名古屋飯食べ歩き(犬山編)

以前から気になっていた名古屋のリニア鉄道館に出掛けようと色々調べていると名古屋には沢山の美味しいものがあるようです。私はきしめんぐらいしか思いつかないので、旅行好きの職場の友人に美味しい名古屋飯の店舗や観光地を教示してもらうことにしました。

友人曰く、せっかく名古屋に行くのであればリニア鉄道館もさることながら、2018年(平成30年)に往時の姿を忠実に復元された名古屋城の御殿やトヨタ博物館は外せないポイント、名古屋で有名な食べ物は、きしめんも有名ですが、味噌カツ味噌煮込みうどん、手羽先の唐揚げ、ひつまむしなどもあるそうです。友人の勧めの店舗は、味噌カツ矢場とん味噌煮込みうどんが山本屋、手羽先の唐揚げが風来坊だそうです。きしめんとひつまむしはよく分からないとのことなので、自分で調べることにしました。

先月末の土日、妻と休みが合うのでホテルを予約していましたが、直前になり大雪の影響がでそうな予報が出ため天気図とにらめっこ、何とか規制も解除されたので一安心していました。しかし出発の前日やむない所用で急遽キャンセル、今回の土日もたまたま休みが重なったのでホテルを予約し改めて仕切り直して出掛けることにしました。

今回名古屋飯食べ歩きとして、犬山編、名古屋編、トヨタ博物館編、リニア鉄道館編の四部に分け、順次UPしていく予定です。

 

土曜日の朝3時過ぎに自宅を出発、山陽、新名神名神と乗継ます。途中、新名神の宝塚北SAで休憩、このSAで踊りだこをいただく予定でしたが、営業時間外で食べ損ね、私の調査不足でした……

米原ICを通過ししばらく走っていると正面に雪を抱いた伊吹山が見えてきました。伊吹山は大阪に赴任中まだ幼かった子どもを連れてスキーに訪れた場所です。しかし近年の温暖化のなか、今年のゲレンデコンディションはどうなのでしょうか?

 

養老SAで朝食を兼ねた休憩です。

 

フードコートにやってきました。ここは24時間営業なので食べ損ねることはありません。

 

オーダーしたのは、事前調査していたえび天きしめん(850円)と八丁味噌のどてかつどん(850円)です。どちらも名古屋を代表する一品だと思います。私はどちらも始めていただくのでとても楽しみです。

きしめんはある程度イメージできるのですが、どてかつどんはイメージが全く掴めません。名古屋には、とんかつに味噌をかけるみそかつ丼や 牛スジやモツを味噌などで煮込んだどて煮という食文化があるようです。

 

八丁味噌のどてかつどんが出来上がりました。

 

濃い赤味噌を使ったどて煮が、豚カツにかけられているようです。

さてお味の程は……

 

サクサクのカツに八丁味噌がよく合っている感じで、あまり味噌の辛さを感じることなく、とても美味しくいただきました。


えび天きしめんも出来上がりました。

出汁は薄く透き通った関西風です。私一人でいただくのであればカケをオーダーし、麺や出汁本来の味をしっかりと味わうのですが、妻は天ぷらなどを乗せないと機嫌が悪くなってしまいます。

余談になりますが、関西は昆布から、関東は鰹節から主に出汁をとり、見た目は出汁の色の濃さで判断が付きます。以前出汁の境目がどの辺りになるのか気になり調べたことがあり、諸説あるようですが岐阜県関ケ原付近が境界線のようでした。

ちなみに、日清食品どん兵衛は関西と関東で出汁の違う商品が販売されていて、名古屋で変わるそうです。見分け方は、容器や蓋に関西はW、関東はEの文字が小さく印字されています。

 

少し味見をさせてもらいましたが、きしめんは思っていた以上に腰がありとても美味しくいただくことができ、妻も讃岐うどんもいいけど、きしめんもアリかなと言っていました。

お腹も落ち着き先に進みます。

 

