庭瀬撫川城跡と田所商店のラーメン

【2021.09.16 追記更新】

芝場城の読み方、庭瀬城址の築城者についての問い合わせに、回答がありましたので最下段に追記しました。

= = = ※ = = =
 

先日職場でラーメンの話になった時、友人から味噌ラーメンの美味しい店がある事を聞き、妻と休みの合った今日、食べに出かけてみる事にしました。向かう先は岡山市北区庭瀬にある「麺場 田所商店」です。この店は鹿児島県薩摩川内市にある「薩摩川内味噌醤油株式会社」という味噌などを製造する会社が全国展開している味噌ラーメン専門のチェーン店の一つのようです。庭瀬に行くと言う事で妻が行った事のないという「庭瀬城跡」と「撫川城跡」に立寄って食前の運動がてら散策してみる事にしました。

f:id:momotchi_blog:20210816125206j:plain「庭瀬城跡」の駐車場に到着しました。周辺の案内板はありましたが、かなり傷んだ状態で残念ながらとても読み難い状態です。

f:id:momotchi_blog:20210816125013j:plain「庭瀬城跡」の石碑です

f:id:momotchi_blog:20210816124953j:plain「庭瀬城跡」にある清山神社です。

f:id:momotchi_blog:20210816125021j:plain明治時代までこの地を治めていた板倉家伝来の甲冑や陣羽織が納めてあったという清山神社です。

f:id:momotchi_blog:20210816125028j:plain常夜灯や城を守っていた濠などが残させれていて、当時の様子が垣間見えるようです。

f:id:momotchi_blog:20210816125039j:plain濠と清山神社です。

f:id:momotchi_blog:20210816125048j:plain濠には「大賀ハス」という、ハスが植えられていました。このハスは地元(岡山市北区川入、旧都窪郡吉備町)出身の大賀一郎博士が1952年(昭和27年)に千葉県で約2000年前の古代蓮の実を発見し、その実を発芽されることに成功されたそうです。ハスは後楽園に保存植栽されているそうですが、1997年(平成3年)の岡山城築城400年の時に大賀博士生誕地の、この城跡の濠にも植栽されたそうです。ハスの花の時期は既に過ぎていましたが、またシーズンには見に来てみたいと思います。

f:id:momotchi_blog:20210816125158j:plain壕では亀が甲羅干しをしていました。迷路のような道を進み「撫川城跡」に向かいます。

f:id:momotchi_blog:20210816125100j:plain途中、「撫川うちわ制作技術」という案内板がありましたが、製作所や販売所などは無く案内板だけがポツンと立っていました。撫川うちわは江戸中期頃に庭瀬藩や撫川知行所の武士の内職として始められたそうで、歌継ぎと言われる独特の技法が用いられた超高級うちわのようです。

f:id:momotchi_blog:20210816125109j:plain迷わずに進めば200~300m程だとは思いますが、迷路のような道路で突き当っては、引き返すを繰り返し何とか「撫川城跡公園」に到着しました。「撫川城跡」は周囲を濠で囲まれ一ヶ所にしか出入口が無いのと、街並みが迷路のようになっていたため、かなりの距離を歩いてしまいました。

f:id:momotchi_blog:20210816125122j:plain「撫川城跡公園」の石碑です

f:id:momotchi_blog:20210816125140j:plain入口にある門は「撫川知行所総門」を明治時代になって移築したようです。

f:id:momotchi_blog:20210816125224j:plain城跡の西側には高石垣が残されています。

f:id:momotchi_blog:20210816131357j:plain東側は土塁が残されていました。

f:id:momotchi_blog:20210816125237j:plain門を潜り中に入ると、現在は使われていない井戸がありました。

f:id:momotchi_blog:20210816125244j:plain正面には三神社があります。岡山県指定史跡第一号だそうです。

f:id:momotchi_blog:20210816125257j:plain城跡を散策していると沢山の栗が落ちています。

f:id:momotchi_blog:20210816125304j:plain見上げると栗の実が沢山付いていました。

f:id:momotchi_blog:20210816125316j:plain栗の木の横には柿の木もあり、実を付けていました。散策を終え庭瀬城跡の駐車場に戻ります。昼食前の運動も終えたので「田所商店」へラーメンを食べに向かいます。

