昨夜の夜勤の時、天気図を見ていると今日も天気がいいようだったのでお一人様ツーリーングに出掛けてみようと思いたちました。行先は以前妻と出かけた際休日だったため人が多くゆっくり見ることができなかった広島県呉市にある「てつのくじら館」に展示されている潜水艦をじっくり楽しんで、久しぶりに海自カレーを食べてみたいと思い出掛けてみることにしました。
朝6時過ぎに自宅を出発します。
福山市街地の何時もの渋滞を抜け、福山市瀬戸町から赤坂バイパス、松永道路、尾道バイパス、木原道路、三原バイパスへと乗継ぎ、2時間程で「道の駅 みはら神明の里」(広島県三原市糸崎)に到着しました。
自宅を出た際は夏用のメッシュジャケットを着ていたこともあり少し肌寒かったのですが、日が昇ると体感温度がどんどん上昇し暑いくらいになりました。
展望デッキにやってきました。
目の前には瀬戸内海の展望が開けています。
映画「裸の島」の舞台となったと宿祢島《すくねじま》と、その先に因島と生口島を繋ぐしまなみ海道の生口橋が望めました。
水分補給とモクモクタイムを終え三原バイパスに戻り国道2号線を西進します。
国道2号線の東広島市西条町の仁賀口交差点を右折し、上三永ICから東広島呉道路に乗換えます。
終点の阿賀ICから国道185号線、国道487号線と乗継ぎ「海上自衛隊呉史料館 てつのくじら館」(呉市宝町)に到着しました。
道を挟んだ向かい側には「呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム」があります。
大和ミュージアムに隣接する「大和波止場」にやってきました。
広々とした甲板広場は戦艦大和の前甲板の一部をイメージされているようです。
その一角に海自カレーの「護衛艦さみだれカレー」がいただける「 CAFE BEACON」があります。
ここの海自カレーもいただいてみたいのですが、今回は別の海自カレーをいただく予定なので、次回の楽しみにしておきます。
「海上自衛隊呉史料館 てつのくじら館」は何と本物の「潜水艦あきしお」がそのままミュージアムになってます。
その「てつのくじら館」に入館します。何とこのミュージアムは入館無料です。
近くで見ると迫力が半端ありません。
この潜水艦は海上自衛隊の「あきしお」で、1983年(昭和58年)4月に三菱重工業神戸造船所で起工、1985年(昭和60年)1月に進水し1986年(昭和61年)3月より就役、第1潜水隊群第1潜水隊の呉基地に配属されたそうです。
入館します。
海上自衛隊の施設ですが実務業務がないためか、広報施設のためなのか特に身分証明等の確認などの入館手続きはありませんでした。
インフォメーション脇には呉史料館のコンセプトや自衛隊の活動がパネルで紹介されています。
やはり平日ということあり、かなり空いているようなので、今回はじっくりと見て回れそうです。
ペルシャ湾での掃海活動の様子の紹介や、実際の機雷も展示されています。
湾岸戦争やイラク戦争でペルシャ湾に敷設されたLUGM-145機雷です。イラクで生産されイラク軍が使用した係維機雷で、米海軍から海上自衛隊大掃海隊のアラビア海の機雷除去活動の貢献に対し送られたようです。
機雷についての説明パネルです。
機雷は海面をプカプカ漂っているものだと思っていましたが、海中を漂わせたり、海底に沈めたり、任意の深さに設置するなど、色々な種類があるようです。
海底の係維器から係維索(鎖)で、任意の深さに設置する係維機雷です。
75式機雷処分具S-4です。沈底機雷の掃討をする有線式の遠隔操作無人探査機だそうです。
曳航掃海具のフロート(掃海浮標)です。
右側がロシア製のUDM機雷、左奥がイタリア製のMN103機雷の沈底式で、共に磁気や音響などに反応するタイプだそうです。
はつしま型掃海艇搭載のJM61、20mm多銃身機銃 です。
潜水艦の内部や機能が分かるコーナーです。
潜水艦の断面模型です。
潜水艦のカットモデルや潜望鏡などが展示されています。
潜望鏡の先端部です。潜水艦から海面に上昇し海上の様子を見ることができるようです。
潜水艦内の食堂を再現されたものです。
スペースの限られた艦内では、座席の下が収納スペースだったり様々な工夫がされているようです。
潜望鏡も展示してあります。
