長崎佐賀食べ歩き(長崎・雲仙編)

昨晩22時前には部屋に戻りしっかりと休むことができたので昨日の疲れも取れたような気がします。早く目覚めれば早朝の散策に出掛けるつもりでしたが、さすがに目が覚めたのは7時前だったので散策は諦め、まずは寝起きのモクモクタイムです。

このホテルは部屋での喫煙ができないため一階の喫煙場所に向かいます。

 

レストランに併設された喫煙場所から見えるホテルの中庭です。

今日は楽しみにしていた軍艦島クルーズです。当初の予定では昨日乗船予約をしていたのですが、天候が荒れるようなので前日連絡して今日に予約を変更していました。

結局昨日は上陸どころか出航もできなかったようですが、幸い今日は天候にも恵まれ、上陸もできそうなのでとても楽しみです。

モクモクタイムを終え朝食を済ませてた後、友人と待ち合わせているロビーに向かいます。

 

8時に友人とロビーで合流し地下駐車場に向かいます。

クルーズ船の受付開始は8時30分からで、ホテルから車で5分ほで出航場所の長崎港ターミナルに着くというので余裕です。

 

スタッフの方が出庫の準備をしてくださいます。

 

長崎港ターミナル横の有料駐車場に車を置き、長崎港ターミナルにやってきました。

 

長崎港の港口には女神大橋が見えています。

今日は天候もよく風もないようで波は穏やかです。軍艦島は長崎の野母半島の西から数キロ離れているだけで然程沖ではないようなので大丈夫だと思います。

 

港には軍艦島近くの高島に向かう双胴型高速艇が停泊しています。

 

外輪蒸気船を模した観光船も停泊しています。

クルーズ船の受付窓口に向かいます。

が……

今日は少し波が高いようで出航はするものの軍艦島への上陸は難しいかも知れないそうです。今日よりは明日の方が波も低くなる可能性が高いかもしれないということで、今日の予約をキャンセルし明日の便に変更しました。

上陸できるのは風速3m/s以下、波高50cm以下とかなり条件が厳しいようです。

急遽予定を変更し、今日は雲仙方面に出掛けることにしました。

 

長崎市街地からながさき出島道路、長崎道に乗り継ぎ諫早ICで流出し無料区間の島原道路に乗り継ぎます。

 

諫早ICから7kmほどで終点の長野ICに到着し、国道57号線に乗り換えます。

 

長野ICから20分ほど走り諫早市から雲仙市に入ると「愛のまち」というモニュメントが見えてきました。

ここは「愛の聖地」といわれ、その名のとおり愛の町(雲仙市愛野町)なのです。

 

それらしき建物も……

 

建物脇にも愛ぽいオブジェが設置されています。

 

この建物は島原鉄道の「愛の駅」こと愛野駅舎でした。

この駅を訪れたのは……

 

妻へのサプライズ土産の購入です。

島原鉄道愛野駅吾妻駅の名前を繋げると「愛しのわが妻」となり、沢山の恋人たちや愛妻家に親しまれています。「愛野から吾妻ゆき」愛の道は片道で後戻りはできません。大切な人を世界で一番幸せにする愛の記念切符。

2000年(平成12年)3月に幸駅が新たに開業し、幸駅愛野駅吾妻駅の駅名を繋げて「幸せを 愛の わが妻へ」となりました。また2008年(平成20年)には、愛野駅に「日本ロマンチスト協会」の名誉本部も設置されたそうです。


駅舎の屋根の上には日本ロマンチスト協会ロゴマークをあしらったキューピッドの矢が設置されていて、その矢は常に吾妻駅を向いているそうです。

駅構内に入ります。

 

諫早方面のホームです。

 

島原の子守唄をモチーフにしたイラスト入りの駅名表。

 

鉄道むすめ神代みさきと鯉駅長のさっちゃんのキャラクターがデザインされている駅名表もありました。

 

島原方面のホームにやってきました。

諫早方面のホームには乗車される方が列車の到着を待たれています。

 

島原港行きの下り列車がやってきました。

 

まもなく愛野駅に到着です。

 

同刻の9時50分発の上り線諫早行きと行き違います。

 

上り線諫早行きを見送った後、雲仙に向かいます。

友人は私が撮影している間、愛野町内を散策していたので待ち合わせのコンビニへ迎えに行きます。

 

愛野駅から国道251線を島原方面に走っていると愛野ICという自専道の乗口があったの流入しましたが、このICはハーフICで諫早方面にしか行くことができませんでした。

