カキオコと赤穂城址散策

職場の友人と話をしていて久しぶりにツーリングがてらカキオでも食べに行ってみようという話になり、いつもの三人の日程を調整し2月13日に決定しました。

しかし、前々日から天気予報をみていると当日は生憎の悪天候、私と一人の友人は勤務シフトが同じで翌日も休みなので14日に変更しても支障はありませんが、もう一人の友人は13日に日程を合わせて調整してくれています。

連絡してみると、再調整してみますとのメールが届き、しばらくして何とか調整できました! とメールが戻ってきました。

待ち合わせは10時に岡山市中区にある国道2号線の倉田交差点です。
少し早いですが自宅を9時25分ごろ出発しました。

 

待ち合わせ場所には9時40分に到着、しばらくすると友人たちもやってきました。

しかし……

 

今回もインカムが上手く繋がらず、悪戦苦闘すること20分あまり……

何とか通話が可能になりました。

 

10時15分出発です。国道2号線を走り岡山ブルーライン経由で日生に向かいます。

今日カキオコをいただく「もりした」は11時開店なので、時間的には丁度いい時間に到着しそうです。

インカムで話をしながら走っていると「五味の市」に寄ってみようという話なり、先に立寄ってみることにしました。

 

11時前に「五味の市」(備前市日生町日生)に到着しました。

 

「五味の市」は日生町漁業協同組合が運営する観光魚市場で、並んだ魚介類を前に漁師のおかみさんたちの威勢のいい掛け声が響きます。

中に入ってみます。

 

牡蠣シーズン本番なのに、平日のためなのかコロナの影響なのか、開いている店はごくわずかです。

しかし今年の牡蠣は平年の1.5~2倍ほどと、値段が少し高いような気がします。

 

五味の市では「かきめし」や……

 

「カキの佃煮」なども販売されています。

美味しそ~!

友人は今夜のビールの肴にと購入していました。

 

「五味の市」から数分で、今日カキオコをいただく「もりした」(備前市日生町日生)に到着しました。

 

入口は以前何か営業されていた店舗の隣にあります。

入口脇には「カキオコ‼ 食べてび~っくり 四ツの味」と書かれたものがありました。

四つの味って…… 気になります……

 

四人のスタッフの方々が手際よく次から次にカキオコを焼き上げています。

店内は満席で、入口付近の待ち席も一杯なので立たれて待たれている方もおられます。

店内にはカウンター席とテーブル席がありましたが、食べるのはカウンター席だけのようで、テーブル席は待ち席になっていました。

 

鉄板の上で流れ作業のように次々にカキオコが焼かれています。

その動きは職人技で、見ていて楽しくなります。

 

メニューです。

カキオコの大盛や各種トッピング、他にもカキ入りの焼きそばや焼うどんもあるようです。

 

生地とキャベツが合わさったものが鉄板に乗せられます。

 

隣ではカキが焼かれています。

 

カキがこんがりと美味しそうに焼けています。

 

焼いたカキが乗せられ、その上に豚肉も乗せられました。私の知る限り日生のカキオコには豚肉は使っていないと思いますが……

後で大将から伺った話によると、豚肉を入れることで甘みが増し、カキオコの旨味も増すそうですが、カキを一度焼き豚肉を入れるので他店よりも焼き上がりに時間がかかるそうです。

 

裏返したカキオコの周囲にスゥ~と生地をかけています。

 

その生地で周囲を綺麗に形成されているようです。

カキオコが三つ、順番的にも私たちのカキオコのようです。

 

待つこと1時間弱、やっとカウンターの席に案内されました。

焼きあがるまでもう少し時間がかかるようなので大将と話をしていると、元々はブック店を営んでいたそうですが、20年ほど前にブック店の一部にお好み焼き店を開店したのが始まりだそうで、その後ブック店を辞められお好み焼きの専門店にされたそうです。

ちなみに……

スタート時には「浜屋 みっちゃん」と一緒にカキオコを始められたそうです。隣の建物は当時のブック店の跡で、カキオコ店の店舗登録も「ブックショップもりした」(正確には覚えていませんが)なんですよと大将が話されていました。

 

綺麗な形になりました。

 

島風と関西風の間の子のような感じで、手間暇かけて焼き上げた一品です。

 

焼かれたカキオコは半分に割られ、片方に醤油が塗られたものが私の前に出されました。

このカキオコを自分で半分に切って、まずはそのまま食べてみてくださいと言われ切分けます。

 

取り皿に乗せ、言われたとおりそのままいただいてみます。

醤油仕立てのお好み焼きは初めてでしたが、醬油味はシンプルで牡蠣の味わいが引き立つような感じがしました。

大将曰く、店を手伝ってくれている娘さんが、ソースのお好み焼が食べれず醤油仕立てであれば食べることができたのが醤油仕立ての始まりだそうです。

 

残り半分には山椒をかけていただくそうです。

旨い!

醤油と山椒がカキオコにこんなに合うとは……

 

食べ終わると、次は普通? のカキオコが私の前に出されました。

食べる順番は薄味から濃い味にしているそうです。

確かに、この食べ方だとテーブル席では無理で、鉄板の前でしかいただけません。

 

やはり半分に切り分け、最初はそのままいただくそうです。口の中の山椒の味を一度リセットする意味もあるようです。

 

最後は一味をかけていただくそうです。

通常の一味の量では一味を感じないそうで、通常の二割増ぐらいをかけるといいようです。

すべて完食、とても美味しくいただき四つの味をしっかりと堪能することができました。

ごちそうさまでした!

 

カキが盛られたカキオコの写真を撮っていると、大将から写真を撮るならこれをと勧められました。

カキオコのカキが増量の大盛です。

カキが山のように盛り上がっていて食べ応えがありそうです。

店内の待ち席は相変わらず一杯で、立たれて待たれている方もいます。

大将に、いつもこんなに多いのですかと伺うと、特に火曜日は多いそうで、金曜日が割と空いていますよと教示いただきました。次回は金曜日に訪れてみたいと思います。

 

外にでると沢山の方が待たれています。これから1時間~1時間半は待たなければならないと思いますが、美味しいカキオコが待っていますよ!

この後、兵庫県赤穂市に向かいます。

 

国道250号線を走り兵庫県赤穂市に入ります。

 

赤穂市福浦地区です。この福浦地区は1963年(昭和38年)に当時の岡山県和気郡日生町から兵庫県赤穂市へ越県分離した地域で、現在でも電力供給は関西電力でなく中国電力から供給されているそうです。

赤穂市に訪れた第一の目的は「赤穂市のお店を応援しよう!」キャンペーンを利用するためです。このキャンペーンはPayPayで20%ポイントバックされるので、この機会にタバコの買いだめをしておきます。

 

コンビニを数軒回りタバコを購入後やってきたのは赤穂城址(兵庫県赤穂市上仮屋)です。

後方に二層の大手隅櫓が見えています。

 

駐車場にバイクを置き大手門の高麗門から入城します。

 

大石内蔵助(良雄)宅跡の大石邸長屋門です。

 

大石内蔵助の屋敷は1729年(享保14年)に焼失した後も再建されず、この門は復元されたものだそうです。

 

大石神社にやってきました。

参道には赤穂義士47名の石像が並んでいます。

この神社は忠臣蔵で有名な大石内蔵助の名前が付けられた神社で、大石内蔵助はじめ赤穂義士四十七名などが祀られています。

 

参道を進み神門までやってきました。

神門脇には大石内蔵助大石主税の像がありました。

 

大石内蔵助像です。

 

本殿に向かいます。

当時は江戸幕府の手前表立って顕彰することはできなかったようで、紆余曲折を経て1912年(大正元年)にやっと社殿が創建されたそうです。

 

参拝します。

 

本殿脇には 「義士宝物殿 」があります。以前入館しましたが、大石内蔵助が所持していた備前長船清光や肖像掛軸、義士所縁の品々が展示されていました。

赤穂城址に向かいます。

 

三の丸西隅櫓台が見えています。

 

発掘調査が行われているようで、説明をされていたので立ち止り少し話を伺いました。

この辺りが赤穂城の防備の要である二の丸門跡だそうです。

当時の地面は担当者の膝付近だったそうで、1892年(明治25年)の千種川洪水時の土砂などで現在の高さになったようで、当時の災害復旧や流路変更のために石垣などが使用されたため門の礎石などは残っていないそうです。

 

本丸門までやってきました。

 

本丸門脇に広がる堀です。

 

本丸門は長方形の内枡形を備え、一の門である櫓門と二の門である高麗門の二つの門で構成されています。

 

本丸に入るとサザンカ越しに天守台が見えています。

 

天守台まで上がってきました。

天守台はあるももの、諸事情により築城時から天守は作られなかったそうです。

本丸御殿跡には表御殿や奥御殿などの間取りが地面に示されています。

 

浅野家時代には厩口門、森家時代には台所門と呼ばれていた本丸の三つの門の一つです。

廃城後に撤去された後、県立赤穂高等学校の通用門として使用され、学校の移転後2001年(平成13年)に、門、橋、土塀、周辺の石垣などが復元されたようです。

 

大手門の高麗門まで戻ってきました。

高麗門近くにある、巴屋(赤穂市上仮屋南)に立ち寄り土産物を購入しました。

 

出発前に記念撮影です。

国道250号線から岡山ブルーラインを走り岡山市内まで戻り、それぞれ帰路に就きました。

 

巴屋のくるみ塩味もなか「三福」です。

試食して美味しかったのでつい買ってしまいました。

 

6個入りで1,000円でした。

 

赤穂の塩を使った白餡に香ばしいくるみが入っていて シャリシャリとした食感でした。

今日は天候にも恵まれ最高のツーリング日和で、美味しいカキオコをいただいたり、大石神社や赤穂城址もしっかりと楽しむことができました。

またツーリング計画を考え、機会を作って走ってみたいと思います。

 

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夏日の極上水と食源の里 祥華でランチ

以前汲んで帰っていた湧水が全く無くなってしまいました。私は今夜夜勤ですが妻と休みが合う日はまだかなり先になります。
その間美味しい水が飲めないのも困るので、早い時間に自宅を出発し新見市大佐町にある天然の湧水「夏日の極上水」を汲みに出掛けることにしました。
せっかく新見まで行くのですから、美味しいランチをもいただくことにして、新見市哲多町にある「食源の里 祥華」に立ち寄ることにしました。
帰宅後、仕事に出るまで自宅でゆっくりと過ごすことにします。

 

倉敷市街地を抜け高梁川沿いに走っていると、雲が山を越え高梁川に流れ込んでいる素晴らしい景色が見えました。

いつものとおり、最短コースで真庭市北房を経由するつもりで走っていましたが、昨日の雨で路面が濡れていて一部凍結していたのか一瞬車輪が空転しスリップランプが点灯しました。
外気温は-1℃、スタットレスタイヤは履いていますがこの先さらに山間部に入ると気温も下がり、通行量も少なくなると凍結の恐れも考えられるため、20kmほど後戻りすることになりますが通行量の多い国道180号線に迂回することにしました。

 

