今日は妻と久しぶりに休みが合ったので、ドライブがてら出かけてみることにしました。大山の紅葉は見頃のはずですが、今日の天候では10月末に行った時と同様に大山は霞んで見えない可能性も十分考えられ悩んでいました。と・・・、以前妻が「閑谷学校の紅葉を見てみたい」と言っていた事を思い出し、閑谷学校で紅葉狩りその後、日生《ひなせ》で何か美味しいものを食べるというコースにしました。
国道2号線を走り、備前市伊里中交差点を左折し県道261号線を北上します。山陽道の高架橋付近で少し前方に「閑谷学校の石門」とう名所旧跡がナビに表示され、少し進むと右手に見えてきました。道沿いなので立ち寄ってみることにしました。
高さ1m程の石柱が5m程の間隔を空けて2本立っていました。石門にしては背が低すぎるようですが・・・。
説明板によると、江戸時代にはこの石門の高さは3.3mだったそうで、この石門の間を道路が通っていたようです。昭和初期頃迄に何度か道路などが嵩上げされ石門の高さが2m程になり、その後また何度か土が盛られ、道路は石門の左側に付替えられ現在のような形になったそうです。この石門から閑谷学校まで約1km程あるそうですが、この石門から先が閑谷学校の敷地だったそうです。当時閑谷学校へ通っていた子どもたちはこの門を通って通学していたようです。
閑谷学校に到着しました。紅葉真っ盛りのようです。さすが土曜日、駐車場は9割方埋まっていました。
駐車場から閑谷学校の入口へ向かいますが、見事な紅葉が続きます。
赤や黄色に色付いた木々が出迎えてくれます。
鶴鳴門《かくめいもん》という校門から見た様子です。閑谷学校は「旧閑谷学校」というのが正式名称で、日本遺産第1号に認定されています。
この閑谷学校は1670年(寛文7)年、岡山藩主池田光政が家臣の津田永忠に命じ創建した現存する世界最古の公立学校です。この学校は当時異例ともいえる武家や庶民の子どもたちを同じように学ばせるという珍しい学校でもありました。
少しズームアップしました。中央に聖廟《せいびょう》、その左右にある楷の木が綺麗に色付いています。左右どちらの楷の木も雌だそうですが、左の木が赤く、右の木は黄色に紅葉しています。
入場前に検温があり、その後入場券(400円)を購入し閑谷学校に入りました。左側の建物は国宝の講堂で、階の木の右奥には聖廟が見えす。
右側から見た黄色く紅葉した楷の木です。
左側から見た赤いく紅葉した楷の木です。
講堂の鬼瓦です。全て備前焼の瓦が敷かれています。
揚羽蝶の家紋が入っていますが、池田家の家紋は「備前揚羽」や「池田揚羽」ではなかったかと思うのですが・・・?。ただ記憶が曖昧ですが岡山城か何処かで同じような家紋を見たようにも思います。この閑谷学校を創建した池田光政以外の家紋を使用することは無と思いますが、少し気になります。
※ 11月10日追記
家紋の件があまりに気になり、今日閑谷学校や岡山県文化財課に伺ってみました。この揚羽蝶は「泊揚羽」という池田家の家紋の一つだそうで、やはり池田光政の家紋には違いはないそうですが、当時は複数の家紋を使い分けしていたのではないかとのことでした。閑谷学校では基本この「泊揚羽」という横向きの揚羽蝶の家紋が使用されていて、写真にある鶴鳴門や池田光政を祀る閑谷神社にはこの「泊揚羽」を使用、聖廟には無地、講堂には「六葉紋」と使い分けているそうです。講堂の「六葉紋」については、火災から建物を守るお呪い《おまじない》の意味があるそうです。そういえば閑谷学校で説明されていた方の話の中で、火除山(防火のための人工の山)まで作っていたという話もあり、江戸時代は火災がとても恐れられていたのが窺え《うかがえ》ます。
閑谷神社や鶴鳴門で見た備前焼の瓦や「泊揚羽」の家紋が綺麗と思い撮影しましたが、偶々見た瓦の家紋が全ての建物に使用されていると思い込んでいた私の観察不足、失態もありました。多忙の中、色々と調べてくださいました担当者の方には心中よりお礼申しあげます。これで悩みが解決し、今夜はゆっくりと休めそうです。
講堂に入ってみました。花頭窓《かとうまど》から射し込む楷の木の赤い色と山々の緑の色が講堂の床に映し出されていました。
