇高連絡船に見立てたフェリーも34年振りに宇野高松間を運行されるようです。

どこで撮影しようか色々と悩んだ末、一番宇野線らしいと思われる風景の玉野市槌ケ原にある鴨川橋梁で児島富士とも呼ばれる常山を背景に撮影してみることにしました。この場所は昔中学生当時、寝台特急瀬戸などの撮影に訪れていたところです。今日は夜勤明けでしたがバイクで撮影に出掛けてみることにしました。

帰宅後朝食を済ませ、バイクで自宅を出発し10時20分頃鴨川橋梁に到着しました。しばらくすると213系宇野行き普通列車がやってきました。この車両は瀬戸大橋線開業時、パノラマグリーン車クロ212を連結して岡山と高松を結ぶ快速マリンライナーとして運行されていた車両です。瀬戸大橋で海上を走るためステンレス車体が採用され、前面部はFRP製カバーで覆われている車両です。

茶屋町行き115系普通列車がやってきました。この車両は115系1000番台を3両編成にするのに伴い、コストを抑えるため中間車の車両をそのまま活用して先頭車に改造した115系1600番台の車両です。

到着時は私一人でしたが徐々に人が増えてきました。

10時57分頃、急行鷲羽がやってきました。

編成が6両と当時の12両編成に比べると少し寂しい気もします。

当時の急行鷲羽で使用されていた153系は国鉄からJRに移行前に廃系になったようで、その勇姿を見れないのはとても残念ですが……

しかし、しっかりと「鷲羽」のトレインマーク(ヘッドマーク)を付けていて、懐かしく感じます。

児島富士をバックに鴨川橋梁を通過している「急行鷲羽」です。

私たちの脇を走り抜けていきました。

急行鷲羽はこの後、八浜駅備前田井駅間にある宇野線で唯一の児島トンネルを抜け終点宇野駅を目指します。帰り便で上り線を走る際にはこのトンネルで撮影する予定です。私も宇野駅に向かうことにします。

宇野駅近くに到着すると「急行鷲羽」は宇野駅に到着する直前でした。駅前で駐輪場を探しましたが見当たらず少し離れた空き地にバイクを置き、まずは跨線橋の上から撮影することにしました。

跨線橋上から見た宇野駅です。急行鷲羽は2番ホームに停車し、多くの方が下車されているようです。今の宇野駅は6両編成までしかホームが対応していないようです。昔の宇野駅は長い編成の列車にでも十分対応出来るだけのホームを持っていたように思いますが、今は幹線から外れた盲腸線の終着駅となっています。

向かいの1番ホームには213系の普通列車が停車していました。

懐かしい「鷲羽」のトレインマーク(テールマーク)です。最近はLEDパネルや液晶画面のデジタル表示に変わってしまい少し残念な気がします。やはりトレインマークの方が優等列車の貫禄を感じます。

2番ホームに停車する「急行鷲羽」です。

3号車と4号車の連結部付近です。「宇野 ⇔ 姫路」の行先標や「鷲羽 WASYU」とうサイド表示がありました。

あれっ…… 「鷲羽 WASYU」「鷲羽 WASHŪ」? サイド表示とトレインマークの表記が異なっていました。

2番ホームのすぐ横の歩道では沢山の方が撮影されていました。跨線橋からバイクに戻ります。

宇野駅のすぐ先には香川県の直島が望めます。

11時38分、茶屋町行き普通列車が発車しました。私は一度自宅に戻り少し休むことにし、16時14分に発車する上り便の撮影に出掛け直すことにしました。

帰宅後寝入ってしまい、気付くと16時を回っていました。この時間だと撮影しようと思っていた児島トンネルには到底間に合いそうにありません。仕方なく急遽自宅近くの南区箕島で丸島を背景に撮影することにし、眠気覚ましのコーヒーを飲んで自宅を出発しました。

県道21号線(岡山児島線)の跨線橋付近に到着しました。箕島地区は旧三島村、箕島村、妹尾町、岡山市へと変わた地域で、三島の由来は「丸島」「小山」「亀島(上の山)」という三つの島があることから名付けられたそうです。この島々はかつては瀬戸内海に浮かぶ島でしたが、児島湾干拓により現在は陸続きとなっています。ちなみに、宇野みなと線(旧宇野線)が開業した1910年(明治43年)当時は干拓に伴い作られた堤防を使用していたそうで、開業当時列車は海岸線を走っていたと祖父から聞いたことがあります。

宇野発岡山行き115系普通列車がやってきました。

丸島の前を通過していきます。

現在瀬戸大橋線で岡山高松間で運用されている5000系快速マリンライナーがやってきました。この車両は高松向き1号車が二階建て車両で、一階が普通車指定席、二階がグリーン車になります。

下り線を岡山発児島行き115系普通列車が通過していきました。

松山から瀬戸大橋を渡りやってきた8000系しおかぜ22号岡山行きが通過していきます。この車両はJR四国の直流特急形電車でオールステンレス製、四国側先頭車は流線型、岡山側先頭車が貫通型の編成でした。

17時9分頃、急行鷲羽がやってきました。

丸島の前を通過しています。

撮影する私たちの前を走り抜けていきました。急行鷲羽はこの後岡山駅に停車し、19時24分に今回の終着駅姫路に到着します。山陽線沿線にも沢山の撮影ポイントがありますが、今回は旧宇野線の撮影だけで十分満足することが出来ました。153系ではありませんでしたが、在りし日の急行鷲羽の勇姿を思い起こし少し感動さえ覚えました。

 

注記1 1960年(昭和35)のデビュー当時「鷲羽」は準急でしたが1966年(昭和41年)に急行に昇格、1972年(昭和47年)に山陽新幹線が岡山まで延伸したのに伴い、岡山~宇野間に快速列車の運行が開始され、それまでの一日11往復から夜行便1往復だけになってしまい、1980年(昭和55年)にはその一便も廃止されてしまいました。

 

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