先日職場の友人が龍泉寺の竜王池に散策に来ているとラインを送ってくれました。後日勤務が一緒になった時詳しい話を聞くと、程良い散策コースで途中の湿原にはサギソウの花も沢山咲いていたとの事でした。サギソウは高松の知人が自宅で鉢に植え沢山育てていたものしか見た事が無く、自生しているサギソウは見た事はありません。
今日は夜勤なので昼前頃までゴロゴロ寝ていて、昼過ぎから出勤前に少し遠回りして立ち寄ってみる事にしました。
国道429号線から別れ、対面2車線の山道を岡山空港方面へ登って行き、3km程進むと右手に「最上本山龍泉寺入口」の案内板がありました。右折するとすぐに山門? 鳥居のようですが… 寺の守衛役である仁王像も見当たりません。龍泉寺って寺と思い込んでいましたが、神社? 神宮寺? 鎮守の社? 神仏習合の名残…?
バイクを駐車場に置き、龍王池の案内板に沿って進みます。龍泉寺の境内は県立自然公園にもなっているようです。
左側を見ると、奥に拝殿、手前に手水舎や寺務所などが見えます。
少し進むと坂道になりました。頑張って登ります。
道沿いにはモミジが沢山植えられていて、紅葉シーズンには綺麗なモミジが見る事が出来そうです。
サギソウ湿地に到着しました。
湿地内には木道が整備されています。湿地には「立入禁止 マムシ注意」の注意喚起看板がありました。
木道のすぐ脇にもサギソウが咲いています。
少しアップで撮影してみました。
サギソウは球根性のラン科の植物で、広く本州や四国、九州などの低地の湿地に自生していて、サギランとも呼ばれているそうです。しかし近年では湿地などの開発により、その数も減少し、環境省のレッドリストでは準絶滅危惧種に、岡山県などでは絶滅危惧Ⅱ類に指定されているそうです。
その姿は名の如く、白鷺が羽を広げて飛んでいるようです。
茎丈は30cm程で、細い茎の先端に2~3cm程の数輪の白い花を付けるそうです。
スラリと伸びた茎の先端に小さいながらインパクトのある花を付けています。
一番奥まで来たので湿地の反対側を戻ります。先日の雨の影響なのか散策路はかなり泥濘んでいました。
しっかりとサギソウを堪能したので、竜王池沿いに一周回ってみる事にします。
サギソウ湿地から少し進むと八大龍王の鳥居越しに竜王池の展望が広がりました。
鳥居の道路を挟んだ山側には八大龍王が見えます。
竜王池湖畔に降りて少し休憩です。
竜王池の奥に休憩用の東屋のような建物もありました。八大龍王に参拝した後、竜王池を回って東屋でゆっくり休憩する事にします。
参拝に向かおう腰を上げると… パラパラと小雨が降り始めました。雨雲レーダーを見ると少し濃い雨雲が近付いて来ています。参拝は諦め先程の東屋へ急ぎ向かいます。
小雨が降る中、多少濡れただけで無事東屋に到着しました。改めて雨雲レーダーを見ると濃い雨雲は後15分程で抜けるようなので、ここで暫くパイプ休憩です。
雨も上がったようです。東屋側から見た八大龍王です。今回は竜王池の散策は止め本殿に向かう事にしました。
秋の七草の一つ、萩の花が咲き始めています。萩の花は万葉集などで秋を代表する草花として数多く詠まれているようです。
本殿です。
拝殿で参拝です。二拝二拍手一拝… ??? ここは龍泉寺… 寺でした…。しかし佇まいはまさに神社です。
釉薬瓦の鬼瓦や棟飾り瓦は珍しいそうです。
寺らしく鐘楼がありますが、神社境内では鳥居と同じくらい一般的な狛犬も鎮座していました。付近を見渡しても、仁王像は見当たりませんでした。
寺務所近くに境内の案内板がありました。今回は参拝コースの順路を逆回りで散策したようです。
龍泉寺境内には滝修行が出来る滝があると友人に聞いていたので、探してみると「御滝」、「御滝本殿」、「荒行堂」という記載があったので行ってみる事にしましました。
坂道を少し下ると、いかにも滝修行が出来そうな滝が見えてきました。この滝は「最上の滝」とか「龍王の滝」と呼ばれているそうです。
下まで降りて来ると今迄の暑さを忘れ、何か独特な荘厳な空気と雰囲気を感じました。
苔むした岩と竜王の滝。ここでは毎年大寒の日に、極寒の滝に打たれる寒行が行われているそうです。
駐車場に戻る事にします。
途中「ゆるぎ岩」という大きな岩がありました。指で押すとこの大きな岩が動くと言われているそうです。指で押してみましたがビクともしません、岩の下を見ると土が溜まっていて固着していました。昔は土の流入もなく、この大きな岩を簡単に動かすことが出来ていたのかも知れません。
しかし、最上本山龍泉寺は寺なのか神社なのか、最上稲荷妙教寺との関係などが気になるところです。寺務所の方に伺った内容を最後に纏めています。
駐車場に戻り、少し遅い昼食に向かいます。行先は職場の麺好きな友人が、塩ラーメンならここと、お奨めの「塩元帥」です。この店は大阪が発祥のようで、関西にチェーン展開されていて岡山には倉敷(倉敷市水江)と津山(津山市院庄)、そしてこの総社の3店舗があるようです。
龍泉寺を出発し10分程で「潮元帥 総社店」(総社市窪木)に到着しました。正面に入口が無く、横に回ると暖簾はありませんが入口がありました。入口を入ると広い待合室があり順番受付の用紙が置かれていました。記入用紙を見ているとスタッフの方から「どうぞお入りください」と声掛けされました。
テーブルに座りメニュー表を見てみます。天然塩ラーメン、醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩つけ麺、醤油つけ麺と、塩ラーメンの専門店かと思っていたので少し意外でした。丼物や各種トッピングもあるようですが、残念ながらバターのトッピングは無いようです。塩バターラーメンは最高なのに…。
今回はやはり、オーソドックスに天然塩ラーメンを注文です。
出て来ました。天然塩ラーメンです。見た目は塩ラーメンらしくない少し濃い色合いです。
少し離れた机にキムチとニンニクが置かれていて、どちらも無料だそうです。私はキムチをいただきました。
そのキムチを乗せて、いただきま~す!
