久しぶりのポタリングで常山城趾散策

午前中、車とバイクを洗車しワックスがけをして終了したのは13時過ぎ、リビングでコーヒーを飲みながらテレビを見ていると岡山で桜の開花宣言が出たという情報が流れていました。桜のシーズンにはピンク色に染まる児島富士こと常山《つねやま》、その常山に久しぶりにポタリングがてら出かけて見ることにしました。

ポタリング」とはサイクリングの方法の一つです。気分や体調に合わせて周辺を自転車で巡ることで、呼吸を乱さない程度の速度で自転車を走らせる有酸素運動主体の走行のことです。

自転車に乗るのも久しぶりです。以前は吉備国の歴史の中を走る「吉備路自転車道」や吉備高原まで登る「吉備高原自転車道」、プチ北海道気分が味わえる真庭市の「蒜山高原自転車道」。かつて備前市片上から美咲町柵原まで吉井川沿いに走っていた片上鉄道の跡地に整備された「片鉄ロマン街道」や、かつて倉敷市茶屋町から児島を経由し下津井まで走っていた下津井電鉄の跡地に整備された「サイクリングロード」(児島~下津井間は「風の道」)、呉市から今治市大三島手前の岡村島までの島を広域農道で繋いだ「安芸灘とびしま海道」や尾道市今治市を瀬戸内海を渡って繋ぐサイクリングの聖地といわれている「しまなみ海道」などを何度も走りましたが今では常山の山道を登り切る自信もありません。そんな訳で今回は私のクロスバイクではなく妻の電動アシスト付自転車(電チャリ)で出かける事にしました。

ちなみに、妻の電チャリは「しまなみ海道」の凄さを妻にも体験してもらいたくて購入したものです。その後「蒜山高原自転車道」には何度も行っていますが最近では二人とも自転車に乗る機会が無くなっていました。

f:id:momotchi_blog:20200325071453j:plain常山は山頂に「常山城跡」がある歴史ある山で、児島半島のほぼ中央に位置し山頂付近が岡山市玉野市の市境になっています。標高は307mで展望も素晴らしく麓には「JR宇野みなと線」の「常山駅」があり里山登山には便利な山の一つです。

f:id:momotchi_blog:20200325071900j:plain常山の登山口に到着しました。登山口の左側には「常山公園」の石碑、

f:id:momotchi_blog:20200325071828j:plain右側には「常山城跡登山口」の看板がありました。看板脇には桜があり2分咲き程でした。ここから電チャリのアシストスイッチをONにします。

f:id:momotchi_blog:20200325071918j:plain2合目付近の桜並木です。この付近は桜のシーズンになると桜花のアーチができとても綺麗なところで、遠方からもこの付近がピンク色に染まっているのが望めます。

f:id:momotchi_blog:20200325071946j:plain一部咲いている花もありました。

f:id:momotchi_blog:20200325071959j:plain桜並木を抜けると「⑧常山城跡3.9km」と「③友林堂0.1km」の案内板がありました。「友林堂」は、初代常山城主上野氏が滅亡した後の城主である戸川秀安(友林)の位牌を安置する霊廟で、1805年(文化2年)に撫川、早島、帯江、妹尾知行の戸川家により創建されたそうです。

f:id:momotchi_blog:20200325072117j:plainその少し先に歩いて登る登山道があり、杖が設置されていました。

f:id:momotchi_blog:20200329183405j:plain今回はポタリングなので車道を登ります。途中の坂道で試しにアシストスイッチをOFFにしてみると・・・、まるで誰かが後ろに自転車を引っ張っているかのように重たくなりました。すぐにアシストスイッチをONに戻しました。

f:id:momotchi_blog:20200325072147j:plain道路脇にはツツジが満開で、新緑の香りもとても気持ちいいです!

f:id:momotchi_blog:20200325072318j:plain5合目付近ではないかと思いますが、正面に山頂の電波塔が見えました。

f:id:momotchi_blog:20200325072340j:plain7合目付近ではないかと思います。「千人岩」の案内板がありました。この千人岩は常山合戦の時、城方の退路遮断の為兵1,000人を配したと伝えられています。

f:id:momotchi_blog:20200325072352j:plain当時はこの付近から山を伝って麓まで降りるルートがあったのではないでしょうか。

f:id:momotchi_blog:20200325072403j:plainツツジの花の遠方には児島湾干拓地が見えました。

f:id:momotchi_blog:20200325072423j:plain9合目付近だと思います。「底無井戸」の案内板と「⑥底無し井戸・惣門丸0.1km ⑧常山城跡0.6km」の案内板がありました。

f:id:momotchi_blog:20200325072436j:plain昔は藪の中でコンクリートに囲まれていたように思いますが、現在ではその天井部が撤去されていました。揚水ポンプが設置されていましたがこの水を何かに使うのでしょうか?