小牧ICの少し手前で雪を抱いた御嶽山が望めました。

御嶽山は1979年(昭和54年)に友人と木曽駒ケ岳に登った際、山頂付近から噴煙が見え浅間山が見えるのかななどと話していましたが、下山後のニュースで当日御嶽山が噴火したことを知りました。それまで死火山と言われていたことから噴火を伝える新聞の見出しも「死火山大爆発」などと報道され驚いた記憶があります。

 

小牧ICで流出し国道41号線で犬山に向かいます。

 

小牧ICから20分ほどで犬山城の城下町に入ったようです。自宅から休憩しながらですが5時間30分ほどかかりました。

 

通りの先に犬山城が見えてきました。

 

駐車場に車を置き、犬山城の三の丸と二の丸の境にある中門から犬山城天守に向かいます。

 

来門跡付近を通過します。以前は階段だったようですがスロープ加工された道を上っていきます。

 

黒門跡付近を通過します。

 

鉄門《くろがねもん》手前、岩坂門跡付近に到着しました。券売所の前には、既に幾人かの方が待たれていました。

 

9時になり券売所が開いたのでチケットを購入します。犬山城のみ入城する場合は550円ですが、この後行く予定の城とまちミュージアムと犬山からくりミュージアムなどがセットになった周遊券(760円)を購入します。

 

本丸を守る最後の扉、鉄門から天守広場に入ります。

 

鉄門をくぐると椿越しに小振りながら見事な天守がそびえ立っていました。

天守最上階の望楼に華頭窓、その下には唐破風が見えています。華頭窓は寺院などによく用いられる格式の高い建築様式で、天守では最高級の窓として主に最上階に取付けられていたようですが、あまり実用性はなく単に装飾のために取付けられていたようです。

唐破風は華頭窓と同様に高い格式と装飾性を重視したもので、日本の城郭建築に見られる破風の一つです。唐とは付きますが日本特有の建築技法だそうです。

 

犬山城は、室町時代の1537年(天文6年)に織田信長の叔父、織田信康が築城されたそうで、江戸時代までに建造された現存12天守の一つで、現存する日本最古の天守でもあり、姫路城、松江城彦根城松本城と共に国宝に指定されているようです。

また、犬山城は個人所有の城であったことでも有名ですが、2004年(平成16年)財団法人犬山城白帝文庫を設立、成瀬家13代城主成瀬淳子が理事長に就任され現在に至っているそうです。

 

一階(石垣部)に天守の出入り口があります。入城すると天守を支える石垣や太い梁を間近に見ることができます。

 

一階北西角にある石落としの間ですが、どこから石を落とすのでしょうか?

外から見ると袴腰形の石落としが付いていますが、犬山城の石落としは見せかけのようで、正しい呼び名は西北隅の付櫓というそうです。

 

中央部に第一の間、第二の間、上段の間、納戸の間があり、その周囲を武者走りが巡っています。

 

中央部の上段の間です。

 

天守の模型が展示されていました。

この犬山城は、織田信長豊臣秀吉徳川家康がそれぞれの時代に手に入れ、天下人への成長を成し遂げた城でもあるようです。

 

急な階段を上りますが、階段のすぐ上を梁が走っています。屈んで通らなければ頭を打ってしまいます。

 

唐破風の内側は出窓のようになっています。上部が弓なりになっていて唐破風なのが分かります。

 

天守最上階の望楼まで上ってきました。望楼からは名古屋市街地や小牧山城址も一望できます。

 

回廊下の唐破風の瓦には……

 

魔除けとして多くの城の瓦に取付けられている桃がありました。亀の甲羅に桃が乗っているようです。

 

天守最上階には回廊があり、周囲を歩けるようになっているので一回りしてみます。

 

木曽川の先は岐阜県になります。

各務原市街地の先、西方向(左側)には雪を抱いた伊吹山、北西方向(右手前の山)には岐阜城が望めました。

 

伊吹山をズームアップ、手前には航空自衛隊岐阜基地の滑走路も見えています。

 

岐阜城もズームアップしてみました。

 

回廊を進みます。

天守の北東方向、木曽川の上流、鵜沼市街地の先には御嶽山も望めました。

 