北房の手前から国道313号線を下り高梁市街地の北で国道180号線に合流しました。
新見市街地で国道180号線から県道に乗換え走っていると少しずつ周囲が雪景色に変わってきましたが、路面に積雪や凍結はなくスムーズに走ることができています。

新見市大佐上刑部です。「⇦ 夏日の極上水」の案内板を左折し県道から市道に入ります。

 

市道に入ると路面に少しずつ雪が目立つようになり、小さな集落を抜けると通行量が少ないためか路面の雪の量が一気に増えました。

 

市営バスの「夏日」BSがあり、夏目集落は左の坂を上った付近です。この交差点から先は緑資源幹線林道になりますが、林道区間の除雪はされていなく、車が走った痕跡はないようです。

 

「夏日の極上水」に到着しました。

ここまでは幾つかの轍が残っていますが、さすがにこの先には轍はないようです。

 

持ってきた容器にしっかりと汲みます。

容器を車まで運ぶのに道路の雪で足元が滑りそうです。

 

湧水を汲み刑部市街地まで下りてきました。

ランチの予約時間までにはまだ早いので「小坂部方谷園」に立寄ってみることにしました。

 

「小坂部方谷園」(新見市大佐小坂部)です。

ここは山田方谷最期の私塾「小坂部塾跡」があり、「方谷山田先生遺蹟碑」と記された石碑があります。

地元では山田方谷大河ドラマにと盛り上がっているようで、  岡山県知事や高梁、新見市長らがNHK本社(東京)を訪問し、大河ドラマ化の要望もされたようです。
岡山県人として、大河ドラマ化を応援したいと思います。

山田方谷について……
山田方谷は1805年(文化2年)に備中松山藩領の西方村、現在の高梁市中井町西方に生まれ、1877年(明治10年)までの江戸時代末期から明治時代初期を生きた備中松山藩士の漢学者です。
「至誠惻怛」《しせいそくだつ》という有名な言葉や、破綻した備中松山藩の藩政改革を断行し見事に建て直したことでも有名で、藩主板倉勝静が幕府の老中職の時にはそのプレーンとして幕政にも関与していたようです。
また藩校の有終館や方谷の私塾、1873年明治6年)に再興した閑谷学校でも教鞭を執り多くの子弟を育て上げた偉大な人物だったと、以前「山田方谷記念館」(新見市大佐小南、入館料400円)に訪れた際館長からご教示いただきました。

 

題字は勝安房勝海舟)によるものです。

以前訪れた際には逆光で文字が上手く撮影することができませんでしたが、今回は順光で綺麗に撮影することができました。

まだ少し早いですが、新見市街地に向かいます。

 

大佐山が綺麗に見えています。

 

新見市街地の南にある「あしん広場」(新見市正田)にやってきました。 ここはJA晴れの国岡山の施設で、千屋牛がいただける「焼肉レストラン千屋牛」や農産物の産直所の「ふれあい市場」、「特産館」などがあります。

 

本場千屋牛が沢山並べられています。

 

イノシシの肉や加工品もありました。

色々と見て回り、千屋牛、ヒメノモチ、野菜など沢山購入しました。

まだ少し早いですが、ランチをいただく「食源の里 祥華」に向かいます。

 

「食源の里 祥華」(新見市哲多町宮河内)に到着しました。

 

駐車場から店内に向かいます。

 

暖簾をくぐります。

予約していたのですぐに席に案内していただきました。

 

席に座るとお茶が出てきました。

「大佐の神郷源茶」というとても美味しいお茶です。

 

お茶の説明も置かれていました。

 

雑穀米の入った一人用の釜が出て来て、スタッフの方が火をつけてくださいました。

しばらくするとモコモコと湯気が上がり始めました。

 

私がオーダーしたのはいつもの「薬膳御膳」(1,650円)です。

 

雑穀米が炊き上がるまで少し時間がかかるので、山菜蕎麦をいただきます。

 

妻は千屋牛が食べたいと「千屋牛炙り焼き ローストビーフ重」(2,750円)をオーダーしました。

 

美味しそうなローストビーフが並んでいます。

千屋牛A5ランクを使用したちょっと贅沢なローストビーフです。

 

私も一口味見させてもらいましたが、5ランクの霜降りはさすがです。 上質な霜降りが、とろけるような千屋牛の食感を生み出します。ワサビとの相性もよくとてもジューシー、とろけるような旨みを感じ、タレの旨味と相まってご飯が進みます。

ローストビーフ好きの妻は大満足でした。

 

今日の前菜三種は、山きくらげの酢の物、ハスの実、キンシサイが小鉢に盛られていました。

 

今日の薬草の天ぷらは、ヤーコン、むかご、ユキノシタ、発芽ニンニク、キクイモです。私は天汁は使わず、塩派なので塩をかけてそのままいただきます。

 

雑穀米が炊き上がったよです。


妻が茶碗によそってくれました。

 

白きくらげは酢味噌をつけていただきます。

白きくらげは白っぽい半透明な色合いで味や香癖がなく、コリコリとした食感です。

 

アロエデザートには、クコの実、マツの実、ナツメが入っています。

 

ライン友達に登録するとコーヒーのサービスがあったので、さっそく登録して食後のコーヒーをいただきました。

今回もとても美味しくいただくことができ大満足です。

しかし、以外にも(少し失礼かな……)ここの千屋牛はとても美味しく驚きました。

帰宅後ホームページを見ていると、グループ会社に「焼肉ステーキ 牛弘」という千屋牛の店舗もあり、やはり専門店を構えるだけあってか千屋牛の味も納得です。

また機会を作って「焼肉ステーキ 牛弘」にも立ち寄ってみたいと思います。

 

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常山城址散策

1年ほど前にバッテリーが上がり、充電してもすぐに上がってしまうのでバッテリーを交換をしていますが、昨年の秋以降あまり乗っていないので心配になり、久しぶりにセルを回すと快調にエンジンがかかったので一安心です。

今日は天候もよく気温も14℃ほどあったので近回りを少し走ってみることにしました。

さて、どこに行こうかと考え、昨日海上から見えた常山《つねやま》に出かけてみることにしました。

 

常山の登山口に到着です。

登山口には「常山公園」の石碑がありました。

 

反対側には「常山城址 ←登山口」の看板も見えています。

 

二合目付近を通過中です。桜のシーズンになるとこの付近一帯がピンクに色付きます。

 

歩いて登る登山道です。入口には杖が設置されていました。

 

七合目付近にある「千人岩」に到着しました。

「千人岩」は駐車場から少し下に降ったところにあるので歩いて行ってみることにします。

 

階段はかなり傷んでいて、落ち葉も積もっていて足が少し滑りますが、気を付けてゆっくりと下ります。

 

「千人岩」に到着しました。ここは「常山城合戦」の時、城方の退路を遮断するために毛利軍と小早川軍の1,000人が配されたと云わっている場所です。

さらに進んでみます。

 

先端まできたようです。このスペースに1,000人? って感じの広さで、ここから先は尾根伝いに下っていくようです。

撮影を終え、バイクまで戻ります。

 

九合目付近にある「底無井戸」と「惣門丸跡」に向かう広場に到着しました。

車が二台ほど駐車できるスペースがあります。今回はここから歩いて「底無井戸」まで行ってみます。

 

真直ぐ進めば「惣門丸跡」、左に下れば「底無井戸」を経由し下山できます。

この分岐部を左へ下ります。

 

底無井戸に到着しました。

前回見た時には屋根は取り壊されていましたが、綺麗に修復されていました。

 

囲いの中の底無井戸の様子です。

揚水ポンプが設置されています。

 

バイクに戻り、山頂付近の栂尾二の丸跡までやってきました。

昔はこの広場には建物が並んでいましたが、現在ではその建物もなく閑散としています。また北側の栂尾丸跡には、NTTの無線中継所の鉄塔がありましたが、つい最近撤去されています。

 

f:id:momotchi_blog:20200326182639j:plain階段脇には常山城の説明と城内の配置図の案内板が設置されています。  

常山城の位置する「児島」は当時瀬戸内海に浮かぶ島の一つでした。その児島のほぼ中央に位置し、北側には吉備の穴海、南側には備讃瀬戸やその島々、さらに四国まで展望出来ることから備前本土との海峡や備讃瀬戸を監視出来る重要拠点であり城の立地条件としては最適だったようです。

 

階段を上り、坂道を上り、進みます。

 

北二の丸跡までやってきました。

ここには「常山城女軍の戦い」で悲惨な最後を遂げた鶴姫と34人の侍女(女軍)、城主上野隆徳や親族の墓石と墓碑があります。

 

北側にはベンチ越しには児島湾干拓地が見えています。

 

ベンチ付近まで近付くと「岡山市サウスヴィレッジ」や、その手前にサッカー場やテニスコートなどを備えた運動公園「灘崎総合公園」が見えています。

 

先に進みます。

 

山頂に到着しました。

ここが本丸跡です。桜の木々や展望台があり、中央の少し右側には三角点があります。

 

本丸跡には「城主上野隆徳公碑」があります。

 

その脇には上野隆徳が腹を切ったと伝わる「腹切岩」がありました。

 

南側にはベンチがあり、山々の先には瀬戸内海の展望が開けています。

 

展望台に上ってみます。

 

北方向の展望です。

右側に児島半島で一番の高さを誇る「金甲山」(標高403m)、児島湾干拓地の中央を鴨川がクランクしながら流れその先には児島湖が広がり、素晴らしい展望が楽しめます。かつては見渡せるほぼ全ての平野が「瀬戸の穴海」という海でした。

 

金甲山山頂には沢山の電波塔が立ち並んでいます。

 

金甲山の左側には児島湾干拓の要となる「児島湾締切堤防」が見えています。

この締切堤防により誕生した「児島湖」は広さ10.88㎢、最大水深9mとダム湖を除いた人造湖としてはオランダのアイセル湖に次ぐ世界で2番目の広さを誇る湖だそうです。

ちなみに、この児島湾締切堤防は1951年(昭和26年)から「国営児島湾沿岸農業水利事業」として施工され、1959年(昭和34年)に完成し有料道路として共用され1974年(昭和49年)には無料化され現在に至っています。

全長1,558mの締切堤防で児島湾を締切り、難工事の末に新たに淡水湖の「児島湖」が誕生し、それまで大きな課題であった干拓地の水不足や塩害、浸水などの諸問題も解決することができました。

当初の計画では岡山と玉野市宇野を結ぶ宇野線の短絡路線としてこの締切堤防に鉄道を通す計画で、幅も30mと広く設計されていたようです。岡山側の築港までは1951年(昭和26年)に瀬戸大橋線大元駅から「岡山臨港鉄道」が開通していましたが1984年(昭和59年)に廃線になっています。

現在でも道路の西側(児島湖側)には鉄道用地がそのまま残されていて一部は原自歩道として利用されています。

 

北東方向の展望です。児島湾大橋と新岡山港が見えます。橋の陰になりますが岡山港には小豆島行のフェリーボートが停泊しています。

この船は2017年に公開された佐藤健、土屋太鳳主演の映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」で佐藤健北村一輝が岡山港から小豆島に移動するシーンや土屋太鳳が一人で小豆島に行くシーンのロケに使用されました。

 

カメラをズームアップすると岡山市街地が見えます。以前何かと話題になった岡山理科大学が山の麓付近に見え、その後方にはかつて「金山休暇村」のあった岡山市の最高峰「金山」(標高499m)が見えます。この岡山市街地の大半もかつては海でした。

 

常山の麓を走る宇野線を列車が通過していきました。

 

南南東方向には瀬戸内海越しに高松市街地を望むことができます。

少し霞んでいますが、四国で一番の高さを誇る高松シンボルタワー(151.3m)や高松市街地が見渡せます。

 

高松市街地の少し東にはキャペリンハット(女性用のツバ広の帽子)の様な「五剣山」(八栗さん)も見えています。

 

南西方向には昨日釣りを楽しんだ瀬戸大橋の南北備讃瀬戸大橋が見えます。

 

本丸から南側に少し下ります。

そのまま東へ下ると「惣門丸跡」に行くことができますが、私は西に向かいます。

 

本丸の西側下には石仏や当時の本丸の石垣が残っています。

 

往時を偲ばせる見事な石垣です。

 

駐車場まで戻ってきました。

北側の栂尾丸跡はNTTの無線中継所の建物や無線塔がなくなり少し寂しく思えます。

栂尾丸跡に行ってみます。

 

栂尾丸跡にあった建物や無線塔は撤去され更地になり、その後に桜の木が植えてありました。

この後下山し帰宅します。

今日は天気もよく気温も14℃ほどあったようで、さすがに歩くと少し汗ばみましたが、久しぶりの常山をしっかりと楽しむことができました。また桜の咲く頃に訪れてみたいと思います。

 

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舟釣り&瀬戸大橋etc.

