ポタリングと岡山名物のえびめし

先日息子が深夜勤務先から自転車で帰宅途中、下り坂でスピードが出ている時に小動物が飛び出してきて回避のため急制動した弾みで転倒し息子と自転車が怪我を負ってしましました。その自転車の修理見積をしてもたうためにポタリングがてら出かけることにしました。

f:id:momotchi_blog:20200515115516j:plain泉田交差点から自歩道(遊歩道)に入ります。この自歩道は「岡山臨港鉄道」の跡地の旧大元駅~旧泉田駅間を自歩道として、泉田駅~ 福田駅間は一般道として岡山市が整備したものです。

f:id:momotchi_blog:20200515115531j:plain鯉のぼりが五月晴れの空に気持ちよさそうに泳いでいます。

f:id:momotchi_blog:20200515115603j:plain旧新保駅はホームなどがモニュメントとして整備され休憩施設として利用されています。

f:id:momotchi_blog:20200515115543j:plainホームには水飲み場や休憩用のベンチがあります。

f:id:momotchi_blog:20200515115554j:plain当時の物かどうかは解りませんが、駅名標もあります。少し休憩した後自転車店に向かいます。

自転車店で見てもらうと摩耗部品の交換も含め修理費用の概算は30,000円程だそうです。修理の有無は少し考えてみます。

f:id:momotchi_blog:20200515115613j:plain帰り道、以前から気になっていた「えびめし」を食べてみることにしました。立ち寄ったのは「えびめしや青江店」(岡山市南区新保)です。毎回前を通る時には駐車場が一杯ですが、今日は昼時間からかなり経っていためか、新型コロナウイルスの影響かは不明ですが、かなり余裕があるようです。

f:id:momotchi_blog:20200515123031j:plainここの″えびめし″は作り置きはしないでオーダー毎に一品一品作るようです。また秘伝のえびめしソースは唯一無二で、50年以上続く秘伝の味と謳われています。

f:id:momotchi_blog:20200515123023j:plainえびめし(691円、税込み760円)、オムえびめし(864円、税込み950円)です。どちらも気になりますが今回はオーソドックスに″大盛えびめし″(891円、税込み980円)にしてみました。

f:id:momotchi_blog:20200515115642j:plain出て来ました「岡山名物 大盛えびめし」です。キャベツの酢の物も付いています。

f:id:momotchi_blog:20200515115653j:plain第1印象は真っ黒なピラフ‼️ 

f:id:momotchi_blog:20200515123042j:plainトッピングの錦糸玉子が彩りを添えています。ピラフの一種のようで、具がプリプリの小海老です。

f:id:momotchi_blog:20200515123055j:plainパラパラ感は十分で、ソースの香りが食欲をそそります。数種類のソースとケチャップがブレンドされたようなスパイシーな感じの秘伝の特製ソースにタマネギの甘みが加わったような独特の味わいが病みつきになりそうです‼️

f:id:momotchi_blog:20200515123108j:plain所々からプリプリのえびが顔をのぞかせています。岡山という場所は、大阪府(関西風お好み焼き、たこ焼き)と広島県(広島風お好み焼)との中間に位置しているためか、ソース味に対しては何ら抵抗なく岡山県民はソースベースのえびめしの味を受け入れることが出来たようで県内に一気に広まっていったようです。今では、スーパーマーケットの惣菜売場に置かれていたり、冷凍食品のコーナーには冷凍のえびめしもあったり、更には山陽道下り線の吉備SAのレストランや岡山駅の駅弁として販売されています。まさに岡山の誇る郷土料理の一つであり、B級グルメではないでしょうか。

ちなみに、山陽道の下り線吉備SAは岡山プラザホテルがテナントとしてレストランを営業されていて「えびめし」(1,200円)や、やはり岡山を代表するデミカツ丼が「デミカツ丼定食」(850円)として提供されていて、岡山のB級グルメの郷土料理を一流ホテルの料理として手軽に味わうことが出来ます。またJR岡山駅では「あったかえびめしデミカツ丼」(1,180円)が販売されています。「えびめし」と「デミカツ丼」という岡山名物のB級グルメの郷土料理を一度に味わうことのできる画期的な駅弁です。この駅弁は岡山駅弁の代表格の「祭りずし」を製造している三好野が製造販売されていますが、この三好野は創業が何と1891年(明治24年山陽鉄道(現、JR山陽本線)が岡山駅から倉敷駅まで延伸された時から駅弁の販売をされているという超老舗だそうです。

f:id:momotchi_blog:20200515153321j:plain大盛は少し量が多すぎました。お腹がはち切れそうで自転車を漕ぐのもしんどそうです。

そんな帰り道は思わぬ向かい風、自転車はなかなか進んでくれませんがカロリー消費のため頑張って自転車を漕いで帰ります!