御嶽山をズームアップ。

 

さらに回廊を進むと、鉄門の先に犬山市街地が開けていました。

回廊を一回りしたので下城します。

 

急な階段をゆっくりと下り一階まで無事降りてきました。

 

天守の前には梅の花が咲いていました。

 

針綱神社を抜け麓まで降りてきました。

鳥居の前には1919年(大正8年)に造られた太鼓橋がありました。両脇に添橋のある立派な石橋ですが、あまりにも急なアーチでどう見ても渡れそうにありません。

 

犬山城の麓にある城とまちミュージアムにやってきました。

この施設は犬山の歴史、文化の紹介や江戸時代の城下町の様子を再現したジオラマなどが展示されているそうです。

 

往時の犬山城の様子が忠実に再現されています。

入館後最初に目に付くのがジオラマ、その前で犬山城下町の歴史などを纏めたビデオが流されていたのでしばらく座って視聴、その後周囲に展示されている歴史絵を見て歩きました。

 

城下町の中を練り歩く山車の様子が見事に再現されていて、見ているだけで楽しくなってきました。

 

地区ごとに違う山車も見事に再現されていて、それぞれに特徴があるのが分かります。

 

犬山城もとてもリアルです。このジオラマを見るだけでも一見の価値があると思います。

 

江戸、昭和、平成の鯱瓦が展示されていて、三世代の鯱瓦を見比べることができます。

 

犬山祭て使用される各地区の山車の模型も展示されていて、それぞれの山車の特徴がより詳しく見比べることができました。

城とまちミュージアムの見学を終え隣りにあるからくりミュージアムに向かいます。

 

城とまちミュージアムに隣接しているからくりミュージアムです。入口の屋根は犬山城をイメージしてか唐破風が採用されていました。

 

愛知県内には約400輌以上の山車(曳山)があるようで、全国でもトップクラスの多さを誇っています。その約4割の山車には400以上のからくり人形が備えられているそうです。

からくり人形には茶運び人形に代表される座敷からくり人形と祭の山車で披露される山車からくり人形があるようで、このミュージアムはその両方が楽しめるようなのでとても楽しみにしていました。

 

座敷からくり人形の代表格、茶運び人形です。

 

万年時計です。この時計はからくり儀右衛門と呼ばれた東芝創始者である田中久重が1851年(嘉永4年)に制作されたというレプリカです。

 

骨からくり弓曳童子です。九代目玉谷庄兵衛と山中俊治がコラボし作成され、2009年(平成21年)財団法人三宅一生デザイン文化財団の企画展「骨」に出展された作品です。元々は江戸時代後期、東芝創始者田中久重が制作された弓曳小早船(後方の写真)のようで、残されていた弓曳小早船も1998年(平成10年)に九代目玉谷庄兵衛が完全復元されたそうです。

 

見事な仕掛けで、エンジニアの心が揺さぶられます。

 

ゼンマイ仕掛けの座敷からくりの一つ品玉人形です。

童子が箱を持ち上げると吉祥物が出てくる仕掛けで、箱を戻し再度持ち上げると違う吉祥物が出てくるという動作を4回繰り返す仕掛けのようです。

 

二筆文字書き人形です。右手に持った筆と口に咥えた筆で「松」と「竹」の二文字を同時に書くことができる仕掛けのようです。

7枚のカムと14本の糸で作動し、右手と頭が上下、左右、前後の三次元に動く仕掛けだそうです。

 

茶運び人形のパーツが並べられていました。各部位により加工しやすさ、強度などを考え使用されている木材の種類も異なるそうです。よく見ると歯車も木材で作られていました。


動力源となるゼンマイに使用されたミンククジラのクジラヒゲです。

クジラのヒゲは入手しやすく多くの工芸品にも使用されていたようですが、今では入手困難な超高級品となっています。パワーバランスの取れた部材だったようで、当時のからくり人形の動力源のゼンマイに使用されていて、日本における古典的な機構学の原典である機巧図彙《きこうずい》にもクジラヒゲを使うよう記載されていたようです。


