生石神社と鶉野飛行場跡

先月5月中頃、ツーリング仲間の一人からまたツーリングに行きましょうと勤務の休日予定のラインが届き、ツーリング計画を立てました。勤務日が違うみんなの休日を調整するのは大変です。行先はもう一人の友人が高砂市の生石神社《おうしこ神社》にある「日本三奇」の一つ、御神体の石の宝殿と呼ばれている巨大な石造物を見に行ってみたいと言うので、播磨西部周辺でコースを考え6月23日に決定しました。しかし梅雨シーズン真っ只中、後は天気を祈るばかりです。今回は岡山ブルーラインを走り日生を経由し、国道250号線で県境を越え「赤穂御崎」に立寄り、その後海岸線を走ってたつの市御津の「道の駅 みつ」で休憩、そこから太子竜野バイパス、姫路バイパスと走り「生石神社」、昼食は明石市出身の友人が薦めてくれた加古川の「カツメシ」、食後は加西市にある「鶉野《うずらの》飛行場跡地」というコースにしました。

8時に岡山市中区の倉田交差点近くで待合せです。一人到着が遅れ8時25分過ぎに出発、国道2号線から岡山ブルーラインに乗換えます。

備前市日生寒河《そうご》の岡山ブルーライン終点から国道250号線に乗換えます。

岡山県から兵庫県赤穂市福浦に入ります。この福浦地区は1963年(昭和38年)に当時の岡山県和気郡日生町から兵庫県赤穂市へ越県分離となった地域で、現在でも電力供給は関西電力でなく中国電力から供給されているそうです。

赤穂御崎に到着しました。赤穂御崎は中学校の遠足以来なので殆ど記憶がありません。駐車場を挟んだ岬の奥側には伊和都比売神社が鎮座しています。

伊和都比売神社の鳥居が海側にありました。その鳥居を潜り海岸沿いに向かいます。

道沿いにはブイを加工したオブジェが沢山並んび、脇にはノアサガオが綺麗に咲いていました。

海岸まで出て来ました。先端には畳岩が浮かんでいて干潮の今はエンジェルロードのように歩いて渡れそうです。

東側に目を向けると赤穂御崎の先端が見えていました。

きらきら坂と呼ばれる階段を上り駐車場へ戻り出発します。

バイクでしばらく進むと「赤穂御崎」の案内板があったので立寄ってみました。

駐車場と公園が整備され、遊歩道が岬の先へ続いているようです。

その遊歩道を進むと先端付近の髙台に展望の開けた東屋がありました。先程の場所より少し奥まっていますが、この場所は「東御崎展望台」だそうで、東屋周囲には梅園が広がっています。

梅の木には熟れた梅の実が付いていました。

300m程で海岸まで下りる事が出来るようですが、高い場所なので後で戻るのが大変そうなので駐車場に戻り先に進む事にしました。

赤穂御崎の東側の海岸像を、兵庫県道32号線(坂越御崎加里屋線)から458号線(壺根坂越線)、568号線(相生壷根公園線)と乗り継ぎ走ります。日の浦トンネルを抜けると日の浦橋と藤戸橋の二連斜張橋が見えて来ました。橋の下は川では無く谷間にIHIの関連会社の施設が建ち並んでいました。

相生市千尋町の交差点で国道250号線に合流します。

相生市街地を抜け国道250号線で海岸線を走っていると沢山の牡蠣筏が浮かんでいるのが見えました。

たつの市御津町室津の街並みが見えて来ました。約1300年の歴史を持つ港町で、江戸時代には栄華を極め宿場町としても栄えたようです。竹久夢二谷崎潤一郎司馬遼太郎平岩弓枝など多くの文豪もこの地を訪れ魅了されたようです。岡山出身の竹久夢二は1917年に訪れ、しばらく滞在、室津漁村の風景を背景に美人画などを描かれたそうです。また機会を作ってここの街並みを散策しに来てみたいと思います。

少し進と「道の駅 みつ」が見えて来ました。ここでタバコ休憩にします。

この道の駅にはいつも沢山のバイクが集まっています。

駐輪場の前からは海岸が見えています。タバコを吸い終え道の駅に入ってみます。

道の駅中央にある展望階段からの眺めです。心地よい風が吹き抜けていました。

沖では牡蠣筏の手入れが行なわれています。

店内には沢山の魚が並べられていました。

ここのランチも美味しそう! また機会を作って食べに来てみたいと思います。

タバコ休憩を終え出発しました。国道250号線を走り綾部山入口交差点を左折し市道から県道29号線(網干たつの線)に乗継ぎ、さらに北上し国道2号線の門前西交差点に出て来ました。

