真庭郡新庄村にある「凱旋桜」がそろそろ見頃ではないかと思い友人に声かけをしたところ、久しぶりに走りに行こうという話になり蒜山方面へのツーリング行くことになりました。コロナウイルスの影響で行く場所にも気を遣いますが、例年平日であればさほど人も多くなく、ゆったりと鑑賞できるのではないかと思います。
途中国道181号線の真庭市美甘近くにある1本桜です。今までこの桜の満開を見たことが無く、いつも気にはなっていましたが今回も既に葉桜になっています。また時期を逸したかと思いつつ、凱旋桜は大丈夫なのかと少し不安になりました。
国道181号線を美甘方面に少し進んだところにある「首切トンネルの桜」は満開です。トンネル脇の斜面を埋め尽くすように沢山の桜が華やかに咲き誇っています。
が・・・、「首切トンネル」という名前にはかなりのインパクトを感じます。
ちなみに、香川県の高松市からまんのう町へ抜ける県道17号線にも「首切峠」という所があります。走りやすい道なのでまんのう町へうどんを食べに行く際にはよく利用していましたが、まんのう町の友人から聞いた話によると、この地を治めていた造田備中守と長宗我部氏との戦で、造田城が落城し多くの家臣たちがこの場所で首を切って自害したことから「首切峠」と呼ばれるようになったということでした。
きっとこの場所も同じような言い伝えがあるのかも知れません。
「道の駅 がいせん桜 新庄宿」に到着しました。思っていた以上に車が多いようです。マスクを着用しここからは徒歩での散策になります。
人の数はそれ程多くなくゆっくりと散策できそうです。
「歩いてみたくなる道 夢街道」という案内柱がありました。「凱旋桜」は日露戦争の戦勝の記念として1905年(明治38年)に、御幸橋から町尻までの200間(360m)にわたり3間(5.4m)間隔で137本の桜を植樹したそうです。
旧出雲街道の街並みに沿って歩いて行きます。ここから少し先にある四十曲峠は「東の箱根、西の四十曲」と謳われた難所だったようで、その麓のある新庄宿は参勤交代の時代には宿場町として栄え、また古くは後醍醐天皇や後鳥羽上皇が隠岐に流されるときに立ち寄られたところとも言われているそうです。
見事に満開です!
132本の桜並木には樹齢100年を超えると言われている古木もあるそうです。
「脇本陣木代《きしろ》邸」です。江戸時代末期の代表的な建物だそうで、現在でも入口の柱には"馬つなぎの環"などが残されています。
街道の両側には水路があり、その水の音色は「日本の音風景百選」にも選ばれているそうです。
参勤交代の時代、松江藩(雲州《うんしゅう》藩)指定のお茶屋として利用されていた「雲州侯本陣」の佐藤邸です。
ちなみに、雲州藩は徳川家の流れをくむ越前松平家の分家に当たりる松江藩のことで、家紋は少し古いですが水戸黄門でおなじみの "葵の紋" です。松平家指定の本陣や脇本陣であることから "葵の紋" の門提灯が吊されているようです。
なまこ壁と桜とのコラボレーション。
1757年(宝暦7年)頃からは本陣としても利用されたそうです。建物は明治時代後期のものだそうですが、細い格子は繊細で優雅、なまこ壁などと相まって風格が感じられました。
御幸橋から見た桜並木です。桜が咲き誇り、歴史的な建物群を優雅に彩っています。
江戸の風情と昭和の香りを感じながら、来た道を折り返します。
まるでタイムスリップしたかのような街並み風景です。
真庭郡新庄村は岡山県の西北端にある人口1,000人弱の小さな山村ですが、何か懐かしさや、ふるさとの香りのようなものを感じることができました。
新庄村は「日本で最も美しい村」にも認定され、日本で三つの百選にも選ばれた「三百選の里」でもあるそうです。
駐車場まで戻り、蒜山を目指します。
※「三百選の里」とは、「日本の音風景百選」(環境省)、「かおり風景百選」(環境省)、「水源の森百選」(林野庁《農水省》)の三つの百選に選定されていることのようです。
国道181号線から分かれ県道58号線を北上し野戸呂トンネルを抜けると大山が見えてきました。ヤドリギ(寄生木)と大山です。
少し先に桜がありました。
桜越しに見る大山です。
茅部《かやべ》神社(真庭市蒜山西茅部)に到着しました。この場所は昨日のNHKのローカルニュースで満開との情報、映像では桜と蒜山の山々の景色がとても素晴らしかったので立ち寄ってみました。
初めての訪問です。まずは神社に参拝です。
茅部神社の参道脇には沢山の桜が満開です。
参道沿いの桜並木と蒜山三座です。
茅部神社の駐車場にある展望台から見た蒜山三座です。天候も良く桜と蒜山とのコラボレーションは最高でした。
「凱旋桜」や「茅部神社の桜」をしっかりと満喫したので、これから遅い昼食で「ひるぜん焼そば」を食べに行きます!
続きは「蒜山焼きそばと森林公園」で!