今日も快晴です。今回はミニベロロード EIZER M300で「茶屋町児島自転車道」を久しぶりに走ってみることにしました。このルートはJR瀬戸大橋線(当時は宇野線)の茶屋町駅から別れて、下津井駅までの約21kmを走っていた下津井電鉄(軽便鉄道)が廃線になり、その鉄道跡地を倉敷市が「茶屋町児島自転車道」(茶屋町~児島)と「風の道」(児島~下津井)という自転車道として整備したものです。今回はそのうちの茶屋町~児島区間を走ります。今迄に徒歩で1回、自転車で数回走ったコースですが、このミニベロロード EIZER M300では初めての走行になります。
自宅から約9km、茶屋町駅に到着しました。「茶屋町の鬼」が出迎えてくれました。この後タバコ休憩をして出発します。
茶屋町駅の南西に隣接する茶屋町郵便局です。後方に瀬戸大橋線の高架橋や茶屋町駅が見えます。この郵便局の裏側付近が下津井電鉄の茶屋町駅跡地になるようです。
駐車場の左奥の茶屋町郵便局(車の奥の白い建物)と高架橋の間が駐輪場で、その奥に現在のJR茶屋町駅が見えています。この辺り一帯が当時の下津井電鉄の茶屋町駅があった場所だと思います。
その南側には道路を挟んで丸い屋根の駐輪場が見えます。この駐輪場は鉄道跡地に作られていて、後方に見える桜並木に繋がっています。
駐輪場の南側の出入口付近に「茶屋町」という駅標のモニュメントが設置されていました。実際に駅があった場所とは200m程南へ離れていますが、ここが「茶屋町児島自転車道」の起点という事なのでしょか?
自転車道沿いに桜並木が続きます。
500m程進むと「備前・備中 国境の境界石」という案内柱があります。しばらく訪れない間に周辺が宅地化されていました。傍まで行ってみます。
「境界石」は無事残っていました。左側が備前の国、右側が備中の国です。ちなみに、茶屋町は備中の国に属します。現在でも備前と備中の境界線上には国境の標石が多数残されて、この境界石は標石を補うため設置されていたそうです。以前備前の国と備中の国の境界について興味があったので色々と調べながら標石を探てし回ったことがあります。またの機会に詳しく紹介します。
自転車道を南に進みます。六間川手前の鶴崎公園東側に「茶屋町児島自転車道1号線1,000m地点」の案内板がありました。
その脇の八重桜は満開でした。
六間川を渡り、天城《あまき》地区に入ります。
自転車歩行者専用道なので、各交差点には車両止のバリケードが設置されています。
天城の街並みの南端に「天城」という駅標のモニュメントが設置されていました。茶屋町にしても、ここ天城にしても最近設置されたのか、以前はこのような駅標はありませんでした。下津井電鉄が現役で走っていた当時を知らない者には、昔この付近に駅があったことが分かり良い事だと思います。
倉敷川を渡り藤戸地区に入ります。
県道22号線(倉敷玉野線)の交差点を過ぎると「藤戸駅跡」です。ここは数少ない当時のプラットホームが残されている場所で、以前は駅標も文字はかなり擦れて《かすれて》いましたが当時のまま残されていました。しかし新しい駅標が設置された時に撤去されたようです。
ちなみに、ひとつ前の「天城駅」とこの「藤戸駅」間は500m程で、下津井電鉄では一番短い駅間のようです。余談になりますが、日本で一番短い駅間は何と63mだそうで、四国の高知市にある「土佐電(土佐電気鉄道)」が運行する路面電車「後免《ごめん》線」の「清和学園前駅」~「一条橋駅」間です。10年程前ですが、気になり見に行きました。道路(1.5車線程)と川を挟んだ両側に駅があり、歩いても40秒程でした。誰かもう一人いて両方の駅の端に立てばジャンケンができそうな感じでした。
藤戸駅跡を南側から見た様子です。ホーム端には階段もそのまま残されています。
