梅雨も明け暑い夏がやって来たようです。東京2020オリンピックも7月23日の開会式を待たずソフトボールや女子サッカーの試合は21日から先行スタートするようです。
岡山県をはじめ10都道府県に出されていた緊急事態宣言も東京や沖縄県を除き6月20日に解除され、大阪府など4府県はまん延防止等重点措置が8月22日まで延長されたようですが、兵庫県や京都府などの5道府県は7月11日に解除となったので、久しぶりに職場の友人とツーリングに出かける事になりました。
行先は京都北部の丹後半島周遊で、コースは鳥取を経由し山陰の海岸線を走り、美方郡新温泉町居組から豊岡市気比までは「丹波漁火ライン」をメインに、その後丹後半島を時計方向に回って与謝郡伊根町で一泊、翌日天橋立を回って出石蕎麦を食べて帰る事にしました。
6時30分岡山市中区の倉田交差点付近で待合わせ、国道2号線で県境を越え兵庫県に入り赤穂郡上郡町に出て、国道373号線を北上し佐用郡佐用町平福を目指します。
途中国道373号線を走っていると、並行する智頭急行線に「特急スーパーはくと」が走っていました。
「道の駅 宿場町ひらふく」(佐用郡佐用町平福)に到着しました。ここで水分補給とタバコ休憩です。今回はカワサキZRX1200にヤマハFZ-1、それに私のホンダFORZA-Zの3台です。両車とも1,000cc超えのバイクですが、いつものように私の250ccのスクーターでトロトロと先導して走っています。
平福ICから鳥取道に乗り再び県境を越え岡山県美作市に入り、英田郡西粟倉村を通過し鳥取県境となる志戸坂TNに入ります。この志戸坂TN区間だけは自専道ではなく、歩行者なども通行出来る一般道区間になります。鳥取西ICで鳥取道を降り国道29号線で鳥取市街地へ入り、国道9号線バイパスから山陰近畿自動車で終点の浦富ICまで走りその後国道174号線で山陰海岸沿いに走ります。
東浜ICから東浜居組道路に乗り、県境を越え兵庫県へ入り終点の居組ICで一般道に降りました。ここが「丹波漁火ライン」のスタート地点となるようです。
「丹波漁火ライン」(国道178号)を走り、山陰海岸最初の立寄り地の「穴見海岸」(兵庫県美方郡新温泉町居組)に到着しました。
この海岸は今から約2000年前の安山岩質の溶岩や火砕岩が浸食されてできた磯浜だそうです。
俵状節理が発達した小島が浮かんでいます。景色を眺めながらしっかりとタバコを吸って出発します。浜坂からは県道261号線(丹波漁火ライン)に乗換、余部を目指します。「丹波漁火ライン」は国道や県道などを繋いで山陰海岸の美しい自然景観を楽しみながら走行する事が出来るコースとなっていて、兵庫県で初めて国交省の日本風景街道に選定された山陰海岸国立公園内を走る全長約67kmのコースです。
右前方に余部橋梁が見えてきました。JR餘部駅側(右側)には旧余部鉄橋の3本の橋脚がモニュメントとして保存され、「空の駅展望台」となっています。
「道の駅あまるべ」(美方郡香美町香住区余部)に到着しました。
「余部鉄橋空の駅開設記念」の記念碑があり、後方には当時の余部鉄橋の橋脚が上部を取り除きモニュメントとしてそのまま残されているようです。
残されている当時の橋脚を見上げると遥か40m上空に一部残された線路が見えています。
展望エレベーター「余部クリスタルタワー」の入口です。奥のエレベーターで一気に40m上空にある餘部駅まで上る事が出来ます。
上昇中の展望エレベーターからの展望です。
到着しました。展望エレベーターからの眺めも最高でした。
展望台に到着しました。餘部駅方向の展望スペースには鉄橋下が見られるのぞき窓もあり、覗いて見ると当時の枕木越しに風景が広がっていました。