区間だけ部分開通している自専道の愛野森山バイパスを走り、終点の森山東ICで流出しUターンです。

再び愛野森山バイパスに流入し先ほど誤侵入した愛野ICを通過します。

 

愛野ICからは吾妻愛野バイパスが一区間だけ開通していて終点の吾妻西ICで流出、雲仙グリーンロードを走ります。

北側には諫早湾の締切堤防が見えています。

 

雲仙グリーンロードからは、いたるところから雲仙を望むことができます。

雲仙グリーンロード は島原半島の中腹を走る広域農道で、北部、東部、東南部、西南部に分かれていて各区間は国道、県道などで繋がり島原半島を循環することができるようです。

 

雲仙グリーンロードから三会ICで自専道のがまだすロードに乗り2kmほど走り次の島原ICで流出します。


島原ICから県道58号線に乗り換えます。

 

県道58号線を500mほど走り県道207号線の島原まゆやまロードに乗り換えました。

 

島原まゆやまロード沿いに「平成新山展望園地」という展望地があったので立寄ってみました。

 

目の前に平成新山を望むことができます。

平成新山は1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけて雲仙普賢岳の噴火によって形成された巨大な溶岩ドームで、後に平成新山と呼ばれるようになったようです。

 

雲が切れたので平成新山の山頂付近をアップで撮影してみました。

雲仙普賢岳は1663年(寛文3年)、1792年(寛政4年)、1990年(平成2年)~1995年(平成7年)と今回の噴火を含め有史後3回の噴火があったそうです。

 

千本木地域から下流島原市街地方面です。

30年前の1993年(平成5年)6月23日から24日にかけて、雲仙普賢岳噴火災害で大火砕流に襲われた垂木台地の千本木地域です。

 

展望所の説明パネルの写真です。黄色く囲まれていてる建物と比較すると火砕流の巨大さが分かります。

6月23日から24日には溶岩ドームが大きく崩落し、800℃以上の高温の大火砕流が時速100km/h以上の高速でこの千本木地区を襲い、多くの家屋や農地を焼き尽くし破壊埋没させてしまいました。長い歴史のある千本木地域は事実上この火砕流で幕が閉じられることになったようです。

 

左の赤い丸印が現在私たちがいる場所のようで、その上下に島原まゆやまロードがあるようです。

垂木台地周辺の谷を火砕流は滑り台を滑るように中尾川に沿って流れ込み、溶岩や火山灰で埋め尽くし大雨の時には土石流も中尾川流域の家屋を破壊していったそうです。

 

車に戻り島原まゆやまロードをさらに登っていくと今回の目的地の一つ「平成新山ネイチャーセンター」の案内板があったので右折します。

 

平成新山ネイチャーセンター」(島原市南千本木町)に到着しました。

 

地元の小学校の子どもたちが校外学習にきていました。

 

散策路が整備されているので少し散策します。

 

散策路脇にはこんな施設が……

 

シェルターのようで、こんな説明看板が設置されていました。

 

展望台の上り口にはツリガネソウが咲いていました。

 

展望台から見た平成新山です。

山頂中央付近から右下に延びるラインが普賢岳の旧登山道のようです。

 

散策路はまで続いいていますが、この先は草が生い茂っていたため引き返します。

 

車に戻り島原まゆやまロードを進むと下り坂になり、ネムノキの花越しに平成新山が望める場所がありました。

 

駐車場脇の道路からは眉山南側の上北木場地区が望めます。

1990年(平成2年)11月から再開した普賢岳の噴火活動、6月3日16時8分、溶岩ドームが砕け火砕流が発生し、水無川の源流を下り一瞬のうちに北上木場地区を飲み込み43名もの尊い命を奪った場所であり、火砕流恐ろしさを知らしめた場所でもあります。

 

火砕流の上には火山岩があちらこちらに残っていす。

殉職された地元消防団員の方々や機動隊の方々が守ろうとしたふるさと、そして地域の復興繁栄を願うばかりです。

この後島原市街地まで下り国道57号線で雲仙に向かいます。

 

雲仙の到着しました。

雲仙は昔「温泉」と書き「うんぜん」とよばれていたそうで、「温泉山満明寺」の山号に由来し、やがて「雲仙」と表記されるようになったようです。

 

有料駐車場に車を置き温泉街を散策します。

 

指湯がありました。

指先だけ入浴、ちょっとだけ温泉気分!

