名古屋飯食べ歩き(名古屋編)

名古屋飯食べ歩き(犬山編)に続く第二弾です。

前回は犬山城犬山城下をしっかりと楽しめたので、今回は名古屋を楽しみたいと思います。犬山市から名古屋市内に入り名古屋城を散策し昼食、その後ホテルにチェックインし少し休んだ後夕食に出掛け名古屋飯を満喫します。

 

名古屋飯食べ歩き(犬山編)から見る

 

 

国道41号線を南下し、小牧北ICから名古屋高速に乗換え黒川ICで流出、犬山城から45分程で名古屋城に到着しました。駐車場に車を置き城内に向かいます。

 

名古屋城の正門までやってきました。この門が大手門ではなく正門と呼ばれているのは、名古屋城明治維新後から1930年(昭和5年)まで宮内省管轄の名古屋離宮となっていたためだそうです。正門は藩主や年寄職などの一部の家臣しか利用することができない格式高い門だったようですが、戦災のため焼失し1959年(昭和34年)に天守と共に再建されたそうです。

 

名古屋城と言えば金鯱こと金の鯱、表面を覆うウロコには18金が使用されているようです。

名古屋城は1610年(慶長15年)に尾張徳川家の居城として築城された近世城郭で、平地に築かれた平城です。四方を空堀で囲んだ本丸の南東に二之丸、南西に西之丸、北西と北側に御深井丸を配した梯郭式だそうです。

 

美しく光輝く金鯱はさすがです。この鯱は北側が雄、南側が雌で、高さは雄が約262cm、雌が約258cmあるそうです。

 

正門を入った北側にある西の丸御蔵城宝館に入ってみます。

 

西の丸御蔵城宝館は、西之丸にあった蔵を再現した展示収蔵施設です。名古屋城所蔵品などの展示や名古屋城の歴史などを見ることができるようです。

 

金の鯱の鱗の実物大のレプリカです。しかし鱗一枚でもとても大きい!

名古屋城の金の鯱は過去何度も盗難にあっているようで、天守創建当時の初代金鯱は金純度80%、17,975両の小判に相当するようです。現在の鯱は1959年(昭和34年)に復元された二代目のものだそうです。

 

正門にあった銅鯱です。明治時代に名古屋城天皇離宮になると、江戸城の銅鯱が名古屋離宮に移設され、門や櫓を飾ったそうです。この鯱は江戸城蓮池御門の銅鯱だったようで、明暦大火後の江戸城再建時に鋳造されたそうですが、1910年(明治43年)名古屋離宮となっていた名古屋城の正門が行幸をお迎えするには相応しくないと考えられ蓮池御門と共に移築されたようです。

 

名古屋城表一之門南方銅鯱です。1910年(明治43年)正門と共に移築されたようです。

 

名古屋城表一之門北方銅鯱です。1945年(昭和20年)の空襲により表一之門が炎上した際落下、高熱に耐え焼失を免れた鯱のようです。口の中には炭化した木材や薄い鋼板などがあり、このような部材が残る銅鯱は他にはないそうです。

 

江戸時代の緑釉瓦で、尾張藩江戸屋敷名古屋城の三之丸御屋敷などに使用されていたようです。丸瓦の内側には陶器のようにロクロで形成した痕跡も残っているそうです。

 

新春特別出品の破魔矢と箙《えびら》です。13代将軍の徳川家斉の子が無事生まれることを願い奉納され、宮津熱田社に伝わっていたものを昨年2023年(令和5年)に名古屋城へ寄贈されたようです。

 

新春特別出品の羽子板です。破魔矢と箙同様に昨年宮津熱田社より寄贈されたのもで、家斉の女子誕生を祝い奉納されたもののようです。

 

重要文化財の西南隅櫓と天守です。

西南隅櫓は1612年(慶長17年)頃に建造されたとされ、屋根が二層なのに対し内部は三階という珍しい構造となっているようです。西側と南側には石落しがあり、それぞれに屋根が取り付けられています。

 

堀沿いに進むと表二之門、その先に東南隅櫓が見えてきました。ここでちょっと寄り道です。

 

名古屋城内にあるきしめん屋で、本場のきしめんをいただきます。

 

色々メニューがありますが、きしめんときしころをいただいてみることにします。

 

きしころ(800円)がでてきました。名古屋では冷やした麺類のことを「ころ」といい、きしめんのころを「きしころ」というそうです。きしころの「ころ」は漢字では香露と書き、中部地方でうどんやきしめんに汁をかけた料理のことで、関西でいう「ぶっかけ」のようなもののようです。

 

さすがきしめん、薄くて平べったい!