豚骨や鶏ガラをベースにユズでしょか柑橘系の味が微かにするスープで脂濃くなく、焦がし玉ネギのようなものが浮いていてユズの効果なのかすっきりとしたスープです。天然塩ラーメンは化学調味料を使用せず塩にもこだわっているようで、体にやさしいラーメンだそうですが、スープにコクがあまり感じられず、塩気もさほど感じません。きっと蒸し暑い中での散策で体が塩分不足になっていたためなのかも知れません。
大きなチャーシューが1枚乗っていました。柔らかくとてもジューシー! しかし少し薄すぎます。これなら二枚乗っていてもいいのでは? と、ちょっと残念な気持ちになりました。
平打ちの中太麺はモチモチ感があって、少し固めに茹でられた麺はユズと焦がしネギのアクセントが効いたスープとの相性も良く、とてもあっさりと食べられました。麺への拘りがあるように書かれていましたが、さほど特別な感じはなく普通に喉越しのいい美味しい麺でした。御馳走様でした。
出勤時間にはまだ少し早いようですが、早めに職場に入ってシャワーを浴びスッキリとしてがら業務に着きたいと思います。
近日中に妻と休みの合う日を調整して、サギソウを見て、またこの塩ラーメンを食べてみたいと思います。その時はトッピングで少しアレンジしてみようとも思っています。
最上本山龍泉寺は寺なのか神社なのか、最上稲荷妙教寺との関係などが気になり、寺務所の方に伺ってみる事にしました。
明治維新に伴う神仏判然令(神仏分離令)以前の日本では、1000年以上「神仏習合」の時代が続いていたそうですが、龍泉寺は神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀が許された数少ない寺の一つだそうです。栃木県日光市にある日光東照宮や、京都市東山区祇園町にある八坂神社、愛知県豊川市にある豊川稲荷など、またすぐ近くにある最上稲荷妙教寺(最上稲荷)も神仏習合の寺社だそうです。
最上稲荷妙教寺との関係は、吉備津神社と吉備津彦神社と同じ※注記ように、備中国(最上本山龍泉寺)と備前国(最上稲荷妙教寺)にそれぞれ祀られているそうです。
ちなみに東京都台東区にある浅草寺と浅草神社は隣り合わせにありますが、元々は同じ境内(神域)内にあり、神仏習合の名残といわれているそうです。また備前国児島にある瑜伽(由加)山蓮台寺と由加神社本宮も浅草寺と浅草神社と同じように神仏習合の名残だそうです。
※注記
645年(皇極天皇4年)の大化の改新で法律や地方の国々の見直しが行われ、大和国《やまとのくに》や出雲国《いずものくに》と並ぶ勢力を誇っていた吉備国《きびのくに》は、689年(持統天皇3年)の飛鳥浄御原令の発布で分国され、備前、備中、備後の三つの国になりました。さらに、713年(和銅6年)には備前国《びぜんのくに》から美作国《みまさかのくに》が分国さられ、その後明治時代に至るまで旧吉備国の4国は一体として統治される事はなく分かれたままの状態が続いていたようです。
当時各国に一宮という、国司などから諸国へ布告などを最初に伝えられる役割を果たしていた神社があり、その役割を吉備津神社(岡山市北区吉備津)が果たしていたようです。吉備国を分国するに当たり、国に一つの一宮が必要なため吉備津神社から分社して備前国一宮として吉備津彦神社(岡山市北区一宮)が創建され、備後国には備後国一宮として吉備津神社(福山市新市町)が創建されたようです。
ちなみに、備前国と備中国の国境は、岡山市北区足守、北区吉備津、北区撫川、南区妹尾、都窪郡早島町などは旧備中国、倉敷市児島、藤戸、福田、また茶屋町の一部地域などは旧備前国、加賀郡吉備中央町に至っては、合併前の御津郡加茂川町は備前国、上房郡賀陽町は備中国と町内に国境があった地域で、合併の際郡名は両町名から一文字ずつ充て新たな郡名にされたそうです。