児島湾干拓地桜土手のポタリング

今日も快晴、ポタリング日和です。そろそろ桜の便りも聞かれるようになってきたので、児島湾干拓史のなかで最初に干拓された第一区(岡山市南区)、その遺構が残る宮川の桜土手(締切堤防跡)にアイゼルM300で行ってみることにしました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328171856j:plain国道30号線の倉敷川橋付近から南東方向に、児島湾干拓の第一区の締切堤防跡に桜並木を望むことが出来ます。

 

f:id:momotchi_blog:20210329223931j:plain国道30道線から別れ、締切堤防跡(桜土手)に入ります。

 

f:id:momotchi_blog:20210328172005j:plain少し走ると「片崎樋門」に到着しました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328172015j:plain樋門脇には記念碑がありました。干拓当時に海と干拓地の締切堤防に作られた水門で、山側から流れてきた河川との合流部であったこの場所に設置され、この「片崎樋門」の他に「常川樋門」、「宮川樋門」と3つの樋門が現在も残されていて、3樋門とも岡山県指定の重要文化財のようです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328172036j:plain樋門の前には水路が見えますが、この樋門は奥が塞がれていて現在は使用されていないようです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328172050j:plain樋門の上部です。この後桜土手(締切堤防跡)を走り「常川樋門」に向かいます。

 

f:id:momotchi_blog:20210329224207j:plain締切堤防跡に植えられた桜の下を走ります。

 

f:id:momotchi_blog:20210329224022j:plainしばらく走ると桜の花の下にプライベート用なのか手作り風の椅子と机がありました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328172245j:plain走って来た方向を振り返った様子です。奥に倉敷川橋が見えます。

 

f:id:momotchi_blog:20210329224113j:plainさらに進みます。旧締切堤防脇に植えられた桜が大きく成長し、桜花のアーチを作り出しています。

 

f:id:momotchi_blog:20210329224325j:plain桜花のアーチは遥か先まで続いています。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100253j:plain1km程走り、常川樋門に到着しました。記念碑や歌碑が設置されていました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100312j:plainこの「常川樋門」付近の桜は八分咲きと言ったところです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100324j:plain桜の花が風に揺れています。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100355j:plain開発を行った藤田組によって1899年(明治32年)に作られたそうで、花崗岩と煉瓦を使った近代和風な造りです。干拓第一区と最初の樋門ということなのか、先日立寄った第六区の樋門群のようなヨーロッパ風の優雅さはなく、実用性優先といったデザインのようです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100407j:plain樋門の上部の様子です。車の通行は出来ないようですが、農道のような道があり自転車や徒歩での通行は可能なようです。この後更に南東にある「宮川樋門」に向かいます。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101234j:plain桜土手を走ります。日差しが射し込み始め少し暑くなってきました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100339j:plain開いた桜の花と、これから開こうとする蕾。数日中には満開になるのではないでしょうか。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100510j:plain500m程走り、「宮川樋門」に到着しました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100653j:plainこちらの案内板は「岡山県指定重要文化財」に指定される前の物のようで、「灘崎町指定文化財」(現、岡山市南区)と記されていました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100618j:plain樋門の上部には当時水門の開閉に使用されたと思われるウインチが残されていました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100640j:plainそのウインチです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100726j:plain樋門脇から北西方向に流れる宮川と桜土手です。桜が満開になると見事な桜並木が見られそうです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100710j:plain自転車を置き、歩いて宮川樋門の正面まで来てみました。樋門周りを一周し、更に南東方向に向かってみることにします。ここから先は宮川と別れますが、土手(締切堤防跡)には桜並木や道も無いため、少し東側の道を土手に沿って進みます。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100751j:plain500m程進むと、こちらにも記念碑がありました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100838j:plainこの付近の石垣は、当時のまま残されているようです。石垣の少し先に当時の海岸だった場所まで降りる石段も残されていました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100821j:plain足元には麦畑が広がり、南東の山々には点々と山桜も見えています。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100856j:plain正面から見た先程の石段です。綺麗な形で当時のままの状態で残されています。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100911j:plain少し進むとまた石段が見え、畦道《あぜみち》があったので石段の傍まで行ってみました。石段は数百メーター毎に設置されていたようです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100921j:plain石段を後ろから見た様子です。この石垣は最上部の石が無くなっているようです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101040j:plain石段の後ろから南東に延びる石垣の様子です。

 

f:id:momotchi_blog:20210328100936j:plain120年以上前に積まれた石垣です。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101110j:plainハナカイドウでしょうか、ピンク色と薄ピンク色の花を付けています。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101129j:plain更に進むとまた石段が見え、畦道があったので石段の傍まで行ってみました。北西方向に延びる石垣です。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101143j:plain当時はこの袂まで波が打寄せていたのでしょか、下から3段目付近までは牡蠣殻が多数残っていました。

土手の南東端まで来たので折り返します。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101158j:plain宮川樋門まで戻り、桜土手の桜並木を走ります。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101217j:plain土手の上を覆い尽くす勢いで桜の枝が伸びています。満開になると桜のトンネルが出来るのではないでしょうか。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101242j:plain土手沿いに春の訪れを告げる“つくし”を見つけました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101251j:plain土手沿いのあちらこちらに生えていました。今夜の酒の肴に少し摘んで帰ることにしました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101310j:plain桜並木を春の風を感じながら気持ちよくポタリングです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328102558j:plain常川樋門まで戻って来ました。この桜土手は一般車両の通行は出来ず、自歩道専用のようです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101456j:plain自宅に帰り“つくし”を出してみると、かなり数がありました。摘むのは良いのですが、これから袴を取るのが大変そうです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101508j:plain1時間半程かかりましたが、やっと袴を取り終えました。穂先の苦みが私は好きなので、まだ開いていない穂先の物はそのまま残しました。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101519j:plain水にしばらく曝して《さらして》灰汁《あく》抜きをします。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101527j:plain1時間程灰汁抜きをした“つくし”を1分弱湯がき、再度水に曝します。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101535j:plainフライパンにごま油を引いて、よく絞った“つくし”を入れて炒め、出汁の粉と味りん、醤油を少し加え味が馴染んだら出来上がりです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328101546j:plain器に盛って胡麻を振りかけ、今夜の酒の肴の一品が出来上がりです。

 

f:id:momotchi_blog:20210328102330j:plain今夜の夕食は、「摘みたてつくしの炒め物」、「ソラマメの素焼き」 、「新玉ネギのスライス」、それに「マカロニサラダ」です。春の恵みをいただきま~す!

花見には少し早かったようですが、桜を愛でながら、春風を感じつつのポタリングは最高の気分でした。また、今から百数十年前の先人が成し遂げた第一区~第七区の児島湾干拓事業、その最初の締切堤防として作られた現在の桜土手、更に遡れば今から400年程前、豊臣秀吉が行なった「備中高松城の水攻め」に協力した戦国大名で当時備前の国を治めていた宇喜多秀家が、その築堤技術を用いて築いたと言う汐止め堤「宇喜多堤」(都窪郡早島町倉敷市)、更に更に遡れば、現在のJR岡山駅やJR倉敷駅周辺も海の中で、瀬戸内海の一部であった事など考えると、先人たちの干拓への意欲に今更ながら感心させられ、今私たちの住む岡山平野の大半が干拓により出来た土地であることを改めて感じた一日でした。今回は更に“つくし”の土産付と充実した時間と有意義な一日を過ごすことが出来ました。

 

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