名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)

名古屋飯べ食べ歩き(名古屋編)に続く第三弾です。

 

前回は名古屋城を散策したり昼食には美味しいきしめん矢場とんで味噌とんかつ、夕食では山本屋総本店で味噌煮込みうどん、風来坊で手羽先唐揚げなどをいただきました。

今日は友人お勧めのトヨタ博物館を見学し、昼食は名古屋飯のひつまぶしをいただき、その後リニア鉄道館を見学する予定です。今回は名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)として纏めました。

 

名古屋飯食べ歩き(犬山編)からみる

名古屋飯食べ歩き(名古屋編)からみる

 

ホテルの朝食です。バイキングスタイルなので好みのものを選ぶことができます。

 

私の朝食はごはん……

 

妻の朝食はパンです。

 

朝食を済ませチェックアウトします。

 

駐車場まで移動し出発、名古屋駅前を抜け県道60号線でトヨタ博物館を目指します。

 

ホテルから40分程走るとトヨタ博物館の看板が見えてきました。右前方にはリニモ愛知高速交通東部丘陵線)の芸大通駅も見えています。

 

駐車場からは長久手古戦場の先に伊吹山が見えていました。

 

駐車場に車を置き、トヨタ博物館長久手市横道)の玄関までやってきました。

友人お勧めの博物館です。このトヨタ博物館は、世界の自動車とクルマ文化の歴史などを知ることのできる博物館だそうです。トヨタ自動車の創立50周年記念事業の一つとして1989年4月にオープンしたそうで、自動車の誕生から現代までの歴史が実際の車を見ることで、より理解が深められるよう、日、米、欧の代表的な車両約140台を展示されてされているそうです。

 

 玄関脇には1963年式のボンネットバスFB80型が展示されていました。

チケットを購入し入館します。一人1,200円ですがJAF会員なので一人1,000円で購入できました。

 

トヨタ博物館に入館し最初に目に入ったのが1968年(昭和43年)式アルファ ロメオ1600スパイダーです。今年の1月23日から3月24日までエントランスに展示されるそうです。

 

シンボルゾーンには1936年(昭和11年)式トヨダ AA型乗用車が置かれていました。この車はレプリカだそうですが、同社初の量産乗用車のようです。

全長4,785mm、全幅1,730mm、全高1,736mm、水冷直列6気筒OHV、3,389ccのエンジンを搭載しているそうです。

 

マークには「豊田」の文字がデザインされています。

 

シンプルな運転席回りです。ハンドルの下にある丸いゴムがパフパフと鳴るクラクションだそうです。

 

流れるような流線形ボディは当時アメリカで流行していた最先端のデザインだったようです。

 

エレベーターを昇り二階の展示室に向かいます。

 

1897年(明治30年)式、ド ディオン ブートン 1 3/4HP トライサイクル(フランス、ド ディオン ブートン)、空冷単気筒SV、240cc、1.3kw/1.75PS、全長1,716mm、全幅1,048mm、全高1,218mm。

自動車の草分け的存在の三輪乗用車で、自転車を改良して小型エンジンを搭載されたようです。

 

1898年(明治31年)式、パナールエ ルヴァッソール6HP ワゴネット(フランス、パナールエ ルヴァッソール)、水冷直列2気筒SV、1,699cc、4.5kw/6HP、全長    2,950mm、全幅1,700mm、全高1,795mm。

当時は車のほとんどが馬車や自転車の影響を受けていて、駆動機構やレイアウトは馬なしの馬車そのものでした。FR方式の最初の自動車だそうです。

 

1909年(明治42年)式、スタンレー スチーマー モデルE2(アメリカ、スタンレー)、蒸気直列2気筒単式複動式、7.4kw/10HP、全長3,591mm、全幅1,605mm、全高1,606mm。

蒸気自動車で、特徴的なボンネットスタイルはフロントにボイラーを配しウォータータンクで囲ったことから生まれ、動力源は中央の床下配置されているそうです。

 

簡単なスライドバルブがついた2気筒でギアボックスはなく平歯車で直接車軸を駆動するシステムだそうです。動力源のガソリンエンジンが普及するにつれ蒸気自動車は衰退していったようです。

 

1909年(明治42年)式、フォード モデルT ツーリング(アメリカ、フォード )、水冷直列4気筒L-頭型、2896cc、15kw/20HP/1600rpm、全長3,318mm、全幅1,687mm、全高2,188mm。

大量生産によるコストダウンや運転を簡素化する数々のメカニズムで大衆化を果たし、1908年から1927年の間に15,007,033台も生産されたベストセラーカーだったようで、アメリカを始め全世界に普及しモデルTなしに自動車史は語れないというほどの大きな影響を与えた車だそうです。