県道165号線(藤戸早島線)の交差点です。交差点左手前には「茶屋町児島自転車道1号線3,000m地点」の案内板がありました。
しばらく進みと右手に何やら標石がありました。
「岡山元標七里」、「下津井管轄境四里一町」という道路元標で、明治15年に設置されたようです。岡山の道路元標は京橋(岡山市北区京橋町)の南西にある旧交番脇にありますが、京橋からここまでは当時のルートで28kmもあったようです。
その道路元標の隣には「金比羅・下津井往来」とう案内柱もありました。この右奥へ延びる道路がそうなのでしょうか? 以前はこのような案内柱は無く、道標もかなり埋もれていて全てを読み解くことができませんでしたが、郷内歴史保存会の方々が綺麗に整備してくださったようです。
自転車道を南に進み、郷内川を渡ります。
「林」という駅標のモニュメントが設置されていました。以前は無かったので、ここも新たに設置されたようです。左側の空き地のような場所に旧駅舎があったのではないかと思います。
しばらく進むと県道21号線(岡山児島線)に合流しました。
1km程県道と並走すると瀬戸中央自動車道の水島ICが見えてきました。下津井電鉄が走っていた当時はICも無く、そのまま直進していたと思われますが、自転車道はICの出入口ランプを横断しています。
水島ICを過ぎると少しずつ登り坂になって来ました。左側に「茶屋町児島自転車道 茶屋町から6.5km地点」の案内板がありました。気付かないうちに距離表示が"m”表示から“km”表示に変わっていました。
坂を登りきった相引池南交差点の先に「福田」という駅標のモニュメントが設置されていました。ここも以前は無かったので新たに設置されたようです。
福田駅跡を出発すると、また登り坂になります。左前方には水島ICが望めます。鉄道跡地なのでそんなに急勾配ではありませんが、その分かなり大回りしています。
山の中に入りました。
瀬戸中央自動車道の高架の下を潜り、しばらく進むと再び県道21号線が見え始めました。右のフェンス側が瀬戸道です。
福南山の峠ま登って来ました。これから先、児島までは下り坂になります。
稗田の大池を過ぎた付近の路面に「鷲羽山15km」の案内表示がありました。
県道276号線(宇野津下之町線)に突き当たりました。鉄道は踏切で県道を渡り、山の手前で左にカーブしていたようです。自転車道は「自転車道⇦下津井方面」の案内板があり、左に見える交差点を横断するようです。
交差点を渡り少し進むと県道と別れ自転車道は右に進みます。「自転車道⇨下津井方面」の案内板が見えます。
しばらく走ると前方に「稗田駅跡」が見えてきました。
「稗田駅跡」に到着しました。駅標の下に「下津井電鉄由来」という説明文がありました。
ここも以前から駅標のモニュメントと、この説明板はありましたが。モニュメントは新たなものが設置されたか、塗変えられたようで綺麗になっていました。
奥側から走って来ました。左側にホーム跡が残されて、右側の公園が駅舎跡地のようです。この公園でタバコ休憩です。
休憩後自転車道に戻り出発します。
沿道の桜は既に葉桜になっていて、路面が桜花模様の絨毯《じゅうたん》のようになっていました。
児島小学校の横を走ります。
児島小学校を少し過ぎると「柳田駅跡」がありました。
さらに進むと、前方に陸橋が見えてきました。
陸橋から見た北方向の展望です。下を走る道路は旧県道21号線です。
南方向の展望です。当時はここも踏切だったと思います。
陸橋を下りると「児島小川駅跡」がありました。この駅標のモニュメントも以前は無かったので新たに設置されたようです。
住宅地の中を進みます。
旧県道21号線に突き当たり前方にガードレールがあり、その先は小田川でそのまま進む事が出来ません。鉄道は県道を踏切で横断し、小田川を渡って対岸の味野に向かっていたようです。
10m程南にある大正橋交差点を横断し、大正橋を渡ります。