ここからは自専道の太子竜野バイパスに乗換えます。

姫路バイパスの中地IC付近から自然渋滞に巻き込まれましたが、播但道の姫路JCT手前付近から渋滞は無くなりスムーズに進みました。高砂西ICで国道250号線に降ります。

国道250号線は姫路バイパスから離れ直進します。

高砂西ICから国道250号線を2km程進み、竜山交差点を左折し県道392号線(伊保阿弥陀線)を少し走ると「生石《おうしこ》神社」(高砂市阿弥陀町生石)に到着しました。

駐車場にバイクを置き鳥居を潜り本殿に向かいます。

手水舎手前には「国史跡 石の宝殿」という石碑がありました。

坂道の参道を進むと拝殿と本殿が見えて来ました。

古い絵図では拝殿となっていますが現在は休憩所に使用されている建物の下側には、麓から上ってくる参道がありました。

休憩所から見た拝殿です。

本殿の様子です。本殿での参拝は100円の拝観料が必要なようです。お賽銭だと思い参拝させていただきました。

参拝を終え、御神体の石は上からも見えるようなので本殿の右横にある霊岩の脇をとおって向かってみます。

階段は自然石をそのまま階段状に加工されていました。

上から見た石の宝殿です。高さが5.7m、幅は6.4m、奥行きが7.2m、推定重量500tだそうです。皇居吹上御苑や国会議事堂などにも使用されている凝灰岩の竜山石と呼ばれる岩山の中腹を削って作られていて、2014年(平成26年)には周囲の史跡群と共に「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として国の史跡に指定されたそうです。

後方から見ると昔のテレビを思い起こさせる形ですが、何時、誰が、何のために… この石の宝殿は古墳後期~終末期(700年頃)に横口式石槨《よこぐちしきせっかく》を作ろうとした跡だと言う説が有力だそうです。横口式石槨は700年頃の古墳にみられる石棺式石室だそうで、国営飛鳥歴史公園内にある高松塚古墳などがこの頃の古墳だそうです。

本殿の先には加古川の市街地が広がっていました。

やはり昔のテレビの形です。

さらに先に進む階段があったので上ってみます。

宝殿山頂に到着しました。山頂には大正天皇行幸の記念碑や東屋がありました。

山頂から見た南東方向の様子です。

同じく南西方向の様子です。ベンチでは先程上って来られた方々が休憩されています。

ワイド撮影です。前の2枚を横に並べたのよりさらに広範囲に撮影出来ています。

尾根は北方向に延びているので少し先まで行ってみる事にしました。

途中早くも萩の花が咲いていました。

西側の山では今でも砕石作業が行なわれています。

この先はさらに山を下って行くようなので引返す事にしました。

来た道を引き返しますが、かなり下って来たようです。

少し緩やかになり山頂の東屋が見えて来ました。神社や山頂付近は禁煙エリアなのでそのまま下山する事にしました。

石の宝殿まで下りて来ました。

見事なくらい綺麗に加工されていて、当時の加工技術の高さには感服するばかりです。休憩所まで戻りタバコ休憩し出発します。時計を見ると既に12時30分を回っていて、お腹もペコペコです。今日の昼食は加古川名物の「カツメシ」です。急ぎ加古川に向かいます。

県道392号線を下り国道2号線高砂北ランプ交差点に出て来ました。ここから加古川バイパスに乗ります。

加古川バイパスを7km程走り、加古川中央JCTから東播磨道に入ります。東播磨道を走っていると、途中ナビが右折するように案内しました。

あれ……

どうやらナビは並行する一般道で案内していたようですが、私が勝手に判断し加古川バイパスに乗っていたようです……

ICのようですが、流出ランプは無く先には流入ランプ、反対車線には流出ランプがあります。このICはハーフICのようです。

仕方がないのでそのまま直進し、次の加古川医療センターICで降り、再流入し先程の神野ICで東播磨道を降りました。

ランプを下ると県道383号線(八幡別府線)の神野ランプ交差点に出て来ました。この交差点を左折すると目的地は目と鼻の先です。

東播磨道の神野ランプ交差点から200m程で今回昼食をいただく「ロッキー」(加古川市野口町)に到着しました。時間は12時50分過ぎ、駐車場は9割方埋まっているようです。バイクを置き店内に入ると満席のようで、スタッスの方から「何名ですか?」と聞かれ、「3名です」と答えると丁度奥のテーブル席の片付けが終わり案内していただきました。ラッキー!