久しぶりの釣りですが、今回は瀬戸大橋の話もふんだんに……

職場の友人が瀬戸大橋付近でタイやヒラメなどがバカ釣れしているというので、遊漁船のHPを見てみると確かにかなりの釣果があがっているようです。早速友人が電話で予約、久しぶりの釣りなのでとても楽しみにしていました。

しかし……

前日の出船の連絡時に、最近近場では釣果がよくないので少し足を伸ばし、小豆島方面まで行ってみたいですがと言われたそうです。少し料金は高くなりますが、やはり釣れる可能性が高いほうがいいに決まっています。

久しぶりの釣りに子どもの遠足の前夜の如く、なかなか眠ることができず、朝もかなり早くに目覚めてしまい多少寝不足気味で出掛けます。

 

潮の関係で出船は7時、6時30分に乗船場所で待ち合わせですが、6時15分には着いてしまいました。

しかし、港への入口ゲートは閉まっていてその前で待つていると、友人が来て入口が違うと案内してくれました。

 

6時30分港に到着、今回お世話になるのは「なかぴ丸」(倉敷市大畠)です。

既に出船の準備はできているようなので、手続きや行先の最終打ち合わせをします。

定員は6名だそうですが今日は私たち二人の貸切だそうです。船長と話しをして、行先は小豆島、料金は通常の8,000円に一人1,500円プラスの9,500円、移動時間は1時間半弱、多少風が出るので帰りは波を被るかもしれないとのことでした。

多少荒れても釣果が期待できる方がいいとので、小豆島でお願いしました。

準備を終え乗船します。

 

6時50分、大畠港を出港し一路小豆島を目指します。

 

20分ほど走ると、前方に朝日が昇り始めていました。

 

女木島と男木島の間を抜け、大島沖を通過中です。児島からここまで40分ほどなのでソコソコ足の早い船のようです。

 

特徴的な形をした山の五剣山(八栗さん)が見えています。

 

兜島と五剣山……

 

小豆島の最南端にある地蔵崎灯台が見えてきました。

 

二十四の瞳の舞台となった「岬の分教場」のある内海湾を横切り、小豆島の南東部にある大角鼻灯台を通過します。

 

8時20分、今日釣りをする大角鼻灯台の東側にある風ノ子島に到着しました。

既に沢山の遊漁船がきて釣りをされています。

 

今日使用する60gのタイラバです。

サビキとタイラバの両方の仕掛けを準備していましたが、魚探を見ていた船長からタイラバの方がいいとアドバイスがありました。

 

早速釣り糸を垂らします。

 

釣り始めて10分ほどで、友人が40cmほどのタイを釣り上げました。

幸先がいいようで、私も負けずに頑張ります。

30分ほどして再び友人が30cmほどのアコウを釣り上げました。

私も負けていられません。

が……

その後全く釣れる気配がなく、9時30分ごろ場所を移動することになりました。

 

少し走って内海湾にやってきました。

小豆島町の市街地の奥の山が星ヶ城かな、などと思いながら釣り糸を垂らしますが、全くアタリはありません。

11時40分、船長から下津井沖で釣ってみますかと言われ、戻ることにしました。

 

小豆島を後にします。

 

五剣山(左)と屋島(右)沖を走っています。

 

男木島港が見えてきました。港には高松港との定期船「めおん」が停泊していました。

 

男木島の家々は、うろこ状に連なっているように見えます。

 

少し霞んでいますが高松市街地も見えています。

 

前方に大鎚島が見えてきました。

 

瀬戸内海航路には大型の客船やフェリーが行き交います。

 

北に大鎚島……

 

少しすると、南側の小槌島を通過します。

 

前方に瀬戸大橋が見えてきました。

 

北備讃瀬戸大橋の中間にあるアンカレッジと、第3ピア(3番目の主塔)が見えます。第3ピアの袂には三つ子島の一部が残っています。

 

北備讃瀬戸大橋と与島……

 

南備讃瀬戸大橋の下をくぐります。

 

南備讃瀬戸大橋の下をくぐり、西側にでてきました。アンカレッジの道路面は海上から93mになるようで、瀬戸中央道には「瀬戸大橋の最高地点 海面上93m」の案内板が設置されています。

 

南備讃瀬戸大橋と番の州高架橋、左には番の州工業地帯が見えています。

この付近で釣りを始めました。

コツ コツ コツ ついに当たりがきました。

グッと乗ってきたので、合わせをいれると、かなりの大物の感触です。

が……

その後、一気に軽くなってしまいました。

巻き上げてみるとリーダーが切れていました……

昨年タイラバで使用して以降、交換していなかったためだったのでしょう……

 

その後、アタリもでないので場所を移動します。

 

与島の横を抜け、瀬戸大橋の西側で釣りを始めました。手前の橋が与島橋で、左奥に見えているのが櫃石島橋と岩黒橋です。

しかし、全くアタリがなく、数回流して移動します。

 

手前が岩黒島橋、左側が櫃石島橋という双子の斜張橋です。ピアは日本的なイメージの鼓を意識したデザインで、世界最大級の道路鉄道併用橋です。

ピア内部にはちょっと変わったエレベーターがあり、形状に合わせて斜めに上がっていきます。橋梁点検用のエレベーターなので通常乗ることができないのが残念ですが……

 

南には岩黒島橋と与島、その先に南北備讃瀬戸大橋も見えています。

 

櫃石島橋の西側で釣りを始めました。斜張橋の中央にある島は岩黒島です。

一隻釣りをされているようですが、釣果はどうなのでしょうか?

 

水島群島の先には水島工業地帯が見えています。

相変わらず、アタリは全くありません……

 

少し西に移動します。

 

白鳥が羽をひろげたような形状は斜張橋ならではの美しさです。

 

櫃石島橋の下付近まで何度が流しましたが、全くアタリがありません。

 

与島橋付近に戻ってきました。

 

釣り糸を垂らします。

ロケーションは最高なのですが……

 

与島橋をマリンライナーが走り抜けていきます。

何本か通過する列車を眺めながら釣り糸を垂らしますが、釣れる気配は全くありません……

 

与島橋をくぐり場所を移動します。

この付近はかなり波立っていて、潮流は激しいようです。

 

羽佐島の東側にやってきました。

 

岩黒島橋、岩黒島、その先に櫃石島橋、櫃石島、下津井瀬戸大橋のピアが見えています。

なかなか魚は釣れませんが、瀬戸大橋の展望は最高です。

 

さらに東に進むと、岡山県香川県の県境となる下津井瀬戸大橋が綺麗に見えてきました。

 

船は小与島付近にやってきました。昔営業されていて今は廃墟になったホテルが見えています。

この辺りで流してみるそうです。

 

早速、釣り糸を垂らします。

東方向には大鎚島が見えています。

 

室木島の先に常山が見えています。

常山の山頂にはかつて赤い鉄塔やNTTの船舶電話用の電波塔など重要な鉄塔が立ち並んでいましたが、現在は撤去され鉄塔は一つだけになっています。

 

しばらく流しましたが、アタリは全くなく切り上げることになりました。

大畠港を目指し帰路に就きます。

 

岩黒島に降りるループランプが見えています。

このランプは島民専用のため、一般車両は通行することができません。

ランプが四国向きの下り線にあるため、島民の方が岡山方面に行く際には、一度下り線で与島まで行って折り返したり、四国から岩黒島に戻る際には櫃石島まで行って折り返す必要があるようです。

 

下津井瀬戸大橋、その先に鷲羽山ハイランドも見えています。

 

右から、櫃石島高架橋、櫃石島橋、岩黒島、岩黒島橋、与島橋、与島、南北備讃瀬戸大橋、その先には讃岐富士こと飯野山も見えています。

 

下津井瀬戸大橋の中間点が、岡山県香川県の県境になります。

右側の岡山県側には標高133mの鷲羽山、その麓には鷲羽山下電ホテルも見えています。

 

大畠港が見えてきました。

 

大畠港に入ります。

結局今日の釣果はタイとアコウの二匹だけでしたが、一日クルージングを楽しめたと考えれば、それもいいように思います。

下船後、船長から今回は通常料金でいいですよと言っていただきました。遠路小豆島まで行っていただき、瀬戸大橋周辺もかなり走っていただいたので、とても恐縮ですが素直にお言葉に甘えさせていただきました。

また釣れている時にリベンジしてみたいと思います。

今日一日お世話になり、ありがとうございました!