f:id:momotchi_blog:20200325072714j:plain山頂付近の栂尾《とがのお? つがのお?》二の丸跡に到着しました。現在使用されているかどうかは不明ですが正面の栂尾丸跡にNTTの無線中継所の塔があります。

昔は左側に管理施設の建物が並んでいましたが、現在ではその建物も撤去されていて閑散としていました。

f:id:momotchi_blog:20200325074336j:plainこの付近の桜も色付いてきていました。山頂までは自転車を置き正面の階段から歩いて登って行きます。

f:id:momotchi_blog:20200326182639j:plain階段脇には常山城の説明と城内の配置図の案内板がありました。

常山城の位置する「児島」は当時瀬戸内海に浮かぶ島の一つでした。その児島のほぼ中央に位置し、北側には吉備の穴海や南側には備讃瀬戸やその島々、さらに四国まで展望出来ることから備前本土との海峡や備讃瀬戸を監視出来る重要拠点であり城の立地条件としては最適だったのではないでしょうか。

f:id:momotchi_blog:20200325072810j:plain途中石の階段もありました。

f:id:momotchi_blog:20200325072859j:plain北二の丸跡広場です。

f:id:momotchi_blog:20200325072915j:plainここには「常山城女軍の戦い」で悲惨な最後を遂げた鶴姫と34人の侍女(女軍)、城主上野隆徳や親族の墓石と墓碑があります。

f:id:momotchi_blog:20200325072935j:plain山頂の本丸跡です。桜の木々や展望台があります。中央の少し右側に三角点も見えます。

f:id:momotchi_blog:20200325072954j:plain桜の木々や展望台、その奥に5合目付近から見えた電波塔が見えます。

f:id:momotchi_blog:20200325074218j:plain「城主上野隆徳公碑」があります。

f:id:momotchi_blog:20200325073014j:plainその脇に上野隆徳が腹を切ったと伝わっている「腹切岩」《はらきりいわ》がありました。

f:id:momotchi_blog:20200325074233j:plain展望台に登ります。南東方向には国道30号線の稔峠と「道の駅 みやま公園」が見え、その先には瀬戸内海が開け、さらに先には小豆島も見えています。

f:id:momotchi_blog:20200325073429j:plain南西方向には少し霞んでいますが瀬戸大橋の櫃石島橋、岩黒島橋、与島橋、南北備讃瀬戸大橋が見えました。

f:id:momotchi_blog:20200325073107j:plain南南東方向には高松市街地を望む事が出来ました。四国で一番の高さを誇る高松シンボルタワー(151.3m)や高松中央ICの近くにある由良山(120.3m)、その奥には標高1,000mクラスの讃岐山脈徳島県側の呼称は阿讃山脈)も見えます。

f:id:momotchi_blog:20200325073133j:plain高松市街地の少し東には台形をした「屋島」やキャペリンハット(女性用のツバ広の帽子)の様な「五剣山(八栗山)」も見えます。

f:id:momotchi_blog:20200325073518j:plain南東方向から南西方向のワイド写真です。手前の町並みは玉野市の荘内地域です。

f:id:momotchi_blog:20200325073646j:plain北方向の展望です。児島湾干拓地が開けています。かつては奥の山並み付近まで、見渡せるほぼ全ての平野が「瀬戸の穴海」という海でした。

f:id:momotchi_blog:20200325073717j:plainカメラをズームアップすると岡山市街地が見えます。今話題によく出ている岡山理科大学が山の裾野付近に見え、その後方にはかつて「金山休暇村」のあった岡山市の最高峰「金山」(標高499m)が見えます。この岡山市街地の大半もかつては海でした。

f:id:momotchi_blog:20200325073731j:plain北東方向の展望です。児島湾大橋と新岡山港が見えます。橋の陰になりますが小豆島行のフェリーボートが停泊しています。この船は2017年に公開された佐藤健、土屋太鳳主演の映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」で佐藤健北村一輝が岡山港から小豆島に移動するシーンや土屋太鳳が一人で小豆島に行くシーンのロケに使用されました。

f:id:momotchi_blog:20200327152727j:plainその児島湾大橋の手前に児島湾締切堤防も見えます。

f:id:momotchi_blog:20200329183430j:plain手前の堤防は加茂川と現在の児島湖との堤防で、その先にある堤防が児島湾締切堤防です。