 

このフロアーは自動車の夜明けと題し、黎明期の馬なし馬車から自動車へと基礎技術が確立していく流れの中で成長していく車が展示されています。

 

1910年(明治43年)式、ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(イギリス、ロールスロイス )、水冷直列6気筒L-頭型、7,428cc、全長4,883mm、全幅1,753mm、全高2,250mm。

ヘンリー・ロイスとC・S・ロールスが1904年、RR社を創立、完璧な自動車を造るため徹底した製品管理のもと高品質な高級車を造り始め、1906年には最大の傑作といわれる7,428cc、6気筒を搭載したこの車を発表されたそうです。

 

1911年(明治44年)式、ドゥローニー ベルビユ タイプ HB6L(フランス、ドゥローニー)、水冷直列6気筒L-頭型、4,426cc、30kw/40HP、全長4,597mm、全幅1,747mm、全高2,073mm。

1904年のパリサロンで発表、特徴的な丸型のラジエターグリルが注目を集め、ベンツ型やルノー型と共に多くのメーカーに影響を与えたようです。また1909年から採用された6気筒エンジンは静かでコンパクトなこともあり信頼性が高く、豪華なボディを架装してロシアのニコライⅡ世始め世界の名士からも支持されていたそうです。

 

1912年(明治45年)式、ベンツ 14/30HP(ドイツ、ベンツ)、水冷直列4気筒L-頭型、3,560cc、26kw/35HP/1500rpm、全長4,549mm、全幅1,730mm、全高1,993mm。

ベンツは1905年から順次新しい4気筒車を発表、多くのトライアルに参加して成功を収めたようです。この車はカウルを曲面で構成したモダンなスタイルを特徴としているほか電気式ヘッドランプなどの装備も充実しているそうです。

 

1934年(昭和9年)式、フォード モデル 40(アメリカ)、水冷V型8気筒L-頭型、3,621cc、68kw/91HP/3,800rpm、全長4,450mm、全幅1,735mm、全高1,745mm。

フォードは1932年にV8エンジンを採用、コンパクトにしたためスタイリングにも好影響を与え、短いノーズは違和感なく流線型を採り入れることができたようです。このモデルは丸みをおびたボディと傾斜したハート型グリルを持ち、流線型デザインの兆しが伺えるようです。

1931年(昭和6年)式、キャデラック シリーズ 452A(アメリカ、GM)、水冷V型16気筒OHV、7,407cc、123kw/165HP/3,400rpm、全長5,732mm、全幅1,876mm、全高1,897mm。

1930年、キャデラックはV16エンジンを世界に先がけて搭載しました。452型と呼ばれるこのエンジンは7.4Lの排気量を誇り、その出力も165馬力。豪華で重いボディを乗せながらも強力なパワーを発揮していたようです。

 

1935年(昭和10年)式、イスパノスイザ K6(フランス、イスパノスイザ)、水冷直列6気筒OHV、5,184cc、92kw/125HP/3,200rpm、全長5,760mm、全幅1,760mm、全高1,660mm。

フランスの高級車メーカーイスパノスイザ社の最終モデルで、タイプ68のV12エンジンを半分にした直列6気筒エンジンを搭載しているそうです。

当時上流階級で愛用されていたイスパノスイザはヨーロッパの一流コーチビルダーがボディをデザインし架装するのが一般的だったそうですが、佐賀の鍋島家13代当主鍋島直泰がシャシーで購入し、自らデザインしたボディを約半年かけて日本の職人が製作架装した極めて珍しい車のようです。

 

このフロアーは日本における自動車量産の幕開けと題し、日本の自動車主体に展示されているようです。

 

1932年(昭和7年)式、ダットサン 11型 フェートン(日本、ダットサン)、水冷直列4気筒L-頭型、 722cc、9kw/12HP/3,000rpm、全長2,743mm、全幅1,197mm、全高1,556mm。

ダットサンといえば、かつて日産自動車の小型車ブランドとして有名ですが、この車は日産製ではないようです。日産がダットサンの生産を始めたのは1933年からで、それは同社の前身である戸畑鋳物ダット自動車製造からダットサンの製造権を獲得していたからです。この車は1932年にダット自動車で生産された約150台の中の貴重な1台で、ヘッドランプレンズには会社名の刻印がある現存する最古のダットサンだそうです。

 

1973年(昭和48年)式、オート三輪 SA-6型ノート(日本、発動機製造〔現、ダイハツ〕)、空冷単気筒SV、667cc、4.9kw/6.7PS、全長2,795mm、全幅1,200mm、全高1,200mm。

