下津井電鉄跡地と風の道のポタリング
前回も冒頭でお知らせいたしましたが、昨年11月に脳梗塞により失語症を患ってしまいブログの更新もままならず、かなりの時間と労力が必要です。しかし主治医や言語聴覚士の先生方に勧められ、リハビリの一環として、また私の忘備録や日記代わりにするため、撮り貯めていた写真も数多くあるのでそれを順次UPしていきたいと思います。
また、脳梗塞の影響から車やバイクの運転にはドクターストップがかかっていますが、運転免許センターの運転免許課や主治医に相談して病院にて脳機能障害検査を受け、先週その結果の診断書を運転免許センターに送りました。2週間程度で運転が可能かどうかの通知が届くそうです。主治医の先生からは脳梗塞による身体機能への影響はほとんどなく、脳機能障害検査の結果も問題はないと思いますと心強いお言葉をいただきました。
これまでの日頃の移動手段は電チャリのGR WAY A-02が大活躍、玉野市内の病院への通院もバスや電車の傍ら国道30号線の深山公園付近の峠もGR WAY A-02で移動していて、ミニベロロード EIZER M300は出番がありません…
3月13日、自宅をGR WAY A-02で出発し、水島ICの手前にある下津井電鉄廃線跡の旧林駅跡地から茶屋町児島自転車道、旧児島駅跡からは風の道を走り下津井駅跡を訪れ、帰りは国道430号線の王子マリンロード430《よんさんまる》から国道30号線に出て帰宅する予定です。
12時過ぎに自宅を出発します。
自宅から40分ほどで下津井電鉄廃線跡の旧林駅跡地に到着しました。以前はこのような駅標のモニュメントはありませんでしたが、下津井電鉄が現役で走っていた当時を知らない人にはこの付近に駅があったことが分かり、とでも重宝されていると思います。
このルートはJR瀬戸大橋線(当時は宇野線)の茶屋町駅から別れて、下津井駅までの約21kmを走っていた軽便鉄道の下津井電鉄が廃線になり、その鉄道跡地を倉敷市が”茶屋町児島自転車道”(茶屋町~児島)と、”風の道”(児島~下津井)として自転車歩行者専用道に整備されたものです。
しばらく進むと県道21号線に並走します。ここまで茶屋町児島自転車道の起点茶屋町から5kmという案内板がありました。
もうすぐ水島ICです。路面標示が鷲羽山20kmという案内表示がありました。
相引池南交差点の先に駅標のモニュメントがあり、ここが旧福田駅跡地です。
福南山の峠まで登って来ました。これから先、児島までは下り坂が続きます。
旧下津井電鉄の少し高い盛土部を走行します。
県道276号線に突き当たりましたが、鉄道は踏切で県道を横断し山の手前で左にカーブしていたようです。「自転車道⇦下津井方面」の案内板があり、自転車道は左に見える横断歩道を渡るようです。
横断歩道を渡り少し進むと県道と別れ自転車道は右に進みます。
しばらく進むと左前方に公園が見え、右にはホーム跡が見えてきました。ここは稗田駅跡で左の公園が駅舎跡です。
稗田駅跡に到着しました。駅標のモニュメントに何か貼ってあるようです。
地元自治会の新聞記事の切抜きと、さくら祭りのポスターが貼られ、駅標の下に下津井電鉄由来という説明文がありました。
下津井電鉄由来です。
出発します。
自転車道はさらに下ります。沿道には桜が植えられ、4月になると見事な桜並木の中でポタリングを楽しむことが出来ます。
児島小学校を過ぎ少し進むと、柳田駅跡がありました。
さらに下ると、前方に旧県道21号線を跨ぐ陸橋が見えてきました。下津井電鉄現役時代には当然のことですが平面交差でした。
旧県道21号線を跨ぐ陸橋の南側には、児島小川駅跡があります。
住宅地の中を進みます。
旧県道21号線の前方にガードレールがあり、その先は小田川なのでそのまま進む事が出来ません。当時の下津井電鉄は踏切で県道を横断し小田川を渡り味野に向かっていました。
10mほど南にある大正橋交差点を横断し大正橋を渡ります。
小田川に架かる橋は下流側から平成橋、昭和橋、大正橋と順番に並んでいますが、明治橋はないようで、大正橋の上流側は八千代橋でした。
小川側には今来た茶屋町児島自転車道と旧下津井電鉄の鉄道橋脚跡が見えます。
味野側の鉄道橋脚跡です。
下津井電鉄の旧児島駅に到着しました。現在あるJR児島駅とは1km弱離れた場所になります。