f:id:momotchi_blog:20210816125348j:plain庭瀬城跡から距離にして300~400m程、数分で到着しました。

f:id:momotchi_blog:20210816125339j:plain旧2号線(現県道162号線)沿いの吉備地域センター前になります。

f:id:momotchi_blog:20210816125406j:plain屋根の上には大きな味噌樽が乗っています。

f:id:momotchi_blog:20210816125710j:plain暖簾を潜り店内に入ると数組の方が待たれていました。

f:id:momotchi_blog:20210816125722j:plain「順番受付・発券機」があり、受付を済ませます。写真は番号を呼ばれ店内に入る時に撮影しましたので、表示番号が違いますが、この時点で6組待ちでした。

f:id:momotchi_blog:20210816130749j:plain受付番号は「46番」で3組待ちのようです。

f:id:momotchi_blog:20210816130705j:plainメニュー表です。濃口の北海道味噌メニューに…

f:id:momotchi_blog:20210816130505j:plainやや濃口の伊勢味噌… 甘口の九州麦味噌のメニュー…

f:id:momotchi_blog:20210816125745j:plain炙りチャーシューのトッピングや、伊勢味噌、北海道味噌、九州麦味噌の噌漬け炙りチャーシュー麺

f:id:momotchi_blog:20210816130540j:plain仙台辛味噌つけ麺など、流石味噌ラーメンの専門店だけの事はあります。トッピングの頁もありましたが撮影し忘れていたようです。

私は「北海道味噌 味噌漬け炙りチャーシュー麺」の大盛りに超バターのトッピング、妻は「九州麦味噌 味噌漬け炙りチャーシュー麺」に味噌漬け玉子のトッピングをオーダーしました。

f:id:momotchi_blog:20210816130718j:plainお手拭もオリジナルです。

f:id:momotchi_blog:20210816130733j:plain店内のカウンター席の様子です。カウンター席の上の欄間が目を引きます。

f:id:momotchi_blog:20210816130814j:plain出て来ました。「北海道味噌 味噌漬け炙りチャーシュー麺」の大盛りに超バターのトッピングです。

f:id:momotchi_blog:20210816130844j:plain美味しそうな大きな炙りチャーシューに肉味噌、それに大きなバターなどが乗っています。

f:id:momotchi_blog:20210816130900j:plain妻がオーダーした味噌漬け玉子を半分分けてくれました。この味噌漬け玉子はしっかりと味が乗っていました。

北海道をイメージしてか皮付きのジャガイモも乗っています。北海道らしい皮付きジャガイモ… ラーメンにジャガイモは合わないように感じがしますが、食べてみるとこれがまたバターとよく合い、まさに北海道名物のじゃがバターの感覚です。

f:id:momotchi_blog:20210816163002j:plainチャーシューは厚みも有りとても大きく、平に置くと器半分程を占める大きさです。味噌漬けにしたものを炙って香ばしさを引き出していて、柔らかいのに噛みごたえもあって、とってもジューシー。写真はピンボケでしたが…。

f:id:momotchi_blog:20210816130910j:plain妻がオーダーした「九州麦味噌 味噌漬け炙りチャーシュー麺」に味噌漬け玉子のトッピングも出て来ました。

f:id:momotchi_blog:20210816130933j:plainこちらには九州をイメージしたさつま揚げが乗っていました。

少し味見をさせてもらいます。麦味噌はかなり甘いイメージですが…、少し甘めですがしつこさは無く、むしろ旨みもしっかり感じる事が出来、とても美味しいと思いました。

f:id:momotchi_blog:20210816130956j:plainスープまで全て完食です。豚骨や鶏ガラベースと思われる出汁に北海道味噌を加えたスープは、バターのコクと甘みとが相まって、まろやかさと濃厚な味わいを感じます。やはり味噌ラーメンにはバターが合います。中太の縮れ麺はモッチリ感があり歯応えも十分、スープともよく絡み久しぶりに美味しい味噌ラーメンを食べる事が出来ました。

f:id:momotchi_blog:20210816131007j:plain今回の会計は二人で2,753円(税込)、味噌ラーメン一杯1,375円計算になり少しお高いようですが、この美味しさとボリュームであれば納得です。清算所の脇にお土産コーナーがあり「ねり唐辛子みそ」(税込464円)や「焼きねぎ蔵出し地味噌」(税込540円)、10粒で100億個の乳酸菌入りの「味噌あめ」(税込270円)などが販売されていました。私は購入してみたかったのですが、私が見入っている間に妻は清算を済ませ出て行ってしまったようです。

