四国に訪れ久しぶりに「がもううどん」をいただきお腹も大満足で坂出ICに向かいます。
坂出ICから高松道、高知道と乗り継ぎ、前から気になっていた香南市夜須町にある手結港可動橋《ていこうかどうきょう》と南国市前浜にある掩体群《えんたいぐん》を見て、その後高知市に向かいひろめ市場でランチをいただきます。
国道11号線を走り坂出ICまで戻ってきました。
坂出ICから坂出支線を走り坂出JCTで高松道に乗り換えます。
南国ICで流出します。
南国ICから国道32号線を南下、国道55号線の交差点までやってきました。さらにこの交差点を直進し高知東部道のなんこく南ICに向かいます。
高知東部道の終点、高知龍馬空港ICから高知龍馬空港を経由し県道14号線、国道55号線と走り「道の駅やす」の脇を抜け海岸線にでると……
道路がほぼ直角に天に向かって立ち上がっているのが見えてきました。
手結港《ていこう》可動橋(香南市夜須町)の駐車場に到着です。10台ほどの駐車スペースがあり、既に数台の車両が停車していました。
手結港周辺は手結港可動橋の見学用に整備されています。
手結港には内港と外港があり、内港は江戸時代初期の1657年(明暦3年)に開港した日本最古ともいわれている「掘込港」だそうです。
また南側に半島があり、港の出入口が西向きであることなどから夏の暴浪などにも強く土佐藩屈指の良港だったようです。
内港の様子です。江戸時代初期の掘込港の規模としては最大級だそうで、港の壁面は石積で綺麗に覆われていて往時が偲ばれます。
内港は南北に100m、東西に50mほどの広さで、現代の漁港と比べればとても小さな魚港かもしれませんが、建設機材がない時代全て人の手で作られたことを考えると当時最大級の港であったことにも頷けます。
港内では漁師の方が漁具の手入れをされていました。
常夜灯や「金比羅大権現」と記された石碑の先に可動橋が見えています。
手結港可動橋の正式名称は「高知県手結港臨港道路可動橋」といい、全長32m、跳ね上げ角度最大70°、桁下2mで片側に歩道を有する対面二車線の立派な橋梁です。
可動橋近くまでやってきました。
可動橋脇には船舶用の信号機、対岸には通行車(者)用の警報機や遮断機が見えています。
可動橋の支点部です。
上部中央には歩道側の欄干と歩道部には連結部のゴム板が見えています。
通行が可能なのは一日6回、7時間だけ……
夕方18時から朝6時30分までは全く通行できないようです。港を出入りする船が最優先されるためのなのでしょうね。
この手結港可動橋は今から7年ほど前だったと思いますが、ダイハツの軽乗用車キャストのCMにも登場した場所です。
しかしダイハツはこの「そびえ立つ道」や「海中ポスト」、「べたぶみ坂」など面白いCMを考えるものですね!
間近で見ると直角に天に向かって立ち上がっているというよりは、空から落ちてきた道路が地面に突き刺さっているという感じです。
妻は「ゲゲゲの鬼太郎にでてくる妖怪ぬりかべのようだね」と言っていましたが、確かにその表現にも頷けます。
可動橋が動きはじめる11時までにはまだ時間があるので外港にいってみます。
外港でも漁師の方が漁具の手入れをされていました。
外港から見た可動橋です。
橋の左側の建物が管理棟で、屋上部が見学場所になっているようです。
管理棟まで戻ってきました。
管路棟の天井は階段になっているので上がってみます。
管理棟の屋上にある見学場所は手結港可動橋を間近で見られる他、周囲を見渡せる展望台にもなっています。
そろそろ可動橋が動く時間なので場所を移動します。
船舶用信号機が青から赤に変わりました。
遮断機脇の警報機が鳴るのかと思っていましたが、11時になると何の前触れもなく先端部の赤色灯が回転を始め、作動音もしないまま静かに下降をはじめました。
徐々に下がっていきます。
かなり下がってきました。
もう少し……
連結完了です。
遮断機の前では車が待っています。
連結を終えると警報機が鳴り始めました。
遮断機が上がり、警報機が鳴りやみました。
待っていた車が橋を通過していきます。
私たちも歩いて橋を渡ってみることにします。
橋の袂までやってくると、車が橋を通過していきました。
道路を横断し歩道を歩き橋を渡ります。
橋が開いた状態のとき見えていた欄干部です。歩道側の欄干には「手結港可動橋 2002.9」の記されていて、連結部には厚目のゴムが取り付けられ綺麗に繫がっています。
反対車線側には平仮名で「ていこうかどうきょう」と記されています。
橋を渡り南詰までやってきました。
歩道部の連結部には厚目のゴム板が取り付けられていて、こちら側は橋側に固定されていました。
橋が閉じればごく普通の橋梁ですが、多少違和感を感じるのは踏切もないのに警報機や遮断機があるためでしょうか……