 

雲仙地獄にやってきました。

雲仙の古湯と新湯の間にあり、温泉余土という白い土に覆われた一帯が雲仙地獄です。

 

あちらこちらで囂々と温泉が湧き出ています。

 

白濁色の温泉もボコボコ湧いています。

 

雲仙地獄の噴気の源は橘湾の海底のマグマ溜りのようで、そのマグマ溜りから発生した高温高圧のガスが上昇途中いくつかの過程を経てし激しい噴気となって地上に噴出しているようです。雲仙温泉はこのガスと周囲の山々からの地下水が混ざり合って生まれているそうです。

 

泥火山です。

 

地中から噴気で盛り上がってくる灰白色の粘着性の高い土が円錐状の小さな山を作っています。

 

「地獄そうめん」という幟に釣られ店に入ります。

スタッフの方に地獄そうめんはどんなものかと伺うと、地獄のように熱いからだそうで、島原そうめんの熱いバージョンのようです。

暑い時に熱いそうめんはパスしました。

 

カウンターに湯の花の上の置かれた温泉卵がありました。

今夜の部屋飲みの肴に購入しようと手に取ると、スタッフの方から、それは生たまごなのでこちらからお出ししますと出してくださいました。

確かに「生たまご」と書いてあります……

土産物をみていると色んなカステラが並んでいました。スタッフの方曰く、長崎のカステラも美味しいですが雲仙のカステラもお勧めですよといわれ、雲仙のカステラなどを土産に購入しました。

精算時に日帰り温泉のお勧めを伺うと、近くに安くていい温泉があるといわれ行ってみることにしました。

 

土産物店から5分足らずで到着しました。

温泉街から少し下った住宅地の一角にあるレトロな趣きの温泉です。

 

「湯の里温泉共同浴場」(雲仙市小浜町雲仙)です。

源泉掛流しの雲仙で最も古い共同浴場だそうで、地元の方々に愛されている温泉のひとつのようです。

看板にあった「だんきゅう温泉」が気になったので伺うと、ラッキョウのことだそうで、昔ラッキョウを漬ける樽を湯船につかっていたそうで、いまでも「だんきゅう風呂」とよばれ親しまれているようです。

 

入口脇に喫煙所があったので入浴前にモクモクタイムです。

 

入湯料200円、それにたタオルを持っていなかったので250円で購入しました。

タオルの下の袋は先ほどの土産店で購入したカステラなどです。

温泉に浸かります。

温泉は源泉掛流し、PH2.3と強酸性の硫酸塩泉で白濁の少し硫黄臭が感じられるお湯は神経痛や皮膚病に効能があるようです。

雲仙温泉をしっかりと楽しんだので先に進みます。

 

雲仙温泉市街地から県道128号線を下り橘湾近くで国道251号に乗り換え、諫早方面にしばらく走ると雲仙グリーンロードの交差点に出てきました。

 

島原に向かう際に乗り換えた交差点に出てきました。

 

雲仙グリーンロードから国道251号線に乗り換え諫早湾の締切堤防を走る堤防道路に入ります。

 

堤防道路の中間付近に休憩所があったので立寄ってみました。

有明海諫早新地を望める展望歩道橋やトイレなどが設置されています。

 

この堤防道路の愛称は雲仙シーラインという2007年(平成19年)に開通した新しい道路で、諫早市高来町雲仙市吾妻町を結んでいます。この道路の開通で両市の交通の便はかなり向上したのではないでしょうか。

 

締切堤防の内側、諫早新地方面です。

 

休憩所周辺は綺麗に整備されていますが、ユスリカが多く体中にまとわりついてきます。

 

沢山の蚊柱も見えています。

 

歩道橋に上がるとユスリカから解放され、有明海の展望が開けました。

 

諫早湾干拓するために造られた締切堤防の上を走る雲仙多良シーラインは全長約8kmにも及ぶ海を渡る道路で、雲仙市方面を見れば雲仙普賢岳の展望が楽しめます。

 

諫早市方面を見れば多良岳を望むことができる絶景ポイントのようです。

岡山の児島湾干拓地にも同じような締切堤防の上を走る道路がありますが、全くスケールが違います。

 

諫早湾干拓北部排水門を過ぎると「諫早湾干拓資料館」(諫早市高来町金崎)があるので立寄りました。

駐車場からは北部排水門と干潟に集まる野鳥たちを見ることができました。

 

資料館に入ります。

入館料は無料で、干拓の歴史や事業内容の資料などを見ることができるようです。

児島湾干拓地の締切堤防にも同じような資料館があり、見学に伺ったことがありとても勉強になったので今回もとても楽しみです。

 

