長崎佐賀食べ歩き(長崎・呼子編)

長崎佐賀食べ歩き、平戸・長崎編、長崎・雲仙編に続き、最終編の長崎・呼子編がやっと纏まりました。帰宅後は丁度ホタルシーズンに重なり、その撮影の合間を縫いながら三日間の総撮影枚数2.300枚以上ある写真から選び出すのも大変で、休日などに時間を作って作成していたこともあり、三編全てを纏めるのにかなり時間が掛かってしまいましが、何とか全ての編をアップすることができました。

昨晩は疲れたという友人を残し一人長崎の夜景撮影に出掛け、21時過ぎにホテルに戻りシャワーを浴びて部屋飲み後、早々に床に就きました。

今日は待望の軍艦島クルーズです!

 

朝5時半過ぎに目が覚め、窓を開けてみると今日は天候もよく、天気予報でも海上は穏やかなようなので、軍艦島への上陸も可能ではないかと思います。

寝起きのモクモクタイム後、6時前にホテルを出発し朝の散策に出掛けます。

 

ホテル周辺は留地時代には洋館が立ち並び、沢山の外国人が暮らす国際色豊かな地域だったようです。

 

ホテルの数軒北隣には「領事館の小径」という通りがありました。

 

その小径の隣に旧英国長崎領事館がありますが復旧工事中でした。

 

旧英国長崎領事館北にある交差点の手前で折り返し「オランダ通り」を南に歩きます。

後で気付いたのですが、旧英国長崎領事館北の交差点から東に上る坂道がオランダ坂だったようです。

 

ホテルの前を過ぎ、さらに南下します。

 

電車通りに出ると、大浦天主堂電停付近で路面電車が走っていたので撮影しました。

 

中国歴代博物館こと孔子廟がすぐ近くにあるようなので立寄ってみます。

 

早朝のため、まだ開館していないようですが、孔子廟儒教創始者である孔子を祀っている霊廟だそうです。

 

江戸時代の外国貿易の地長崎に1893年明治26年)、当時の清国政府(現在の中国)と在日されていた華人の方々が協力して清国の総本山なみの伝統美あふれる孔子廟を建造されたようです。

 

日本唯一の本格的中国(清国)様式の孔子廟、その屋根には壮麗な伝統美が感じられます。

 

見事な龍の屋根飾りです。そういえば昔訪れた際、ここの園内広場で龍踊りを見た記憶が蘇りました。

 

オランダ坂通りの交差点にでてきました。

この坂を上るとオランダ坂を経由し、旧英国長崎領事館北側の交差点に戻ることができるようです。

 

昨晩も訪れたグラバースカイロードの乗り口にやってきました。

 

乗り口は普通のエレベーターですが、このスカイロードは山の斜面を斜めに上る全国で初めての試みとなる「斜行エレベーター」だそうです。

 

エレベーターは垂直に上下するもの、という固定観念を覆されます。

このグラバースカイロード斜向エレベーターは2002年(平成14年)に完成し、日本で初めて「道路」に位置づけられた斜めに動くエレベーターのようです。

長崎は平地が少なく斜面地に市街地が形成された坂道の多い土地柄なので、とても重宝する道路? 乗り物? です。

 

乗車すれば極々普通のエレべーターですが、景色は斜めに流れていきます。

 

最上階? の5階です。

 

坂道の多い長崎ならではの施設です。

 

グラバースカイロード越しに市街地や長崎港の展望が開けています。

 

さらに進むと遠方にタワーが見えています。

 

タワーはグラバースカイロード垂直エレベーターでした。

斜向エレベーターとこの垂直エレバーターの二つがグラバースカイロードのようです。

 

最上階の3階に到着し、連絡通路を進みます。

と……

 

グラバースカイロードの説明や夜景の展望を説明された看板が設置されていました。

昨晩ここまで上がっていれば、もっと綺麗な夜景が撮影できていたのかもしれないと、少し残念な気持ちになりました。

 

看板近くで撮影しました。

しかし、残念です……

 