海上自衛隊の国産潜水艦「おやしお」から続く潜水艦の変遷を、歴代の潜水艦モデルの模型で紹介されています。
いよいよ本物の潜水艦「あきしお」に入ります。
入口側から見た出口です。出入口共に3階部に新たに穴をあけ出入口を設置されたようです。
入口を入ると、士官用のトイレとシャワールームがありました。
さすがに狭い潜水艦なので湯船はありませんでした。
狭い通路を前方に進みます。
通路脇の部屋は隊員の寝室で、三段ベットやロッカーなどが設置されています。
しかし、今まで見た潜水艦内の配置図からすると、この階は隊員のフロアーではないような気もしますが……
潜水艦は海中に長期間潜水しているため昼夜の認識がなくなるようです。そのため昼は白色灯、夜は赤色灯に照明を切換えて昼夜の感覚を保てるようにしているそうです。
士官公室です。
艦長や士官が会議、業務、食事をされるスペースのようです。
士官寝室です。本来は部屋だったようですが展示用に壁が撤去され、見学通路のスロープなどを新たに追設されたようです。
潜水艦内唯一の個室、艦長室です。
発令所の様子です。艦長が指揮を執るところで、潜望鏡、操舵、潜水艦の主要機構である注排水をコントロールする装置などが集約されている、いわば潜水艦の中枢部です。
左舷前方、艦首側には操舵手席があります。
操舵手席には操縦桿やペタルなどがあり、航空機と同じような感じですが、前方を目視確認することはできないようです。
古い話で恐縮ですが、1960年代後半に「原子力潜水艦シービュー号」というTVドラマが放映されていました。そのシービュー号の船首には前方を見渡せる大きな窓があり、そのカッコよさに子ども心に憧れを抱いたものでした。
目標を探知するレーダです。
艦内を見学し外に出てきました。
司令塔上部には1番2番潜望鏡や整流アンテナ、ループアンテナなどが見えています。
司令塔?
元々潜水艦はその名とは裏腹に浮上して航行することが多く、見晴らしが効くことから、この塔の上から内部に指令が出されていたそうです。 潜水艦は潜水走行の方が好都合なため現在では性能が向上したこともあり、ほとんど利用することはなくなったそうです。
一階まで降りてきました。
一角には今年9月末に公開される映画「沈黙の艦隊」の展示がされていました。 この映画は日本で初めて海上自衛隊潜水艦部隊の撮影協力を得て、実際の潜水艦を使い撮影されたようです。
映画に出演された、大沢たかお、玉木宏、水川あさみが着用した衣装なども展示されていました。
これからテッパンカレーをいただきに向かいます。
今回海自カレーをいただくのは「てつのくじら館」近くにある「呉はいから食堂」(呉市宝町)です。
エスカレーターで二階に上がります。
エスカレーターを降りると、対空機銃や戦艦大和の模型などが展示されていました。
「呉はいから食堂」です。
入口には今回いただく「潜水艦501そうりゅうのテッパンカレー」の食品サンプルが置かれています。
数量限定とありますが、大丈夫でしょうか……
店内に入り狭い食事ペースを抜け広い食堂でいただくことにしました。
スタッフの方がオーダーを取りに来られたので伺うと「テッパンカレー」(1,500円)はいただけるそうです。
甘口と辛口が選択できるそうなので、私は辛口をオーダーしました。
ちなみに、海自カレーは「艦船◯◯カレー」「潜水艦◯◯カレー」と、各艦艇で毎週金曜日に食べられている特徴あるカレーが曜日に関係なく呉市内22ヶ所の店舗でいただく事が出来るそうです。
※呉はいから食堂のHPより
帰宅後気付いたのですが、狭い食事ペースと思ってスルーしたスペースは潜水艦内部をイメージした食事スペースでした……
ここでいただけばよかったと少し後悔です。
待つこと5分足らず、実際に潜水艦で使用されているプレートに載った「潜水艦501そうりゅうのテッパンカレー」が出てきました。
潜水艦そうりゅうの艦長が認定された、ここでしか食べられない特別なカレーで、ヤングコーンとブロッコリーが載ってます。さらにカツにキャベツ、肉じゃが、福神漬けとラッキョ、ポテトと玉子、それに牛乳が付いていました。
カツは懐かしい味のクジラです。
そのカツをカレーに載せカツカレーでいただきました。
とても美味しく、お腹も一杯で大満足です。
ごちそうさまでした!