東側には旧線路がそのまま残されていました。右側に新しい余部橋梁が作られたようでが、前方のトンネル手前でカーブして元の路線に戻っています。
ホームには旧余部鉄橋の鋼材を使用したベンチが設置されていました。
ちなみに、餘部駅《あまるべえき》は地名と駅名の読み方は同じですが漢字表記が異なります。1930年(昭和5年)に開業していた姫新線にある余部駅《よべえき》との重複を避けるため、1959年(昭和34年)に遅れて開業したこの駅は「餘部」と表記されたそうです。
11時5分発の浜坂行普通列車が入って来ました。
列車を見送り、下に降りて道の駅で少し早い昼食にします。展望スペースには以前線路があった場所にレールを模したデザインが施されています。
この道の駅では、ご当地グルメの「たじま魚《とと》カツバーガー」か「香住ガニバーガー」を食べてみる事にしていました。どちらも美味しそうでが、さすがに2つは無理なので悩んだ挙句…
「香住ガニバーガー」をいただく事にしました。
この香住ガニバーガーは、レタスやキャベツの上に地元産の香住ガニを使ったカニクリームコロッケとカニの身の入ったタルタルソースを絡めたものを乗せ、地元のパン屋の特製ゴマバンズに挟んでいるそうです。香住ガニの入った少し贅沢なクリームコロッケと少し酸味の効いたタルタルソースのとろりとした美味しさが口の中に広がる絶品でした。
道の駅には展示コーナーもありました。当時を再現した余部鉄橋の模型です。
余部鉄橋に使用されていた部品も展示されていました。
余部駅や余部鉄橋の出来るまでの様子もパネルで詳しく説明されています。
道路を挟んだ東側には「山陰本線 余部橋りょう」と書かれた当時の主桁がモニュメントとして残されていました。
昼食を終え、「丹波漁火ライン」(県道4号線)を走り香住市街地を抜けた所で県道11号線に乗り継ぎます。
香住市街地を抜けしばらく走ると「カエル岩」のある「今子浦ファミリーパーク」(美方郡香美町香住区境)に到着しました。
近付いてみると、まさにカエルです!
カエル岩の手前には海水浴場があり、家族連れが気持ちよさそうに楽しんでいました。
再び「丹波漁火ライン」(県道11号線)を走ります。
途中展望台があったので停車し撮影しました。
方向を変え、もう一枚。
袂にはオニユリが綺麗に咲いていました。
トンネルを抜けると「ハサカリ岩」(豊岡市竹野町竹野)に到着しました。
カニの爪が岩を挟んでいるように見えます。この岩は兵庫県の天然記念物にも指定されている竹野海岸を代表する奇岩だそうです。「挟まる」事をこの地方では「はさかる」と言うそうです。
しかし、見事にはさかっています。
「丹波漁火ライン」(県道11号線)を海岸線沿いに走ります。
以前豊岡市に住んでいた事のあると言う職場の友人が、豊岡を代表する数少ない見所なので是非見て欲しいと勧められた「お昼寝キューピー」と呼ばれている猫崎半島です。
キューピーの特徴的な鼻や大きなお腹… 確かにキューピーが横たわっているようにも見えます。
御待岬(豊岡市瀬戸)に到着しました。眼下に「城崎マリンワールド」や沖合に浮かぶ「竜宮城」が一望できます。
竜宮城です。
豊岡市気比で「丹波漁火ライン」は終点となり、ここからは海岸線から離れ県道11号線は山越えコースに変わります。山越えで京都府に入り京都府道11号線に変わります。その後府道49号線に乗リ継ぎ、小天橋を走ります。小天橋は日本海と久美浜湾を東西に仕切る砂州で、砂浜が長く延びた様子から天橋立と似ていると名付けられたそうです。
しかし…
暫く走っていて大チョンボに気付きました!