欧米に比べ四輪車の普及が遅かった日本では、戦前から昭和30年代にかけて、小回りが利き狭い場所への出し入れの容易さや、四輪車の3分の1程度の低価格というメリットなどからオート三輪車が全盛期を迎えたようです。1930年からオート三輪車のトップメーカーであった発動機製造が生産を始め、1937年に製造された車で当時の人気モデルだそうです。

 

1936年(昭和11年)式、トヨダ AA型乗用車(日本、トヨタ)、水冷直列6気筒OHV、3,389cc 、48kw/65HP/3,000rpm、全長4,785mm、全幅1,730mm、全高1,736mm。

トヨタ初の量産型乗用車として誕生、当時流行のストリームラインを採用し、高い乗り心地を実現した先進的な車で、海外の車と比較しても一歩先を行くものだったようです。

 

1938年(昭和13年)式、ニッサン 70型フェートン(日本、日産)、水冷直列6気筒SV 、3,670cc、63kw/85HP/3,400rpm、全長4,750mm、全幅1,720mm、全高1,750mm。

アメリカグラハム・ページ社から大型乗用車の設計と生産設備一式を導入し、ニッサン70型として1937年から製造、販売されていたもので、当初はセダンのみだったようですが、後からはこの幌型も作られたようです。

 

1948年(昭和23年)式、タトラ 87(チェコスロバキア、タトラ)、空冷V8OHC 、2,969cc、63kw/85PS/3,500rpm、全長4,740mm、全幅1,670mm、全高1,500mm。

涙滴形流線型ボディを採用したタトラ77(1934年)に続く後継モデルで、バックボーンとフロアパネルで形成された独創的なシャシーや空冷V型8気筒エンジン、RR駆動の採用などリヤエンジンプロジェクトの集大成ともいえるモデルのようです。

 

1938年(昭和13年)式、プジョー 402(フランス、プジョー)、水冷直列4気筒OHV、1,991cc、40kw/55PS/4,000rpm、全長4,850mm、全幅1,640mm、全高1,580mm。

戦前のフランスを代表する高級実用車で、大胆な流線型を採用して成功した初のヨーロッパ車だそうです。湾曲した大きなフロントグリルの中にヘッドランプが仕込まれた特徴的なデザインで、プジョーのシンボルであるライオンが、ラジエーターグリルの上部やリヤタイヤカバーにもデザインされています。サイドステップが無いためボディー幅を広げ室内を広くしたことが特徴のようです。

 

1938年(昭和13年)式、キャデラック シリーズ 60 スペシャル(アメリカ、GM)、水冷V8気筒L頭型、5,670cc、101kw/135HP/3,400rpm、全長5,264mm、全幅1,978mm、全高1,679mm。

実用性を考慮して流線型を応用した最初のモデルだったようで、低く幅広のスタイルは力強く感じられます。当時このスタイルはトヨタの大型B型やBC型にも採り入れられ、現代の3ボックスセダンの基本形がこの時できあがったようです。60スペシャルはトランクやコラムシフトを採用したことでも有名だったようです。

 

1942年(昭和17年)式KdFワーゲン(ドイツ、フォルクスワーゲン)、空冷水平対向4気筒OHV、985cc、18kw/25PS/3,330rpm、全長4,050mm、全幅1,540mm、全高1,550mm。

ヒトラーの国民車プロジェクトに従いポルシェ博士により開発され、フォルクスワーゲン社で生産されたようですが、第二次世界大戦下、軍用車両の生産が優先されたため、わずか630台しか生産されなかった車で、数少ない現存KdFの中でも最も古いものの一つだそうです。

 

1937年式(昭和12年)、シトロエン11B(フランス、シトロエン)、水冷直列4気筒OHV、1,911cc、34kw/46HP/3,800rpm、全長4,568mm、全幅1,793mm、全高1,512mm。

前輪駆動方式を導入することで低重心のボディ設計を可能にし、ワイドトレッドモノコックボディ、前輪独立懸架など斬新なメカニズムも採用したことでロードホールデイィングが当時のスポーツカーをも凌ぐ性能を発揮したようです。

 

1955年(昭和30年)式、トヨペット クラウン RS型 1955(日本、トヨタ)、水冷直列4気筒OHV 、1,453cc、36kw/48HP/4,000rpm、全長4,285mm、全幅1,680mm、全高1,525mm。

海外と技術提携により生産されていた当時の日本の車のなかで、純国産方式の自家用車として設計されたRS型は、すべての意味で国産車モータリゼーションの出発点であったそうで、その後の日本の自動車業界へ大きな自信を与えた存在だったようです。デザインは当時の日本の実情に適応したもので、乗り心地や耐久性などバランスのとれた純国産車として話題を集めたそうです。

 

1959年(昭和34年)式、キャデラック エルドラド ビアリッツアメリカ、GM)、水冷V型8気筒OHV、6,396cc、257kw/345HP/4,800rpm、全長5,703mm、全幅2,038mm、全高1,435mm。