特に床面の映し出される楷の木の紅い色が印象的です。
現在では講堂内の中央付近への立入は原則禁止されていますが、私が小学校時代に閑谷学校へ宿泊学習に来た際にこの講堂で座禅体験をしたような記憶があります。その時先生の話の中で、この床面は顔が映る程磨き込まれているというような話をされたような記憶も蘇りました。
石塀越しに外の紅葉も眺めることが出来ました。
窓越しに楷の木や石塀が見えました。楷の木の下に置かれているのはライトアップ用の機材のようです。
窓越しに見る楷の木です。夜ライトアップされると幻想的な楷の木を見ることが出来そうです。
縁側側から窓越しに見た講堂内部です。
講堂から表に出ました。石塀沿いに歩き講堂の北西側にある資料館へ向かいます。途中「公門」や「飲室門」などの門があります。
石塀の外側を走る旧道沿いの紅葉も綺麗です。この石塀も重要文化財に指定されていて総延長は765m、そのほとんどがこのようなカマボコ状になっています。宿泊学習に来た際に先生から「この石塀には草は一本も生えない」と説明されましたが、子ども心に「そんなはずないだろ、誰かがこまめに草取りしてるんだろ」とひねくれた考えをしていた私でした。
しかし見事な石塀です。
資料館前付近にある校厨門の紅葉です。
資料館に到着しました。この資料館は私たちが宿泊学習時に泊まった建物です。
講堂の屋根の構造が分かる展示物がありました。当時の屋根は土を盛って、その上に瓦を敷くのが通常の手法だったようですが、この講堂の屋根は土を一切使わず瓦が敷かれている当時としては画期的な手法が用いられたようです。そのため、講堂の床面に土埃《つちぼこり》などが落ちず綺麗なまま現在も顔が映るような状態が続いているそうです。また軒の先端部には備前焼の管を埋め込み、通常は換気用の通風孔の役目を果たし、万が一雨漏り等があった場合には管から漏れた水を排出するという工夫も施されているそうです。
その排水管です。
建物の土台部には今でいう「べタコン」ならぬ「和製セメント?」なる特殊な調合の土を作って水分による建物への影響を極力抑える工夫が施されているそうです。現代のセメントに比べ収縮性が有り、長い年月が経過した今でもクラックなどは無いそうです。
何とも凄いとしか言いようがありませんが、まだまだあります。先程の講堂内の中央に有った10本の丸い欅の柱ですが、普通考えれは10本の木が使用された様に思いますが・・・、何と使用した木は2.5本だそうです?。それは柱の変形等を防ぐため1本の大きな丸太を4分割し、その分割した木材を丸太に仕上げ柱に使用しているためだそうです。流石国宝に指定されるだけの事はあります。
また石塀についても、基礎の深さは、地上で見える石塀の高さと同じ程あるそうです。更に石塀の内部には土を一切使用せず、草の種などが混入しないように全て水洗いした小石を中心部に隙間無く詰込んだうえで、表面を隙間無く組み合わせた大きな石で囲む事により300年以上経った現在でも草一つ生えない状態が保たれているそうです。子ども心に思った事とはいえ、大いに反省しました。
妻が「お腹が空いた~」と言うので、入口近くに露店が出ていることを思い出し、そこで何か軽く食べる事にしました。妻は「少し寒いので温まるものが食べたい」と言っています。
この後の食事の都合もあるので軽く、妻は「豚汁」、私は「米粉ラーメン」にしました。米粉ラーメンと言えば以前島根県の雲南市で米粉麺を食べたことがありましたが、あまり美味しいという印象はありませんでした。しかし「もちもち シコシコ」という謳い文句に魅かれ食べてみることにしました。
妻の注文した「豚汁」が出て来ました。横に豚のオブジェが置いてありました。
私も一口いただきましたが、薄味ですが美味く、中でもサトイモは特に美味しくいただきました。
私が注文した「米粉ラーメン」が出来上がりました。
美味しそう~。
麺はモチモチで腰がありGood!、叉焼は肉厚で美味い、写真には写っていませんがシナチクは分厚く食べ応え十分、スープは少し和風風味でとても美味しく全て飲んでしまいました。御馳走様でした!。