橋の手前には旧道との分岐交差点があります。
旧道側は幅員が狭く4t車以上の通行は厳しいようです。
橋を渡り管理棟まで戻ってきました。
車に戻り旧道を走り、橋を渡って南国市前浜にある「掩体群」に向かいます。
途中「道の駅 やす」に立ち寄ってみました。
道の駅では「ちいさな雛まつり展」が開催されていました。
我が家には娘がいないので、お雛様とは全く無縁ですが、妻は娘気分で眺めていました。
売店にはカツオのたたきや……
高知の珍味ドロメなども並んでいます。
ドロメはカタクチイワシなどの稚魚で、食べると仄かな苦味が感じられ酒の合う高知の珍味です。
高知を代表する果物の一つ文旦です。
今回はクーラーを持参しているので生ものも大丈夫です。しっかりと土産も購入し、先に進みます。
「道の駅 やす」から15分ほどで「前浜掩体群」のある前浜防災コミュニティーセンター(前浜公民館、南国市前浜)に到着しました。
昔四国に赴任し、あいさつ回りをしていた際、松山空港付近で掩体を見たような記憶がありますが、当時は仕事も忙しくさほど気にもしていませんでした。
前浜防災コミュニティーセンター(以下コミセン)は津波避難施設の機能も持っているようです。
この施設は「前浜掩体群」見学の拠点にもなっていて、来場者の駐車場もあり案内看板やパンプレットなども置かれていました。
掩体《えんたい》とは飛行機の格納庫のことで、ここ前浜地区に残る掩体群は第二次世界大戦中、敵の攻撃から戦闘機を守るため造られたものの一部です。
旧香美郡三島村や前浜村にあった高知海軍航空隊(現高知龍馬空港付近)には大小合わせて43基の掩体があったようで、滑走路から各掩体には幅40mほどの誘導路が張り巡らされていたそうです。現在は高知龍馬空港の南側、旧前浜村の田園地帯に7基が残り反戦への願いを込めて大切に保存されています。
パンフレットをいただき7基ある掩体を順番に散策していきます。
コミセンのすぐ北側、県道31号線脇にある3号掩体です。
掩体前面にはツタが絡んでいるようです。
右奥には7号掩体と高知龍馬空港の管制タワーが見えています。
7号掩体は後で行くことにして、南西部の掩体から回っていきます。
コミセンのすぐ西にある2号掩体です。
草木が生い茂り近付くことも内部を見ることも難しいようです。
2号掩体の後方の様子です。
2号掩体の南に1号掩体が見えていたので向かってみます。
この掩体の脇にはトラクターが置かれています。
1号掩体の後方です。
他の6基の掩体が東や南向きなのに、この1号掩体だけが西向きになっているそうです。
1号掩体の内部は農機具置き場になっていました。
内部には農機具らしき機材がありますが何に使うのかはよく分かりません……
この掩体には戦時中機銃掃射を受けた大小60個ほどの弾痕があるようで、これらがその跡なのでしょうか?
北西部に一回り大きな4号掩体が見えているので向かってみます。
途中集落の路地から5号掩体が見えていました。
4号掩体の前にはブロッコリー 畑が広がっています。
収穫シーズンも終わり花芽が少し黄色く色付いていました。
幅44m、高さ8.5m、奥行き23mと双発の大型機が格納できる巨大な掩体で、国内で現存する掩体の中でも最大級の大きさだそうです。
天井のコンクリートには制作時の板の跡などが残っていますが、作りの粗悪さが伺えます。
大きな掩体のためか後方の形状が他の掩体と多少異なるようです。
東北東にある5号掩体に向かいます。
5号掩体が見えてきました。
この掩体は公園整備されていて、内部までよく観察することができました。
経年劣化のためなのかクラックなどもあるようですが、補修が施されています。
この掩体の天井のコンクリートは綺麗な状態で粗さが見受けられません。
東にある7号掩体に向かいます。
7号掩体と高知龍馬空港の施設が見えてきました。
大湊小学校の北側にある7号掩体です。
この掩体は終戦後に後方の一部を削り道路と水路を通している珍しい掩体で、背も低く内部を間近に観察することができました。
掩体の内側には他の掩体と異なり「むしろ」や「セメント袋」を使用したようで、その跡がはっきりと残っています。
掩体を造る際、最初に掩体内部と同じ大きさの土山を作り沢山の人々が上がって踏み固め、その上にむしろやセメント袋などを敷き詰めセメントを塗り固めていったようです。
セメントが固まった後、内部の土などを取り除いて掩体ドームの完成です。このような工法だったため、むしろや袋の跡が残っているそうです。
後方から見た掩体です。
高知龍馬空港に飛行機が着陸するようです。戦闘機ではなく旅客機が当たり前のように飛んでいますが、地域によれば未だに戦闘地域があることに悲しさを覚えます。早く平和な時代に戻ることを願うばかりです。