世界を代表する高級車ブランドとして知られるキャデラックの中でもこの車は1950年代のアメリカを象徴する車として特に有名です。クロームメッキを多用したバンパー一体型のグリルや巨大なテールフィン、ジェット機の噴射口をモチーフとしたテールライトなど大胆なデザインをはじめ、エアサスペンション、パワーステアリングなど当時の最新技術を数多く取り入れていた車です。

 

1951年(昭和21年)式、フォルクスワーゲン タイプ1〔輸出仕様〕(ドイツ、フォルクスワーゲン)、空冷水平対向4気筒OHV、1,131cc、18kw/25PS/3,300rpm、全長4,032mm、全幅1,532mm、全高1,499mm。

終戦後生産が再開されるとドイツ復興の原動力となった車です。1949年にアメリカへ初めて輸出されると、優れた商品性と安価な価格、整ったサービスなどが評価され、ビートル(かぶと虫)の愛称で人気を博し、アメリ輸入車のベストセラーカーとなったそうです。

 

1955年(昭和30年)式、フジキャビン 5A型(日本、富士自動車)、空冷単気筒2サイクル 、121cc、3.7kw/5HP/5,000rpm,、全長2,950mm、全幅1,270mm、全高1,250mm。

FRPのフルモノコック構造の三輪キャビンスクーターです。空冷単気筒2サイクルエンジンを備えたボディは、わずか130Kg、最高速度は時速60キロ。空力特性を考えたようなボディデザインなど革命的な試みではあったようですが、FRPの製作技術が伴わず、わずか85台製作されただけだったようです。

 

1959年(昭和34年)式、ダイハツ ミゼット DKA型(日本、ダイハツ)、空冷単気筒2サイクル、249cc 最高出力、7.4kw/10PS/4,500rpm、全長2,540mm、全幅1,200mm、全高1,500mm。

戦後しばらくの間は公共的な乗り物だった自動車ですが、一般化したのは商業車からだったようです。それを決定付けたのが1957年に発売された3輪車ミゼットのようです。安価で扱いやすく、しかも軽免許で乗れることから爆発的なブームを巻き起こした、三輪車の代名詞にまでなった車です。初代のものにはキック式スターターやバーハンドルなどとバイクに近いものだったようです。

 

1962年(昭和37年)式、日野 ルノー PA62型(日本、日野)、水冷直列4気筒OHV、748cc、15kw/21PS/4,000rpm、全長3,685mm、全幅1,435mm、全高1,440mm。

トラックやバスなどで知られる日野自動車がフランスのルノー公団と技術提携を行い、1953年からルノー4CVの生産を始めた車です。愛嬌の有るスタイルやRR駆動の優れた操縦性、コンパクトなサイズからタクシーとしても多く採用され大活躍していたようです。

 

1959年(昭和34年)式、スバル 360 K111型(日本、富士重工)、空冷直列2気筒2サイクル、356cc、12kw/16HP/4,500rpm、全長2,990mm、全幅1,300mm、全高1,380mm。

外見がVWに似ているスバル360です。航空機メーカーだった中島飛行機の技術が生かされた日本初期の軽自動車として最もヒットしたと言われる車です。モノコックボディとトーションバーのサスペンションは軽自動車とは思えない広い室内スペースを確保し、快適な乗り心地を実現していたようです。発売当初の価格が425,000円だったそうですが、絶大な人気を誇っていた車だったようです。

 

1961年(昭和36年)式、パブリカ UP10型(日本、トヨタ)、空冷水平対向2気筒OHV、697cc、21kw/28PS/4,300rpm、全長3,520mm、全幅1,415mm、全高1,380mm。

大衆向けの実用車、合理的な車としてデビュー、純粋な走行性能や実用性こそ当時の日本ではかなりの高水準車だったようですが、その装備類は極めて質素なものだったそうです。軽乗用車よりゆとりがあり、さらに独立したトランクスペースを設けていた点など、技術面やスタイリングでも注目を集めた車だったようです。車名は一般から公募されたもので、PublicとCarの合成語だそうです。

 

1964年(昭和39年)式、プリンス グロリア スーパー6、41型(日本、プリンス〔富士精密工業〕)、水冷直列6気筒OHC、1,988cc、77kw/105PS/5,200rpm、全長4,650mm、全幅1,695mm、全高1,480mm。

スカイラインの派生モデルとして開発された車で、ALSI型スカイラインシャシーやボディーを流用しシートや内外装を高級化された仕様だったようです。この車は二代目で、国産の市販車として初のOHCを採用した6気筒エンジンを搭載し、1963年に追加発売されたそうです。155km/hの最高速やスムーズさ、静粛性もよく高級、高性能イメージを与えた車であり、6気筒OHCモデルの先駆者となったようです。