コースに入れていた「ツリーハウス」を飛ばしていました。このツリーハウスは広瀬アリスとあいみょんの共演で、「淡麗グリーンラベル」のCMが撮影された場所です。友人たちに相談し今更戻るのも面倒なので今回は諦め先に進むことになりました。
国道178号線から府道665号線に乗り継ぎしばらく走ると「五色浜」(京丹後市網野町塩江)に到着しました。
海岸には海蝕甌穴と思われるポットホールがありました。
波の浸食により作り出された波食棚です。
長い年月をかけて自然が創り上げた造形美です。五色浜とういうので五色の石を探しましたが見つける事は出来ませんでした。
心地より潮風を浴びながら暫く休憩し、再スタートします。京丹後市網野で国道178号線に乗り継ぎます。
「立岩」(京丹後市丹後町間人)に到着しました。この立岩は竹野川の河口部にあり、昔噴火で流出したマグマが固まる際に出来た柱状節理という独特の柱状の形状をしているそうです。
何と、高さが20mもある一枚岩だそうです。
柱状節理の直線的な荒々しい岩が特徴的です。
竹野川の東岸の様子です。柱状節理の岩肌が見えています。
バイクに戻り先に進みます。
しばらく走ると「屏風岩」(京丹後市丹後町筆石)に到着しました。
海面からそそり立つ岩が屏風の様に見える事から名付けられたそうです。
光の加減で上手く写りませんが、正面から見る事が出来ればともっと屏風の様に見えるのかも知れません。
国道178号線を走っていると航空自衛隊の施設が見えてきました。
そのすぐ隣には在日米軍の施設もありました。
前方の山の上にレーダー施設のようなものが見えます。航空自衛隊と在日米軍が協力して空と海の監視や弾道ミサイルなどの監視もしているのでしょうか?
在日米軍施設のすぐ先にある「袖志の棚田」(京丹後市丹後町袖志)に立寄ってみました。
綺麗な棚田が広がっています。
海と棚田、絵になります。
チェックインの時間には少し早かったので「道の駅 舟屋の里伊根」に立寄ってみる事にしました。伊根は1993年(平成5年)NHKの朝ドラ「ええにょぼ」の舞台となった場所です。ちなみに「ええにょぼ」は丹後弁で「美人」を意味するそうですが、私は「良い女房」だとずっと思っていました。
道の駅の展望台から眺めです。
湾内には養殖筏が浮かんでいます。
今夜お世話になる「吉村屋」です。観光協会へ問合せた際、そこそこの料理の食べられる宿を紹介してくださいと言うと、ここがお奨めだと紹介いただいた宿で、一日一組のみの宿泊だそうです。舟屋ではありませんが伊根では数少ない四階建だそうです。
一階と二階が食事スペースになっていて、三階が宿泊スペースのようです。
寝室部屋です。撮影はしていませんが、この部屋とは別にもう一部屋用意されていました。
四階にある展望風呂です。サイズは家庭用の浴槽と同じですが、ゆったりと湯につかりながら眺める景色は一日の疲れを癒してくれました。
一番風呂をいただき、先に上がった私は友人たちが出て来るまでに事前に調べていた酒屋へ調達に出かけました。今回は「淡麗グリーンラベル」と「伊根の地酒」を購入する予定でしたが、残念ながら「淡麗グリーンラベル」は置いて無いそうです。「ツリーハウス」も見逃すし、どうも縁が無いようです。仕方ないのでいつものスーパードライにしました。スタッフの方にお勧めの地酒を伺うと「伊根満開」が今迄の日本酒と少し違いワインに近い感じで人気があると言われ購入してみる事にしました。
一見ロゼのように見えますが「伊根満開」と言う日本酒です。古代米酒との記載もあり気になるところですが、冷蔵庫に入れて食後に飲むことにしました。三人でビールを飲んでいると「夕食の準備が出来ました」と案内があり食事に行く事にしました。