今日の昼食は、明石市出身の友人が進めてくれた「加古川名物 カツメシ」です。お勧めの店はと聞くと、よく分らないと言うので自分で色々と調べ、この店のカツメシが一番美味しそうだったのでここに決めました。ビーフ(ロース)にポーク(ロース)、牛ヘレもあるようです。さらに変り種なのか「天然大エビ」のバージョンもあるようですが、やはり今回はオーソドックスにカツメシをいただきます。柔らかいのは良いのですが脂身の少ないヘレは好みで無いので私はロースの「ビーフカツメシ 大」(1,100円)をオーダー、友人二人も「ビーフカツメシ 」(930円)をオーダーしました。

出て来ました。「ビーフカツメシ 大」です。カツメシは、加古川市やその周辺地域の各家庭で親しまれ、多くの飲食店でも提供されている郷土料理の一つのようです。叩いて平たくしたビーフカツを飯の上に乗せ、デミグラスソース系のタレをかけた一品です。そう聞くと岡山のデミカツ丼と同じようですが、岡山は丼、加古川は洋皿に盛り付けるという違いがあるようで、こちらは見た目が少し西洋風な仕上りです。しかししっかりと味噌汁や御新香も付いていました。

ビーフカツメシ 大」のビーフカツは友人のそれと比べると一回り大きい感じでした。大きめの西洋皿に飯が盛られ、その上にカツとデミグラス系のソース、それにボイルしたキャベツにキュウリとトマトが添えられたワンプレートランチです。ボイルしたキャベツを添えるは加古川カツメシの特徴だとか……

甘みとコクのあるデミグラスソースは私好み、カツとの相性も最高です。カツは少し薄いようにも思いますが、それもトータル的に味のバランスを計算し尽された結果なのかも知れません。とても美味しくいただく事が出来ました。さすが加古川の名物料理です。御馳走様でした。また機会を作って妻にも是非味合わせてあげたいと思います。

店内は禁煙なので外でタバコを吸い、加西市鶉野《うずらの》町にある「鶉野飛行場跡地」に向かいます。

30分程で「鶉野飛行場跡地」(加西市鶉野町)に到着しました。滑走路跡に資料館の施設が見えています。

駐輪場にバイクを置き資料館へ向かいます。

「sora かさい」は今年4月18日にオープンしたばかりの加西市地域活性化拠点施設で、館内には紫電改などの実物大模型の展示や姫路海軍航空隊の開隊から終戦までの、約3年間が分る映像や写真、図面、実物資料などが展示されています。

滑走路建設の際、地盤を固めるために使われた転圧ローラーが展示されていました。このローラーは御影石を円形に加工した珍しいローラーで、終戦後は市内の中学校で使用されていた事もあるそうです。

平和祈念の碑、姫路海軍航空隊 鶉野飛行場跡の碑(鶉野平和祈念の碑)です。旭日旗がはためいていました。碑文には「美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて永くたゆとう」の言葉に続き、神風特別攻撃隊白鷺隊の説明が記されていました。

館内には紫電改と九七式艦上攻撃機の実物大模型が展示されていました。

紫電改は、川西航空機が製造した太平洋戦争当時の日本の戦闘機で、紫電(N1K1-J)の二一型以降が紫電改と呼ばれているそうです。

紫電改は中翼配置の紫電を低翼に改良した機体で、自動空戦フラップや層流翼などが特徴だそうです。

操縦席だけの実物大模型もありました。各操作レバーや操縦桿、速度計、航路計、昇降度計、高度計、排気温度計などの計器類が並んでいます。

照準器なども精巧に再現されています。

紫電改零戦の弱点であった防弾装備を見直し、操縦席前方に厚さ20 mmの硬化ガラス3枚を重ねた防弾ガラスや、主翼や胴体内にある燃料タンクも防弾タンクに、さらに自動消火装置なども装備し人命重視の設計改善が行なわれたそうです。防弾ガラスの実物も展示されていましたが撮影禁止エリア内だったので撮影は出来ませんでした。

天井側に展示されている九七式艦上攻撃機真珠湾攻撃に使用されたり、姫路海軍航空隊で練習機として使用され、後に特攻機として使用された日本の艦上攻撃機です。三菱重工業中島飛行機で競争試作されましたが両機種共採用されたため、設計思想の違う三菱の(B5M、九七式二号)と中島の(B5N、九七式一号、三号)の2機種が存在した珍しい機体です。展示されているのは中島の九七式一号の再現機だそうです。

滑走路跡地です。鶉野飛行場は昭和18年10月に完成し、姫路海軍航空隊が置かれ、搭乗員養成の飛行訓練飛行場として利用されていたそうで、滑走路近くには川西航空機の組立工場も有り紫電紫電改もその工場で組立てられたそうです。滑走路は全長1,200m、幅が60m、敷地面積は2.53k㎡、甲子園球場約70個分の広大な敷地を有し、付近一帯には現在でも数多くの戦争遺跡も残されているようなのでパンフレットを見ながら回ってみる事にします。