グラバー園の第二ゲートにやってきましたが、早朝のため開園前でした。

この第二ゲートから入って下りながら園内を散策すると、かなり楽に散策が楽しめるのかもしれません。

 

門の間から園内を撮影させていただきました。

 

グラバースカイロードに乗る前に長崎市街地を撮影しました。

 

ホテルに戻りモクモクタイムと朝食を済ませホテルをチェックアウト、昨日と同じく8時に友人とロビーで待ち合わせ出発しました。

 

昨日に続き、再び長崎港ターミナルにやってきました。

 

駐輪場に止めてある原付バイクのプレートの形は、出島をイメージしたもののようです。

 

受付で乗船手続きを終え、乗船前に喫煙所でモクモクタイムです。

 

軍艦島クルーズ乗車券です。

通常4,200円ですが、早期予約だったので10%引きの3,800円、それに軍艦島上陸料として長崎市施設使用料310円の合計4,110円を支払いました。

船内の席はすべて自由席なので、いい席は早いもの順です。モクモクタイムを早々に切り上げ列に並びます。

 

並んで待つこと10分足らず、8時40分過ぎから乗船が始まりました。

 

私たちは割と早く並んだので、思う席を確保することができました。

 

9時過ぎに長崎港を出港しました。

乗船後の案内で、進行方向右手側を中心に案内をされるというアナウンスと、上陸についての説明などが流れていました。今回乗船した、やまさ海運のクルーズ船は右側の席がいいようです。

友人は確保した一階の客室がいいと言いましたが、私は二階のデッキ席に陣取っています。私の席だと左右どちらの景観も楽しむことができます。

 

右手側に見える三菱重工長崎造船所には、むらさめ型護衛艦が停泊していました。

 

左手側にはグラバー園内にある旧グラバー住宅が見えてきました。国指定重要文化財のこの建物は国内最古の木造洋風建築だそうです。

 

今朝近くまで行ったグラバー園第二ゲート脇にある旧三菱第二ドックハウス、その左下に旧リンガー住宅が見えています。

 

長崎と五島を結ぶ九州商船ジェットフォイル、ぺがさす2と行き違います。

 

長崎港口にある女神大橋を潜りました。

女神大橋はヴィーナスウィングとも呼ばれ、長崎港で分断されている市内東部地域と西部地域を最短距離で結んでいる斜張橋で、国際航路規格の桁下65mの高さを確保し大型船舶も通過可能な設計になっていて、斜張橋としては国内で6番目の長さを誇っているようです。2005年(平成17年)12月に供用が開始され、2011年(平成23年)2月には長崎道とも接続され、さらに利便性が向上したようです。

 

長崎と五島を結ぶ五島産業汽船のびっぐあーすと行き違います。

 

右手側に神ノ島カトリック教会と岬のマリア像が見えてきました。

 

左手側に大島造船所香焼工場の100万トンドックが見えています。

このドックは長さが約990m、幅が約100mと国内最大の規模を誇っているそうです。

 

右手側に伊王島にあるカトリック馬込教会が見えてきました。国登録有形文化財で、ゴシック様式の美しい白亜の教会です。

 

伊王島大橋を潜りました。

 

しばらく走ると、右手側に高島炭鉱のあった高島が見えてきました。

高島炭鉱三菱財閥が開発、経営した炭鉱で日本最古の大手資本による炭鉱として栄えましたが、1986年(昭和61年)11月に閉山され、軍艦島こと端島とともに2015年(平成27年)に「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産リストに登録されたそうです。

高島は旧西彼杵郡高島町でしたが、2005年(平成17年)に長崎市編入されたそうで、編入前は全国で面積が一番小さな町だつたようです。1955年(昭和30年)に高浜村の一部地域と合併した際には人口が17,000人近くになり全国一人口密度の高い町だったこともあるそうです。

 

左手側の野母半島手前にある黒島と洞島です。この二つの島は昔は一つの島だったそうです。

 

右手前方に軍艦島こと端島が見えてきました。

 