この締切堤防により誕生した「児島湖」は広さ10.88㎢、最大水深9mとダム湖を除いた人造湖としてはオランダのアイセル湖に次ぐ世界で2番目の広さを誇る湖だそうです。

ちなみに、この児島湾締切堤防は1951年(昭和26年)から「国営児島湾沿岸農業水利事業」として施工され1959年(昭和34年)に完成しました。全長1,558mの締切堤防により児島湾を締切り、難工事の末に新たに淡水湖の「児島湖」が誕生しました。それまで大きな課題であった干拓地の水不足や塩害、浸水などの諸問題も解決することが出来ました。

当初の計画では岡山と玉野市宇野を結ぶ宇野線の短絡路線としてこの締切堤防に鉄道を通す計画で、幅も30mと広く設計されていたようです。岡山側の築港までは1951年(昭和26年)に瀬戸大橋線大元駅から「岡山臨港鉄道」が開通していました(1984年(昭和59年)に廃線)。現在でも道路の西側(児島湖側)には鉄道用地がそのまま残されていて一部は原自歩道として利用されています。また、この締切堤防は有料道路として共用されていましたが1974年(昭和49年)無料化され現在に至っています。

f:id:momotchi_blog:20200325073852j:plain西北西方向から東北東方向のワイド写真です。

f:id:momotchi_blog:20200325073930j:plain本丸の南下には当時の石垣が残っています。

f:id:momotchi_blog:20200325074104j:plainシジュウカラがいました。

f:id:momotchi_blog:20200325074050j:plain自転車を置いていた栂尾二の丸跡まで戻りました。最後に栂尾丸の石垣を見に行きました。栂尾丸の南角部に残る石垣です。

f:id:momotchi_blog:20200325072728j:plainこれから下山します。ここまで電池の使用量は40%です。帰りはアシスト無しで帰ります。

f:id:momotchi_blog:20200325074406j:plain登山口まで無事降りて来ました。

常山城は標高307mの山頂の本丸を中心に北方向に約350m、北東方向に約300m延びるそれぞれの尾根に14の曲輪《くるわ》を配した連郭式山城です。備前の国でも屈指の規模だったそうで1575年(天正3年)の「常山合戦」での「女軍の戦い」が特に有名な城です。

築城時期は戦国時代の初め1492年(明応元年)頃に上野土佐守により築城されたと伝わっています。その子孫の上野隆徳は備中松山藩主三村元親と血縁関係(元親の妹鶴姫が高徳の妻)があり「天正備中兵乱」では三村元親に付いていました。

1575年(天正3年)織田信長の鉄砲隊が武田軍の騎馬軍団を討ち果たした頃、西国備中の国では城主三村元親の備中松山城が毛利軍により5月22日に落城、三村方の諸城は全て落城し最後の拠点である常山城は6月4日周囲を毛利軍と小早川軍の大軍により包囲されました。

6月6日朝から城への一斉攻撃が開始され翌6月7日、一族自刃を毛利方に告げ最期の酒宴の後上野一族は自決したそうですが、鶴姫は武家に生まれた女としての信念を貫き「女の身ではあるものの、敵の一人も討たず、むざむざと自害するのは無念極まりない」と鎧を着け果敢に立ち上がりました。これを見た侍女たちも「どうせ散る花ならば、三途の川までお供いたします」と北二の丸付近に迫った敵大軍に対し鶴姫と侍女34人が切り込んでいったそうです。この日「常山合戦」は終結、上野家は毛利軍により滅ぼされてしまいました。しかし幸いなことに隆徳の長女や末娘は生き延びられたそうで、その子孫は岡山市南区に今なおご健在だそうです。

昔は山頂に沢山の電波塔が立ち並んでいて関連施設もあり職員の通勤用のバスも運行されていたように思いますが、現在では関連施設は撤去されNTTと国交省の電波塔の2機のみとなっていて少し寂しい気もしました。

新緑の香りを楽しみながら今回久しぶりのポタリング、妻の電チャリのおかげで難なく走行することが出来ました。私のクロスバイクでは登りきれなかったかも知れませんが・・・。

改めて常山城の歴史に触れることが出来たとても充実したポタリングでした。

 

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