 

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世界初に乗車する 高徳線~牟岐線の列車旅

一昨年開業した世界初の「DMV」(Dual Mode Vehicle《デュアル・モード・ビークル》)に乗車してみたいと思い出掛けることにしました。

DMV第三セクター阿佐海岸鉄道の運行する車両で、列車とバスの両方の機能を持った世界初の乗り物です。発案者はJR北海道の開発指揮を担当していた副社長だそうで、幼稚園の送迎バスを見て、多少改造すればそのまま線路を走らせることができるという発想から開発が始まったようです。

バスを鉄道で走れるよう改造された車両、その世界初の乗り物に乗車し、徳島県から高知県に入り、昼食は「道の駅 東洋町」で高知の海の幸をいただきます。

 

妻に自宅近くの駅まで送ってもらいました。

乗車するのは「マリンライナー3号」です。この列車は2両の短い編成でした。

 

高松駅に到着する前に、ホームの手前で一度停車しました。作業員の方が乗車され、乗客が降車する前に既にホームに停車している車両と連結作業が行われるようです。

 

作業員の方が乗車され、連結のためゆっくりと進みます。

 

連結完了。

 

6時56分連結を終えドアが開き下車しました。私は乗り換えのため3番ホームに向かいます。

マリンライナーは連結され2両編成から7両編成になり、折り返し岡山行きマリンライナー10号となるようです。

 

早朝から高松駅は沢山の方々が乗降されています。

 

3番ホームにやってきました。

乗車するのは7時5分発「うずしお3号」徳島行きです。

 

乗車します。

 

座席は1号車の4-D席です。

 

うずしお3号」は7時5分高松駅を発車しました。

 

屋島駅の手前の春日川橋梁を通過時、左車窓に台形をした特徴的な形の屋島が見えてきました。

 

讃岐白鳥駅の手前で、左車窓に白鳥神社の参道が見えてきました。

この白鳥神社の境内には「日本一低い山」といわれる標高3.6mの「御山」があり、昔子どもたちと登山? に訪れ、社務所で登山証明書をいただいたことがあります。

 

讃岐相生駅を通過すると少しずつ登り勾配になり、左車窓に瀬戸内海が開け、瀬戸の島々が見えてきました。

 

香川県から徳島県に入り、鳴門線との分岐駅池谷駅《いけのたに駅》に到着しました。

 

高徳線鳴門線はV字形にホームが分かれていて、中央に駅舎があることから跨線橋を渡って、それぞれのホームに行く必要があります。

 

8時5分に池谷駅を発車すると左右の車窓にハス畑が広がります。

この地域はハスの栽培が盛んで、シーズンになるとハスを道路脇で農家の方が安く販売をされています。

 

吉成駅を通過し、しばらく走ると四国三郎の異称を持つ吉野川を渡ります。

四国三郎」は、「坂東太郎」こと利根川、「筑紫次郎」こと筑後川とともに「三大暴れ川」といわれているそうです。

 

8時15分、徳島駅の2番ホームに到着しました。

徳島駅の駅弁は2016年(平成28年)になくなってしまいました。昔購入し、いただきましたが「阿波尾鶏」? という駅弁だったように記憶しています。

駅弁の内容は覚えていませんが、鶏が阿波踊りを踊るイラストが描かれていたような気がします。

しかし、本当に残念です……

 

到着した「うずしお3号」は折返し8時23分発「うずしお6号」になります。撮影していると隣の3番ホームに「むろと2号」が入線してきました。緑色の旧国鉄色です。

「むろと」は一日に一往復たけ牟岐線徳島駅牟岐駅を走る特急列車です。朝7時に牟岐駅を発車し、8時18分に徳島駅に到着する「むろと2号」と、19時3分に徳島駅を発車する「むろと1号」だけなので、日中は利用することはできません。

一度駅前に出てきました。徳島駅前にも大きなヤシの木が植えられています。

高徳線から牟岐線への連絡が悪く、徳島駅で1時間15分の待ち時間があります。できるなら徳島ラーメンを食べたかったのですが、今の時間はさすがに駅の近くのラーメン店は開いていないようです。地下にある飲食街に行ってみましたが、こちらもオープン前でした。

ホームで列車でも眺めて待とうと改札を抜け入場します。

 

徳島駅JR四国の中で高松駅に次いで乗降客数の多い駅だそうですが、考えてみれば徳島県は全国で唯一「電車」が走っていない県のようです。JR土讃線などの高知県内の路線も全線非電化ですが、土佐電鉄という路面電車が走っていますし……

徳島駅には4番ホームの北側に隣接して車両基地があり、沢山の気動車が入れ代わり立ち代わり出入りしています。色んな気動車が大活躍する様子をホームで見ていると楽しくなります。

 

ホーム端の喫煙場所でモクモクタイムをしていると「ゆうゆうアンパンマンカー」のヘッドマークを付けた車両が3番ホームに入線してきました。

牟岐線の先発なので乗車できるか伺いましたが、団体臨時列車だそうで当日の乗車はできないそうです。

話を伺うと、この列車は「牟岐線沿線魅力再発見ツアー」というJR四国ツアーの企画商品で、DMVの乗車やホテルでのランチなどがセットされていて7,000円だそうです。この商品は今年3月17日にも同じ内容で2回目が実施されるそうなので、参加しようと思えばまだ間に合うかもしれません。

 

3両編成の中間車両にはアンパンマンのキャラクターがデザインされています。

 

発車まで時間があるのでスタッフの方にお願いして車内を撮影させていただきました。

シートや天井にはアンパンマンのキャラクターがいっぱい描かれています。「ゆうゆうアンパンマンカー」はグリーン車両を改造されたもので、シートピッチも広くゆったりと乗車できるようです。

 

ゆうゆうアンパンマンカーの車内はアンパンマンのキャラクターがデザインされたプレイルームもありました。

この列車に乗車し旅する子どもたちの素敵な笑顔が思い浮かびます。

 

9時16分、牟岐線の阿波海南行普通列車が3番ホームに入線してきました。この車両は1両のワンマンカーです。

 

乗車します。

 

10人足らずの方が乗車されました。

列車は9時30分徳島駅を定刻に発車しました。

 

10時13分に阿波中島駅を発車すると、すぐに那賀川橋梁を渡ります。

那賀川下流には王子製紙富岡工場が見えていました。

 

由岐駅の手前で左車窓に綺麗な砂浜が開けてきました。徳島駅を発車後、ほとんど内陸部を走ってきたので、久しぶりの海岸線です。

 

11時2分、日和佐駅に到着しました。

日和佐といえば、四国八十八箇所霊場の第23番札所の薬王寺や、倉科カナ主演で2009年(平成21年)後期で放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「ウェルかめ」の舞台となった場所です。

 

ホームからは日和佐城の天守も見えています。天守は城山という標高65mほどの丘の上にあり優雅な姿を見せていますが、実際の城については山城だったという程度で詳細なことは全く分かっていないそうです。

現在の天守は当時の天守を再現したものではなく、1978年(昭和53年)に日和佐勤労者野外活動施設として建造されたものだそうです。

 

日和佐駅を発車すると、またまた山間部に入ります。牟岐線は海岸線の景色を楽しめるのかと期待していましたが、あまり海岸線を走ることなく、多くが内陸部を走っています。

 

 

11時21分、牟岐駅に到着しました。先に徳島駅を発車した「ゆうゆうアンパンマンカー」が停車していました。

 

牟岐駅を発車すると、また山間部に入った後、再び海が開け浅川湾が見えてきました。

浅川は以前メッキアジを釣りによく訪れたものです。大きなものでも30cmほどまでですが、大小合わせて数はかなり釣れていました。数が釣れるのはいいのですが……

当時は高速道も未完成で高松から車で走り、徳島の友人と合流し出かけていましたが、高松からは5時間近くかかっていたと思います。

来るのはいいのですが、やはり帰りが……

 

徳島駅から2時間ほどで、終着駅の阿波海南駅が見えてきました。

 

JR海南駅阿佐海岸鉄道は簡単に乗り換えができるようです。

 

JR阿波南海駅と阿佐海岸鉄道の駅には立派な駅舎があるようですが、この建物は駅舎ではなく「海陽町海南駅前交流館」だそうです。

海陽町海南駅前交流館の横にはDMVの入口があり、一般車が入れないよう阻止機が設置されています。

 

駅前広場から見たJR阿波海南駅海陽町海南駅前交流館の様子です。

 

海陽町海南駅前交流館には観光案内やベンチ、トイレなどがあり、駅舎の機能も備えているようです。

 

DMVの乗降場所近くにある列車モードとバスモードにモードチェンジする「モードインターチェンジ」です。

 

上りの阿波海南文化村行きDMVが鉄道モードでやってきました。

 

モードチェンジを行うモードインターチェンジに停車……

鉄道モードなので、ゴムタイヤの前輪は浮いた状態です。

 

ラクションが鳴り、モードチェンジが始まりました。車内からは阿波踊りのような軽快なミュージックが聞こえ、鉄道用の金属車輪がボンネット部に収納され始め、それに伴い車体が下がってきています。

 

鉄道車輪が完全にボンネット部に収納され、バスのゴムタイヤが路面に設置し鉄道モードからバスモードにモードチェンジ完了です。

ガイドウェイをゆっくり進みます。

 

上りの乗降場に到着しました。

 

乗客の乗降を終え、バスモードで出発します。阻止機のバーが開き一般道に出ていきました。

走る姿は小型のボンネットバスそのものです。

 

待つこと1時間ほどで阿波文化村で折り返したDMVがやってきました。

 

阻止機の前まで来ると……

 

阻止バーが開き構内へ進入してきます。

 

ドアが開くと、ステップが出てきました。

乗車します。

乗車したのは私と地元の方の二人だけで、車内には他に乗客はおられません。地元の方は予約をされていないようで、乗車時「海部までですが乗ってもいいですか?」と運転手に聞かれてから乗車されていました。

私の予約席は1-B席です。

予約を兼ねて情報収集のため阿佐海岸鉄道に電話で伺った際、この席が一番展望がよくお勧めですと教示いただきました。

阿佐海岸鉄道では予約は受付けてなく、阿佐海岸鉄道のHPから「発車オーライネット」にアクセスして予約するシステムでした。

 

モードチェンジ時に流れるミュージックは阿波踊りではなく、地元高校の生徒が太鼓で軽快なリズムを刻むミュージックだそうです。

12時40分、乗車後モードチェンジを終え発車しました。

鉄道モードで海部川橋梁を渡っています。左には並行する国道55号線の海部大橋が見えています。

 

12時47分、阿波海南駅から7分ほどで次の停車駅海部駅に到着しました。私はこの駅で下車します。

 

下車後DMVは発車しました。

私と一緒に乗車された地元の方も下車されたので、車内には乗客は一人もいない状態です。

阿波海南駅から海部駅までは200円、地元の方は一区間分の200円を支払われて下車されました。当たり前のようですが……

私は400円……

事前予約をした場合宍喰駅までの料金400円が必要になるそうです。事前予約時座席指定をするため、阿波海南駅から海部駅間の一区間の料金設定がないためです。

 

海部駅にはかつて阿佐海岸鉄道で運行されていた気動車のASA-101「しおかぜが号」が停車していました。この車両は自走できるそうですが、ポイント部などで脱線する可能性があり現在の路線では動かすことはできないそうです。

海部駅は1973年(昭和48年)に四国初の高架駅として、当時の国鉄牟岐線の終着駅として開業、その後1992年(平成4年) 海部駅から甲浦駅《かんのうら駅》まで延伸され、第三セクター阿佐海岸鉄道として開業しました。

同時にJRの「特急 うずしお」が甲浦駅まで乗入れを開始、その後「特急 剣山」や「特急 むろと」なども甲浦駅まで乗入れていましたが、2011年には乗入れはなくなりました。

そして2020年(令和2年)に 阿波海南駅から海部駅間がJR牟岐線から阿佐海岸鉄道に移管され、現在の阿波海南駅がJR牟岐線の終着駅になったそうです。

 

山のないトンネル……

トマソントンネルとか純粋トンネルともいわれている町内トンネルです。今回一番気になっていたトンネルです。

かつては小高い丘を抜けていた全長44mほどの短い普通のトンネルでしたが、造成に伴い丘が削られトンネル本体だけが残されたそうです。

トマソンとは、何故そこにあるのか分からない、美しく残存する無用の長物という意味だそうです。

 

