午前中は妻の買い物のお付き合いでアッシー君と荷物持ちに同行、たまには妻孝行をしておかないと・・・。
あちらこちらで桜の便りを耳にする季節となりました。午後から岡山市南区にある樹齢500年と言われる「大山桜」《おおやまざくら》を見にポタリングがてら妻の電チャリで出掛けてみることにしました。
ポタリングとは、サイクリングの方法の一つで、気分や体調に合わせて呼吸を乱さない程度の速度であまり長くない距離を気ままに走ることです。
国道30号線の倉敷川橋付近から「大山桜」が見えました。(中央のひときわ大きな桜が大山桜です。)
常山の桜も綺麗です。
国道30号線から県道22号線走り一路「大山桜」を目指します。「大山桜」が近づいてきました。
大山桜の登山口に到着しました。駐車場入口には無人の料金箱が設置されていました。
駐車場脇には「大山桜」についての説明文がありました。「大山桜」の正式名称は「奥迫川の桜」だそうで、樹高20m、枝張27m、根本周囲9m、岡山県の天然記念物に指定されているようです。
自転車を置き登り始めます。駐車場斜め前の橋の袂に「大山桜(県指定天然記念物) 登山道への入口」という案内板と「大山桜 ゆるやかな坂道」という案内板がありました。私は通常の登山道へ向かいます。
歩いていると菜花の先に「大山桜」が見えてきました。
畑の中の道を歩きます。
少し登り勾配になった所に案内板がありました。
ここから森林に入ります。大山桜についての説明文と「これより登山道 あと270m」という案内板がありました。
木々の中を登っています。登山道は綺麗に整備されていました。
途中鳥居のような物がありその先の道の真ん中に樹木と小さな祠がありました。
登山道が少し急になり始めたところからロープが設置されています。
5合目の立て札があります。数年前に訪れた際は休憩用のベンチが設置されていましたがそのベンチは壊れていました。
一部破損していましたが7合目の立て札があり、側にはベンチが設置されていました。登山道の前方に桜の様なものか見えます。この付近から大山桜まではもうすぐです。7合目と言うより8.5合目位の感じです。
桜が見えてきました‼️ 間もなく到着できそうです。
沢山の桜が満開です。大山桜は一番奥の桜です。
「大山桜二代目 クローン桜」と書かれた桜がありました 。この桜は2004年(平成16年)3月に岡山県林業試験場で作られた後継樹(クローン苗)だそうです。
「大山桜」です。見事に咲き誇っています。
近くまで行ってみました。
近付けばその大きさと見事さに感動さえ覚えます‼️
大山桜から振り返って見た様子ですが、とても急斜面です。桜の袂にベンチがあり休憩している人が見えます。
クローン桜の左下付近にある休憩用のベンチです。
そのベンチに座ってゆっくりと桜を眺められます。やはりひときわ大きな「大山桜」が目を引きます。
目を北の方向に向けると・・・
桜花の先に・・・
岡山市街地が開けます。
岡山駅周辺です。
しっかりと大山桜を堪能したので下山を始めます。前日の雨の影響で足元が滑りやすくなっていたため、登山道に設置されていたロープをつたい転ぶことなく無事下山することができました。
下山途中、振り返って見た大山桜です。
登る時には気付きませんでしたが、駐車場から道なりに倉敷方向へ少し進んだ付近にも沢山の山桜が咲き誇っていました。
駐車場近くの広い範囲で大掛かりな工事が行われていました。地元の方に伺うと、「ワイン工場が出来るんじゃ」とのことでした。
この重機で木々を伐採すると、伐採後すぐに細かく砕かれて木材チップになるそうです。「作業の様子を見とると、あれよあれよ言う間に山の木が無くなってしもうて・・・。ホコリもすごかったんじゃ」と言っておられました。
工事範囲はとても広くワイナリー施設の他にブドウ畑も出来るそうです。近い将来岡山産の「灘崎ワイン」が飲めるかも知れませんね。今からとても楽しみです!
満開の「大山桜」に大満足‼️
まだ時間も早いようなので前回行った常山の桜の様子も見に行く事にしました。
常山《つねやま》の登山口に到着しました。桜はほぼ満開です。2合目の桜並木の様子が気になります。
やはり見事な桜花のアーチが出来ていました。
この付近もほぼ満開です‼️
桜花の香りが漂ってきそうです。
数組の子ども連れの家族やアベックが桜の花を楽しんでいました。
電チャリの残量は現在50%、前回「千人岩」と「惣門丸の石垣」の写真を撮っていなかったので常山山頂へ再チャレンジすることにしました。前回は登りきるのにバッテリーを40%使用しただけなので余裕です‼️
ツツジも満開で新緑の香りがとても気持ち良く、最高のポタリングです。
が・・・・。
6合目付近で30%だったバッテリー残量が一気に0になり電源がオフになってしまいました。途端に誰かに自転車を後ろへ強く引っ張られる感じです!
