夜勤明けの今日、14時半ごろ目覚めると天気もいいようでした。前回つくしの様子を見に出掛けた際はまだ少し早かったですが、高知や広島などで桜の開花も聞こえてくるようになったのでポタリングがてら、つくしや児島湾干拓の第一区にある締切堤防跡の桜並木の様子を見に出掛けてみることにしました。
外に出てみると駐車場脇の木蓮の花は満開のピークを過ぎていて、ここ何日かの雨でかなり傷んでいました。
庭の黄木蓮は前よりは蕾も膨らんできましたが、開花までにはもう少しかかりそうです。
ミニベロの電動アシスト自転車GR WAY A-02で前回も訪れた岡山市南区奥迫川にある大池にやってきました。堤体の菜花は前回に比べ、かなり花が付いているようです。
堤体のつくしを探しながら天端に向かいます。
今回も堤体にはつくしは見当りませんでしたが、天端まで上ってくると菜花も見事に咲いていました。菜花の先には岡山市街地が望めます。
春を告げる草花たちも咲いています。
タンポポ……
自生のムスカリ?
なんてことはないか……
どなたか、球根を植えられたのでしょうね。
つくし見っけ!
天端には沢山のつくしが生えています。今回はかなりあるようなので持参していた袋を取り出しつくしを摘むことにしました。
30分ほどつくしを摘みました。これだけあれば十分今夜の酒の肴になりそうです。
自転車まで戻ってきました。
この後、児島湾干拓地の第一区にある締切堤防跡の桜並木に向かいます。
宮川沿いを3km弱進み岡山市南区西高崎にある宮川樋門跡にやってきました。樋門脇には記念碑が設置されています。江戸時代、備前藩や備中藩などで行われていた児島湾干拓事業が明治維新後からは民間主体の干拓事業になりました。内務省土木局のオランダ人ムルドル技師の指導により計画され、藤田伝三郎率いる藤田組により児島湾干拓が始まり1905年(明治38年)第一区の干拓地が完成、当時の高崎親章岡山県知事の名に因み、高崎という地名に決定され岡山市分が西高崎、玉野市分が東高崎として現在に至っています。
この宮川樋門は干拓当時、海と干拓地の締切堤防に作られた水門で、山側から流れてきた宮川との合流部であったこの場所に設置されました。この宮川樋門の他に常川樋門や片崎樋門と3つの樋門が現在も残されていて、3樋門とも岡山県指定の重要文化財になっています。
先に進みます。
締切堤防跡に植えられた枝がアーチ状の桜の下を走りますが、開花にはまだ少し早いようです。
停まってよく見ると、蕾は少し膨らんでいるようです。
かなり膨らんだ蕾もありました。
宮川樋門から北西に500mほど進み常川樋門跡にやってきました。
この常川樋門跡付近には沢山の桜が植えられています。
大きく膨らんだ蕾もあり、今月末か来月初めには開花するのではないでしょうか。
帰宅後袋から取り出したつくしです。
摘むのは楽しいのですが、これから袴を取るのが大変です。
1時間半ほどかかりましたが、やっと袴を取り終えました。穂先の苦みが私は好きなので、まだ開いていない穂先の物はそのまま残しています。
水洗いを数回した後、しばらく水に浸して灰汁抜きします。
帰宅した妻が煮付けにしてくれています。
今夜の夕食です。何故かつけ焼きそばが食べたくなり作りました。
久しぶりのつけ焼きそばも美味しく出来上がりました。
つくしもいい感じに仕上がっていて、ついついビールが進んでしまいます。
春はもうすぐそこまで来ているな、と思いながらとても美味しくいただくことができました。