町内トンネルを走り抜けるDMV……

 

まもなく海部駅に到着します。

 

鉄道車両DMV、それに町内トンネルとの写真を撮影できたので急いで乗車ホームに向かいます。

本当はASA-101「しおかぜが号」の横を走り抜けるDMVを撮影したかったのですが、時間の都合で今回はお預けです……

 

乗車前に撮影します。

 

12時57分海部駅を発車しました。

鉄道モードで走行中ですが、トンネルがやけに多い路線です。

 

左車窓には海岸が見えています。

 

鉄道区間の終点甲浦駅が見えてきました。

 

甲浦駅のホーム先(出口側)にあるモードインターチェンジで鉄道モードからバスモードにモードチェンジしスロープを降りてきました。

左側に見えているのが下り線の乗降場所で、右側が上り線の乗降場所、高架に見えている建物が旧甲浦駅です。

 

甲浦乗降場に停車後、一般道を走行します。

国道55号に出て走っていると前方に「道の駅 東洋町」が見えてきました。

 

「海の駅 東洋町」に到着、私はここで下車します。

 

観光客の方が乗車されるようです。

 

乗降を終えDMVが終点「道の駅宍喰温泉」に向け発車しました。

 

この「海の駅 東洋町」でお待ちかねの昼食をいただきます。

 

店内には東洋町特産のポンカンが販売されていました。

 

食堂の入口にはメニュー看板がありましたが、私のお目当ては……

 

ここでは陳列されているパックの中から自分の好きなものを選び調理していただけます。

が……

時間が遅かったこともあってか、並んでいる魚の数は少なかったようです。

 

精算を終え食堂の調理場レジへ持っていきます。魚の精算と調理の清算は別だそうです。

 

チョイスいただいたたのはメバチマグロの刺身と目鯛の炙りです。

 

パックの刺身が550円と300円、それに調理代が二品で320円,ごはんが110円、味噌汁が110円の合計で1,390円です。

出来上がるまでテーブルで待ちます。

 

「おまたせしました」とスタッフの方が持ってきてくださいました。

 

ビーチを眺めながらいただきます。

 

器に盛りつけていただくと、とても美味しそうに見えます。

 

今が旬のメバチマグロは脂の甘みと旨みを感じます。

 

目鯛の炙りです。私は初めて食べましたが、柔らかい食感で癖もなく、まったりとした旨味を感じました。めだいも今が旬だそうです。

ご飯を大にすればよかったと少し後悔しましたが、刺身でお腹が膨れたという感じで大満足です。やはり刺身は新鮮さが一番です!

とても美味しくいただくことができました。ごちそうさまでした!

 

テイクアウト用の丼や巻き寿司なども置いてありました。

 

外に出て、ビーチを眺めながらモクモクタイムです。

 

ビーチにはこんなアートも……

 

DMVの時間帯が悪いため、私は甲浦駅まで歩いて移動します。

 

「四国のみち」の案内板がありました。

四国のみちは四国自然歩道のことで、起点の徳島県鳴門市から四国をぐるりと回り終点の徳島県板野郡板野町までの約1,545kmを四国霊場や点在する自然や歴史を楽しみながら四国を一周する自然遊歩道だそうです。

 

綺麗な海岸が開けています。

 

国道55号線をしばらく歩くと「甲浦駅 700m」という案内板があったので右折します。

 

道路脇のお宅に実っていたポンカンを撮影しました。

おいしそ~

 

甲浦駅が見えてきました。

 

「海の駅 東洋町」から20分ほどで到着です。

 

甲浦駅のモードインターチェンジの脇で待っていると下りのDMVがやってきました。

 

鉄道モードからバスモードにモードチェンジ中です。

 

モードチェンジを終え発車します。

 

私も階段を降り乗降場にやってきました。この便では地元の学生が一人下車されました。

 

次のDMVがモードインターチェンジに到着しモードチェンジをしています。

 

モードチェンジを終え、スロープを下ってきます。

 

上り便がやってきました。

 

乗降場で停車後、スロープを上がってきました。

 

モードチェンジを終え運転手が確認作業をされています。

バスモードから鉄道モードにモードチェンジする場合は確認作業を行われていますが、鉄道モードからバスモードにモードチェンジする場合は省略されているようです。

 

後輪の鉄道用金属車輪も出てきています。

後輪の鉄道用金属車輪は脱線防止のための補助輪で、Wタイヤの内側のタイヤがレールに駆動を伝えているそうです。

雨の日などには滑らないのか気になり伺ったところ、やはり滑ることもあるそうですが、今の時期の早朝などの方が雨の日以上に滑りやすいそうです。ただ、多少スリップしても走行には支障ないそうなので安心です。

 

私が乗車するDMVがやってきたので乗車します。

 

トンネルが連続しています。

阿佐海岸鉄道の鉄道区間は10kmだそうですが、その短い区間に19ものトンネルがあるそうです。

この路線の海部駅甲浦駅間は1992年(平成4年)開業した比較的新しい路線で、高架や盛り土構造のため踏切はないそうですが、唯一、海部駅構内に向かいのホームに渡る踏切があったそうです。

甲浦駅から20分ほどで阿波海南駅に到着し下車しました。

牟岐線の発車までには時間があるので、駅近くでDMVを撮影しながら待つことにします。

 

国道55号線を走るDMVです。

 

阻止機をくぐり乗降場に停車しました。

この便には地元の方が一人乗車されるようです。

 

乗降を終えモードインターチェンジに侵入してきました。

 

キュ… キュ… とタイヤの側面がガイドウェイに擦れるような音を出しながらゆっくりと進みます。

このガイドウェイでレールに鉄道車輪の位置が合うように調整されるようです。

 

モードチェンジが始まりました。

 

モードチェンジ中です。

 

前輪部のアップです。ゴムタイヤはしっかりと浮き上がっています。

 

モードチェンジを終え発車しました。

 

鉄道モードで走るDMVの後ろ姿です。

今回DMVの運転手の方からいろんな話を伺うことができましたが、観光客慣れされているのか、説明が的確で沢山の情報を伺うことができました。

本当にありがとうござました。

 

牟岐線は16時8分の発車です。

前方に見える阿波海南駅の出発信号機ですが……

 

よく見ると黄色の表示灯が塞がれています。

不思議に思い運転手の方に伺うと、ここでは黄信号(注意信号)は必要ないため塞いでいるそうです。

 

出発信号が青になりました。

これから2時間20分ほどかけて徳島駅に向かいます。

 

16時40分、日和佐駅を発車すると左車窓に薬王寺が見えてきました。以前妻と四国霊場を回った時以来です。

 

薬王寺のシンボル的建物の瑜祇塔《ゆぎとう》です。高さが30mほどの楼閣で、上部が四角、下部が円筒形の優雅な一重の塔です。屋根には五柱の相輪が見えています。

 

18時11分、徳島駅に到着しました。

取り急ぎ、ホーム端の喫煙所でモクモクタイムです。

 

モクモクタイムを終え、乗車する高松行き「うずしお26号」の先頭車両の撮影にやってきました。

 

撮影を終え乗車しました。座席は1号車の1-D席です。

18時30分、定刻に徳島駅を発車しました。

 

19時37分、高松駅に到着しました。

 

先発のマリンライナーでも乗り換えはできたようですが、指定席を取ってあるので次発の「マリンライナー62号」の発車まで待つことになります。

 

ということで、ホーム先にある喫煙場所にやってきました。

JR四国は多くの駅で喫煙が可能なのでとても助かります。

 

モクモクタイムを終え戻ってきました。

乗車前に先頭車両を撮影します。

 

乗車します。

 

今回は二階席です。

 

座席は1号車の2-A席です。

 

二階席から見たホームです。

発車までもう少し時間があるようですが、車内でのんびりし発車を待つことにします。

 

20時10分、「マリンライナー62号」は岡山駅に向け発車しました。

 

駅には妻が迎えに来てくれていて、妻の車で帰宅しました。

今回の三連休は、初日に高知県四万十市で美味しい郷土料理をいただき、土佐黒潮鉄道の終着駅、宿毛駅まで足を延ばし、昨日は予讃線の終着駅である愛媛県宇和島で美味しい郷土料理を楽しみました。

今日は郷土料理はいただけませんでしたが、高知の新鮮な海鮮をいただき、気になっていたDMVもしっかりと楽しむことができ、三連休を鉄道旅でエンジョイさせていたきました。

しかし、毎日日帰りばかりで、考えてみればかなり無駄なような気がしますが……

 

実は今回、JR四国ツアーの企画商品「バースディきっぷ」を利用しました。

誕生月の連続3日、JR四国管内の全線と土佐くろしお鉄道全線の特急列車などが乗り降り自由なトクトクきっぷで、グリーン車用(13,240円)と普通車自由席用(9,680円)があり、今回グリーン車用を利用しました。

利用可な範囲がJR四国管内だけなのですが、岡山県児島駅が境界駅になるため児島駅から利用することができ、自宅近くの駅から児島駅までの切符を追加購入するだけでお安く列車旅を楽しむことができました。

今回の運賃を単純計算すると……

1月18日(一日目)

児島駅宿毛駅 概算28,340円

児島駅高知駅(グリーン席)、高知駅中村駅(指定席)を含む。

1月19日(二日目)

児島駅宇和島駅 概算24,720円

児島駅坂出駅(グリーン席)、坂出駅松山駅(グリーン席)、松山駅宇和島駅(指定席)、松山駅児島駅(グリーン席)を含む。

1月20日(三日目)

児島駅 ~ 阿波南海駅 概算11,840円

高松駅徳島駅(指定席)、高松駅児島駅(グリーン席)を含む。

で、三日間の合計金額は概ね64,900円になります。

バースディきっぷと通常運賃では51,660円の差なので超お得でした。

旅先でホテルなどでのんびり過ごすのもいいのでしょうが、とにかくいろんな列車に沢山乗ってみたいということもあり、今回の旅行計画を立てました。

都合がつけば毎年利用してみたいと思いますが、いいのか悪いのか私の誕生月が1月なので気候のよい春とか秋に利用できないのが少し残念です。

 

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今治駅弁と南予の郷土料理

昨日の高知県四万十市に続き、今日は愛媛県今治駅弁と宇和島の郷土料理をいただきに出掛けることにしました。

妻に自宅近くの駅まで送ってもらいましたが、瀬戸大橋線で動物との接触事故が起きたようで運行かなり遅れていて、定刻より20分ほど遅れてやっと列車がやってきました。

定刻より20分弱遅れて児島駅に到着し下車ました。ホームからは瀬戸内海の島々が朝焼けで赤く染まっているのが望めます。

児島駅で下車したのは……

早いついでに寝台特急サンライズ瀬戸」を撮影したいと思い、一便早い列車で児島駅にやってきました。

サンライズ瀬戸」も10分弱遅れて到着しました。この児島駅JR西日本JR四国の境界駅のため、両社の乗務員交代が行われます。

JR西日本の乗務員からJR四国の乗務員に引き継がれ「サンライズ瀬戸」が児島駅を発車しました。ホームのカバンは忘れ物ではなくJR西日本の乗務員の方のものです。

余談になりますが……

サンライズ瀬戸」は、東京駅~宇野駅 で運行していたものが、1988年(昭和63年)4月に瀬戸大橋線本四備讃線)の開通に合わせ終着駅が宇野駅から高松駅に変わりました。その後、1998年(平成10年)には新造された285系電車に切り替えられ現在の「サンライズ瀬戸」として運行が開始されました。「寝台特 瀬戸」は同区間の単独運転でしたが、新たに東京駅~出雲市駅を結んでいた「寝台特急 出雲」も「サンライズ出雲」として運行が開始され、東京駅~岡山駅を連結運転、岡山駅で高松行き「サンライズ瀬戸」と出雲市行き「サンライズ出雲」と分離されるようになりました。