大正橋から見た味野側の鉄道橋脚の跡です。
味野側に渡りました。左奥に小川側の鉄道橋脚跡が見えます。
小川側の鉄道橋脚跡を少しアップにしました。
この付近が下津井電鉄の「旧味野駅」(後の児島駅)」跡地のようです。現在のJR児島駅とは1km程離れた別の場所になります。1972年(昭和47年)茶屋町~児島間の廃線に伴い、この場所から少し南へ移転され、駅の規模も縮小されたそうです。さらに1987年(昭和62年)にはバスターミナル改築のため、さらに南方向に200m程移動され、駅舎完成までの間は簡易な施設で営業されていたようです。
児島市民交流センター(旧瀬戸大橋架橋記念館)です。この建物は屋根が太鼓橋をイメージした作りになっていて、屋根の上を渡ることが出来ていました。
1988年(昭和63年)現在も残るこの新駅舎が完成し、新たな下津井電鉄が営業を開始しました。
駅舎内はお洒落な感しで、「メリーベル号」というメルヘンチックな列車がこの駅から発着していました。当時、私たちもこの児島駅で長い行列を待って「メリーベル号」に乗車した記憶が蘇りました。
現在は自転車で駅舎内を通過し、「風に道」に行くことが出来ます。
「メリーベル号」が発着していたホームや駅標が当時のまま残されています。
ここまでの走行距離は24kmです。休憩がてらタバコを吸おうとベンチに座り、ふと見ると「館内禁煙」の張り紙がありました。しばらくベンチで休憩し帰路につくことにしました。
帰り道「KOJIMA JEANS STREET」の看板が見えたので、そちらにコースを変更します。
ジーンズストリート沿いには、お洒落な休憩施設もありました。
あいにく営業されている店舗は少なく、今日は休業している店舗が多いようでした。
塩田王と呼ばれている「旧野崎家住宅」(国指定重要文化財)の前を通過します。
旧県道21号線の陸橋の袂から、自転車道に合流しました。
桜並木の坂を上ります。
県道276号線(宇野津下之町線)を横断し右折します。「⇨美観地区」という路面表示がありました。
稗田の大池の右前方に福南山が見えてきました。登り坂もあと僅かです。
今日はさほどスピードも出さず20km/h前後でのんびりポタリングを楽しみました。帰宅後確認すると総走行距離は47kmと久しぶりに、そこその距離を走行しました。平均速度は18km/hでした。
途中下り坂でどの位スピードが出るかと、思いっきり踏込んでみると40km/h以上のスピードは出ますが、車輪が小さいためか不安定さを感じ、少し恐怖心を覚えました。またギアも高速に対応していないため、足を追従させるのが大変でした。
40km/hからの急制動も試してみましたが、ディスクブレーキの効果は絶大で安心してスピードを出すことが出来そうです。雨の日などでも安定した制動力が期待できそうです。ただ下り坂での急制動のためか、後輪が浮き上がり体が前に投げ出されそうな感じを少し覚えました。
平坦地では惰性走行距離は短く、ペタリングを止めると減速感を直接感じ、常にペタリングをしていないと速度を維持することは出来ないようです。ミニベロはクロスバイクのようには走らないというのが正直な感想です。
ただこのEIZER M300でも本気でペタリングすれば平坦地であれば30km/h以上のスピードは出すことが出来ますが、それを継続するのはやはり私の体力では難しいようです。20km/h~25km/h位での連続走行は可能ですが、20km/h程でのんびりと走るのがミニベロには良いようです。ポタリング、ポタリング!
しかし、昨日のモータースポーツ? ただのバイクツーリングだろう! と言う声が聞こえそうですが、体力作りには貢献していないようですが、今日は違います! 今夜体重計に乗るのが楽しみです。
児島から下津井までの「風の道」も、また時間を作ってEIZER M300で走りに行ってみたいと思います!