 

1964年(昭和39年)式、トヨペット コロナ RT40型(見本、トヨタ)、水冷直列4気筒OHV、1,490cc、52kw/70PS/5,000rpm、全長4,110mm、全幅1,550mm、全高1,420mm。

4灯式ヘッドライトの新しいスタイルで、最高速度も140km/hを誇り、同時期に開通した名神高速での10万km連続の公開テスト走行などでハイウェイ時代の訪れを告げる車だったようです。国内、輸出共に大成功を収めたトヨタの主力商品になり、一気に技術レベルを国際水準まで引き上げた車のようです。

 

1965年(昭和40年)式、ダットサン ブルーバード P411型(日本、日産)、水冷直列4気筒OHV、1,299cc、46kw/62PS/5,000rpm、全長3,995mm、全幅1,490mm、全高1,440mm。

走るベストセラーに優美なデザインがキャッチフレーズの2代目のブルーバードは、モノコックボディで、美しいヨーロピアンデザインが特徴だったようです。後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSS(スーパースポーツセダン)が設定された初めてのモデルでもあったようです。

 

1966年(昭和41年)式、トヨタ カローラ KE10型(日本、トヨタ)、水冷直列4気筒OHV、1,077cc、44kw/60PS/6,000rpm、全長3,845mm、全幅1,485mm、全高1,380mm。

カローラトヨタの最も成功したモデルというだけでなく、日本で本当の意味でのモータリゼーションをもたらした大衆車だったようです。性能、経済性、快適性など市場のニーズにこたえ、新開発のK型エンジンでは「1000ccプラス100ccの余裕」として流されていた当時のCMが思い起こされます。またこの車は父が購入し我が家にやってきた最初の車だったので、とても懐かしく思いました。

 

1964年(昭和39年)式、ホンダ S500 AS280型(日本、ホンダ)、水冷直列4気筒DOHC、531cc、32kw/44PS/8,000rpm、全長3,300mm、全幅1,430mm、全高1,200mm。

先に発表されたプロトタイプのS360の量産モデルで、531ccの超小型4気筒のDOHCに4基のCVキャブを装着、44HP/8000rpmの出力から最高速度130km/hを誇っていたようです。小型車としては驚異的なパフォーマンスと軽快な2シーターのオープンボディで、その後このモデルはS600、S800へとステップアップしていき、ホンダの自動車部門の礎を築いた車ではないかと思います。私も子ども心に憧れを抱いたものでした。

 

1969年(昭和44年)式、マツダ キャロル KPDA型(見本、東洋工業〔現、マツダ〕)、水冷直列4気筒OHV、358cc、15kw/20PS/7,000rpm、全長2,990mm、全幅1,295mm、全高1,320mm。

1962年に発売された軽自動車初の4ドアセダンタイプで、1970年まで生産されていた車です。世界最小の水冷4気筒エンジンを搭載して発売された軽自動車で、後の小型乗用車規格のキャロル600や主力大衆車ファミリアへと発展しいく礎を築いた車だったようです。

 

1963年(昭和38年)式、ダットサン フェアレディ SP310型(日本、日産)、水冷直列4気筒OHV、1,488cc、59kw/80PS/5,600rpm、全長3,910mm、全幅1,495mm、全高1,275mm。

1962年わが国で初めて本格的なスポーツカーとして開発されスマートなボディに直列4気筒OHVエンジンを搭載していました。1963年に開催された第1回日本グランプリに出場しポルシェやトライアンフTR4など外国のスポーツカーを相手に見事にクラス優勝を果たしたそうです。その後1600(SP311型)、2000(SR311型)へとステップアップしてくと共に、モータースポーツでも大活躍、フェアレディZの源流になった車でもあるようです。

 

ブルーバード312型と同じシャシーを使用しリアには横向きの変則的なシートを持つオープン3シーターで、フォルムは当時のMGやトライアンフ等の欧州のスポーツカーに近いデザインになっています。

 

1965年(昭和40年)式、トヨタ スポーツ800 UP15型(日本、トヨタ)、空冷水平対向2気筒OHV、790cc、33kw/45PS/5,400rpm、全長3,580mm、全幅1,465mm、全高1,175mm。

ヨタハチの愛称で親しまれていた車で、1962年のモーターショーで発表されたパブリカスポーツのコンポーネントを流用しコストダウンを図りつつ、空気力学を重視した機能的スタイルをそのままに作り上げられたスポーツカーだそうで価格は595,000円、790ccの空冷水平対向2気筒ながら155km/hの最高速度を誇り、オープンカーの開放感でドライブの楽しさを一般的なものにした車でもあったようです。