乗車するのは7時2分発の「マリンライナー5号」高松駅行きですが、15分程度遅れているようです。ホームで待っていると大槌島から朝日が昇り始めていました。

マリンライナー5号」は定刻より18分遅れて到着しました。

乗車します。

座席は1号車の1-D席です。

この席は運転席のすぐ後ろに四席だけある展望座席です。

7時19分、定刻より17分ほど遅れて発車しました。

鷲羽山トンネルを抜け下津井瀬戸大橋に入ります。

櫃石島高架橋を走行中です。左前方に櫃石島橋が見えています。

右側の車窓には本島(右の島)や牛島(左の島)が見えています。

本島には下津井から本島を経由し丸亀に渡るフェリーボートが就航していましたが、瀬戸大橋架橋後廃航になってしまいました。

牛島は瀬戸内海航路の上り下り航路の間に位置する島で、本島までフェーリーで渡り本島から牛島を経由して丸亀に行くポンポン船の最終便でメバルを釣りに行き、朝一番の舟で帰っていました。

 

余談になりますが……

本島は塩飽諸島の中心の島で、塩飽勤番所跡や塩飽水軍の本拠地とわれている「笠島地区」(島ではなく地名です。)などもあり、今でも古い町並みや細く入り組んだ昔ながらの路地なども残っています。塩飽勤番所跡は現在資料館として一般開放されていて、織田信長徳川家康などの朱印状なども残されています。

牛島は映画「極道の妻たち」の主演岩下志麻演じる粟津環の故郷としてロケが行われた島です。

最前列の展望は最高です!

南備讃瀬戸大橋を渡りきる手前の右車窓には瀬戸大橋記念公園の展望タワーが見えています。

番の州高架橋を渡ると瀬戸大橋線は瀬戸中央道と別れます。

松山や高知に向かう本線と坂出、高松方面に向かう連絡線(渡り線)とが分岐ましす。マリンライナーは連絡線に入ります。

連絡線から予讃線に合流します。

予讃線に入ると右車窓に香川県の山を象徴するような形の讃岐富士こと飯野山(標高421.9m)が見えて来ました。

この山の形……  

香川県では多くの山がこんな形をしていますが、昔「まんが日本昔話」でよく見たおむすび山です。それもそのはず、その原作、演出、作画などを手掛けられた童話作家池原昭治の生まれ故郷が高松市だそうなので、納得できます。

まもなく坂出駅に到着します。

7時33分、15分ほど遅れて坂出駅1番ホームに到着しました。私が座っていた1-C、D席です。左側の1-A、B席は展望をよくするため一段高くなっています。

坂出駅では沢山の方が乗降されています。

マリンライナー5号を見送り、次に乗車する3番ホームに移動しました。しばらくすると3番ホームに列車が入線してきたので乗車しました。

が……

乗車する列車を間違えていたのに気付き、急いで下車しました。

何を思い違いをしたのか……

乗車するのは「しまんと3号」ではなく「いしづち1号」です。

ホームで待っていると乗車する「いしづち1号」松山行きが5分遅れで入線してきました。

乗車します。

この車両は前半室がグリーン車で後ろ半室が指定席車になります。

座先は1号車の6-A席です。

5分遅れで坂出駅を出発しました。

宇多津駅の手前で、右車窓にゴールドタワーが見えてきました。朝日を浴びて文字どおりゴールドに輝いています。

宇多津駅に到着しました。この駅で岡山からくる「しおかぜ3号」と連結します。

何故児島駅から「しおかぜ3号」に乗車せず、わざわざ早い時間の「マリンライナー5号」で坂出駅を経由したかというと、マリンライナーの展望席への乗車とこの連結作業を見るためです。

「しおかぜ3号」がやってきました。作業員の方が連結作業のため待機されています。

予讃線多度津駅までは複線ですが、そこから先の宇和島までは単線区間となり、輸送力も限界に近い状態であることから、岡山始発と高松始発の特急列車の多くが一体で運行されています。高知に向かう土讃線も同様に岡山始発の「南風」と高松駅始発の「しまんと」がこの駅で連結が行われています。

作業員の方が乗車され、連結作業の開始です。

「しおかぜ3号」がゆっくりと近付いてきます。

連結完了!

先頭車両の1号車へ戻りますが、途中発車のアナウンスがありあったので、手前の車両から乗車しました。

車両の中を戻ります。

1号車まで戻ってくると、ほぼ同時に発車しました。遅れているため短時間で作業を終えられ早々に発車したようです。

宇多津駅を発車後、丸亀、多度津駅と停車し、しばらく走ると右車窓に島津ノ宮(三豊市三野町)が見えてきました。子どもの守り神である津島ノ宮は、大祭が行われ8月4日と5日の二日間だけ本殿のある島へ橋が架けられ渡ることができるそうです。

その大祭が行われるニ日のみ列車が停車する臨時駅の「津島ノ宮駅」です。臨時駅ということもあり日本一営業日数の少ない駅だそうです。

詫間観音寺駅と停車し香川県から愛媛県に入り川之江駅に停車後しばらく進むと伊予三島駅の手前で製紙工場の煙突が見えてきました。四国中央市三島地区は製紙産業が盛んな街のようです。

伊予三島新居浜伊予西条壬生川駅と停車後、右車窓に今治のシンボル的な今治国際ホテルが見えてきました。まもなく今治駅です。

今治駅でお楽しみの一つ今治駅弁です。しかし今治駅には駅弁の売店がないため、事前に製造会社の「二葉」に電話しホームで受け取ることにしています。

今治駅に到着すると「二葉」のスタッフの方が待っていてくださり、わずかな停車時間でしたが無事受け取ることができました。

わざわざ持ってきてくださり、ありがとうございました。

お願いしたのは「瀬戸の押寿司」(1,540)円と……

「あなごめし」(1,300円)です。

美味しそ~!

「瀬戸の押寿司」は土産用にして、車内で「あなごめし」をいただきます。

錦糸たまごを挟んで、ビッシリとアナゴが敷き詰められています。

アナゴは肉厚でプリプリです。その下にはタレが混ぜ込まれたご飯があり、とても美味しくいただきことができました。

ごちそうさまでした!

今治駅を発車し、しばらくすると海岸線を走ります。

まもなく松山駅に到着するようです。

松山駅の手前では駅の高架工事が行われていました。

定刻より2分遅れて、10時8分松山駅の1番ホームに到着しました。

余談になりますが……

松山駅は1927年(昭和2年)に開業された国鉄(現JR)の駅で、鉄道のない沖縄県を除く都道府県の代表駅としては最後に開業されたそうです。松山にはそれまでに伊予鉄松山駅が既に開業していて、駅名をめぐる紆余曲折を経て伊予鉄松山市駅に改名し現在に至っているという経緯もあるようです。

駅員の方に喫煙場所を伺うと1番ホームの北寄りにあると聞き、2時間振りのタバコタイムです。しっかりとタバコ補給を終え、次に乗り換える「宇和海9号」の乗車口に向かいます。

宇和海9号」は「いしづち1号」と同じホームの前方に停車していました。

乗り換えの利用者が多いためなのか、他ではあまり見たことがない珍しい乗り換え方式です。

乗車前に「宇和海9号」を撮影します。

乗車します。

座席は最後尾車両の3号車、12-Aです。

この車両の1~7番席は自由席で、指定席は3号車の8番以降のようです。自由席には白い枕カバー、指定席には青い枕カバーと色分けされていました。

宇和海9号」は定刻10時18分に松山駅を発車しました。

伊予市駅に停車し、次の向井原駅を通過後伊予長浜駅を経由する海回り線(愛ある伊予灘線)と別れます。

列車は短絡線で内子駅を経由し伊予大洲駅に停車、一級河川肱川を渡ります。

肱川の名前の由来は、流路が肘のような形をして入りるからだそうですが……

肘のような形?……

地図を見て納得です!

宇和島市に入ると豊後水道の手前に広大なミカン畑が開けています。さすが愛媛ミカンの特産地です。

まもなく宇和島駅に到着します。

11時40分、宇和島駅の1番ホームに到着しました。ホーム端に喫煙場所が見えたのでタバコタイムに向かいます。

しっかりとタバコ補給を終えたので改札に向かいます。

改札口の先に線路終端を示す車止標識があったので撮影しました。

車止標識の撮影を終えたので改札を出ます。

宇和島駅前です。

期前広場には宇和島牛のモニュメントや……

宇和島鉄道の1号型蒸気機関車が置かれていました。

この機関車はその昔、岡山の国清寺駅~三蟠港を走っていた三蟠鉄道の機関車と同型のようです。

駅前通りを進みます。道路沿いにはワシントンヤシが植えられていて、優れた街路樹の景観として「新日本街路樹100景」にも選定されているそうです。

栄町港交差点を宇和島城方向に左折します。

国道56号線をしばらく進むと今日昼食をいただく「うわじまの料理や 有明」(宇和島市丸之内)の看板が見えたので路地を入り到着しました。グルメな郷土料理が多い宇和島で、色々と調べてこの店でいただくことにしていました。

店内に入ると、どうやら裏口から入ったようです。伺うと「入られた入口は、駐車場側からの入口で、表玄関は反対側なんですよ」と言われていました。

カウンター席に案内されました。

カウンターの奥には生簀が見えています。

生簀には、フグや……

ウチワエビことたびエビやサザエなどが入っていました。


カウンター席の後ろにはテーブル席や個室もあるようです。

オーダーしたのは「宇和島郷土定食」(2,980円)です。

ふくめんにじゃこ天、ふかの湯ざらし、それに鯛めしにデザートと宇和島の郷土料理が並んでいます。

「ふくめん」という宇和島の郷土料理は見た目がとても鮮やかで、正月などには欠かせない一品だそうです。

ソボロの下には蕎麦状のコンニャクが入っていました。「ふくめん」の意味はコンニャクが見えなくなるほどソボロで覆面するからだそうです。

宇和島とえば、やはり「じゃこ天」です。宇和海で獲れた新鮮な小魚をすり身にした手作りじゃこ天で、出来立てということでアツアツでとても美味しい一品でした。

初代宇和島藩伊達秀宗が仙台から職人を連れてきて蒲鉾を作らせたのが宇和島のねりものの始まりだそうです。

「ふかの湯ざらし」です。

「ふか」とはサメのことで、南予ではよく獲れるそうで、昔漁師が釣れた売り物にならない「ふか」を、酢みそで酒の肴にしたのが始まりといわれているそうです。

サメの臭みはなく、身は弾力があり辛子味噌でいただくと珍味で酒の肴になりそうです。

サメ料理は広島県の山間部のように海から遠く、新鮮な魚が手に入らない地域で食べられることが多ようですが、目の前が海の宇和島市では新鮮な刺身と対等な地位だそうです。

ご飯は「鯛めし」か「伊予さつま飯」を選択できるようで、女将さんに伺うと「是非鯛めしを食べてみてください」と勧められたので「鯛めし」にしました。

宇和島の名物グルメといえば「鯛めし」だそうで、わざわざ全国各地から食べに来られる方も多いそうです。一般的な鯛の炊き込みご飯とは違い、宇和島では獲れたての新鮮な鯛の刺身を出汁に生玉子を溶いてぶっかけでいただくそうです。

冷たい出汁に玉子を入れ、しっかりと混ぜ合わせ鯛の刺身を混ぜ込みます。

その出汁をご飯にかけていただきます。

上品な味の出汁と透き通るような刺身は玉子の黄身との相性もよく、とても美味しくいただくことができました。

デザートは愛媛特産の柑橘ゼリーでした。

南予の美味しい郷土料理をいただき、おなかも大満足です。遠路食べにきた甲斐がありました。

ごちそうさまでした!