戦艦大和は小振りながらリアルに再現されています。
各艦艇自慢のレトルトカレー(648円)も販売されていました。
この後モクモクタイム後バイクに戻り、「アレイからすこじま」に向かいます。
「てつのくじら館」から国道487号線、市道と乗継ぎ5分程で「アレイからすこじま」(呉市昭和町)に到着しました。
ここ「アレイからすこじま」は海上自衛隊第1潜水隊群司令部のすぐ近くにあり、日本で唯一間近で潜水艦を見ることができる公園です。
「アレイからすこじま」は、大正時代まで呉浦にあった周囲30~40m程の烏小島という小島の名前と、小道を表す英語のALLEY《アレイ》から付けられ、公園として整備されたそうです。烏小島は大正時代に海軍施設拡張工事のため埋立てられ現在では陸地の一部となっているようです。
公園内には大砲のレプリカも設置されています。
潜水艦桟橋の門ですが、周囲には有刺鉄線が張られ「無断立入禁止」の警告板が張られていました。
「アレイからすこじま」からみた潜水艦ですが、間近で見ると迫力満点です!
旧海軍で魚雷積載などに使用されていたクレーンも当時のまま残されていて、クレーンの奥には潜水艦も望めます。
国道沿いを歩き赤レンガ群を眺めながらバイクに戻ります。
この倉庫群は1897 年(明治30年)頃に呉海軍工廠《こうしょう》の前身の呉海軍造兵廠当時に建てられたそうで、空襲を受けその数も減り建設当時よりも奥行きが短くなったりはしていますが現在でも民間会社などの倉庫として現役で利用されているそようです。
市道から旧道の国道487号線に乗換え10分足らず走り「音戸の瀬戸公園」(呉市警固屋町)にやってきました。
展望台から見た音戸大橋です。眼下には沢山のツツジが植えられ、対岸の倉橋島には橋梁の右に二重ループも見えています。1961年(昭和36年)に開通した音戸大橋は、大型船舶も通過する海峡のため高い桁下が必要で、航路限界 23.5m、また倉橋島側の用地が狭いため二重ループの高架橋、本土側は地形を活かした変則二重ループで設計されたそうです。
この後、県道66号線で海岸線を走り呉市広市街地を抜け、国道185号線で竹原に向かいます。
海岸線の走行は気持ちいい!
国道185号線の阿賀交差点にでてきました。この交差点を右折し、三原、竹原方面に向かいます。
呉市広街地を抜けしばらく走ると「安芸灘とびしま街道オレンジライン」に向かう県道74号線との分岐を通過します。
国道185号線で海岸沿いを走ります。沖には牡蠣筏が沢山浮かんでいます。
「音戸の瀬戸公園」から1時間10分程で「道の駅 たけはら」(竹原市本町)に到着しました。
バイクを置いて「たけはら町並み保存地区」を少し散策します。
この町並みは、文化庁の「日本遺産」(Japan Heritage)「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている場所です。
竹原は江戸時代、兵庫県の赤穂から入浜式塩田の技術を導入し、製塩業が盛んに行われるようになり「竹原塩」として全国に知られるようになった地域だそうです。
「道の駅 たけはら」に戻ります。
水分補給とモクモクタイムを終え、出発します。
竹原からは海岸線から離れ、県道75号線で国道2号線に向かいます。
竹原から40分足らずで「道の駅 みはら神明の里」に最後の休憩に立ち寄りました。
この先の用之江交差点を右折し、笠岡バイパスに入り寄島を経由し自宅を目指します。
笠岡から県道47号線で海岸線を走ります。
途中、瀬戸中央道の下津井瀬戸大橋や櫃石島橋、岩黒島橋が望めました。
浅口市寄島のロータリー交差点を通過します。
帰宅後コーヒーを飲んでモクモクタイム、30分程休憩してして自宅近くのGSへ給油にやってきました。
今日の走行距離は約340km、平均燃費表示は37.7km/Lでした。実際満タンにしてみると前回の給油後の走行距離が394.0km、給油量11.69Lで計算してみると実質燃費は33.7km/Lでした。前回は平均燃費表示に近い数値だったのですが、今回は少し違っていました。
しかしCBR400Rは満タンで17L入るタンクなので、約5.3Lガソリンが残っていて、まだ192km走ることができ、単純計算で満タンで586km走れる計算になるのでロングツーリングでは給油回数も減り、ロングツーリング向きのバイクだと改めて思いました。