さてお味のほどは……

 

うどんに比べ生地が平たく伸ばされているので腰が弱いと思っていましたが意に反し、しっかり腰があり表面は滑らかでつるりとしていて喉越しもとてもいい!

来る途中養老SAでいただいたきしめん以上に腰の強さを感じました。やはり麺を冷水でしめているためなのかも知れません。機会があればざるきしめんもいただいて比較してみたいと思います。

 

こちらはあたたかいきしめん(800円)です。

 

む……

出汁が……

黒い……

醬油色……

是非とも出汁を味わってみたい!

醤油ベースに鰹出汁?

見た目とは裏腹に然程辛くはありませんが、いつものように出汁まで飲み干そうとは思えませんでした。

 

腰の強さを比べると、やはり冷水でしめていない分きしころには少し劣る感じがしましたが思っていた以上に腰があることに驚きました。

温かいきしめんもとても美味しくいただくことができました。ごちそうさまでした。

お腹も満足したので名古屋城本丸に向かいます。しっかりと歩いておかないと夜の名古屋飯が入りそうにありません……

 

本丸表二之門から入ります。

 

本丸表二之門の橋の上から見た堀と東南隅櫓です。

 

この門は数少ない名古屋城建造時の建物で、重要文化財に指定されているようです。本瓦葺の高麗門で、軒回りは漆喰塗り、柱や扉に金具が打ち付けられています。

 

本丸御殿までやってきました。この御殿は1615年(慶長20年)尾張藩の政庁と藩主の住居として建造された日本を代表する書院造の建物で近世城郭御殿の最高傑作ともいわれ、城郭では天守閣と共に国宝第一号に指定されたそうですが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失してしまいました。その後、2009年(平成21年)から江戸時代の図面などの史料を基に復元工事が始められ、2018年(平成30年)には絢爛豪華な往時の姿が蘇っています。

 

往時の天守と本丸御殿の貴重な写真です。左手前には今は無き表一之門も写っています。

 

本丸御殿に入場する列に並びます。後方には天守と小天守が見えています。

 

並んで待つこと5分足らず、次のグループで入場できそうです。

 

本丸御殿に入場しました。訪問された方が最初に案内される部屋で、襖や壁には勇猛な虎が描かれた竹林豹虎図があり、ここから御殿の奥には大廊下が続きます。

 

本丸御殿は元々初代藩主徳川義直の住居として1615年(慶長20年)に建造された御殿で、同年の大坂の陣直後この本丸御殿で義直と紀州藩浅野幸長の娘春姫との婚儀に使用され、その後5年ほど暮らしただけで二丸御殿に引っ越したため以後は将軍上洛時の御成御殿、今でいう迎賓館として使用されていたようです。

 

表書院です。建築当初は最大で最も高格式の部屋だったようで、藩主が訪問された方との公的な謁見の際に使用していた場所だそうです。上段之間は藩主の徳川義直が座る場所で、正式の座敷飾りが揃えられています。

 

本丸御殿の内部はまさに絢爛豪華という言葉につきます。

 

対面所です。藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋で、上段之間及び次之間の障壁画には風俗図といわれる京都や和歌山の四季の風物や名所、風俗がおだやかな筆致で描かれています。

 

上洛殿の間です。創建当初はなかったようで、1634年(寛永11年)三代将軍徳川家光が上洛する際、それに先立ち宿泊場所として増築されたそうです。御成書院ともいわれ、本丸御殿の中で最も格式の高いとされていたようです。

 

上洛殿の一番奥の間です。天井の作りなども半端ではありません。

 

寝所に一番近い一之間の欄間には太鼓に乗った鶏が彫られています。この鶏が乗っている太鼓は諫鼓《かんこ》という古代中国の古事に出てくる太鼓だそうです。諫鼓は昔の中国で王様が良くない政治をした際に自分たちの君主に諫言するため民衆が太鼓を打ったという言い伝えによるものだそうです。