帰りは表玄関から出ました。

この後宇和島城に向かいます。

「うわじまの料理や 有明」から歩いて5分ほどで三の丸跡にある「桑折《こおり》長屋門」に到着しました。

この門は宇和島藩家老の桑折家の屋敷内にあった長屋門で、1952年(昭和27年)に宇和島市へ譲渡され現在の場所に移築されたそうです。

門をくぐり登山道の石段を登ります。

登山道は緩やかな坂道コースと急な階段コースとがあり、私は階段コースで登ることにしました。

少しバードですが頑張って登ります。

大きな井戸の脇に出てきました。井戸丸(井戸屋形)は本丸の北側にあり、城内に三ヶ所ある井戸のうち、もっとも重要な井戸を守っていた曲輪だったようです。

井戸を上から見た様子です。

三差路に突き当たりました。左に行けば天守まで180m、右に行けば郷土館があるようです。

左に進み天守を目指します。

正面に本丸の石垣が見えてきました。天守が少しだけ見えてきます。

 

本丸の石垣です。同じ面で二つの積み方の違いが明確に見える「御書物矢倉下の石垣」だそうです。

左上半分が隅角部はノミで加工され、間詰石をほとんど使用せず隙間なく組み合わせ積み上げられています。対し右下半分は自然石材を用いた野面《のづら》積みになっています。この積み方の違いから右下半分は17世紀初頭頃、左上半分は幕末頃に修理されたものといわれています。

先に進みます。

二の丸が見えてきました。

振り返ると天守が綺麗に見えています。

櫛形門跡に出てきました。

この石垣は整形された石材と間詰石を使い組み上げられています。

石段を登ると桜の木の先に天守が見えてきました。桜が咲く季節に訪れるといいかもしれません。

 

宇和島城天守の窓は漆喰塗りの引き戸で、窓を閉めた様子を外から見ると一面漆喰塗りの真っ白な綺麗な姿だそうです。小ぶりな天守からなのか、玄関がやけに大きく見えました。この天守は現存12天守の一つにも数えられています。

宇和島城宇和島伊達家十万石の本城で、 1601年(慶長6年)に築城の名手といわれた藤堂高虎により築城されたのが始まりで、1666年(寛文6年)頃に二代藩主伊達宗利により天守などが改修され、幕末まで伊達家九代の居城となったそうです。改修となってはいますが実際には藤堂高虎が岩盤上に建築した望楼型天守を撤去し、石垣の天守台を持つ層塔型の天守を新たに築城したといっても過言ではないそうです。

宇和島城天守の玄関に向かいます。

入城料200円を支払い天守に入ります。

一階には鎧が展示されていました。

1860年(万延元年)にも大規模な改修が行われています。1/10スケールで忠実に作られたこの天守の模型はその修理に際して作られたもののようです。

急な階段を上ります。

武者窓です。

格子が正方形や菱形ではなく五角形になっています。これは鉄砲や弓を使用する際、広範囲に狙うことができるよう工夫されているそうです。また入り込んだ雨水などを排水する排水口も設けられていました。

天守からは宇和海が望めます。城は昔、海に囲まれた海城だったそうですが、現在では埋め立てられ周囲には市街地が広がっています。

南西の角と北東の角には桃の形をした瓦がありました。この瓦は飾り瓦だそうです。

桃には魔除けや長寿を願う意味があるそうです。ちなみに岡山城には金色の桃の飾り瓦が乗っています。

宇和島城下絵図屏風」です。宇和島城を南西方向から描いた鳥瞰図で、元々は襖絵だったようですが昭和になり屏風絵に仕立て直されたそうです。

下城します。

本丸から見る二の丸と宇和島港です。

二の丸から下り郷土館に向かいます。

1845年に建てられた伊達家の武器庫だそうです。 現在は無料で見学できる郷土館として使用されていて、館内には宇和島に関する資料などが展示されていました。

下山します。

北出口へ向かい、駅に戻ります。

宇和島駅に到着しました。

改札を抜けホームに向かいます。

ホーム端の喫煙場所からは宇和島城天守を望むことができました。

ホームの先には0系新幹線をイメージした「鉄道ホビートレイン」が停車していましたが、残念ながら後方向きでした……

14時47分着の「宇和海15号」がやってきました。

宇和島駅の1番ホームに入線します。

私もタバコ補給を終え、列車に向かいます。

この列車は折り返し14時56分発「宇和海20号」になります。

乗車しました。座席は先頭車両の3号車、11-A席です。しかし指定席には他に誰もおられないので、こられた車掌にお願いして一番前の13-D席に変えていただきました。

宇和海20号」は定刻14時56分に宇和島駅を発車しました。

八幡浜駅には、ラッピング車両のキハ54「すまいるえきちゃん」が停車していました。

伊予大洲駅手前あたりから小雨が降り始めました。15時41分伊予大洲駅を発車し、しばらく走ると海回り線(愛ある伊予灘線)との分岐、伊予若宮信号場が見えてきました。列車は短絡線の内子方面に進みます。

内子駅が見えてきました。小雨で煙る内子駅です。

内子駅に至る旧内子線伊予大洲駅の一つ松山寄りにある五郎駅から分岐していた盲腸線でしたが、五郎駅伊予長浜駅を通過しない短絡線の開通により特急列車が走る路線として現在に至っています。

向井原駅の手前で海回り線と合流しました。

松山駅の手前では駅の高架工事が行われています。

松山駅手前で信号停車です。入線する1番ホームには「しおかぜ26号」が停車しています。

信号が変わりゆっくりと進んでいきます。

作業員の方の合図で「しおかぜ26号」の手前で停車しました。

松山駅に到着し下車します。

宇和海20号」から「しおかぜ26号」に乗り換えます。同じホームでの珍しい乗り換え方式です。

「しおかぜ26号」に乗車しました。

座席は最後尾の1号車、1-A席です。

発車までにはまだ少し時間があるので、タバコタイムに行ってきます。

16時26分松山駅を定刻に発車しました。

今治市菊間付近で、左車窓に太陽石油四国事業所のプラントが見えてきました。「SOLATO」のブランド名で西日本や四国地方で名よく見かけます。

伊予西条駅に隣接する「四国鉄道文化館」が見えてきました。以前訪れたことがありますが、館内には初代0系新幹線やDF50形ディーゼル機関車が展示されていました。

瀬戸大橋を渡り、まもなく児島駅に到着します。

乗車した「しおかぜ26号」は単独運行のため宇多津駅での切り離し作業はありませんでした。

児島駅で下車しました。

「しおかぜ26号」を見送った後、私は4番ホームに停車している普通列車で帰路に就きます。

帰宅後妻に宇和島駅で買った土産を渡します。

タルトとミカン団子です。

もう一品は、「二葉」の今治駅弁「瀬戸の押寿司」です。

箱から取り出します。

押し蓋を開くと、押寿司を包んだ笹の葉が微かに香ります。

透き通った鯛の下に見えるオオバ……

妻が切り分けています。

旨そう~

半透明なタイの身とオオバがいい感じで期待が膨らみます。

味は絶品!

この駅弁も最高です!

妻も美味しいと食べていました。

昨日に続き今日も美味しい駅弁や南予の郷土料理をしっかりと楽しむことができました。また機会を作って列車旅を楽しみたいと思います。

 

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高知駅弁と四万十の郷土料理の列車旅

振り返ってみれば一ヶ月以上ブログ更新をしていませんでした。12月下頃からコロナの影響で職場もてんてこ舞いで、不規則な勤務もあり年末年始勤務という多忙な日々を送っていました。今回は四連休で一日は人間ドック、残る三日間で気分転換に列車旅を楽しむことにしました。

最近駅弁を扱う駅が少なくなりましたが、高知駅には現在も駅弁があるようです。久しぶりに列車旅を楽しみながら、その駅弁と高知県西部の四万十地域の郷土料理をいただきに出掛けることにしました。

自宅近くの駅から瀬戸大橋線普通列車児島駅に到着しました。乗車するのは「特急南風1号」高知行きです。先頭車が停車する付近にはJR四国の乗務員が待たれていました。この児島駅JR西日本JR四国の境界駅になるためです。

乗車する「特急南風1号」が入線してきました。最近のヘッドマークはデジタル表示なのでなかなか上手く撮影できません……

座席は1号車4-A席です。

7時28分、列車は定刻に児島駅を発車しました。左車窓からは瀬戸内海の朝日が望めるようです。

櫃石島高架橋を走り抜けます。左車窓には櫃石島港と朝日が望めました。左側の座席に移動し瀬戸大橋からの展望を楽しみます。

瀬戸大橋を渡り番の州高架橋に入ると番の州工業地帯の展望が開けました。

四国側の玄関口宇多津駅に到着しました。この駅で高松から来た「しまんと3号」との連結作業が行われます。その連結の様子を見に行ってみます。
ホームでは作業員の方が到着を待たれていました。

高松駅始発の「しまんと3号」が入線してきました。

作業員の方が乗車され、連結作業の開始です。「南風1号」の車内から撮影しました。

車外に出て連結の様子を見てみます。

しまんと3号」がゆっくりと近付いています。

連結完了。

急いで車内に戻ります。

連結を終え7時48分宇多津駅を発車し、丸亀駅に停車後多度津駅に到着します。多度津駅のホーム脇には86型蒸気機関車が展示されていました。

予讃線から土讃線に別れ、まもなく琴平駅です。右車窓には「こんぴらさん」こと「金刀比羅宮」のお膝元にあるこんぴら温泉のホテルなどが見えてきました。

列車は讃岐山脈を越え「四国三郎」の異称を持つ吉野川を渡ります。
四国三郎」は、利根川の「坂東太郎」、筑後川の「筑紫次郎」の「三大暴れ川」といわれる三太郎の一つだそうです。