9時35分頃軍艦島の上陸桟橋ドルフィン桟橋のすぐ近くにまでやってきました。

然程波は高くないようで、スタッフの方は接岸準備を始められています。

いよいよ上陸かと思いきや、最終の上陸可否の判断が9時40分に決まるそうで、それまでしばらく海上で待機です。現在の波高は53cmで、僅か3cmですが現状では上陸することはできません。

9時40分、最終判断が下されました。

何と、波高58cmだそうです。

いたるところから「あっ~~」という溜息が聞こえてきます。しかしこればかりは仕方がありません、軍艦島の周遊クルーズに切り替えです。

 

ドルフィン桟橋から離れ、時計回りに周遊するそうです。

元々の端島は南北約320m、東西約120mと今の1/3ほどの小島だったようですが、1931年(明治30年)から6回の埋立て工事により、南北約480m、東西約160mと現在の形になったようです。

 

島の南東部には炭鉱関連施設があり、中央部には当初の岩山が残っていて、その山頂付近には高層住宅や肥前端島灯台が見えています。

 

島の周囲は約1,200mだそうで、島全体が頑丈な護岸堤防で囲まれているようですが、台風などの高波はこの護岸堤防を超えて襲いくることもあったそうです。

 

人々が島で暮らしていた当時は、炭坑や住宅の明かりが灯っていて、航海する船はそれらの明かりを灯台代わりにしていたようですが、炭坑が閉山され無人島になると島は真っ暗闇となり、今度は危険な障害物となったため、この肥前端島灯台を設置し1975年(昭和50年)に初点灯し運用が開始されたそうです。

 

この角度から見る端島が当時建造中だった戦艦土佐に似ていることから、軍艦島と呼ばれるようになったようです。

 

小さな離島には似合わない高層住宅が建ち並んでいて、この一角には高島町立公民館もあったようです。

 

住宅街の先に、端島神社の祠が見えています。

 

無人島になり、長い年月人の手が加えられていない建物は、年を追うごとに崩壊が進んでいっているそうです。

 

この住宅街は1916年(大正5年)に最初の30号棟と呼ばれる日本初の鉄筋コンクリートの集合住宅が建設されたのに続き、当時最先端の集合住宅が次々に建設され小さな島は最盛期頃の1960年(昭和35年)には1,600世帯、5,151人と同島最大の人口となり、当時の東京都の人口密度の9倍以上という超高密度ともいわれ、世界最大の人口密度を誇る都市へと成長したようで、この記録は現在でも破られたことはないそうです。

 

最新の「三種の神器」は、ロボット掃除機、全自動洗濯乾燥機、食洗機のようですが、戦後復興の終了を宣言した神武景気の始まった1953年(昭和28年)の当時、三種の神器といわれる、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ(当時は白黒)の三つを、天皇の「三種の神器」になぞらえて、「家電の三種の神器」と呼ばれていました。

1958年(昭和33年)の新聞によると「端島は100%電化生活」と報じ、家電三種の神器の全国の普及率が、電気冷蔵庫 (普及率2.8%)、電気洗濯機(普及率20.2%)、テレビ(普及率7.8%)といわれていた時代、島内には100%普及していたらしく、かなりのハイクオリティな生活水準だったことが伺えます。

ちなみに、1966年(昭和41年)頃からのイザナギ景気時代の三種の神器は、カラーテレビ、クーラー(当時は冷房のみ)、自家用車が「新三種の神器」と呼ばれ、ColorTV、Cooler、Carの頭字を取って3C(さんシー)といっていたものでした。

 

島の西北沖にやってきました。

島の東側にゴムボートらしきものが見えていますが、釣りでもされているのでしょうか?