1972年(昭和47年)、茶屋町~児島間の廃線に伴い少し南へ移転され、駅の規模も縮小されました。さらに1987年(昭和62年)にはバスターミナルの工事のため南方向に約200mほど移動、駅舎完成までの間は簡易な施設で営業していましたが、1988年(昭和63年)、この新駅舎が完成し新たな下津井電鉄が営業を開始されました。
メリーベル号という大正ロマンをコンセプトとしたメルヘンチックな列車がこの駅から発着していました。
旧駅舎内は当時の様子を留め、メリーベル号が発着していたホームや駅標が当時のまま残されています。
自宅からここまで約18km、1時間半ほどかかりました。
ここで少し休憩をします。休憩といってもタバコタイムではありません。脳梗塞を発症するまでは、かなりのヘビースモーカーでしたが、発症以降タバコはやめ、ビールもロング缶1本です。ただロング缶1本ではどこに入ったか分かりませんが…
休憩を終え出発します。駅舎内を自転車などで通過し、風の道に直接行くことが出来ます。
風の道の沿道には沢山の鉄道遺構が残されていて、鉄道好きの私には走っていてとても楽しいルートです。
少し進むと中国自然歩道の風の道についての説明板がありました。
中国自然歩道は、中国5県を一周する総延長約2,295kmの広大な自然散策が楽しめる歩道で、瀬戸内海国立公園など三つの国立公園、四つの国定公園を巡ることが出来ます。全ルートは一繫がりにはなってはいますが、それぞれ10〜50km程のコースが設定されていて、個々のコースごとに楽しむことも出来るようになっています。ポタリングにも最適なコースですが、この中国自然歩道は本来は歩道なので、まれに階段区間のコースもあるようです。そのため一部のコースは自転車での走破は出来ないのが少し残念ですが…
鉄道遺構の架線柱、その奥に鷲羽山ハイランドが見えています。
踏切跡を横断します。
しばらく走ると前方に備前赤崎駅跡が見えて来ました。
この奥から走って来ました。備前赤崎駅には両側にホームが残されていて、行き違い設備のある駅だったようです。ホームには休憩用にベンチが設置されています。
備前赤崎駅跡を出発してしばらく進むと国道430号線に突き当たりました。鉄道は踏切で県道を横断して先に続いていたようですが、自転車道には”道路横断禁止”の注意看板があったので近くの横断歩道を迂回しました。
迂回して戻って、再び風の道を走りましたが…
150mほど進むと今度は市道に突き当たり、また近くにあった横断歩道を迂回しました。
阿津駅跡に到着です。
登り坂が続きます。登り坂といっても鉄道跡地なので車道のような急勾配ではなく、ましてや電チャリのGR WAY A-02なので楽に上ることが出来ます。
JR瀬戸大橋線の高架橋が見えてきました。
JR瀬戸大橋線の高架橋をくぐり少し進むと児島競艇場が見えてきて、一艇のボードが練習を行っていました。
坂道を登って行くと琴海《きんかい》駅跡が見えてきました。右側には島式ホームが残されていて1面2線で列車交換が可能な駅だったようです。
1914年(大正3年)の味野駅(後の児島駅)~下津井駅開業時点では、この琴海駅は単式ホーム1線と島式ホーム2線持つ3線を有する駅だったそうです。
左右から竹藪が迫ってきます。
一見すると高架橋の下をくぐっているだけのようにも見えますが、下津井電鉄唯一のトンネルです。しかし歴史は浅く瀬戸大橋の工事に伴って作られたそうです。この付近で上段が瀬戸道で下段がJR瀬戸大橋線、自動車道と鉄道が上下に重なります。
両側から迫るような切通しです。
鷲羽山駅跡に到着しました。
駅標のモニュメント側では背景に瀬戸大橋が写らないのでホーム跡に続く展望デッキに移動しました。
振り返って見た鷲羽山と下津井瀬戸大橋です。
東下津井駅跡に到着しました。この駅も備前赤崎駅同様、両側にホームが残されていて行き違い設備のある駅だったようです。
左は下津井城址です。
下り坂ですが路面の状態が悪く、滅茶苦茶走りにくいです。
沿道には桃の花でしょうか、花が咲き始めていて春の訪れを感じられます。
ひたすら下ると前方に跨道橋が見えてきました。かつては跨線橋だったのですが… この跨道橋をくぐると下津井電鉄の終点下津井駅跡です。
下津井駅跡の様子です。
下津井駅跡にはヒガンザクラでしょうか、花が咲き始めていました。
下津井駅跡に到着しました。駅標の後方の車両は塗り直されてはいますが、フジカラーのラッピング車両で走っていた”モハ103号”ではないでしょうか?