 

5月17日追記

先日ブログを見たという友人から久しぶりに連絡があり、息子と自転車の怪我のお見舞の言葉をいただきました。自宅が臨港鉄道の沿線で臨港鉄道が走っていた頃にはたまに利用していたということで色々と教えてくれました。

私が走った泉田~大元間の廃線区間の遊歩道は「臨港グリーンアベニュー」というそうで旧新保駅跡がモニュメントとして整備されているそうです。

岡山臨港鉄道は国鉄(現JR)大元駅と岡山港駅を結んでいた全長8.1kmの鉄道で、1951年(昭和26年)8月1日に営業を開始し1984年(昭和59年)12月30日に廃止されたそうです。岡南工業地帯からの貨物を輸送する目的で敷設されたそうですが、沿線の宅地化に対応すべく旅客輸送にも力を入れていましたがモータリゼーションの普及には敵わず33年間の営業に終止符を打つこととなったそうです。一時は岡山市が策定した「岡山市交通基本計画」で市街地の路面電車の路線に繋げることも検討されたようですが残念ながら実現には至らなかったそうです。実現していればとても便利だったのにと言っていました。

鉄道マニアの私のために更なる耳寄りな情報を提供してくれました。何と当時運行に使用されていた機関車や気動車が現在もあるそうで、102型ディーゼル機関車が「旧岡南元町駅」跡近くの“岡山臨港倉庫運輸”(岡山市南区海岸通り)入口に、キハ7003型気動車が“ちどり保育園”(岡山市南区千鳥町)に保存されているそうです。また「旧岡山港駅」跡付近には距離標も残っているらしいとの情報でした。

さすがに地元、かなり詳しい!

ということで今日も天気も良いのでポタリングがてら出かけてみることにしました。

f:id:momotchi_blog:20200517193649j:plain旧岡南元町駅跡付近の㈱岡山臨港倉庫運輸に到着しました。この場所は旧岡山臨港鉄道本社の跡地だそうです。

f:id:momotchi_blog:20200517193732j:plain岡山臨港倉庫運輸入口に保存展示されている102型ディーゼル機関車です。

f:id:momotchi_blog:20200517193705j:plain機関部側からです。

f:id:momotchi_blog:20200517194441j:plain「汽車会社 昭和27年製造 製造番号22」の銘板があります。何とこの機関車の製造会社「汽車会社」は岡山のこの付近に工場があったそうです。もしかしてこの機関車はMade in Okayama?と思い帰宅後調べてみましたが、残念ながら岡山工場は1950年(昭和25年)に閉鎖されているので違っていたようです。

f:id:momotchi_blog:20200526084923j:plain旧岡南元町駅付近の現在の様子です。跡地は住宅地(市道右側)になっています。路線は市道沿いに現在の住宅地の中を延びていたようです。これからちどり保育園に移動します。

f:id:momotchi_blog:20200517193815j:plainちどり保育園に到着しました。園庭脇に置かれているキハ7003型気動車です。

f:id:momotchi_blog:20200517194514j:plain運行は1両の単独走行なので右側が運転席ですが、この運転席スペースでは運転がしにくかったのではないでしょうか?

f:id:momotchi_blog:20200517193836j:plain現在は保育園の図書室として園児たちが利用しているようです。とても夢があって羨ましいです!

距離標を探しに岡山港に移動します。

f:id:momotchi_blog:20200517193900j:plain岡山港の最南端にある旧岡山港駅付近です。この橋(当時は鉄橋)の先が終点の岡山港駅だったようです。何と!橋の右側に・・・。

f:id:momotchi_blog:20200517193942j:plain難なく発見‼️  8kpの距離標がありました。

旧新保駅のモニュメントや距離標などで昔鉄道が走っていたのだと感じることができますが、遺構の多くは道路や住宅に取り込まれてしまい歴史の中に消え去ってしまいそうです。

岡山県南部の平野部の多くは干拓で開けた土地で、1910年(明治43年)6月に開業した岡山と宇野とを結ぶ宇野線は当時の海岸線に沿って大元駅からは大きく西方向に迂回しているため、児島湾締切堤防を経由して四国への短絡路線として優等列車を走らす計画もあったようですが実現には至りませんでした。その名残で児島湾締切堤防の西側(児島湖側)には鉄道敷設用地が残されていて、現在では自歩道として利用されています。

 

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