 

ズームアップにしてみると、釣り竿ではなく赤旗を持たれているようなので、釣りではなく軍艦島の警備をされている方のようです。

 

島の北東部沖に回りました。

 

右手前の建物が4階建ての病院跡のようです。

 

1958年(昭和33年)に現在の場所に移動し、新築された高島町立小中学校の跡です。立派な建物で体育館やプールそして幼稚園など教育施設も充実していたそうです。北側の窓ということもあってか、とても大きな開放的な窓が特徴的でした。

 

島の東側にやっていました。

右の建物が小中学校の建物で、左正面の65号棟といわれる9階建ての建物の最上階には、1953年(昭和28年)に高島町端島保育園が開園したそうです。

この保育園はコイやフナなどが泳ぐ室内庭園があるなと施設も充実していたようで、さらに日本一高い場所、正確には建物の上にある保育施設でもあったようです。

 

ドルフィン桟橋近くまで戻ってきました。

この後、左座席の方のために今度は反時計回りに島を回りました。

 

島を右回りと左回りで二周し、軍艦島を後にします。

 

この角度からでも大きな船に見えています。

 

女神大橋を潜ると長崎港ももうすぐです。

 

右側にはクレーン船の左奥に少し見えにくいですが「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されたり、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載されている小菅修船場跡《こすげしゅうせんば跡》という史跡が入り江奥にあるそうです。

1868年(明治元年)12月に完成した日本最初の洋式近代的ドックで、船を引き揚げる滑り台がソロバン状に見えるためソロバンドックともいわれ、薩摩藩小松帯刀五代友厚、それにトーマス・グラバーらの尽力により造られたようです。

右側に昨晩港夜景を撮影した長崎水辺の森公園が見えてきました。

 

左側には稲佐山が望めます。

 

前方に長崎港ターミナルの岸壁が見えてきました。

 

まもなく接岸です。

 

スタッフの方が接岸作業を行われています。

 

下船開始です。

 

みなさんそれぞれに、別れていかれます。

少し開店時間には早いようですが、私たちは港からほど近い場所にある、友人お勧めの「しいたけ肉そば」をいただきに向かいます。

 

ベイエリアには、お洒落な店が並んでいるようです。

 

中島川の袂には動輪のモニュメントが置かれていました。

今は長崎駅長崎線の終着駅ですが、かつては長崎駅からさらに南下した出島付近に長崎港駅があったようで、その区間の橋梁跡地のようです。

 

国道499号線の電車通りに出てきました。交差点南側にある出島電停に路面電車が停車しています。

 

今回の目的の一つ「しいたけ肉くそば」をいただく永楽苑(長崎市江戸町)にやってきましたが、既に数人の方々が並ばれていました。その後徐々に並ばれる方が増えてきました。

 

待つ間地元の方と話をしていると、向かいの建物が旧長崎県警の庁舎だったそうで、地下部にかつて留置所として使用されていた鉄格子付きの窓が道路から見えると伺い撮影しました。

 

頑丈な鉄格子のようです。

 

まだ開店までには少し時間があるので、道路を渡り庁舎を撮影してきました。

この庁舎は1923年(大正12)に建設された長い歴史のある建物で、長崎に原爆が投下された爆心地から3kmとかなり近かったにも関わらず、耐え残った貴重な被爆建物遺産の一つだそうです。

そんな話を伺っていると開店時間の11時半になり店内に案内されました。

 

メニュー表を見ると、チャンポンや皿うどんと共に今回お目当てのしいたけ肉そばが並んでいます。

 

メニューの裏面には、こんなメニューが並んでいました。当然私がオーダーしたのはしいたけ肉そば(730円)、友人は懐かしいと大盛り(930円)をオーダーしました。長崎に赴任時代、美味しさにはまり込みかなり頻繁に通っていたそうです。

 

出てきました。しいたけ肉そばの大盛りと普通盛りです。余りの量の違いに驚きです。

 

友人の大盛りを撮影させてもらいましたが、具材の量もかなり多いようでした。

 

私がオーダーした普通盛りです。

とろみのついたスープに丸ごとの椎茸や豚肉を始め沢山の野菜がしっかりと入っていて、とても美味しそうです。

まずはスープから……

鶏ガラベースの出汁に椎茸や肉、それぞれの野菜からの旨味が見事なハーモニーを醸し出しています。

 

友人は満円の笑みでいただいています。

 

細麺で少し白い感じのストレート麺ですが、トロミが強いスープのためか麺にしっかりと絡んできます。

 

椎茸は小振りながら肉厚で旨味がしっかりと凝縮していてとても旨い!