工事の様子を再現したミニチュアが展示されています。

 

干拓の歴史や……

 

構造図……

 

事業概要などのパネル展示もされていていました。

干拓事業により農地の造成や、締切堤防による高潮などの災害から地域を守るという大きな役割を担っているようですが、度々ニュース報道されているように諸問題も多々あるようです。福岡高裁では開門と開門差し止めの申し立てに対し、どちらの言い分も認める司法判断を下すなど難しい状況のようですが、早期に両者が納得できる最善の解決を願うばかりです。

 

堤防道路の終点国道207号線の交差点にでてきました。

この交差点を右折し佐賀、鹿島方面に向かいます。

と……

 

雲仙を背景に大きなメロンが出現しました。

 

メロンの中にはベンチもあります。

さらに進むと……

 

トマトやミカンもあります。

 

さらに進むと、トマトも出現! 

実はこれらは諫早市小長井町に設置されている、フルーツを模したフルーツバス停なのです。

 

「ときめきフルーツバス停通りマップ」や説明看板が設置さてていました。

1990年(平成2年)、当時の北高来郡小長井町が長崎旅博覧会の開催に合わせ、訪れる方に心を和ましていただこうと整備されたようで、道路の愛称は「ときめきフルーツバス停通り」というそうで、フルーツバス停のアイデアの元はグリル童話のシンデレラの馬車だったそうです。

さらに先に進んでみますが、なんだか楽しくなってきます。

 

イチゴのバス停もありました。

 

イチゴの中の様子です。

 

イチゴのツブツブもリアルに再現されています。 

 

今度はスイカのバス停です。

 

こちらはミカンのバス停。

事前調査では5種類のフルーツが16ヶ所に設置されているようです。

諸説あるようですが厳密にいえはミカン以外のメロン、トマト、スイカ、イチゴは野菜に分類されるようなので、フルーツバス停というよりは野菜バス停の方が正しいのかも知れません。

ちなみに、前記の分類は農水省のものですが、総務省ではメロン、スイカ、イチゴは果物に分類されるようです。

また、糖度などにより果物とされる場合や、国によっても判断が異なるなど色々と判断基準に違いがあるようです。

今回長崎を訪れるにあたり私が是非見てみたかったフルーツバス停、しつかりときめかせていただき大満足でしたが友人は少し退屈していたかも……

この後ホテルに戻り少し早めに夕食に向かいます。

 

ホテルに戻り部屋に荷物を置いて、友人との待ち合わせ時間までホテルの喫煙所でモクモクタイムです。

 

17時30分に友人とロビーで待ち合わせ、今回は路面電車に乗車して移動します。

 

運転手の指差呼称がカッコいい!

 

大浦海岸通電停から4駅目のめがね橋電停で下車し、眼鏡橋に向かいます。

 

電停から歩くこと数分で眼鏡橋に到着しました。

眼鏡橋は日本最古の本格的石橋だそうで、眼鏡橋だけが二連アーチで眼鏡橋架橋後に架けられた中島川の石橋はすべて単アーチのようです。

 

川面に映る橋の影で双円になりしっかりと眼鏡に見えています。

 

眼鏡橋の下を潜ります。

 

眼鏡橋の近くにハートストーンがあるらしいのて探してみましたが見つけることはできませんでした。

 

橋の袂には眼鏡橋を建造された黙子如定《もくすにょじょ》の銅像が設置されていました。

1632年(寛永9年)に中国から来日され興福寺の二代目住職となられた黙子如定が中島川の氾濫のたびに橋が流失されるのを見かね、中国から石工を呼び寄せ1634年(寛永11年)に日本初のアーチ型石橋を完成させたそうです。

しかし、これだけの二連アーチを建造できる当時の中国の技術力には只々感心させらるばかりです。

 

立派な石橋です。

 

 

親柱に刻まれた文字……

 

親柱の上には擬宝珠がありますが、ネギの花に似ていることから葱台《そうだい》と呼ばれることもあります。

 

眼鏡橋を渡ります。

 

長崎市の中心商店街、ベルナード観光通りを歩きます。

 

電車通りの春雨通りを横断します。

 

眼鏡橋から15分足らずで長崎新地中華街北門が見えてきました。

 

北門を潜ります。

 

中華街を進みます。

 

昨夜に続き、今夜も江山楼(長崎市新地町)でディナーです。

昨晩は20分ほど待ちましたが、早い時間であれば然程混んでいないと聞いていたので少し早めにやってきました。

 