「巨大防空壕跡」です。高さ5m、幅5m、長さ14.5mで基地内最大のコンクリート防空壕で、自力発電所として使用されていたようです。完成後は土をかぶせ小山にカムフラージュしていたそうです。

現在は一部の土を排除し構造が見えるようになっていますが、その外壁を見ると、当時の造りの粗悪さが伺えます。

少し先にある「対空機銃座後跡」にやって来ました。

対空機銃座跡には周囲に透明な囲いがありました。たまたま来られた加西市の職員の方が、機銃座の地下はドーナツ状の形状で弾薬を保管する場所だったとか、この場所には常時4人程が詰めていて、機銃座の周囲数か所の凹み部が地下の保管庫と繋がり弾薬の補充が可能だった事、また常時弾薬を置き敵機襲来の際どの位置からも弾薬が補充出来るようにしていたなど色々と説明していただきました。

囲いの内部には実物大の対空機銃模型が展示されていました。この機銃は映画のロケで使用されたものを譲り受け、別の場所に展示されていたものをこの場所につい最近移設したばかりだそうです。周辺には対空機銃の25mmの連装機銃が4ヶ所、25mm単装機銃が2ヶ所、掩体壕《えんたいごう》や格納庫、兵舎や防空壕、自家発電施設や地下暗号通信室などの設備もあり、弾薬庫などは特に厚いコンクリートで固められた地下施設だそうです。海軍飛行場や軍需工場もある事から米軍機から数度の攻撃を受けたようで、以前農作業中に不発弾も見つかった事もあるそうです。「この近辺にはパンフレットに載っていない沢山の防空壕があるので時間があれば見に行かれますか」とお誘いいただいたのでお願いする事にしました。

民家の庭先にある防空壕です。今は内部は空いていますが最近まで物が沢山置かれていたそうです。さらに細い山道を奥に進みます。

今では草木に覆われている防空壕。こんな防空壕がまだまだ沢山あるそうで、市も全ては把握出来ていないそうです。把握出来た防空壕には予算を鑑みながら順次事故防止のため柵を設置されているそうです。

元々は木々が鬱蒼と茂っていたそうですが、道路工事で木々を伐採した際出て来た防空壕だそうです。柵はまだ真新しい感じでした。

少し先にあったこの防空壕はL型形状です。道路の区画に一部が入るため上部にあった木々や土を取り除いた時、新たに出て来た防空壕らしく、まだ柵は設置されていません。

内部を見せていただきました。所々に20cm程の穴をあけ内部に光りが入るようにされたそうです。L部を曲がり進みます。奥側と右側の明るい部分が穴から光が入って明るくなっています。

上部の土を排除した防空壕の上部です。右が防空壕の一番奥の部分です。内部で四角く光っていた部分にも穴があけられていました。

防空壕のL字部分です。道路にかかる部分はどうなるのでしょうか…… 貴重な戦争遺産なので何とかならないのでしょうか……

バイクまで戻りました。お礼を言ってパンフレットに載っている戦争遺跡めぐりコースに戻ります。色々とご教示いただきありがとうございました。

道路近くのあちらこちらに防空壕が点在しています。北条鉄道法華口駅から滑走路跡地付近までは道路に茶色いガイドラインが引いてあるようです。

姫路海軍航空隊入口跡には衛兵詰所がありました。

門柱、詰所、その奥には訪問者との面会所をイメージしたトイレがありました。出発前に詰所前で写真撮影し帰路に就きます。国道372号線で姫路市飾東町に出て、姫路東IC近くのコンビニで水分補給とタバコ休憩をしました。その後姫路東ICから山陽道に乗り私は備前ICで降り岡山ブルーラインを走りますが、友人二人はそのまま岡山方面へ山陽道を走り帰宅するそうです。

今日は心配していた雨も無く西日本を中心に梅雨の晴れ間が広がり、日中の最高気温は岡山市猛暑日に迫る34.7度を観測したようで、7月中旬から8月上旬並みの夏本番の暑さだったようです。バイクで走っていると気持ちいいのですが、さすがに散策していると汗が噴き出してきてしまいました。

18時過ぎに帰宅し心地良い疲労感に浸りながらコーヒーを飲んでいると友人たちからラインが届き、2人とも帰宅早々ビールで喉を潤しているそうです。私は今夜ホタル撮影に出掛けようと思っていましたがその元気は湧いて来ません。私も早々に入浴し美味しいビールを飲む事にします。

 

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