自宅からここまで24.4km、所要時間は2時間20分ほど、バッテリーは1目盛り減っただけでした。
駅舎のあった1番ホームから2、3番ホームのあった島ホーム側に向かいます。奥に先程くぐってきた跨道橋が見えます。
ホームの先には色んな保存車両があります。先頭の車両は”モハ1001号機”です。この車両は”赤いクレパス号”として、落書きが出来る電車で有名になりました。
中央に見えるのが下津井電鉄最後の電車として瀬戸大橋開通に合わせて登場した”メリーベル号”です。大正ロマンをコンセプトとした車輌で、オープンデッキを備えた3輌編成で運行していました。
右の車両は鮮魚台(バケット)が特徴的な”クハ5 ”です。製造当初はガソリンカーでしたがエンジンを降ろし電車に改造されたそうです。
左の車両は1971年(昭和46年)に廃止となった井笠鉄道から購入された”ホジ3”だと思います。
この後下津井駅跡を出発して帰路に就きます。
鷲羽山駅跡まで戻って来ました。鷲羽山駅跡からは鷲羽山への登山道があり、歩いて10分~15分ほどで山頂まで登ることが出来ます。
鷲羽山は標高133mの鍾秀峰《しょうしゅうほう》が山頂で、鷲が羽を広げた様に見えることから”鷲羽山”と名付けられたそうです。
JR瀬戸大橋線の高架橋まで戻って来ました。右奥には児島市街地が広がっています。
阿津駅跡を過ぎると市道に突き当たり、また近くにあった横断歩道を迂回します。
備前赤崎駅跡まで戻って来ました。
踏切作動反応灯(踏切表示灯)が、そのまま残されているところもありました。踏切作動反応灯は列車の運転手に踏切の遮断機が正常に作動していることを知らせるためのものです。
踏切跡を横断します。
児島駅跡のホームにまで戻って来ました。この後下津井電鉄廃線跡に別れを告げ、JR児島駅から王子マリンロード430を走り国道30号線を経由して帰路につきます。
下津井電鉄の児島駅跡から南東方向に1km足らず離れたところにあるJR児島駅です。
児島駅北交差点から国道430号線に左折し王子マリンロード430で平成橋まで戻ってきました。
田の口港にやって来ました。由加山への方向を示す道標と由加山の鳥居です。田の口港は金比羅さんと由加の両参りの海の玄関口として繁栄したようです。
この鳥居はかつては海の中にあったそうで、鳥居の下部が変色しています。
王子マリンロード430沿いの王子が岳の前にあるレストラン帆風です。目の前が瀬戸内海とロケーションも良く、料理も美味しいと妻のお気に入りのレストランの一つです。
右側に見えるおにぎりの形をした島は岡山と香川の県境がある大槌島です。
”宇野10km”の路面標示がありました。
渋川海岸とダイヤモンド瀬戸内マリンホテルです。このホテルは2015年に西島秀俊、香川照之主演の日曜劇場「流星ワゴン」で病院としてロケに使用された場所です。
渋川海岸に出て来ました。久しぶりに来た渋川海岸は私が幼少の頃、両親に連れられ海水浴に来た思い出や、若かりし頃に友人たちと来た楽しい思い出がよみがえってきました。
渋川海岸を後に帰路に就きます。
県道427号線で槌ケ原の秀天橋交差点に出て、国道30号線に乗継ぎます。
ここからは上り坂です。
2km余りの上り坂を越え少し下ると、おもちゃ王国へ向かう交差点に出て来ました。ここから自宅までは下り坂と平坦な道が続きます。
県道427号線と県道62号線の重複区間を岡山方向に左折します。
県道427号線と国道30号線が交わる秀天橋交差点です。交差点を岡山方向に左折します。平坦な道が続くと先に書きましたが、この先にある宇野線の跨線橋と倉敷川の太鼓橋は例外です。しかし電チャリのGR WAY A-02なら大丈夫です!
17時過ぎに無事自宅に到着しました。
下津井駅跡から自宅まで29.1km、所要時間は2時間ほど、今日の走行距離は54km、所用時間は5時間、バッテリーは満充電から3目盛り減っただけでした。翌日バッテリーが切れるまで走ってみましたが13kmでバッテリーはダウン、GR WAY A-02は一回の充電で67km走行できた計算になります。以前使用していたパナソニックのハリヤが一番低いアシストで70kmほど、最大アシストで40kmほど、実走行で50kmほど走れていたので同程度かハリヤ以上の走行が可能ではないかと思います。片道34kmの片鉄ロマン街道(岡山県道703号備前柵原自転車道線)でも頑張れば何とか往復できそうです。
今回は下津井電鉄跡地の”茶屋町児島自転車道”と”風の道”、瀬戸内海の多島美や雄大な瀬戸大橋を眺めながらシーサイドロードを走行できる”王子マリンロード430”など、半日かけてしっかり楽しむ事が出来ました。今度は片鉄ロマン街道にもチャレンジしてみたいと思います。![]()
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