余りに美味しいラーメンなのでスタッフの方に、「どこに行けばこの麺は購入出来ましか?」と伺いましたが、残念ながら麺だけの販売はされていないそうです。しかし「熊山農産物直売センターで食べる事は出来ますよ」とスタッフの方から教えて頂きました。この露店は美作岡山道の熊野IC近くにある「熊山農産物直売センター」(赤磐市沢原)の出店だそうです。
今度友人とツーリングがてら是非食べに行ってみたいと思います。
熊山産の色々な物産品も販売されていました。見ていた妻が「焼き栗が美味しそう~、買ってもいい」と言いつつ、即購入です。母や息子への土産が出来ました!。
体も温まり、先程石塀の外で見えていた紅葉を見に石塀沿いに外を歩きます。しかしこの石塀の表面は凹凸も無く、上部の綺麗なR部も見事なものです。これが300年以上前に作られたというのですから凄いとしか言えません。
飲室門の脇を歩きます。石塀は旧道と同じように上方向に登っています。
300年以上この風景は変わっていないのでしょうね。
石塀と校厨門に紅葉が映えます。
資料館前の校厨門まで来ました。この少し先はトンネルになるので、ここで駐車場へ引き返す事にします。
駐車場手前付近から、紅葉越しに見る鶴鳴門です。
この後、日生《ひなせ》に向かいます。
30分足らずで「五味の市」(備前市日生町日生)に到着しました。ここも駐車場は9割近く埋まっていました。
「五味の市」は日生町漁協の魚市場の愛称で、新鮮な魚介類が沢山販売されていますが、今の時期は牡蠣が沢山並び市場の中で幅を利かせていました。
美味しそうな「干したこ」も販売されていました。
美味しそうなホタテのクリームコロッケがありました。妻が「食べてみたい~」と言うので1個と、母と息子の土産に2個の合計3個を購入しました。
私は酒の肴に「カキのオリーブオイル漬け」を購入しました。土産と今夜の酒の肴を購入したので昼食にします。
「穴子丼」を食べるために歩いていると、今迄気付かなかったですが小さなカキオコ店が・・・、「カキオコ屋 暖里《ゆるり》」という看板が有りました。この店舗は小さなプレハブ造りで、店舗の屋外に机が置かれていました。今回は予定を変更してこの店で今季初物の「カキオコ」を食べてみることにしましたした。
店内に入り「カキオコのカキ増量」(1,200円)と「カキフライ」(500円)を1つずつ注文、先程閑谷で食べたばかりなので丸々1人前は食べれそうに無く、二人でいただくことにしました。
注文して待っている間に気付きましたが、この店は「Go To Eet 」券が使えたようです。気付くのが遅く残念!
また、貼られていたポップによると〔この店のカキオコは「日生カキオコまちづくりの会」がB1グランプリに出場した時のレシピを再現しています。〕となっていました。出来上がりが楽しみです!。
待つこと10分余り、出て来ました「カキオコ」と「カキフライ」です。
カキオコは関西風のようです。私は関西風のカキオコを食べるのは初めてです。
残念ながらカキは少し小振りでした。関西風もいいのでしょうが私は食べ慣れているせいか、やはり広島焼きのカキオコの方が口に合うようです。
カキフライは5個乗っています。大きくて美味しそう!
妻が「カキが大粒でとても美味よ」と言うので、いただきました。確かに見た目もさることながらカキ自体が大粒で美味しかったです。このカキフライは大正解!。
食事を済ませ、車に戻ります。
車に戻ると妻が、「ホタテクリームコロッケ食べていい~」と・・・。食後のデザート?のようです。
私も一口いただきましたがホクホクでトロ~リ、中に入っているホタテのヒモの触感と旨味が口に広がりました。妻も「美味しい~」と食べていました。
今回は途中多少小雨に合いましたが特に濡れること無く、閑谷学校の見事な紅葉や歴史ある建造物の数々、また数十年ぶりの講堂の見学や初めて入った資料館では色々な事を学ばせていただきました。更に米粉ラーメンやカキフライ、カキオコなど美味しい物もしっかりといただき妻もとても喜んでくれていました。また時間を作ってドライブに出掛けたいと思います。