小アジの南蛮漬けとアジのタタキが置かれています。写真を撮影するの忘れていましたが、食前酒ですと出されたのが先程と同じ「伊根満開」でした。見た目はワインのように見え、味はとてもフルーティーで酸味と甘みのバランスも良くとても飲みやすい酒でした。
刺身の盛り合わせです。タイにカツオ、フグに太刀魚、サワラにアジ、そして白イカ…
郷土料理のサバのへしことイカの煮付け…
赤メバルの煮付け…
イトヨリダイの塩焼き…
小ダイの塩焼き…
岩牡蠣…
小アジの揚げ物…
締めはご飯と漬物…
写真を撮り忘れましたが、最後にデザートにスイカとメロン…
なかなかの料理で、ビールが進んでしまいました。さすが漁師の町の料理で、新鮮で美味しい魚料理をしっかりといただく事が出来ました。観光協会が勧めるだけのことはありました。ただ少し残念だったのが、ご飯が保温していった物なのか今一だったので、少し残してしまいました。
部屋に戻り東京2020オリンピックの中継を見ながら「伊根満開」をいただきます。さすがに暑い中走って来たので皆疲れたようなので、早々に床に就く事になりました。
早朝5時頃に目覚めた私は、6時前から朝の散歩がてらカメラを持って出かける事にしました。宿のすぐ傍にある伊根浦公園です。
伊根浦周辺の散策MAPがありました。
湾内には舟屋が軒を連ねています。
既に漁に出ているのでしょうか舟屋に船は無いようです。
岬の方に向かって歩いてみます。
港には湾内の遊覧船が停泊していました。
カモメが優雅に浮かんでいます。
伊根の舟屋です。
舟屋とカモメ…湾内にカモメが飛んでいます。
カモメがかなり近くを飛んでくれました。
カモメと舟屋… そろそろ宿に戻ります。
宿に戻りました。気持ちいい早朝の散歩でした。宿に入るとご主人と奥様が朝食の準備をされていました。
入口に置いてあるガラス玉、ご主人に伺うと昔使用していたブイだそうです。今ではプラスチックや発泡スチロール製のブイが主流ですが当時はガラス玉をネットで包み使用していたそうです。
イカ釣り船の集魚灯とランプです。元々この宿は代々続く網元だったそうで、数代前から料理旅館に変わられたそうです。
昔は伊根湾内でも鯨漁をしていたそうですが、和歌山や高知などの漁法とは異なり、伊根湾内に鯨が入って来たら半島の両岸から青島までをそれぞれ塞ぎ小舟で鯨を囲みながら浅瀬に誘導しモリで仕留めるという独特の方法で鯨漁をしていたそうですが、その鯨漁も1960年(昭和35年)頃からは行われていないそうです。その様子を子ども心に覚えているとをご主人は話されていました。また料理旅館としても歴史が長く、小柳ルミ子や萩原健一など多くの有名人も利用されたそうです。20分程話を伺い部屋に戻ります。
7時20分頃「朝食の準備が出来ました」と案内があり食事に行く事にしました。
朝から豪華な料理です。ご飯は出来立てのようで昨夜とは違いとても美味しくいただきました。
食後、「伊根町内で今日までしか使用できませんが、何かお土産でも買って帰ってください」と一人2,000円のクーポン券をいただきました。
チェクアウト後、亀島地区にある「伊根港カンジャガハナ灯台 」まで行ってみる事にしました。
亀島地区を走ります。右手が舟屋になります。
伊根港カンジャガハナ灯台 に到着です。
水が透き通るように綺麗です。前方の島が伊根湾の入口のある青島です。
漁船が出港して行きます。
カンジャガハナ灯台 から見た伊根中学校と昨夜宿泊した吉村屋です。
出船の準備をされているのでしょうか?
渡船のようです。筏か磯に渡るのでしょうか?