 

梅之間です。将軍をもてなす上級家臣たちの控え間として使用されていたようです。

 

廊下側の襖は三重仕様となっていて、中央部に明り取り用の障子が組み込まれています。

 

下御膳所です。台所で調理された料理の配膳などに使用されていたようで、部屋の中央に囲炉裏、天井には煙出しが設置されていました。囲炉裏は冷めた料理を温め直すために使用されていたそうです。

一通り御殿の中を見学できたので、一度外に出て新たに公開されている湯殿書院に行ってみることにします。

 

御殿の南側を抜け湯殿書院に向かいます。

 

湯殿書院に到着しました。スタッフの方に案内され中に入ります。

 

湯殿書院には唐破風付きの湯殿があり将軍専用の湯殿(浴室)だそうです。上部の小さな扉は明かり取りのために使用されていたようです。

 

湯殿の内部です。浴室といっても現代のような湯船はなく、外部の釜で湯を沸かし湯気を内部に引き込む蒸風呂だったようです。今流行りの家庭用サウナの一種なのでしょうか。床面の隙間から湯気が出てくる仕組みで、奥の小さな扉は温度調整用に使用されていたそうです。

 

湯殿書院の奥にある黒木書院です。本丸御殿内で最も小さな書院であり、こじんまりとした落ち着きのある造りで風情を感じます。この黒木書院は清州城にあった父家康の宿を移築されたそうで、本丸御殿の総ヒノキ造りとは異なり松材が使用されていて、その色から黒木書院と呼ばれるようになったようです。

 

天守は施設の老朽化や耐震性不足のため閉館されていました。楽しみにしていたのに残念です。

 

仕方がないので本丸北側にある不明門から外に出ます。

 

美しく見事な曲線を描く扇勾配の石垣です。

 

天守と小天守を繋ぐ櫓台は高い土壁に囲われ。塀の軒には槍の穂先が並べられていました。

 

天守入口付近をズームアップしてみました。軒から突き出た槍の穂先の様子がよく分かります。

 

名古屋城天守の木造復元事業計画もあるようなので、叶うなら復元後また訪れてみたいと思います。

 

梅と名古屋城天守

城外へ出て金シャチ横丁へ遅い昼食に向かいます。

 

金シャチ横丁にやってきました。

 

昼時間のピークは過ぎているので人もまばらです。

 

味噌煮込みうどんの山本屋か……

 

味噌かつ矢場とんか……

友人お勧めの二店ですが、どちらも待たずに入店できそうです。

 

昼前にきしめんをいただいたので今回は矢田とんでいただくことにしました。

 

暖簾をくぐり店内に入ると矢場とんのマスコットキャラクターである横綱を締めた豚、横綱ぶたが出迎えてくれました。

 

私はわらじとんかつをいただきたかったのですが、さすがに入りそうにないのでロースとんかつ御膳、妻はご飯までは入らないとひれとんかつ小の単品をオーダーしました。

 

私がオーダーしたロースとんかつ御膳(1,520円)が出てきましたが、味噌だれがかかっていません。

 

味噌だれはスタッフの方が目の前でかけてくださいました。

 

出来上がりました。

いただきま~す!

 

味噌が濃そうな感じですが、味噌辛さもなくサッパリとしていて甘すぎず飽きない美味しさでした。

 

妻がオーダーしたひれとんかつ小(1,050円)も出てきました。

一つ味見させてもいましたが、ひれ肉はとても柔らかく食べやすく、こちらもとても美味しいようで、妻も美味しいと言いながら全て食べてしまったようです。

本場の味噌かつもいただき大満足です。あまり味噌が得意でない私でも十分満足できるもので、わらじとんかつでも食べれそうな感じです。また機会を作って食べてみたいと思える一品でした。

車に戻りホテルに向かいます。

 

15時30分頃、今夜宿泊するサイプレスホテル名古屋駅前に到着しました。車がホテルの駐車場に入らないようで、近くにある契約駐車場を案内され私は車を置きに向かいます。

 

車を置いてホテルまで戻ってきました。

 