南に下り6号掩体に向かいます。
しかし、この付近にはあちらこちらに津波避難タワーが点在しています。
小学校の屋上にも避難できるようですが、二階建て校舎の屋上では少し高さが心配です……
県道31号線の西には3号掩体が見えています。
この掩体はツタが前面と東側を覆っているようです。
さらに南に下ります。
6号掩体です。
旧前浜小学校跡の東側に位置し、県道31号線からは民家の陰になり見え難い場所になります。
旧前浜小学校は高知海軍航空隊の飛行場の掩体に囲まれた場所に位置していたこともあり、高知大空襲の際爆弾攻撃され明治時代の風格を備えた校舎が破壊されてしまったそうです。
6号掩体の後方の様子です。
左奥が大湊小学校、右奥にもに津波避難タワーがあるようです。
7基すべての掩体を回ったので車に戻ります。
旧前浜小学校跡地の南側では梅の枝でしょうか、メジロが留まり蜜を吸っていました。
前浜掩体群、7基を回るのにゆっくり歩いて1時間ほどかかりました。お腹も空いてきたので高知市内にあるひろめ市場へランチに向かいます。
高知龍馬空港ICから高知東部道に乗ります。
高知中央ICで高知東部道を流出し、大津バイパスで市内中心部に向かいます。
高知駅前には高知を代表する幕末の三志士の銅像が設置されています。
以前列車で高知駅を通過した際には後ろ姿しか見えませんが、こちらからはしっかりと見ることができました。
ひろめ市場(高知市帯屋町)に到着しました。平日だというのに二階駐車場は満車で三階に上がりましたが三階も半数以上埋まっていました。
今回お目当ての「明神丸」の藁焼きタタキです。
が……
長蛇の列なので、今回は諦めました。
高知に来た際によく利用するホテルの近くある餃子屋台の「安兵衛」です。
さすがに屋台は昼は営業していないで、ひろめ市場でいただけるようになって重宝しています。やはり高知に来ればここの餃子は食べておかないと!
今日のメインデッシュは「鰻処まん」のウナギです。
今回は妻のために奮発して「横綱うな重」の蒲焼きと白焼きの乗った白黒をオーダーしました。
今回カツオのたたきはテーブル近くの「やいろ亭」で、「塩タタキ」、「青さのり天」、「川エビ」もオーダーしました。
テーブルで待っていると安兵衛の餃子が出てきました。
久しぶりにいただく安兵衛の餃子は最高です。
餃子にはビールですが我慢我慢!
カツオの塩タタキ(1,300円)も出てきました。
ワサビとニンニクをのせていただきます。
一切れが大きく食べ応え十分、塩だけなのでカツオ本来の旨味がよく分かる一品でした。
川エビの唐揚げ(550円)……
私は手長エビだと思っていましたが、出てきたのは普通のエビでした。
残念……
青さのり天(550円)……
待っている時にスタッフの方が来られ「今回はウナギが大きすぎて白黒一緒に盛り付けできないため、別にお持ちしてもよろしいでしょうか」と聞かれました。
大きいことはいいことだじゃないですが、それでお願いいました。
べっ甲色に焼けた蒲焼きで器が一杯です。
白焼きは薄っすら焦げ目が付いていて美味しそう!
ワサビと塩とありますが、私はワサビでいただきます。
ワサビでウナギの味が締まり美味しさが引き立ちます。
今日のウナギは大きいですが厚みが少し薄い気がしましたが、タレの甘辛さとウナギの絶妙なコラボレーションで最高の味わいを楽しませていただきました。
ひろめ市場でしっかりといただきお腹も大満足!
というより……
もう入らない!
しばらくウナギは食べなくてもいい!
状態です……
ひろめ市場はタバコが吸えず、土産もそこそこに車に戻り車内で一服……
落ち着いたところで高松の友人宅に向かおうと思いましたが、あまりに時間が早すぎます。ナビの案内によると、国道32号線で向かうと約束の18時前に到着するようなのでのんびり一般道を走ることにしました。
三好市池田市街地を抜け井川池田IC交差点を高松方面に左折します。
この先箸蔵第二トンネル、箸蔵第一トンネル、西山トンネル、そして徳島県と香川県境となる全長4,187m新猪ノ鼻トンネルを抜け高松を目指します。
4本のトンネルで讃岐山脈(阿讃山脈)を7分程で抜けてしまいました。以前猪ノ鼻峠のクネクネ道を時間をかけて走っていたのが嘘のようです。
高松の友人宅で所要を済ませ帰路に就きました。
今日はしっかりと歩いたつもりですが、それ以上に食べ過ぎたようです。さすがに帰宅後の夕食はあまり食べれませんでした。
今回は朝早くから目覚めたこともあり多少お疲れモードですが妻もとても喜んでくれたので、その疲れも吹き飛びそうです。
しかし今夜は早々に休むことにします。
おやすみなさい!