来た道を引返し、土産物の購入に道の駅へ向かいます。
「道の駅 舟屋の里伊根」に到着しました。私はいただいたクーポン券で伊根の地酒「ええにょぼ」を購入しました。軽いタイプの酒で、朝ドラの「ええにょぼ」にちなんで造られたそうです。
道の駅を出発し、街並みまで戻り旧道を走ります。
舟屋の先に伊根湾巡りの船が見えます。
日出地区の街並みを走ります。
通りすがりに見えた舟屋の中の様子です。
国道178号線に合流しました。
天橋立に到着しました。遊歩道を少し歩いてみる事にします。
しばらく進み振返ると阿蘇海側から天橋立傘松公園 が見えました。
若狭湾側ではテント持参で海水浴を楽しまれています。
バイクまで戻り出石町を目指し出発します。国道178号線から京都府道2号線で県境を越え兵庫県に入ります。京都府道2号線は兵庫県道2号線に変わり、少し先からは出石町まで国道482号線との重複区間になります。
今回出石蕎麦を食べる「よしむら」(豊岡市出石町宵田)に到着しました。ここ「よしむら」は幕末の志士、桂小五郎の隠れ家だったそうで、創業170年という超老舗店だそうです。
店舗の隣には「桂小五郎移住跡」という史跡がありました。
暖簾を潜り店内に入ります。
注文したのは「名物出石皿そば」です。
出汁とトロロ、玉子に薬味が出て来ました。
暫くすると「名物出石皿そば」が出て来ました。桂小五郎もこの皿蕎麦を食べたのかな、などと思いながらいただきました。
5皿完食し、3皿追加をお願いしました。
8皿完食です。喉越しも良く、しっかりとコシのある少し白い蕎麦、その蕎麦の風味を引き立てる鰹と昆布の効いた少し薄めの出汁、とても美味しくいただく事が出来ました。最後は蕎麦湯が出て来ました。今回も出石蕎麦をしっかりと堪能する事が出来ました。
昼食を終え、明延鉱山跡に向かいます。県道2号線で養父市八鹿町に出て、県道6号線に乗り継ぎます。
明延鉱山跡に到着しました。後方に見えているのは当時1円で乗れたという1円電車こと「明神電車」で、1912年(大正元年)に明延鉱山の鉱石を神子畑《みこばた》選鉱所に運ぶために作られた約6 km の鉄道です。バイクの前の建物は「協和会館跡」で当時鉱山関係者が4,000人程住んでいた明延地区の演芸場だったようです。
小さくておもちゃのようですが、当時の三菱グループの最新技術で作られた電車たちです。
この後少し先にある明延鉱山の中心地跡に向かいます。
この付近が明延鉱山の中心地跡です。
1円電車の駅や選鉱場は瓦礫の上段にあったようです。
明延鉱山の歴史は古く、奈良の大仏様の鋳造に銅を献上したとも伝えられる歴史ある鉱山で、明治42年に錫の鉱脈が発見されると「日本一の錫の鉱山」 として繁栄し、生野鉱山と共に日本の近代化に貢献した鉱山の一つだそうです。
案内看板にあった当時の様子です。右下に1円電車の駅が見えます。この後探検坑道に向かいます。
「明延鉱山探検坑道」に到着しました。
坑道の入口です。扉の奥からは冷たく気持ち良い風が流れてきています。
入口から見た坑道内部の様子です。
この坑道の内部には立坑跡や、鉱山用車両、削岩機などが展示されているようです。
坑道の入口でしっかりと涼んだので帰路に着く事にします。
県道6号線で宍粟市一宮まで出て国道29号線に乗り継ぎ、「道の駅 播磨いちのみや」で休憩です。しっかりと水分補給とタバコ補給を済ませて出発です。
県道26号線、国道179号線、県道5号線で上郡町を経由し国道2号線に合流、備前ICからは岡山ブルーラインに乗り継ぎました。
岡山ブルーラインの「道の駅 黒井山グリーンパーク」へ最後の休憩に立寄りました。ここでもしっかりと水分補給を行いました。余りの暑さに体から水分がどんどん蒸発していく感じで、体が水分を欲しています。次回は少し涼しくなってからまた走りに行こうということになり、それまでにゆっくりとコースを考える事にしました。
この後君津ICで国道2号線に再び合流し、青江交差点で分かれ帰路に着きました。今回は美味しい物もしっかりと食べたり、素晴らしい景色の中を走ることが出来、とても満足いくツーリングとなりました。走行距離はトータルで574km、往路が317km、復路257kmとさほどの距離は走っていませんが暑さのためか、かなり疲れたツーリーングとなりました。今夜は早々に休む事にします。