 

1967年(昭和42年)式、トヨタ 2000GT MF10型(日本、トヨタ)、水冷直列6気筒DOHC、1,988cc、110kw/150PS/6,600rpm、全長4,175mm、全幅1,600mm、全高1,160mm。

60年代には魅力的なスポーツカーが数多く誕生し、日本でも1965年には高性能なグランツーリスモトヨタ2000GTが登場しました。

 

ロングノーズの均整がとれた美しいスタイリングをはじめ、バックボーンフレーム構造や6気筒DOHCエンジンなどデザイナーやエンジニアの方々が思う存分に腕を振るい造り上げた結果、3つの世界記録と13の国際新記録を樹立するなど、世界水準の高性能な車が出来上がりました。子ども心にカッコいい車だと憧れたものでした。

 

1966年(昭和41年)式、ニッサン シルビア CSP311型(日本、日産)、水冷直列4気筒OHV、1,595cc、66kw/90PS/6,000rpm、全長3,985mm、全幅1,510mm、全高1,275mm。

ダットサン フェアレディのシャシーをベースに新開発の1600ccのエンジンを搭載、定員を2人の斬新なスタイルで1965年に登場しました。OHVながら90馬力を出力する新エンジンや、日本初のポルシェタイプ・サーボシンクロ式トランスミッションなどを採用しフォーマルにも使えるスポーツカーとして注目を集めた車だったようです。 

 

1969年(昭和44年)式、マツダ コスモスポーツ L10B型ロータリーエンジン(日本、マツダ)、水冷ロータリー ツインローター、491×2cc、94kw/128PS/7,000rpm、全長4,130mm、全幅1,590mm、全高1,165mm。

ドイツのNSU社との技術提携により東洋工業ロータリーエンジンを手に入れました。実用化のためのテストと改良を繰り返した結果、1967年に日本初のロータリーエンジンマツダコスモスポーツに搭載しました。強烈なインパクトを与える未来的なスタイルはもちろん、491cc×2の小排気量ながら、レシプロエンジンの2Lクラスをも凌ぐ128PSの出力を発揮、圧倒的な高性能から注目を浴びることになりました。このL10B型は1968年のマイナーチェンジで、さらに強化され200km/hの最高速度を誇っていたそうです。

 

1970年(昭和45年)式、日産 フェアレディ Z 432 PS30型(日本、日産)、水冷直列6気筒DOHC、1,989cc、118kw/160PS/7,000rpm、全長4,110mm、全幅1,630mm、全高1,290mm。

1969年11月に登場したフェアレディZは外形デザインのよさをはじめ装備の充実、割安な価格などで人気を博しました。中でもZ432は最高級バージョンとしてスカイラインGT-Rと同じ6気筒DOHCエンジンを搭載。 空力性能のよさから最高時速は210km/hをマークしました。 車名の432とは4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味するそうです。

 

1970年(昭和45年)式、トヨタ セリカ TA22型(日本、トヨタ)、水冷直列4気筒DOHC、1,588cc、85kw/115PS/6,400rpm、全長4,165mm、全幅1,600mm、全高1,310mm。

日本初のスペシャリティカーといえる存在で、斬新なデザインが採用され、北米や欧州にも輸出されていたようです。それまでのセダンとはまったく異なるスタイリッシュな2ドアクーペとして誕生した車で、私が初めて中古車で購入した思い出のある車でもあります。DOHCエンジンに高速安定性やコーナリング性能に優れた車で、優れたトータルバランスを兼ね備えた車でした。

 

この展示フロアーには国産の名だたる名車が並んでいます。

 

1971年(昭和46年)式、三菱 コルト ギャラン GTO-MR A53C型(日本、三菱)、水冷直列4気筒DOHC、1,597cc、92kw/125PS/6,800rpm、全長4,125mm、全幅1,580mm、全高1,310mm。

1969年にデビューしたコルトギャランに、翌年スポーツカーのギャランGTOシリーズが追加されました。基本設計を流用しつつ新たにスポーティなハードトップクーペとして登場したシリーズ3車種中、三菱初のDOHCエンジンを搭載したモデルがMRで、1.6Lで125ps、最高時速200km/hを誇り、内外装や足回りなども含め、本格的高性能スポーツカーとしてデビューしました。子ども心に憧れた一台でもありました。

 

1970年(昭和45年)式、いすゞ 117クーペ PA90型(日本、いすゞ)、水冷直列4気筒DOHC、1,584cc、88kw/120PS/6,400rpm、全長4,250mm、全幅1,600mm、全高1,320mm。