実際にからくり人形を動かすことができるようです。

 

私も実際に操ってみました。紐を引くと各部をそれぞれ動かすことができますが、複数箇所の同時操作は全くできませんでした。

10時30分からからくり人形の実演があるので早々に席につき開始時間を待つことにします。

 

10時30分スタッフの方が茶運び人形を持ってこられました。

 

概要を説明された後、早速実演開始です。まずはゼンマイのネジを巻きます。

 

人形の手に湯呑みを置くとすり足でこちらにやってきます。

 

妻が湯呑みを取ると動きが止まりました。

 

再び湯呑みを置くとクルリと方向転換をして元の来た方向に戻っていきます。

 

実演後スタッフの方が、仕掛けについて解りやすく説明してくださいましたが、江戸時代にこんなシステム制御技術が確立されていたことに、ただただ驚くばかりでした。

 

茶運び人形の実演終了後、人形に使用されている部材について詳しく説明してくださいました。

この茶運び人形の動力源は当時と同じクジラヒゲが使用されているそうです。実際に触らせていただきましたが、多少厚みはあるものの取付け固定穴などの加工も綺麗にされていて板バネとしても十分使用できるものでした。

 

茶運び人形の説明後スタッフの方が山車からくり人形の前に移動されました。

展示されている山車からくり人形は1997年(平成9年)に9代目玉谷庄兵衛が制作された「からくり からす天狗」を題材にした創作からくりだそうです。

 

スタッフの方が山車からくり人形の下に入られ、巧みに紐を操り人形を動かせながら説明してくださいました。人形の手捌きはまるで生きているかのような動きに感心するばかりです。操作技術もさることながら、ここまで人形を制御させられる技術力に驚かされ、モノ作りの真髄のようなものを感じさせられました。

 

面被りの実演です。一瞬の間に人形の胸が開き老人の面が顔に取付けられ……

 

素早く胸が閉じられるという見事な早業でした。

 

玉屋庄兵衛の制作実演コーナーです。

毎週金曜日と土曜日には人形制作の様子を見学することができるようですが、今日はあいにく都合が悪く中止となったそうです。

しかし、江戸時代によくこれだけの精巧な人形、いやロボットを考え作りあげたという素晴らしいノウハウ、技術力に心底感心するとともに感動さえ覚えました。

からくりミュージアムをしっかりと楽しませていただいたので、城下町を散策してみます。

 

城下町の通りは沢山の観光客の方々で賑わっています。

 

大手門跡です。犬山城の大手門は堀、土塁、土壁と門で構成された高麗門形式で、木製の橋が架けられていたようです。大手門を入ると桝形がありそこを曲がると二階建ての立派な櫓門形式の二の門があったそうですが、明治時代に取り壊され堀も埋められ現在は町中に溶け込んでしまい残念ながらその面影を見ることはできません。

 

往時の大手門の様子が伺える貴重な写真です。

 

散策しているといい香りが漂ってきました。

 

美味しそうな五平餅などのポップが並んでいます。

 

ひだ牛わらじコロッケも美味しそう~

 

五平餅とひだ牛わらじコロッケをオーダーすると、出来立てをお出しするので少し時間が掛かりますと言われ奥のテーブルで待つことにしました。

 

待つこと3分余り、五平餅が出来上がりました。

 

五平餅を食べ終えた頃、ひだ牛わらじコロッケも出来上がりました。

 

アツアツ、ホクホクでとても美味しくいただくことができました。ごちそうさまでした!

 

駐車場に戻り、一度岐阜県側に移動し木曽川越しに犬山城を撮影しました。

この後「尾張名古屋は城で持つ」と俗謡で歌われた名古屋城に向かいます。

余談になりますが、「尾張名古屋は城で持つ」は「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ尾張名古屋は城で持つ」の一部で、江戸時代に伊勢国で唄われ伊勢参りの方々によって全国に広まった「伊勢音頭」だそうです。

 

名古屋飯食べ歩き(名古屋編)に続く……

 

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