電源ボタンを再度押しても反応無し。リセットの為バッテリーを、一度取り外して電源を入れ直しても全く起動する気配はありません。
仕方なく「千人岩」迄人力で登る事にしました。
何とか「千人岩」に到着しました。今まではこの駐車スペースが「千人岩」だと思っていましたが、友人と話をしていて「千人岩」は駐車場から少し下に降ったところにある岩だと指摘されました。
この「千人岩」は「常山城合戦」の時、城方の退路を遮断する為に毛利軍と小早川軍の1,000人が配されたと云わっています。
自転車を置いて坂道を降ります。
1分程で「千人岩」に到着しました。思っていたよりかなり狭い感じでした。
「千人岩」の先端のようです。このスペースに1,000人?って感じの広さです。
「千人岩」のワイド写真です。
撮影を終え自転車までに戻り、「惣門丸跡」まで登るか(登れるか)パイプを咥えて休憩がてら考えます。
15分程思案の結果、せっかくなのでもう少し頑張ってみることにしました。
何とかアシストなしの自力で「惣門丸跡」の分岐部まで到着しました。前回訪れた時に有った廃材の様な物は撤去されていました。
ここから後100m、徒歩での移動になります。
「惣門二の丸跡」に到着しました。さらに進んで「惣門丸跡」を目指します。
「惣門丸跡」に到着しました。
ここからの展望もなかなかのものです‼️
右側に児島半島で一番の高さを誇る「金甲山」(標高403m)、児島湾干拓地の中央を鴨川がクランクしながら流れその先には児島湖が広がり、手前には国道30号線が見えます。
「惣門丸跡」 から見た児島湾干拓地のワイド写真です。国道30号線の跨線橋の下にJR宇野みなと線が見えます。
先端の南側に残っている惣門丸の石垣です。
「惣門丸」から「惣門二の丸」方向を見ます。
「惣門二の丸」には石仏が並んでいました。右奥方向に急な坂道が見えますが、これを登って行くと「矢竹二の丸」から「矢竹丸」、「東三の丸」から「東二の丸」を経由し本丸に行くことが出来ます。
私はこのまま自転車の所まで来た道を戻ります。
帰りは下り坂なので楽勝です‼️
2合目まで戻ってきました。
「③友林堂 0.1km」の案内板があります。前回立ち寄らなかったので行ってみることにしました。
交差点反対側には「城主戸川友林墳墓」と刻まれた石碑もありました。
「友林堂」に到着しました。
友林堂は。初代常山城主の上野家が滅亡した後の城主戸川秀安(友林)の位牌を安置している霊廟で、1805年(文化2年)に撫川、早島、帯江、妹尾知行の戸川家により創建されたそうです。
総欅造で拝殿の内部は極彩色の天井絵が描かれ、幕府儒官紫野栗山銘の「啓字」の額も掲げられていて、位牌の他秀安ゆかりの品もあるようです。
「友林堂」の南西側の玉垣の中に「秀安」の墓石がありました。
秀安の重臣と伝えられている「日賢」と「日教」の墓石が秀安を護る《まもる》ように秀安の墓石の横に配置されていました。
秀安は重臣と常山城跡に見守られながら静かにお休みになっているのではないでしょうか。
「友林堂」から旧県道22号線の交差点まで降った所に「三つ井戸」という3つ並んだ井戸がありました。その中の一つは珍しい八角形をした練瓦造りの井戸でした。
帰り道JR宇野みなと線の「常山駅」に立ち寄りました。丁度下り線の宇野行列車が到着しました。
駅構内には「玉野市歴史街道案内図」という案内板がありました。各史跡にはそれぞれ番号が振られています。
「常山コース」の拡大です。登山時に「⑧常山城跡」「③友林堂」など各史跡名称の前にあった番号の意味がやっと解りました。この順番に回ることで効率よく歴史探訪が出来るようです。
この案内板を見ていて「常山コース」の最終地点「⑨秀天の石橋」まで足を伸ばしてみることにしました。自力で頑張ります!
「⑨秀天の石橋」《しゅうてんのいしばし》(玉野市槌ケ原)に到着しました。
この橋は岡山県下最大の花崗岩製石橋で全長36m、幅約3mと全国的にみても最大級といえる石橋です。架橋時期は江戸時代中期頃と伝えられ、玉野市の用吉地区と槌ヶ原地区の境を流れる鴨川に架橋され、岡山県の指定重要文化財になっています。
昔私が子どもの頃、親戚の家へ遊びに行った時には従妹たちとこの付近でよく遊んでいましたが現在のような欄干は無く、舗装もされて無く部材の石がそのまま路面で自転車で渡るとその石の隙間に車輪を取られそうで怖かったことが思い出されました。
ちなみに、この橋を渡った左角に現在はありませんが当時駄菓子店がありました。小遣い銭を持って通ったものでしたが、何故かいつも私が大当たりばかり。従妹たちは「○○ちゃんだけいつもずるい~」と言われた記憶がふと蘇りました。なぜ私ばかり大当たりだったかは未だに不明ですが・・・。
橋を渡って槌ケ原側には「左下津井・・・」の道標がありました。左の行けば北前船の出入りや四国への岡山側の玄関口として当時賑わっていた民謡「下津井節」でも有名な「下津井港」へ行くことができるようです。
道標の右側には「右ゆ??・・・」と読取ることが出来ませんが、金毘羅詣でや瑜伽詣でのことを考えるとと「右瑜伽山」ではないかと思います。
橋脚は1ヶ所が3本でそれが8脚あったそうですが両岸側の一部が埋められ現在6脚しか見ることができません。橋の下流には2本の穴のあいた少し低い石柱があり船着場の名残ではないかと伝えられています。その昔児島湾干拓の前、秀天が児島湾に接していた頃には近隣からの年貢米などの集散地の港としてとして栄えていたのではないでしょうか。
今回、途中バッテリー切れというハプニングに遭遇してしまいましたが、新緑の香りの中満開の「大山桜」や常山の満開の桜、今回初めて行った「千人岩」や「惣門丸跡」、「友林堂」、そして昔従妹たちとよく遊んだ懐かしい「秀天の石橋」など、春を感じながらのポタリング。また新たに常山城の歴史の一つに触れることが出来、とても有意義な一日を過ごすことが出来ました。