私が車を置きに行っている間に妻がチェックインを済ませていてくれました。

 

部屋は9階のツインルームです。

 

タバコを吸うため窓を少し開けようと思いましたが安全対策のため窓が全く開きません。正面には名古屋駅に入る新幹線が見えていました。

 

出窓から横を見ると名駅通りが見えていました。

昼食が遅かったことや、早朝からの運転で少し疲れたようなので少し休んでから夕食に出掛けることにします。

 

2時間弱休んだ後、19時前夕食に出掛けることにしました。

ホテルから名駅通りを進みます。

 

ホテルから5分程歩くと夕食をいただく名鉄百貨店が見えてきました。

 

名鉄百貨店の9階にあるグルメステーションです。名古屋飯の有名店が沢山入っているようです。

 

夕食は山本屋総本家で味噌煮込みうどんをいただきます。

沢山の方が待たれているようで、予約ノートに名前を記入し待つことにしました。

待つこと30分足らず、やっと順番がきたようでスタッフの方から声掛けいただきました。

 

オーダーし待つこと8分余り、私がオーダーした玉子煮込みうどん(1,430円)が、熱々の土鍋で出てきました。

 

取り皿がないようなので伺うと、蓋を使っていただくそうです。確かに蓋に穴が開いていないので器として使用できそうです。蓋が器になるとは考えたものです。 

 

年季の入った土鍋で、見るからに美味しそう!

 

土鍋から麺をすくい上げて……

 

蓋の器に取りいただきます。

しかし、聞いていたこととはいえ麺が硬い……

鍋焼きとは異なり、麺を茹がかず味噌出汁に生麺を入れ煮込んでいるからなのでしょうか? 

それでも硬めです……

 

断面を見ると心は残ってなく、しっかりと茹で上がっているようです。

 

味噌煮込みうどんって感じで、この硬さに嵌まりそうです。具材の玉子もネギも旨い! 味噌も思っていたほど味噌辛くなく良い感じでしたが、さすがに出汁を全部飲み干そうとは思いませんでした。

 

妻はまだお腹が空かないというので、ざるきしめん(1,089円)をオーダーしました。

味噌煮込みうどんを妻に渡し、私が先にざるきしめんを味見させてもらいます。

 

平べったい麺で、改めてきしめんなんだなと思います。

 

つけダレに浸けていただきます。

やはりざるになるとしっかりと腰があり、歯ごたえや喉越しも一段と良く感じました。

私は讃岐うどんの中でも男うどんが好きで、やはり腰の強さには拘りを感じますが、これなら薄いきしめんでも十分合格ラインだと思います。

妻は味噌煮込みうどんの固さには馴染めないようなので、きしめんを少し? 味見して妻に戻しました。

ざるきしめんもとても美味しく、味噌煮込みうどんはその硬さに完全に嵌まりそうです。

ごちそうさまでした!

 

精算時、レジ脇に土産用の味噌きしめんが販売されていたので思わす購入してしまいました。帰宅後いただくのがとても楽しみです。

お腹も大満足ですが、もう一軒寄り道します。

 

名古屋駅前を通過します。

 

ホテルの少し先にある、元祖手羽先唐揚風来坊までやってきました。

 

こちらは待つことなく入店することができました。

 

入店しテイクアウトで手羽先と手羽元をオーダー、スタッフの方がカウンターに座ってお待ちくださいと案内してくださいました。

カウンターにはタブレットが置いてあり、これでオーダーするシステムのようです。

 

タブレットのメニュー表です。

 

カウンターには手羽先の美味しい食べ方という案内シートが置かれていました。

待つこと15分足らず、オーダーしたテイクアウトが出来上がったので受取ってホテルに戻ります。途中ホテルの隣にあるコンビニでビールを購入し部屋に戻りました。

 

シャワーを浴び名古屋名物手羽先唐揚げを肴にビールをいただきます。

 

手羽先2人前、手羽元2人前です。さすがに全て食べつくすことはできず、残りは息子への土産になりました。

さすがに少し疲れたので明日に備え早々に休むことにします。

 

名古屋飯食べ歩き(トヨタ博物館編)に続く……

 

カテゴリーに戻る

ももっちブログのトップに戻る

ブログ一覧に戻る