三好市池田町の町並みが見えてきました。

阿波池田駅に到着しました。向かいのホームには8時32分発徳島行き「特急剣山4号」が停車しています。

8時29分阿波池田駅を発車し小歩危駅を通過、しばらく進み吉野川を渡ります。この付近からは国指定の天然記念物や国指定名勝になっている「大歩危小歩危挟」の景観が楽しめる区間です。
ちょっと変わった名前の由来は「大股で歩くと危ないから大歩危」、「小股で歩いても危ないから小歩危」だそうです。

大歩危駅に停車しました。
この駅から「祖谷のかずら橋」に行くことができますが、路線バスの便は少ないようです。

アンパンマン号の「南風6号」がやって来ました。

行き違い後、両列車とも8時49分に発車します。

土佐山田駅の一つ手前にある「新改駅」です。
この駅は土讃線に二つあるスイッチバックの駅の一つで、JR四国内の通年営業駅の中では停車数が一番少ない駅だそうです。
以前車で撮影にこの駅の訪れましたが、細い道をくねくね上りたどり着いた記憶があります。

9時39分高知駅の1番ホームに到着しました。

高知駅から乗車する「あしずり1号」が入線してきました。

「あしずり1号」は「南風1号」が停車した向かいの2番ホームに停車しました。

撮影を終え乗車しますが、その前に……

今回のお目当て、駅弁を購入するためホームにある売店にやって来ました。
鯖寿司や田舎寿司、鰹の煮付けなどが入った「竜馬弁当」(1,050円)やアンパンマンの容器に入ったアンパンマン弁当二種類(1,250円、1,350円)、それに幕の内弁当や、今回楽しみにしていた「かつおたたき弁当」(1,300円)などなど……
帰りに土産に購入しようと営業時間を伺うと、15時13分発の「南風20号」が出発後には閉店されるそうなので駅弁の土産は諦めることにしました。

車内で食べる「かつおたたき弁当」を購入し「あしずり1号」に乗車、座席は1号車6-D席です。

高知駅を定刻9時53分に発車しました。早速購入した駅弁をいただきます。

蓋を開きます。

たたきに、ミニホタテ、巾着、しば漬けそれにご飯とシンプルですが、美味しそ~!
Simple is best.《シンプル・イズ・ベスト》、最高です!

大きく切られたカツオのたたきがド~ンと盛ってあります。

ミニホタテに巾着……

カツオのたたきは一切れが大きい!

さすが本場のカツオのたたき、とても美味しくいただきました。
ごちそうさまでした!

伊野駅を発車し「仁淀ブルー」といわれる高知県の清流の一つ仁淀川を渡ります。

車掌が来られた時最前列の1-D席が空いているようなので、席を変えていただきました。
しかし、前方の展望はいいのですが、足元が少し狭い……

左車窓には太平洋が見えています。

JR土讃線の終点窪川駅が見えてきました。

10時55分窪川駅に到着です。駅名標土佐くろしお鉄道のもののようです。
この駅から先はJR予土線第三セクター土佐くろしお鉄道に別れます。
JRの乗務員から土佐くろしお鉄道の乗務員に変わりました。土佐くろしお鉄道中村線宿毛線は「四万十くろしおライン」の愛称があるそうです。

10時57分窪川駅を発車し、5分ほど走るとJR予土線と分岐します。
ここは川奥信号場で左が予土線、右が土佐くろしお鉄道中村線になります。

分岐後列車はループ線に入ります。
この先列車は2kmほど続く長いトンネルに入り、半径350mほどのループ線で一気に40mほど下に出て来ました。

土佐佐賀駅を発車後、佐賀港沖に鹿島や佐賀港厳島防波堤の灯台が見えてきました。
この厳島防波堤には以前シマアジを釣りによく訪れていたものです。
ここから先は入野までは海岸線を走ります。

見事な海岸線が開けてきました。

水平線まで望め、瀬戸内海の景色とは全く違う雄大の景観です。

中村駅が見えてきました。

11時32分、中村駅の2番ホームに到着しました。

1番ホームの端のある喫煙スペースにやってきました。取り急ぎタバコタイムです。
作業員の方が先程乗ってきた「あしずり1号」の点検作業を行われているようです。

よく見ると、燃料補給をされていました。

気動車軽油で走るものなのです。

当たり前か……

駅前に出てきました。駅舎脇には「三郷沈下橋」の石柱とイメキャラの「はたっぴー」が置かれています。

その横にはレンタサイクルも置かれていました。
5時間以内1,000円、1時間延長毎に100円のようです。
レンタサイクルを借りて昼食に向かおうかと思いましたが、お腹を空かすため歩いて行くことにします。

土佐くろしお鉄道中村駅を後にします。

駅前の歩道にはアユのモニュメントがありました。

国道439号線を北に向かい土佐くろしお鉄道宿毛線の高架を潜ります。

中村駅から歩くこと1kmほど、この交差点を宿毛方面に左折します。

交差点から300m足らず、中村駅から20分足らずで昼食をいただく「季節料理 たにぐち」(四万十市中村大橋通)に到着しました。店は市街地の中心部、四万十市役所の斜め前になります。

暖簾を潜り店に入ります。

事前に連絡し「四万十の郷土料理コース」(4,950円)をお願いしていました。
最初に出てきたのは四万十川で捕れた「ゴリ」と「川エビ」です。

楽しみにしていた四万十の郷土料理をいただきます!

ゴリの稚魚の佃煮……
とても珍味でビールに合いそうです。

ハゼ科の仲間のゴリは川底に吸い付くように生息しているため、漁の時川底を削るように力強く網を引かなければならないことから、物事を強引に進める「ゴリ押し」の語源ともいわれているそうです。

川エビは、手が長いことから手長エビとも呼ばれているそうです。
食感がプリプリとしていて、とても旨い!
これもビールに合いそう……

塩たたきが出てきましたが、カツオが隠れてしまっています……

しかし下からは大きく切られたカツオのたたきが出てきました。
塩と柚子が絶妙な味加減を作り出し、ついつい箸が進んでしまいます。
しかしこのたたき、今まで高知市内で食べていた塩たたきとは別料理のような気がします。やはり同じ高知県でも本場の味は違う!

アオサの天ぷらが出てきました。
サクサクでこれまた絶品!
アオサの天ぷらははこの店が発祥だそうです。

次から次に出てきて、食べるのが大変です!

四万十川のアユの塩焼き……

ホタテの酢の物……

四万十川のウナギが出てきました。
予約時、「今は天然ものがなく、養殖になりますが……」と伺っていました。残念ですが仕方ありません。

しかし、見るからに美味しそ~!

皮は香ばしく身も弾力があり、甘めのタレとの相性もよく天然物にも引けを取らない味わいで、ついついご飯が進んでしまいます。

全て完食、とても美味しくいただくことができ、遠路食べに来た甲斐がありました。また機会を作って妻にも是非食べさせてあげたいと思います。

ごちそうさまでした!

食事を終え、大将とスタッフの可愛いお嬢さんを撮影させていただきました。

これから歩いて中村駅まで戻ります。

中村駅前まで戻ってきました。

駅前には、アユと戯れる男の子と、トンボでも捕まえるのか網を持った女の子の像がありました。

そういえば昔、子どもたちを連れて四万十川の河口にあるオートキャンプ場「とまろっと」にキャンプに来た時に「トンボ自然公園」に行った記憶が蘇りました。四万十市は多くの種類のトンボが生息しているようです。

中村駅のホームに戻ってきました。
これから、宿毛線で終点の宿毛へ向かいます。

3番ホームに停車中の13時30分中村駅始発、宿毛行き普通列車「大月町号」です。
宿毛線の車両は周辺市町村の名称が車両名になっているようです。

TKT8000型車両です。車体は防錆対策でステンレス仕様になっています。

13時30分、宿毛駅に向かい発車しました。

暫く走ると四万十川を渡ります。

中村駅を発車し30分程走ると、宿毛駅に到着です。

1番ホームに停車した「大月町号」と2番ホームに停車している「黒潮町号」です。

線路終端を示す車止標識があります。
宿毛には特に目的はなく、ただ終着駅に訪れてみたいと思い足を延ばしました。

駅の外に出てみます。

宿毛駅前の様子です。
バスターミナルや家電量販店、スーパー、ドラックストアーなどが建ち並んでいます。

駅舎端に来てみました。さすが終着駅、この先線路はありません……

駅舎に戻ります。

駅舎の一階には宿毛市観光協会や土産物店などのテナントが入っているようですが、今日は殆どの店舗が閉まっていました。

サンゴの土産物店が開いていたので立寄ってみました。

宿毛特産の海の宝石珊瑚の加工品が所狭しと並んでいます。
妻や母、息子の嫁に奮発してサンゴのストラップを土産に購入しました。

改札を抜けホームに向かいます。

次発の列車は2番ホームに停車中の「黒潮町号」です。

乗車します。

後方から見た前方側の車内の様子です。

一番前はベンチシートだったので、その後ろのボックス席に座ります。この席からは前方の展望も楽しめそうです。

14時34分宿毛駅を発車します。

中村駅が見えてきました。

中村駅に到着しました。
3番ホームには「土佐清水市号」が停車、1番ホームには次に乗り換える「あしずり12号」が停車していました。

1番ホームに移動し、ホーム端でしっかりとタバコの吸い溜めをして乗車します。

座席は1号車の1-D席です。

中村駅を定刻の15時10分に発車、雄大な太平洋の車窓を楽しみます。

瀬戸内に住んでいると、なかなか水平線を見ることはできません。

久しぶりに太平洋で釣りがしたい!

佐賀港厳島防波堤の灯台が見えてきました。そろそろ土佐佐賀駅です。
鹿島の左に見えている白い建物脇には「黒潮一番館」という地元で捕れた魚を使った料理が楽しめる店舗があります。以前訪れた時にはカツオ定食をいただき、土産に目の前で焼き上げたカツオのたたきを買って帰ったことを思い出しました。
またシマアジを釣りに来たい!

須崎付近には文旦畑が広がります。
シーズンになると国道沿いで多くの農家が文旦を売られていています。

高知城が見えてきたので、まもなく高知駅に到着します。

17時、高知駅の2番ホームに到着しました。3番ホームには窪川行き普通列車が停車していました。

「南風24号」には13分で接続されていますが、乗換前にホーム端にある喫煙場所でタバコタイムです。

1番ホームに停車している「南風24号」に乗車します。

座席は1号車の1-C席です。

17時13分、高知駅を発車しました。

太平洋から四国山脈讃岐山脈と越え、瀬戸大橋を通過しています。車内アナウンスはありませんでしたが、瀬戸大橋の説明がテロップ表示されていました。

まもなく児島駅に到着します。

19時18分、児島駅に到着し下車しました。乗務員もJR四国からJR西日本の方に交代されました。

私は「南風24号」をホームで見送り、次発の19時41分児島駅発のマリンライナーで帰路に就きます。

今日は久しぶりの列車旅で、美味しい駅弁や四万十の郷土料理をしっかりと楽しむことができました。また機会を作って列車旅を楽しみたいと思います。

 

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