 

しいたけ肉そばと謳うだけあって、こんな肉もコロコロ入っていました。素朴な見た目に反し、かなりハイレベルな一品で、とても美味しくいただくことができ友人がこの旨さにはまり込み通い詰めたのも納得できました。

お腹も大満足です。

ごちそうさまでした!

 

食後に立ち寄ったのは永楽苑のすぐ近くにある文明堂総本店です。

文明堂は1900年(明治33年)創業という超老舗だそうで、友人は土産にと購入したようです。

 

駐車場へ戻る途中、出島も近かったので行ってみることにしました。

中島川に掛かる玉江橋から見る、出島こと国史跡の出島和蘭商館跡です。

1636年(寛永13年)、キリスト教の布教を阻止するため、幕府令で当時長崎市内にいたポルトガル人を集め居住させる目的で造られた扇型が特徴の人工島だったようで、鎖国で閉ざされていた日本にとっては出島は唯一海外に開かれた窓だったようです。

 

この石垣は出島の西側にあった荷上場の石垣で、発掘調査時見つかった石垣を修復復元されたそうです。

 

出島の象徴的な建物で、西洋から日本へまた日本から海外へと最初に貿易品が出入りした門で、今でいう税関のような役目を果たしていたのかも知れません。

 

入場は表門橋からのみに変わっていて、西口ゲートからの出入りできなくなっていたので、門の間から中を撮影させていただきました。

以前妻と訪れた際には施設内は散策しているので今回は入場するのはやめました。

 

駐車場に戻り、車で佐賀県唐津市呼子町へ向かいます。

出島道路が開通しているので市内中心部から高速道へのアクセスがとても便利になっています。

 

出島道路から長崎道を走り、武雄JCT西九州道に乗り換えます。

 

波佐見有田ICで西九州道から流出、左折し有田方面に向かいます。

 

有田市街地を抜け、伊万里市街地に入ると街の随所に、伊万里焼のオブジェが飾られています。

友人が伊万里焼の大きな壺などもあるというので道すがら探してみましたが見付けることはできず、まともに撮影できた一枚です。

 

国道脇のキロポスト支柱(距離標)も焼物でした。

 

伊万里市街地を抜け、国道202号線から伊万里東府招ICで西九州道唐津伊万里道路)に乗り換えます。

 

次の北波多ICで流出します。

 

北波多ICから佐賀県道50号線を走り、唐津市木場で県道33号線、340号線と乗り継ぎます。

 

長崎市街地から3時間弱で唐津市呼子に到着しました。

呼子大橋唐津市の離島である加部島と九州本土を結ぶ農免道路の橋で、1989年(平成元年)4月に供用が開始された斜張橋です。

余談になりますが、農免道路の正式名称は「農林漁業用揮発油税財源身替農道」といい、略して農免道路とか農免と呼ばれています。
簡単に説明すれば農水省の、農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業により整備された道路のことで、農家などが農作業などに使用する揮発油に対する減税の身替り措置として、揮発油の税額に相当する財源をもって整備された道路のことです。

 

呼子大橋に到着しました。そのまま橋を渡ります。

 

ハープを並べたような美しい橋は、橋長約728m、主塔高約104m、航路高約27mで、緩やかにカーブした橋を渡りながら、その全景を楽しむことができます。

 

斜張橋の並列ケーブルに取付けられた制振装置は,瀬戸大橋の櫃石島橋、岩黒島橋の両斜張橋で使用されたものに準じたものが使用しれています。

 

今回楽しみにしていた友人お勧めの「いか道楽」ですが、何と閉店していました。

駐車場でUターンして引き返します。

 

途中、路肩に車を止め呼子大橋を撮影しました。

 

こんなオブジェが周辺一帯に置かれています。

 

東方向には対岸の九州本土の呼子市街地が望めます。

 

北方向には先ほどと同じオブジェや、沖合には鷹島が望めます。

しかし、よほどお腹が空いているのか、この鷹島を眺めていると何故かタコ焼きを連想してしまいました。

 

再び呼子大橋を渡り九州本土に戻ります。

 

しかし立派な主塔です。

 