少し早いだけで混み具合が全く違います。

 

メニューです。

 

今夜私は特上皿うどんをいただきますが、友人はメニューとにらめっこしています。

 

友人がオーダーしたのは皿うどんの太麺と……

 

王さんの炒飯です。

友人は二品を味わうようです。

 

私がオーダーした特上皿うどんの細麺です。

長崎のご当地グルメと言えば、ちゃんぽんと皿うどんです。長崎で暮ら中国人の留学生に栄養豊富で食べ応えのあるものを食べてもらうため考案されたのが長崎ちゃんぽんだそうで、長崎ちゃんぽんの別バージョンとして考案されたのが皿うどんだそうです。

 

見るからに美味しそう~

沢山の野菜と魚介類などを炒めたコク深い餡を、揚げた細麺の上にかけた皿うどんはとても食べ応えがありそうです。

 

麺は最初パリパリで、途中から鳥ガラスープと具材の旨味が凝縮された餡がからんだ柔らかな食感の二つが楽しめます。

 

エビも大きくてプリプリです。 

 

当然フカヒレは最高~!

途中から友人が皿うどんにはコレと勧めてくれた「ソー酢」をかけていただきましたが、濃厚で甘さ控えの細麺の皿うどんとの相性がよく、さっぱりとした感じが加わりまた一味違った美味しさが楽しめました。

二日かけて今回の目的、江山楼のちゃんぽんと皿うどんをいただき大大~満足です。

この後一度ホテルに戻り、車で稲佐山へ長崎の夜景を見に出掛ける予定です。

 

途中買い物に立ち寄るという友人と別れ、一人中華街を南に向かいます。

 

中華街を散策しながら湊公園の近くにある南門、朱雀門までやってきました。

 

朱雀門の南側に向かい合うようにある中華門です。

中国の技術者を招き、中国産の御影石、太湖石等を使い中国の古典建築様式の本格的な中華門を建造されたそうです。

 

湊公園のある新地町一帯は、鎖国時代に海面を埋め立て貿易品の荷蔵地として造成されたそうです。中国人居留地でもあり古くから中国との関わりが深いこの公園は、長崎ランタンフェスティバルのメイン会場にもなるようです。

 

中華風庭園や休憩所などもありました。

 

公園の南側には中国風の石門もありました。

 

ホテルに向かいます。

 

10分足らずでホテルに到着しました。


ホテルのエレベーターの階数表示がノスタルジックです。

部屋に戻ると友人から、今日は疲れたので出掛けるのを止めませんかとラインが入り、今夜は車での外出は取り止めることにしました。

一人で車で出掛けるのは億劫なので、ホテルのフロントに伺うとグラバー園はホテルから近く、付近で夜景も楽しむことができるとご教示いただき一人で歩いて出掛けることにしました。

 

石橋駅付近を歩いていると路面電車がやってきました。

 

石橋電停からすぐ近くにグラバー園に向かうグラバースカイロードの乗り口が見えてきました。

 

このスカイロードは斜めに上っていくエレベーターのようで、坂道の多い長崎ではとても重宝しそうです。

 

乗車口は普通のエレベーターです。

 

乗車後斜めに上っていきます。

 

グラバースカイロードを降りた付近からの長崎の夜景です。

 

グラバー園方向に進みます。

 

途中撮影しました。

 

少し場所を移動し撮影しました。

 

ホテルのフロントスタッフお勧めの祈念坂に到着しました。

この坂はTVや映画のロケ地でよく使われているそうです。

 

いい撮影ポイントを探しながら下ります。

 

中段付近から下ってきた坂を見上げてみました。

 

素敵なポイントを見つけたので、早速撮影です。

 

撮影後祈念坂を下り大浦天主堂にやってきました。

大浦天主堂が美しくライトアップされていたので撮影しました。

 

大浦天主堂からさらに下り国道499号線の交差点に出てきました。

交差点角にある旧香港上海銀行長崎支店記念館がライトアップされていたので撮影しました。

 

海岸脇にある松が枝国際 ターミナルにやってきました。

 

長崎港の夜景です。

 

海岸沿いにホテルに向かう途中撮影しました。

ホテルに戻りシャワーを浴び、購入した温泉たまごや焼あごを肴に一人部屋飲みです。明日は楽しみにしていた軍艦島クルーズなので早々に就寝することにしました。

 

長崎佐賀食べ歩き(長崎・呼子編)へ次く…… 

 

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