1968年に高速ツーリングカーとして登場したこの車は、いすゞフローリアンをベースに開発され、イタリアのカロッツェリア・ギアのジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたファストバックスタイルが"走る芸術品"として賞賛された車です。日本初の電子制御燃料噴射式DOHCエンジンを搭載、後部専用ヒーター、4人分のシートベルト、ヘッドレスト、木目仕上げの7連メーターが並ぶインストルメントパネルなど、スタイリング、性能、居住性といった総合的な良さや上品さが車好きやマニアから支持されていました。免許取りたての頃、友人がこの車の中古車を買ったといので少しだけビビりながら運転させてもらいましたが、とてもいい車だと思った記憶があります。

 

1975年(昭和50年)式、ホンダ シビック CVCC 1200GL 3ドア(日本、ホンダ)、水冷直列4気筒OHC、1,238cc、46kw/63PS/5,500rpm、全長3,545mm、全幅1,505mm、全高1,325mm。

ホンダの世界戦略を担う基幹車であり、ホンダ製乗用車の中でも最も長く同一の車名で販売されている車だそうです。同社の軽自動車ライフを一回り大きくしたようなデザインで、前後のオーバーハングを切り詰め、ホイールベースを長くして居住性を高められているようです。1971年にアメリカでマスキー法が成立し、それに伴い日本でも同様の排出ガス規制が実施されました。この規制は大変厳しいもので達成は不可能と言われていましたが1973年、このシビックがCVCCエンジン(複合渦流調速燃焼方式)で世界で最初にクリアしたそうです。

 

1981年(昭和56年)式、トヨタ ソアラ 2800 GT-EXTRA(日本、トヨタ)、水冷直列6気筒 DOHC、2,759cc、125kw/170PS/5,600rpm、全長4,655mm、全幅1,695mm、全高1,360mm。

トヨタ初の高級スペシャルティカーとして、1981年に発売。 知的で裕福な青年層をターゲットに開発された高級、高性能なパーソナルカーだそうです。エンジンはトヨタ2000GT以来の6気筒DOHC(5M-GEU)を搭載し2,759cc、170ps/24kgmと当時の国産車の最高性能を誇っていたようです。デジタル表示のスピードメーターにLEDのタコメーター、サンルーフに革張りシートなどと豪華さと最新の先進技術を積極的に取り入れ、自動車技術のエレクトロニクス化到来を告げる一台だったそうです。母のゴルフ友達が乗っていた車で、内装の豪華さにあこがれを抱いたものでした。

 

2009年(平成21年)式、Lexus LFA(プロトタイプ)(日本、トヨタ)、水冷V型10気筒DOHC、4,805cc、412kw/560PS/8,700rpm、全長4,505mm、全幅1,895mm、全高1,220mm。

トヨタの高級ブランドレクサスのプレミアムスポーツカー、2人乗りのスーパーカーとして世界限定500台が販売された車の一台で、世界超一級レベルの運動性能と超一流の感性と官能を持ち合わせるスーパースポーツカーとして送り出すべく開発されたレクサス初のスーパーカーです。販売価格は日本円で37,500,000円と過去最高額だったそうです。

 

4.8L-V10エンジンが搭載されレーシングカーと同様のカーボンモノコックシャシーも採用されているそうです。0-100km/h加速は3.7秒、最高速度は325km/h以上だそうで、LFAの開発によって培われた現代FRスポーツカーのノウハウや素材技術、思想はその後のレクサス車に大きな影響を与えているそうで、生産終了後の現在も公式ウェブサイトではレクサスFシリーズの頂点に君臨すると紹介されています。

 

1955年(昭和30年)式、メルセデス ベンツ 300SL クーペ(ドイツ、メルセデス・ベンツ)、水冷直列6気筒OHC、2,996cc、160kw/215HP/5,800rpm、全長4,520mm、全幅1,790mm、全高1,300mm。

世界初のガソリン直噴エンジンを搭載した車として知られ、ドアはレーシングカーをベースとした鋼管スペースフレーム構造だっため、通常の車のドア下半分にフレームが来てしまい開口部の敷居が高くなってしまったことと、車高が低かったことから乗降性確保のためにやむなくガルウィングドアが採用されたそうです。

 

1955年(昭和30年)式、フォード サンダーバードアメリカ、フォード)、水冷V型8気筒OHV、4,785cc、148kw/198HP/4,200rpm、全長4,453mm、全幅1,783mm、全高1,326mm。

第二次世界大戦後、アメリカでブームとなったヨーロッパ製スポーツカーに対抗してGMはシボレー・コルベットを、フォードはサンダーバードをそれぞれ開発したそうです。いずれも二人乗りスポーツカーですが、サンダーバードはサイドガラスを備え、屋根は着脱式としてオープンカーとしてもクーペとしても楽しめる車に仕上げたようです。