農免道路脇にあった「いか太郎」に立ち寄ってみましたが、こちらも閉店……

 

少し先に「海中魚処 萬坊」の看板があったので立寄りましたが、こちらも閉店……

加部島に渡る前に営業中の看板があったのを思い出し、ダメ元で行ってみることにしました。

 

海のすぐ傍の店で、駐車場の後方には名護屋大橋が見えています。駐車場には一台も車は止まっていませんが、店に行ってみます。

 

呼子お魚処玄海」(唐津市呼子町殿ノ浦)です。

 

店の入口には「営業中」の看板があり、やっと今回の旅の目的の一つ「いかの活き造り」をいただくことができそうです。

 

店内に入ると沢山の生簀が並んでいます。

 

白く透きとおったイカたちが元気に泳ぎ回っていました。

 

店内には大漁旗が並んでいます。

 

海の見える個室に案内されました。

 

早速メニュを開くとイカ料理が並んでいます。

天ぷらや刺身の盛合わせの付いた「玄海御前」やイカ刺しの付いた「イカづくし膳」などがありますが、やはりイカの生き造りの付いた「いかの活き造り膳」(2,860円)です。

 

他にもイカのバラエティに富む料理やタイやサバ、アジ、サザエなどの料理もあり、右のページには季節によるイカの説明なども記されていました。

 

待つこと10分足らずで「いかの活き造り膳」が出てきました。

さすが噂に聞く呼子イカの活き造りです。つい先ほどまで生簀で泳いでいたので鮮度が抜群で身も透き通っていて、正直こんな透き通ったイカの刺身は見たことありません。

イカシュウマイは蒸しあがってから持ってこられるそうなので、先にイカをいただきます。

 

足をこれでもかというくらい元気に動かしていて、さすが活き造り! 見ているだけで楽しくなります。

 

身は透きとおっていて、とても美味しそうです。

 

まだまだ元気に足を動かしています。

 

刺身醬油をつけていただきます。

口に入れると、コリコリとした感じもさることながら、やわらかさが勝っているような食感で、噛めば噛むほど甘みが口の中に広がり、さすが噂に聞く呼子イカです。

透きとおったイカの刺身を食べれるのは全国でも数少ないようなので、遠路足を伸ばして食べにきた甲斐がありました。

 

刺身を食べ終え、呼び出しボタンを押し、スタッフの方にきていただきました。イカの耳とゲソの部分は塩焼きか天ぷらにお好みでチョイスできるそうなので、塩焼きにしていただきました。

 

イカシュウマイが出てきたのでいただきます。

 

セイロを開けると美味しそうなイカシュウマイが入っていました。

 

美味しそ~!

 


口の中いっぱいに広がるふんわり感と、ほんのり自然な甘味が感じられ、プリプリで噛み応えもありる絶品です。これならば幾つでも食べられそうだと思い土産に1箱購入しました。

 

耳とゲソの塩焼きが出来あがりました。

塩とのマッチングもよく、イカが新鮮なこともあってかとても美味しく、車の運転がなければビールをいただきたいところです。

 

デザートは甘夏ゼリーで、サッパリしていて美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。

 

外に出ると、本日の受付は終了致しましたの張り紙があり、ギリギリセーフだったようです。

外の喫煙所でモクモクタイムをしているとスタッフの方がおられたので「いかの活き造り発祥の店」ついて伺ってみました。

1969年(昭和44年)に福岡などへの活魚配送を専門に始められたのが始まりだそうで、その一角で小さな食堂も開かれたそうです。その後いかの活き造りが評判になりレストラン事業を拡大し店内に大小10数個の生簀を設置され現在に至っているそうです。

発祥の店という表現は、厳密に全国を確認できてはいないのですが、少なくても九州では間違いなく、いかの活き造り発祥の店だと自負していますと教示いただきました。

また、呼子といえばケンサキイカで有名ですが、イカは季節によりケンサキイカアオリイカコウイカと味わうことができ、今の時期はケンサキイカがシーズンで一番美味しい時期だったそうです。

 

