常山城址散策

1年ほど前にバッテリーが上がり、充電してもすぐに上がってしまうのでバッテリーを交換をしていますが、昨年の秋以降あまり乗っていないので心配になり、久しぶりにセルを回すと快調にエンジンがかかったので一安心です。

今日は天候もよく気温も14℃ほどあったので近回りを少し走ってみることにしました。

さて、どこに行こうかと考え、昨日海上から見えた常山《つねやま》に出かけてみることにしました。

 

常山の登山口に到着です。

登山口には「常山公園」の石碑がありました。

 

反対側には「常山城址 ←登山口」の看板も見えています。

 

二合目付近を通過中です。桜のシーズンになるとこの付近一帯がピンクに色付きます。

 

歩いて登る登山道です。入口には杖が設置されていました。

 

七合目付近にある「千人岩」に到着しました。

「千人岩」は駐車場から少し下に降ったところにあるので歩いて行ってみることにします。

 

階段はかなり傷んでいて、落ち葉も積もっていて足が少し滑りますが、気を付けてゆっくりと下ります。

 

「千人岩」に到着しました。ここは「常山城合戦」の時、城方の退路を遮断するために毛利軍と小早川軍の1,000人が配されたと云わっている場所です。

さらに進んでみます。

 

先端まできたようです。このスペースに1,000人? って感じの広さで、ここから先は尾根伝いに下っていくようです。

撮影を終え、バイクまで戻ります。

 

九合目付近にある「底無井戸」と「惣門丸跡」に向かう広場に到着しました。

車が二台ほど駐車できるスペースがあります。今回はここから歩いて「底無井戸」まで行ってみます。

 

真直ぐ進めば「惣門丸跡」、左に下れば「底無井戸」を経由し下山できます。

この分岐部を左へ下ります。

 

底無井戸に到着しました。

前回見た時には屋根は取り壊されていましたが、綺麗に修復されていました。

 

囲いの中の底無井戸の様子です。

揚水ポンプが設置されています。

 

バイクに戻り、山頂付近の栂尾二の丸跡までやってきました。

昔はこの広場には建物が並んでいましたが、現在ではその建物もなく閑散としています。また北側の栂尾丸跡には、NTTの無線中継所の鉄塔がありましたが、つい最近撤去されています。

 

f:id:momotchi_blog:20200326182639j:plain階段脇には常山城の説明と城内の配置図の案内板が設置されています。  

常山城の位置する「児島」は当時瀬戸内海に浮かぶ島の一つでした。その児島のほぼ中央に位置し、北側には吉備の穴海、南側には備讃瀬戸やその島々、さらに四国まで展望出来ることから備前本土との海峡や備讃瀬戸を監視出来る重要拠点であり城の立地条件としては最適だったようです。

 

階段を上り、坂道を上り、進みます。

 

北二の丸跡までやってきました。

ここには「常山城女軍の戦い」で悲惨な最後を遂げた鶴姫と34人の侍女(女軍)、城主上野隆徳や親族の墓石と墓碑があります。

 

北側にはベンチ越しには児島湾干拓地が見えています。

 

ベンチ付近まで近付くと「岡山市サウスヴィレッジ」や、その手前にサッカー場やテニスコートなどを備えた運動公園「灘崎総合公園」が見えています。

 

先に進みます。

 

山頂に到着しました。

ここが本丸跡です。桜の木々や展望台があり、中央の少し右側には三角点があります。

 

本丸跡には「城主上野隆徳公碑」があります。

 

その脇には上野隆徳が腹を切ったと伝わる「腹切岩」がありました。

 

南側にはベンチがあり、山々の先には瀬戸内海の展望が開けています。

 

展望台に上ってみます。

 

北方向の展望です。

右側に児島半島で一番の高さを誇る「金甲山」(標高403m)、児島湾干拓地の中央を鴨川がクランクしながら流れその先には児島湖が広がり、素晴らしい展望が楽しめます。かつては見渡せるほぼ全ての平野が「瀬戸の穴海」という海でした。

 

金甲山山頂には沢山の電波塔が立ち並んでいます。

 

金甲山の左側には児島湾干拓の要となる「児島湾締切堤防」が見えています。

この締切堤防により誕生した「児島湖」は広さ10.88㎢、最大水深9mとダム湖を除いた人造湖としてはオランダのアイセル湖に次ぐ世界で2番目の広さを誇る湖だそうです。

ちなみに、この児島湾締切堤防は1951年(昭和26年)から「国営児島湾沿岸農業水利事業」として施工され、1959年(昭和34年)に完成し有料道路として共用され1974年(昭和49年)には無料化され現在に至っています。

全長1,558mの締切堤防で児島湾を締切り、難工事の末に新たに淡水湖の「児島湖」が誕生し、それまで大きな課題であった干拓地の水不足や塩害、浸水などの諸問題も解決することができました。

当初の計画では岡山と玉野市宇野を結ぶ宇野線の短絡路線としてこの締切堤防に鉄道を通す計画で、幅も30mと広く設計されていたようです。岡山側の築港までは1951年(昭和26年)に瀬戸大橋線大元駅から「岡山臨港鉄道」が開通していましたが1984年(昭和59年)に廃線になっています。

現在でも道路の西側(児島湖側)には鉄道用地がそのまま残されていて一部は原自歩道として利用されています。

 

北東方向の展望です。児島湾大橋と新岡山港が見えます。橋の陰になりますが岡山港には小豆島行のフェリーボートが停泊しています。

この船は2017年に公開された佐藤健、土屋太鳳主演の映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」で佐藤健北村一輝が岡山港から小豆島に移動するシーンや土屋太鳳が一人で小豆島に行くシーンのロケに使用されました。

 

カメラをズームアップすると岡山市街地が見えます。以前何かと話題になった岡山理科大学が山の麓付近に見え、その後方にはかつて「金山休暇村」のあった岡山市の最高峰「金山」(標高499m)が見えます。この岡山市街地の大半もかつては海でした。

 

常山の麓を走る宇野線を列車が通過していきました。

 

南南東方向には瀬戸内海越しに高松市街地を望むことができます。

少し霞んでいますが、四国で一番の高さを誇る高松シンボルタワー(151.3m)や高松市街地が見渡せます。

 

高松市街地の少し東にはキャペリンハット(女性用のツバ広の帽子)の様な「五剣山」(八栗さん)も見えています。

 

南西方向には昨日釣りを楽しんだ瀬戸大橋の南北備讃瀬戸大橋が見えます。

 

本丸から南側に少し下ります。

そのまま東へ下ると「惣門丸跡」に行くことができますが、私は西に向かいます。

 

本丸の西側下には石仏や当時の本丸の石垣が残っています。

 

往時を偲ばせる見事な石垣です。

 

駐車場まで戻ってきました。

北側の栂尾丸跡はNTTの無線中継所の建物や無線塔がなくなり少し寂しく思えます。

栂尾丸跡に行ってみます。

 

栂尾丸跡にあった建物や無線塔は撤去され更地になり、その後に桜の木が植えてありました。

この後下山し帰宅します。

今日は天気もよく気温も14℃ほどあったようで、さすがに歩くと少し汗ばみましたが、久しぶりの常山をしっかりと楽しむことができました。また桜の咲く頃に訪れてみたいと思います。

 

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