 

クルマづくり日本史と題されたコーナーには、日本の自動車産業の誕生から成立、産業基盤確立の歴史などが紹介されていました。

この後クルマ館から文化館に移動します。

 

連絡通路を歩いていると外に飲み物の自販機と喫煙場所が見えたので、一度外に出て休憩することにしました。

喉を潤し、モクモクタイムも終え文化館に戻ります。

 

文化館に戻ると入口脇に、1965年(昭和40年)7月に開催された第1回日本自動車クラブ選手権レースGT-Iクラスで優勝したトヨタスポーツ800 浮谷東次郎仕様のレプリカが展示されていました。

二階へ戻り展示室に向かいます。

 

館内には、1/43模型でつくる時間軸と題し、18世紀中頃から現代に至るまでの自動車の歴史を模型で展示されていたり、歴代のカーバッチやカーマスコットなどが展示されていました。

 

自動車玩具ゲームコーナーには懐かしいおもちゃも沢山展示されています。

 

自動車と出版物コーナーには、世界初の自動車雑誌La Locomotion Automobileを始め、1894年から2000年頃までにヨーロッパ、アメリカ、日本などで創刊された自動車雑誌約60冊の表紙でその変遷が紹介されています。

 

カタログは年代ごとに約150冊が展示されているようですが、懐かしいカタログも沢山ありました。

 

世界各国のライセンスプレートが展示されています。自動車が世界各国に普及していくと、車を識別するライセンスプレートが採用されるようになりました。1893年にフランスが最初に採用したそうで、日本では1907年に東京で登録制度が始まったようです。

館内を見て回ったので駐車場に戻ります。

 

一階出口付近に、1985年(昭和60年)公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシンとして登場して有名になったデロリアンが展示されていました。

この車は、1981年(昭和56年)式、デロリアン DMC12(イギリス、デロリアン)、水冷V型6気筒OHC、2,849cc、97kw/130HP/5,500rpm、全長4,267mm、全幅1,989mm、全高1,140mm。

GMのポンティアック部門やシボレー部門のトップを務め、副社長でもあったジョン・ザッカリー・デロリアンが自らデロリアン・モーター・カンパニーを設立し、自身の理想とする車を目指して開発生産されたスポーツカーです。イギリスのロータスが設計し、イタリアのジウジアーロがデザインしたもので、リアにエンジンを配し、ステンレス製ボディとガルウイング式ドアが特徴的な車です。

 

トヨタ博物館から10分程で、今日昼食をいただく、うな幸(長久手市前熊溝下)に到着しました。

が……

約40分待ちだそうです。

空くと連絡をくださるそうなので、連絡先を告げ駐車場で待つことにしました。

私が色々と調べて決めたうな幸は、地元の方々が通う人気店のようですが市街地から少し離れていて駅からも少し距離のある地域にポツンとあります。車が便利なようで店舗の横に大きな駐車場があります。

30分程すると大将から空いたので来てくださいと連絡があったので店内に向かいます。

 

妻はまだ余りお腹が空いていないと鰻3/4尾のひつまぶしの並を、私は鰻1尾のひつまぶしの上をオーダーしました。

 

ひつまぶしの他にも、うな丼やきもうな丼、うな重や長焼定食などもあるようです。

 

オーダーから30分足らず、名古屋名物ひつまぶしが出てきました。カットされた鰻がお櫃の中に並べられています。

美味しそ~う!

 

私はひつまぶしを初めていただくのでスタッフの方に食べ方を伺うと、三等分に分けて都度茶碗によそい、一善目はそ鰻そのものの味を楽しみ、二膳目は薬味を乗せていただき、三膳目は出汁をかけて茶漬けでいただくそうです。

 

一善目はそのままいただきます。

しっかりと厚みがある鰻で甘目のタレは少し控えめな感じです。ガスや電気で焼いた鰻と違い備長炭で焼いているためでしょうか仄かに炭火の香りが感じられ、表面はサクサクと香ばしく中はふんわりして、素材の鰻もさることながら焼がとても上手いようです。

 

二膳目は薬味のネギ、ワサビを乗せていただきます。

ワサビの爽やかな辛さやネギの食感で味変が楽しめました。とても美味しく、鰻にこれほどワサビが合うとは思いませんでした。

 

最後は出汁をかけて茶漬けスタイルでいただきます。鰻の旨味が出汁に溶け出してきて旨い! 新しいい体験でした。

しっかりと名古屋のひつまぶしを堪能させていただきました。また機会を作って是非食べに訪れてみたいと思います。ごちそうさまでした。

この後、当初の目的地である鉄道リニア館に向かいます。

 

名古屋飯食べ歩き(リニア鉄道館編)に続く……

 

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