また機会を作って是非食べに来てみたいと思います。その時は違う味の味噌ラーメンも食べ比べてみたいと思います。

 

庭瀬城と撫川城について

庭瀬城は平城としては岡山県下有数の規模と言われ、付近の地名から芝場城《こうげじょう》※注1 とも呼ばれています。1559年(永禄2年)備中松山城主の三村元親※注2備前宇喜多直家の侵攻に備えて築城したのが始まりだそうです。当時この場所は足守川の河口に広がる沼地だったようですが、瀬戸内海と庭瀬川で繋がった内港を持った沼城で岡山城備中高松城には道路で、関西などとは瀬戸内海航路で繋がっていた水陸交通の要となる場所だったようです。

1582年(天正10年)の備中高松城の水攻めの際には、備前の国との境界にある「境目七城」の一つとして、この城でも激しい攻防戦が繰り広げられ、宇喜多の支配下になりその後廃城となりました。

関ヶ原の戦いの後からは戸川達安支配下に置かれました。しかし四代目の戸川安風で断絶し一時幕府領となりましたが、戸川家改易後、家名存続を許された安風の弟逵冨が撫川5千石を与えられ旧庭瀬城二の丸跡(撫川城跡)に屋敷を構え、庭瀬城跡に知行所を置いたようです。

その後、庭瀬藩は久世5万石、松平5万石と藩主が変わりながら、1699年(元禄12年)に板倉2万石となり明治時代まで続いてます。庭瀬城と撫川城と呼び分けられてはいますが、元々は一つの城だったようです。

※注1については「しばばじょう」と読む説、※注2については「家親」という説もあり、現在詳細を確認中です。

 

【2021.09.16更新】

気になって問合せをしていた回答が届きました。

① 芝場城の読み方

昭和48年7月1日発行の吉備町誌には「芝場城はこうげ城とも言い、妹尾川用水の芝一の樋《こうげ一の樋》(旧吉備町福富)、から南へ約300m下手の足守川と妹尾川の間にあり、足守川が氾濫した際に流出した土砂が沈積して出来た小丘を利用して松山城の三村家親が宇喜多氏に対する防備の目的で小規模な城塞を築いたと伝えられている」という記述があるそうです。現在の庭瀬城址、撫川城址とは場所が異なり両城址の北西の方向に1km程離れた場所と推察されているようですが「その年代を確実に知ることは困難ではあるものの、天文年間(1532~1554年)~弘治年間(1555~1557年)と思われる」と同誌に記述があり、これらの事から芝場城が撫川城址とは同一ではないと推察されるようです。芝場城の遺跡等は残っていないそうで、とても残念ですが…

② 庭瀬城址の築城者について

庭瀬城址の案内板には三村元親、撫川城址公園の案内板には三村家親と築城者が記述されてはいますが、共に撫川城址についての記述で、室町時代の1559年(永禄2年)この地に土を盛って砦としたのは、三村家親であるというのが現在の定説のようです。

現地の案内板の記述には一部に誤記述があったりするようですが、それも歴史ミステリーで面白いかもしれません。ただ私は気になって仕方なくなり、関係機関へ問合せてしまいましたが…

芝場城については今回思わぬ収穫もありました。気になりだしたら気になって仕方なかったのですが、これでスッキリしました。傷んで読み難くなっている案内板については、老朽化もしている事から市教委へ要望をされているようですが、費用等の問題があり、なかなかうまく行かないそうです。記述内容についても再確認したうえで、該当町内会とも相談し市教委へ要望書を提出する事も検討されるそうです。歴史ある史跡なので案内板の整備も早い時期にお願い出来ればと思います。今回回答いただきました「庭瀬かいわい案内人の会」の皆さま、吉備公民館のスタッフの方には心中よりお礼申しあげます。ありがとうございました。

 

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