今回の長崎、佐賀の全てのミッションを済ませ、帰路に就くことにします。

 

が……

その前に友人の最後のリクエストということで佐賀県多久市に立ち寄ることになりました。

 

多久市に立ち寄ったのは、ペイペイの20%還元を利用するためです。

友人が大きなドラックストアーで買い物中、私は近くのコンビニでペイペイでタバコを購入しその恩恵を賜りました。

 

買い物を終えた友人が沢山の荷物を持って戻ってきたので、トランクに積込み帰路に就きます。

多久原ICから東多久バイパスに乗り、多久JCTで長崎道に乗り換え鳥栖JCTまで戻ってきました。

 

九州道の古賀SAで休憩を兼ね、九州の最後に博多ラーメンをいただくことにしました。

 

九州道上りの古賀SA内にある「本店 那の福」でいただきます。自家製麺を使用されているようなので楽しみです。

 

SAのフードコートのテナント店で、食券を購入するシステムです。購入した食券を持ってカウンターに行くと、少し豚骨の匂いがする気がし、博多ラーメンモードになりました。

私は「とんこつとんこつ高菜ラーメン」(900円)を、友人は「とんこつラーメン」(790円)をいただくことにしました。

しかし並んでいるラーメンは「博多ラーメン」ではなく「とんこつラーメン」です。

「博多ラーメン」と「とんこつラーメン」の違いが気になり調べたところ、「博多ラーメンしばらく」のHP(博多ラーメン しばらくの歴史 | 博多ラーメンしばらく西新本店【公式】 (shibaraku-honten.com))で発見、1977年(昭和52年)に「博多ラーメン」という名称が考案され、それ以降福岡の豚骨ラーメン店が徐々に「博多ラーメン」を名乗るようになり、その名が全国に広まったそうです。


呼びベルがなったのでカウンターで受け取ってきました。

  

私がいただく「とんこつ高菜ラーメン」です。

トッピングは高菜、チャーシュー、ネギ、キクラゲでしたが、博多ラーメンにはやはり紅ショウガとゴマが必須なので、カウンターに置いてあった紅ショウガとゴマをしっかりとトッピングしました。

友人の「とんこつラーメン」です。高菜以外のトッピングは同じようで、110円の差が高菜の値段のようです。

 

スープは程よい脂感で、まろやかでクセがあまり強くない優しい味わいの豚骨スープ、  麺は博多ラーメンらしく極細麺でシコシコ食感です。  

今回の旅行の締め括りは博多ラーメンになりましたが、久しぶりに本場の福岡で博多ラーメンが食べられてよかったです。

お腹も大満足で、外に出て喫煙場所でモクモクタイム後出発しました。

 

途中道路情報を伝えるハイウェイラジオで、山陽道の徳山付近で車両火災に伴う通行止情報が流れていたので気になってはいましたが、ナビが山陽道経由だったものが山口JCT中国道経由に案内ルートを変更しました。友人が調べてみると通行止はまだ継続中なので、ナビの案内どおり山口JCTから中国道を走ることにしました。  途中、日が変わる前に中国道湯田温泉PAに併設されている湯田温泉スマートICで念のため一度流出しておきます。

 

一般道をくるっと回って再度乗り直します。これで翌日流出しても追加料金は発生しないはずです。

 

中国道の広島北JCT広島道に乗り換え、広島JCT山陽道に乗り継ぎます。

途中SAやPAで何度か休憩をとりながら、日が変わった1時過ぎに岡山ICを流出、友人を送り届け給油後帰宅したのは2時前でした。

今回の総走行距離は約1,800kmと、久しぶりに長距離走行をしたようです。

 

今回の旅行土産の一部です。

帰宅後「呼子お魚処玄海」で購入したイカシュウマイは、待ってくれていた妻と起きてきた息子で早々にいただいてしまいました。この他に職場への土産や友人に配るものもありましたが別包装だったため撮影するのを忘れてしまいました。

私は今夜夜勤なので、入浴後早々に床に就きこの旅の夢を楽しみながら昼過ぎまでゆっくりと休むことにします。

おやすみなさ~い

 

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